『恋愛禁止条例』
第10話:釣り師が釣られ:前編
日中の茹だるような暑さは夜になっても続き、学生たちはやる気のでない熱帯夜の中“宿題”の追い込みに忙しいであろう8月終わりのある日。
その日、俺はいつものように公演後のステージ清掃のバイトをしていた。
時刻は午後10時を過ぎ、ステージには俺しか居ない……というか、たぶん劇場自体に俺以外人いないんじゃなかろうか。
そんなだから、ついつい独り言が出てしまう。
「ふぅーっ、あとは剥がしたテープを貼り直せば終わりっと……」
慣れた手付きで剥がしたバミリをスマートフォンの画面を見ながら、また同じ位置に貼り付け始めた。
「へぇー、バミリがいつも綺麗なんは“シンちゃん”が貼り替えてたからなんやね」
「ん?……うわっ!?」
後ろから声がしたかと振り返ると、そこには“みるきー”こと“渡辺 美優紀”さんの姿があった。
結構真後ろに居たので思わず驚いてしまった。
「もう、そんな驚かんでもええやん」
渡辺さんは頬をプクッと膨らませ不満ですといった表情で俺を見ていた。
「すいません。そんな近くに渡辺さんが居るとは思ってもみなかったんで」
「まぁ、そうやろうね。ばれへんように近づいたんやもん」
そう言って満面の笑みを浮かべ「えへっ」と言う渡辺さん。
その表情や殆ど面識のない俺を“シンちゃん”と分け隔てなく呼ぶ姿に、不覚にもドキッとする。
ファンの人たちが彼女を“釣り師”と呼ぶ理由が、何となく今ので理解出来た気がした。
気を取り直して……。
「ところで、こんな時間にどうしたんですか? 忘れ物でもしましたか?」
「そうなんよ。 大事なピアス落としてもうて……シンちゃん掃除しててこれと同じもの見んかった?」
そう言って髪を指で梳き右耳を見せる渡辺さん。
その耳には四つ葉のクローバーがモチーフのピアスが付けられていた。
何故だか葉っぱが緑色じゃなくって青の宝石で作られていて不思議なピアス。
「あれ? 四つ葉のクローバーなのに青色の宝石なんですね」
「うん。私のお誕生日が9月19日なんやけど、誕生石がサファイアやからそれが付いたのにしたってママが言ってたんよ……ほんま何処いってしもたんやろ」
さっきまでとは打って変わって、どよーんとしたように俯く渡辺さん。
「じゃあ、それってお母さんからのプレゼントなんですね? それは大事な物だ。絶対見つけましょう!」
「うん、ありがとう」
親からの贈り物だと聞きしょんぼりとしたままの渡辺さんがあまりに可愛そうで、俺はピアスを一緒に探すことにした。
両親を失っているせいか自分のことのように感じ、俺は1人勝手に絶対見つけてやると息巻くと腕まくりまでして気合いを入れていた。
「……取り敢えず、楽屋から探しましょうか?」
俺はそう言って手分けをし探そうと提案したが「暗いの嫌いやねん」と泣きそうな顔で言われ“渋々”一緒に探し始めた。
何故渋々かって?
「わかりました一緒に探しましょう」って彼女を気遣った途端、さっきまでのが嘘だったかのように満面の笑みに変わったんだから、自分が“釣られた”んだと分かったからに他ならなかった。
………………
…………
……
「ん~、あっ……って、飴玉?……お?……なんだ、今度はジャーキーか……食べ物ばっかり落ちてるじゃないか! 明日は徹底的に掃除してやる!」
楽屋の机の下を探していると出てくる物出てくる物が食べ物ばかりで、うんざりした俺は机の下から出るとぼやいた。
私物があるからと滅多に掃除しないのが原因だとはいえ、アイドルの楽屋としては汚すぎる!
明日、戸賀崎さんに言って掃除の許可をもらおう!
「どうしたん叫んだりして?」
そんな俺のぼやきが聞こえたのか、ロッカーの陰から顔を出す渡辺さん。
「あっ、すみません……ところで、そっちは見つかりました?」
「やっぱり、ロッカーの中とか見たんやけどないみたい……」
「そうですか……でも、もう少し探せば出てくるかもしれないですよ? もうちょっと探してみましょう」
肩を落とす渡辺さんが可哀想で、俺は再び机の下に潜り込んで探し始めた――。
―美優紀side―
再び机の下に入り込んだシンちゃんの姿見ながら、私はちょっと罪悪感を感じていた。
母から貰った大事なプレゼントとは言え、仕事中の彼にこんな時間まで探してもらっていることに、罪悪感を感じんほど性格悪うないんよ私。
でも、なんでシンちゃんは、そんなに優しんやろ?
