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『勘違いから始まる恋』卒業宣言

その時が来るまで……

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 時計の針は午前6時を指していた。

 新年を迎えたばかりの東京の空はまだ薄暗く、その中でTBS社屋だけが不夜城の如く光を放ち静かに佇んでいた。

 そんな静けさを破るように建物の裏口から数台のマイクロバスが公道へと出てくる。

 すると、こんな時間だというのに裏口周辺で待ち構えていた何人もの男女たちがバスへと一斉に近寄って行く。
所謂“出待ちのファン”である彼らは、バスに群がるように集まり、車内にいるであろう人物の名を叫び手を振っている。

 それまでいたファンの群れが、裏口からバスと共に公道へと移ると、それを見計らったように1つの人影が裏口から外へと出てきた。
人影はオレンジカラーのダウンジャケットとジーンズに身を包み、黒縁眼鏡とマスクで顔を隠した背丈の低い女性だった。

 裏口から出て来た彼女をバスに夢中になっているファンたちは、気に留めることもなく黄色い声をバスへと送り続けていた。

 彼女は歩道でバスに群がるようにして居るファンを避けながら、バスとは反対方向へと歩いて行く。
暫くし角を曲がると、車道に1台のレクサス RX450hが停車しているのを見つけ、足早に近づいた。
彼女は助手席の窓から車内を確認するとノックする。

カチャッ

 ドアロックの外れる音がすると彼女は車に乗り込んでいく。

「明けましておめでとー。 迎えに来てもらっちゃってごめんね」

 シートに座りマスクを外しながら優子は運転席に座る男性に話しかける。
言葉では謝っているが、やけに声は嬉しそうな優子。
それもその筈、恋人が態々こんな明け方に車で迎えに来てくれたのだから嬉しくない訳がなかった。

「明けましておめでとう。 優子こそ、新年からお疲れ様。 大丈夫かい?」

 一方、大晦日に紅白、そのまま年を越しCDTVプレミアムライブに出演し、明るく振る舞うも顔に疲労の色を浮かべる優子を、労いの言葉をかけながら顔を覗き込む隼人。

 心配そうに覗き込む隼人と、それを不思議そうにキョトンとして見ている優子。
2人は一瞬見つめあうが次の瞬間、隼人の視界は遮られ唇に温かいものが触れていた。

チュッ

「えへ、今年最初のキスだね」

 唇を離すと嬉しそうに満面の笑みを浮かべる優子に、不意を突かれ今度は隼人の方がキョトンとしてしまっていた。
その様子をニコニコというよりニヤニヤし見ていた優子が再び口を開く。

「姫始めしちゃう?」

「ゆ、優子、な、何言ってるんだよ。 帰るよ」

 優子の言葉に顔を真っ赤にした隼人が焦り話題を変えるように車を出そうとすると、それまで笑顔だった優子の表情が一変する。

「ねぇ、隼人……」

「な……どうしたの優子?」

 ハンドルを握りサイドミラーで後ろから来る車を確認していた隼人。
優子の一言に何だろうと思いながら彼女の方を見ると、先程とは打って変わったように真剣な表情で見つめられていて驚いた。

「劇場に……寄って欲しいの」

「……明日は元日公演だよ?」

 先程までとは様子が大きく変わった優子を前に、隼人は彼女の身を案じる。
寝て起きれば直ぐにでも公演で訪れるというのに、疲れているであろう優子が何故劇場に行きたいと言い出したのか分からなかった。

「うん……そうなんだけど……隼人に伝えたいことがあるの……」

「……わかった」

 優子が疲れた身体を押してまで何を自分に伝えたいのか見当も付かなかったが、その瞳に決意の様なものを見た隼人は、彼女の言う通りにすることにした。

 2人を乗せた車はゆっくりと走り出すと夜の街へと消えていった。

………………

…………

……

 2013年の紅白歌合戦は事前に情報が流れていたように、大御所演歌歌手の紅白最終舞台というニュースだけで終わるはずであった。
ところが、それだけで終わることはなかった。

 AKB48が1曲目を歌い終えた後、それは起こった。
次の曲のためにメンバーたちが次々とポジション移動をしていく中、優子はひとりステージのセンターに立ち喋り始めたのだ。