「ごめんなぁ……なぁ、シンちゃん」
「どうしたんですか急に?」
「何で、そんなにシンちゃんは優しいの?」
「優しい……ですか? 自分が優しいだなんて考えたこともなかったなぁ」
「今だってこうやって一緒になって探してくれてるやん」
「……大事な物って、たとえ売っているものだとしても思い出が詰まっているでしょ。 その思い出や想いって買い直すことって出来ないじゃないですか……だからかな~」
最後の方は少し戯けてたけど言葉に何処か重みを感じる。
昔なんかあったんかな?
シンちゃんは今も懐中電灯片手に長机の下を「う~ん」って唸りながら探してる。
それにしても机の下にいながら会話出来るなんて、なんか器用やね。
これなら大丈夫かなと思った私は、前々から興味のあったことを彼の背中越しにぶつけた。
「あんなぁ、シンちゃんってスタッフさん中で一番若い……っていうか、私たちとおんなじ学生さんやん? 何でここでバイトしてるん?」
これは前から疑問に思っとってん。
でも、私自身NMBとの兼任でなかなかAKB劇場の公演出れんもんやし、彼は彼で何かと忙しいスタッフさんやから接点もなくって、丁度良い機会やから聞いてみた。
「あぁ……大事な人にプレゼントがしたくて、それでバイトしよと思ったんです。そうしたら偶々この劇場に知ってる人がいて、紹介してもらったのがきっかけですね」
「そうなんや……大事な人って彼女さん?」
シンちゃんに対して興味はあったけど、それは年が近いバイトが何故いるんや? という程度で、そこに恋愛感情がある訳でも何でもなかった。
でも、その時は気になったんやろうね、つい詮索するようなことを聞いてしまっていた。
「……ははは、違いますよ。 “母”です」
「彼女さんちゃうんや……でも、お母さんにプレゼントしたいなんて偉いね。 うん、凄い偉い!」
一瞬の間があったような気がするけど“母です”という方にばかり意識が向いてしまったせいで、その時の私はシンちゃんの様子に気付いていなかった。
そればかりか興味がないと思っている相手だというのに、シンちゃんの言葉に何故かホッとする自分がいて誤魔化すように矢継ぎ早に喋った。
それから私もピアス探しを再開したんやけど、色々頭の中に彼への質問が浮かんでくる。
結局、気になったらそのままに出来ひん性格の私は、シンちゃんに色々と質問を投げかける。
「何処出身?」
「兄弟は?」
「ペット飼ってる?」
………………
…………
……
結局、私はピアス探しを忘れ質問タイムに突入していた。
色々質問して、分かったんやけどやっぱりシンちゃんは優しい。
服が汚れるからと今も私の代わりに楽屋にいくつもある机の下を、這い回って探してくれている。
それに……気遣いというか、私の質問責めにも嫌な顔一つせず……まぁ、背中越しで表情は見えへんけど、一つ一つ丁寧に答えてくれるからやっぱり優しんやと思う。
彩にもよう言われるけど、こういうとき私は押しが強過ぎて煙たがられることもあるんよ。
なのに、シンちゃんはエピソードも交えて話してくれて、なんか知らんけど何気ない日常の話なのに楽しくて、私は調子に乗ってまた質問を繰り返してた。
でも、楽しい時間は過ぎるんも早くて、ふと気付けば時計は11時を過ぎていた。
まだ彼に仕事が残っているのを思い出し、私は机の下に潜ったままのシンちゃんに声をかける。
「シンちゃん、もうえぇよ。 落としたの楽屋じゃないかもしれんし……」
私がそう言うと、シンちゃんはもぞもぞとバックしながら机の下から出てくる。
「11時ですか……渡辺さんはもう遅いですし帰られた方がいいですね。 俺はもうちょっと探していくので、それでも見つからなかったら他のスタッフさんにも明日言っておきますね」
シンちゃんは壁の時計を見やりながらそう言うと、再び机に潜り込もうとする。
私はそんなシンちゃんを止めようと腕を掴み引っ張った。
「あかんて! シンちゃんはまだ仕事残っとるんやろ? 無理せえへんでいいから、キャッ!」
引っ張った拍子に、いつの間にか踏んづけていた紙で滑った私は、悲鳴と共にバランスを崩し後ろに倒れ込んだ。
咄嗟のことで掴んでいたシンちゃんの腕を放してしまい、後頭部に走るであろう衝撃が怖くて目を瞑った。
「あぶないっ!」
だけど、その声と同時に私は伸ばしていた腕を引っ張られ、逆に前へと倒れ込むと何かに包まれ……その直後、ガタンッ! という音と共に、私の身体は軽い衝撃に見舞われた。
その音と衝撃にビックリし身を固くしたけど「つぅ……」という小さな呻きが聞こえ、私はゆっくりと目を開けた。
『!?』
目に飛び込んできたのは、何処か打ったのか顔を顰めながら私を抱きしめるシンちゃんの姿だった。
「……大丈夫ですか渡辺さん?」
自分の方が痛いはずなのに私を見ると無理に笑い、逆に心配するような言葉を投げかけてくれる。
ドクン……
その笑顔と優しさに、私の心臓が一際大きく鼓動し顔が熱くなるのが分かる。
「う、うん。 私は大丈夫やけど……シンちゃんこそ平気?」
「あぁ、俺ならぶつけただけだから平気ですよ」
「良かった……」
彼の笑顔と言葉に私はホッとする。
自分が原因なんやから当然なんかもしれんけど、何でこんな心配になるんやろ?
「ん? それにしても渡辺さん顔赤いですよ?」
そりゃ、そうやよ。
胸に抱かれるような体勢でいるし、それだけやなくて私の手握ったままなんよ?
私やなくたって顔も赤うなるって……意外とシンちゃんって鈍感?
それともプレイボーイなんやろか?
私は恥ずかしくって再び彼の胸に顔を埋める。
だって、私の手だけやなくて、シンちゃん腰にまで手回してるんやもん、離れるん無理や。
そう私は自分に言い訳をした。
ドクンドクン……
『あっ、シンちゃんの心臓の音や……』
普段やったら男性とこうなっても別に何も思わないのに……自分が自分じゃないみたい。
そんなことを私が考えていると、シンちゃんはまだ状況が分からないのか私を気遣ってくれる。
「……ほ、本当に大丈夫ですか渡辺さん?」
その声に私は少しでも平常心に戻りたくて、いつものように笑顔で『シンちゃんってエッチやな』そう言って驚かすつもり……だった。
でも、顔を上げた先にあった優しい眼差しに何も言えず見つめ合ってしまう。
『
シンちゃんは初め反応のない私に首を傾げていたけど、無言が続いたんが心配なのか表情が曇る。
「渡辺さん?」
ほんまさっきから私はおかしい。
そう思いながらいると自然とシンちゃんの目を見つめる。
ドキドキ……
鼓動が落ち着くどころか早鐘みたいや――。
―隼人side―
「渡辺さん?」
俺がそう呼びかけているのに渡辺さんは、ジッと俺を見つめたままいる。
『???』
そんな見られるようなことをした憶えもなくって困り果てていた。
「手……」
『?』
不意に渡辺さんがそれまでと違う声色で言い、視線を下の方に落とす。
俺も追うように視線を下げていく……。
しっかりと渡辺さんの手を握ぎる左手と、腰に回した俺の右手があった……。
「わっ!」
渡辺さんが真っ赤だった理由を理解した俺は直ぐ様手を離す。
咄嗟の判断だとはいえ、渡辺さんを触っていたことに気付かないなんて……。
「シンちゃん強引過ぎるわ……」
涙声にも似た声でそう言うと、俺が握っていた右手を胸の前で摩りながら俯いてしまった。
「本当にすみません!」
謝る以外どうしようもない俺は、これでもかと頭を何度も下げた。
「……クスクス」
すると暫く俯いて俺の謝罪を聞いていた渡辺さんの肩が震えだし、さっきまでとは明らかに様子が違う。
「ふふ、シンちゃん必死過ぎやわ」
そう言って顔を上げた渡辺さんは笑っていた。
「良かった……」
俺はホッと胸を撫で下ろすように小さく呟いた。