「この場を借りてお話したいことがあります……」

 会場の人々もテレビで観ていた視聴者も繋ぎのMCかと思って聞いていたが、次の瞬間それは大きく裏切られることになった。

「私、大島 優子はAKB48を卒業します」

 突然の優子の発言に紅白の会場は響めきが上がり、テレビで観ていた日本中の視聴者も同様の反応であっただろう。

 この突然の卒業宣言はメンバーにも知らされておらず、驚きの声を上げている者や高橋 みなみに至っては号泣していた。

 そしてそのまま年は明け、2014年深夜のCDTVプレミアムライブで、優子は紅白で行った卒業宣言について理由を語った。

「AKB48が大きくなり、姉妹グループの勢いがついてきて、私は今のタイミングが巣立つときだと思い発表させていただきました」

 隼人はこの卒業宣言を家のテレビで、そして卒業理由を語る姿は車中で観ていた。
どちらも真剣な面持ちだったが、隼人には今AKB劇場に向かう車の中で見せる横顔の方が真剣に見えた。

………………

…………

……

 6時39分
2人は秋葉原のドンキホーテの屋上に居た。
AKB劇場がテナントとして入る年中無休のドンキホーテもこの時間には営業を終了していたし、周囲の店舗も正月休みで秋葉原の街は街頭だけが灯り静かだった。

 例年にない程暖かく肌寒さを感じることはなかったが、隼人も優子も互いの手を握りながら空を見上げていた。

「隼人って守衛さんとも仲がいいんだね」

「そうだよ。 この場所には何度も来て、あの守衛さんにはお世話になったからね」

 この屋上に来るためにはドンキホーテの裏口で、守衛に頼みビルの中に入れてもらう必要があるのだが、この日居た年配の守衛は2人の顔を見ると特に事情の説明を求める訳でもなく入れてくれた。
優子は自分が顔パスなのは当然と思うも“どうして貴方が?”という顔をしていた。
隼人は改めて自分が守衛と親しく会話が出来るほどここを訪れていたこと思い返した。

「確かに色々あったね……私たち」

 優子も隼人の言葉で今まであったことを思い返したのか呟く。
同じことを思ったのだろう不意に視線が重なり自然と笑みが溢れ笑い合う。

「「クスクス」」

 優子は隼人の手を離すとゆっくり屋上の縁の所まで歩くと、眼下に広がる秋葉原の町並みを見ながら隼人に話しかけた。

「ねぇ、隼人は私と出会ったときのこと憶えてる?」

「それって“変態!”って言われたときのこと? それとも学に投げ飛ばされて逮捕されたときのこと?」

 背中を向けた優子の声が真剣なのを知りながら、隼人はワザと戯けて彼女の質問に答える。
すると優子がクルッと向き直り不機嫌そうな顔で此方に歩いてくる。

「そういう所じゃなくって! もっと、切っ掛けみたいなことっ!」

「あははっ、分かってるよ」

 優子はポカポカと怒った様に隼人の胸を叩き、隼人は優子が本気でないこと知っているので胸を叩かれても笑っていた。

「でも……」

「えっ!? どうしたの隼人……」

 そう言うと隼人は優子のその小さな身体を自らの胸に抱き寄せた。
突然に抱き寄せられた優子は、顔を真っ赤にしながら驚いて隼人の顔を見上げる。

「あのとき優子がマンションに引っ越して来なかったら……ブレスレットを落とさなかったら……今こうして優子を抱きしめることなんかできなかったんだから、あれがやっぱり切っ掛けだよ」

 隼人は抱き寄せた優子の心臓の鼓動が早まるのを感じていた。
すると優子が目を閉じ少し背伸びをするとキスをしてきた。
触れるだけのキスだったが、優子の柔らかく温かみのある唇が心地よかった。