それは渡辺さんが笑顔だからって言うのもあるけど、庇うようにしていた右手を今はヒラヒラさせていたから大丈夫なんだと分かったからだ。
「シンちゃん……怒らんの?」
呟きが聞こえたのだろうか、何故か渡辺さんは急に怪訝な顔になり、俺の様子を窺うように聞いてくる。
「?」
怪我をさせたくないと思って行動して、結果怪我をさせてしまったら目も当てられない。
だから、そうならなかったことに安堵以外の感情が思い浮かばなかった。
「怒るも何も怪我がなくて良かったなって……それに、俺の方こそ失礼なことをした訳ですし」
俺がそう言うと目を丸くする渡辺さん。
「そんなことないよ。 ちょっと驚いたけど……」
「ですよね……」
俺は面目ないなと思い頭をかくような仕草をした。
視線が自然と下を向く。
すると、さっき俺がぶつかった机の足元にキラリと光る物が見えた。
「ん?」
それを拾い上げると、さっき渡辺さんの耳に付いていた青色をした四つ葉のクローバー型のピアスだった。
「どうしたん? あっ! それや」
屈むようにして俺がピアスを見ていると、渡辺さんが肩越しに覗き込むようにして俺の拾った物を見た。
やはり、それが探していたものだったのか、嬉しそうな声を上げる。
「本当ですか、見つかって良かった。どうぞ」
俺はそのピアスを渡辺さんに渡す。
渡辺さんは「良かったあって……」と心底安心したように呟くと、軽くハンカチで軽く拭くと左耳に付けた。
「どぉ?」
両耳を出すように髪を梳いてピアスを見せる渡辺さん。
持ち主の元へと戻ったピアスは、俺の手にあったときよりも輝きが増して見え、渡辺さん自身を彩った。
「似合ってます」
「ほんま? 嬉しいわ。 シンちゃんありがとう」
心から笑う渡辺さんはとても可愛く、その笑顔を今だけ独り占めし見れただけで、俺は探した甲斐があったなと思う。
それから残った仕事を片付けるべく俺はステージへ戻った。
渡辺さんはお礼とかって言ってたけど、それが俺の仕事なのだから当然のごとく断った。
でも、なかなか折れないので「渡辺さんの可愛い笑顔が見られたんで、それだけで十分です」って言ったら、顔を真っ赤にし諦めてくれた。
………………
…………
……
最後のテープを貼り終え、間違いがないかをスマホで撮った写真を見ながらチェックしていく。
貼り間違いをすれば、それを目安にして踊るメンバーに迷惑がかかるので、俺は何回も見直す。
「よし、これで完璧」
最後のテープ位置を確認し終えた俺は、ステージ全体を見渡すように柱に凭れかかりながら、今日の仕事が終わったという達成感を感じていた。
「シンちゃんお仕事終わったん?」
声がしたかと思うと、渡辺さんが柱の陰からニュッと顔を覗かせた。
「あれ、帰ったんじゃないんですか?」
「私が帰った方がシンちゃんは良かったん?」
「……まぁ、こんな時間ですから心配になりますよ」
「心配してくれるんや?」
「そりゃあ、心配になりますよ。 でも、本当にどうしたんですか? あれから結構時間経ってますけど」
そう、時計を見ると既に11時半を過ぎ、あれから30分近くは経っていることになる。
「帰ろうと思ったんやけど、夜道一人やと怖いしお腹も空いたなって思うてね。 やから、シンちゃんに付き合ってもらおうと思うて待ってたんよ」
「あー、でも……」
“家にご飯がある”からと断ろうとしたが「1人でご飯食べるんは寂しんよ。 あかん?」なんて上目遣いで見つめられたら断れるはずもなく……。
自分で何と意思が弱いのだと思いつつ、滅多にない機会に喜ぶ気持ちもあって「分かりました」と言ってしまった。
「ほんま? やった、嬉しいぃ~」
嬉しそうにはしゃぐ渡辺さんを見ていて『まぁ、いいか』と思ってしまった。
「ちょっと待ってて下さい。 戸締まりとかしてくるんで」
「うん。 エレベーターのとこで待ってるから、はようね?」
「了解!」
俺はそう言うと清掃道具などを片付けに急いだ――。