 日の出の時間が近づいているのか、空が明らんできていた。

 重なった唇が離れると優子は車の中で見せたのと同様の真剣な表情となり話し始めた。

「隼人にはAKBを卒業するって言っていたよね?」

 優子は紅白で卒業宣言をすることを以前より隼人に話していた。
だから、テレビ越しに紅白の会場で卒業宣言をする優子を観ても驚きはしなかったし、今も頷くだけだった。

「でもね。 もう一つ決めていたことがあって、これは今日この場で伝えたくて隼人にも黙っていたの……聞いてくれる?」

 そこまで言うと、それまで真剣な面持ちだった優子は頬を赤く染める。

 どんなことを言われるのか全く見当もつかない隼人であったが、不思議と不安など感じることもなくただ頷いた。

「私にとってAKBは青春そのものだった。 アイドルとして、女優として、私に輝ける場をくれた大切な場所で……佐江や才加、心友って呼べる沢山の仲間に出会えた場所……AKBがあったから今の私がいる。 だから、AKBを卒業したら“あっちゃん”みたいに1人の女優としてやっていけるのか不安で、正直このまま女優の夢を諦めようかって思った時期もあった」

 “女優の夢を諦める”そんなことを考えていた時期があったことなど隼人は知らなかった。
ずっと隣に居ながら彼女の気持ちに気付くことが出来なかったことに、隼人は自分の不甲斐なさを感じ表情を曇らせた。

 隼人の曇った表情をハッキリ見せるように空が先程より明るくなっていた。
優子は隼人の表情の理由を察したように苦笑すると言葉を続けた。

「でも、そんな私に女優の夢を諦めるなって言い続けてくれた人がいた。 その人はどんな時でも私の味方で、間違っているときはちゃんと叱ってもくれた。 その人がずっと私を支え沢山の愛情を注いでくれたから、私は花を咲かせることができた。 いくら感謝して足りないし、私は今までその人に何もしてあげられなかった……だから、AKBを卒業したら今度は私がその人を支えたい……ねぇ隼人、私ね家族以外の人に言うの初めてかもしれない……」

 そう言うと優子は微笑み隼人を見つめた。
優子の背中越しに初日の出が昇るのが見えると、その日差しは彼女の顔に影を落とし表情を隠してしまった。

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!

 突如、けたたましい音が鳴り響き、隼人はその音から逃れるように目を瞑り耳を塞ぐ。
だが、その音はまるで頭の中で目覚ましが鳴っているように耳を塞いでも鳴り続けた。

『なん何だ!?』

 その音が聞こえ始めてから意識があるはずなのに、意識が覚醒していくような不思議な感覚に襲われる。

 隼人は優子のことが心配になり目を開け彼女の姿を探そうとするが、いつの間にか眩い光に包まれ薄目を開けるので精一杯だった。

「優子!」

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!

 隼人は音と光が増していく中、眩い光の中になんとか優子の姿を見つける。
優子は先程と同じ場所で平然としながら、隼人に向かって何か喋っていた。
しかし隼人にそれが届くことはなく、膨れあがる光が次第に隼人と優子を包み込んでいく。

「優子ッ!」

 隼人は離れまいと優子に手を伸ばしながら叫ぶが一瞬で意識が光に飲まれ、その瞬間世界が暗転した。

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!

 耳元で鳴るけたたましい音で、隼人の閉じられていた瞼が開かれる。

「んん……ここは……」

 ぼんやりした頭でここが何処か理解しようとする隼人。

ジリリリリリリリリリリリリリリリリッ!

 それを遮る様に枕元のサイドテーブルに置かれた目覚ましが鳴り続いていた。
隼人は一先ずそれを止めようと手を伸ばそうとする。

カチッ

 しかし、隼人が手を伸ばすよりも早く、目の前を白く細い手がにゅっと伸びると目覚ましのアラームを止めた。

「隼人ぉ……どうしたの?」

 鼻にかかった様なハスキーな声で隼人の名を呼ぶと、優子は目覚ましを止めた手を隼人の身体に絡め胸に凭れ掛かる。
目覚ましを止めなかったことが不思議だったのか、眠そうにしながらも隼人を見つめる優子。

「おはよう優子……なんだか奇妙な夢を見てしまって……」

「夢?……どんな?」

 隼人の“夢”という言葉に、優子の絡められていた腕に一瞬力が込められ、密着していた豊かな乳房が隼人の胸板に谷間を強調する様により押しつけられる。

 これまでも優子とは幾度となく身体を重ねてきたが、今でもこんな状況にドキドキしてしまう。

「あっ……えっと」

 早くなった鼓動を抑え、あやふやな記憶を手繰り寄せながら、見た夢の内容を優子に話して聞かせた。

「最後なんだけど、光に包まれる瞬間に優子が何か俺に言ってたんだけど……ん~」

「……私は最後に何て言っていたの?」

 それまであやふやながらも話していた夢の内容だったが、最後に優子が言った言葉だけが全く思い出せない隼人。
一方、それまで黙って話を聞いていた優子だったが、余程自分の言葉が気になるのか顔をグイッと近づけながら聞いてくる。

「……ごめん優子。 思い出せそうにない」

 暫く考え込む隼人だったが結果的に思い出すことが出来ず、すまなさそうに優子に謝った。

「ぷっ……クスクス」

「ゆ、優子?」

 思わず吹き出した優子は笑いながら隼人の胸に顔を埋め、一方自分の胸で笑う優子に戸惑う隼人。

「もう、夢なんだから憶えてる方が不思議なんだよ? 真面目だなぁ隼人は」

 そう言うと、優子は笑顔のまま隼人の身体から身を起こすと、近くにあったバスローブを羽織りベッドから降りた。

「そうなんだけど……とても大事な言葉だった様な気がする……」

 バスローブを羽織る優子の背中を眺めながら隼人が独り言の様に呟くと、優子がくるりと振り向き顔を近づけてくる。

チュッ

「朝ご飯作るから、顔洗って来てね」

「あっ、うん」

 優子はキスをすると隼人を残し部屋を出て行く。

バタン

 寝室のドアを後ろ手に閉めると凭れ掛かり俯く。

 多くのメンバーが卒業していくのを見送ってきて、自分自身も隼人が見た夢のようにいつか卒業を決断する日が訪れる。
AKBというグループで勝負をしてきた自分たちにとって、1人の道は“茨の道”のはずだ。
ふと、将来についてそんな不安にも似た思いが優子の中に生まれる。

ガチャッ

 寝室側から扉が開かれ凭れ掛かっていた優子は支えを失い後ろに倒れかかる。

「あっ」

「おっと、そんな風に扉に凭れ掛かってたら危ないよ?」

 優子は手を伸ばし壁に手を付こうとするが、それより早く隼人が彼女の身体を抱き止める。
抱き止められた隼人の背中から彼の温もりが伝わる。

 隼人は優子の身体を離すと「気を付けないとね」と和やかに言うと、洗面所へと向かうように背中を向ける。

 先程の不安も相まって寂しい気持ちが入り交じる視線で離れる隼人の背中を見つめていると、数歩もしない内に歩みを止め振り返り戻って来た隼人に抱きしめられた。

「!? どうしたの?」

「何となくだけど、優子のことが気になったからかな」

「勘違いだった?」と笑うと、今度こそ廊下へ出ていった。

 まるで優子の気持ちを察したような行動に、先程まであった不安感や寂しさは消し飛び優子の顔には笑顔が戻っていた。

 優子は思う。
今のように何故そんな風に自分の気持ちを察することが出来るのか見当も付かない。
でも、隼人は自分の変化をいつも気付いてくれ、時には喧嘩をすることもあるけど仲直りのきっかけをいつもくれる隼人。

 一方で、恋愛禁止条例があるからと2人の関係を公にすることも出来ず隠れながらの交際を強いたり、仕事優先のうえ喜怒哀楽が激しく扱いづらい自分という存在は、隼人を振り回すばかりだった。

 それでも今まで多くの障害や困難を2人で乗り越え、その度に隼人の大きく深い愛情を感じてきた。
だからだろう、自分が卒業を迎えたとき隣にはいつもの様に、微笑む隼人がいてくれると信じられる。

 だから、もう少しだけ隼人の愛情を受け、AKB48のセンターとして、夢である女優への道を進むため頑張ろうと思う。

 そして晴れてAKBを卒業し、女優“大島 優子”となったとき、今度は自分が隼人へ感謝してもしきれない恩返しと、大事な“想い”を伝えたい。

 だから“その時が来るまで……”
この言葉は自分の胸に秘めていようと優子は思った。

 “アイシテル”

 隼人の背中を見送りながら、優子は声なき言葉を呟く。
それは隼人が光に包まれ目覚める直前に見た優子の口元の動きそのものであった。

「さぁ~って、隼人のために美味しい朝ご飯作るぞぉ!」

 そう言って元気に腕まくりをしながらキッチンへと歩いて行った。

END


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