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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第063話

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 高層ビル群の足元を縫うように走るタクシー。

 ビルが巨象であるならば、差し詰め自分が乗るこのタクシーは蟻だろうか。
そんなことを思いながら隼人は、タクシーの窓からビルを見上げていた。
こんなことを考えてしまうのも、思いがけず渋滞に巻き込まれてしまったせいか、それとも渡辺 杏が会社の廊下で言った話の続きが気になるも心の何処かで聞いてはならないと警笛が鳴っているジレンマに悩み過ぎたせいだろうか。

『あまり社内の人間には知られたくないことがあって……そのことは移動の車の中で話しますね』

 そう言っていた当の杏本人は、隼人の隣で手帳を捲ったり書き込んだりしている。

 何にせよ車が思うように進まない事実が変わることはなく、車は蟻のようにゆっくりと目的地に向かっていた。
今、隼人と杏はある新たなプロジェクトのクライアントである企業へタクシーで向かっていたのだが、タイミング悪く渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
先方へは渋滞に事情を話し時間を変更してもらったのだが、それが却って考える余裕を隼人の中に生み杏の言ったことを気にさせていた。

 この直前にも“高橋 みなみ”の一件が発覚し、隼人の心は大きく動揺していた。
考えないように窓の外を見るも変なことしか考えられず、結局横に居る杏をチラリと見ていた。

 その視線に気付いたのか、杏はパタンと手帳を閉じる。

「新城先輩。 さっきの話なんですが……」

「あ、あぁ……話したくないことなら、無理に話す必要はないよ?」

 気になることを放ってはおけない性分が杏に話させるきっかけを与えてしまい、内心『しまった』と隼人は思った。
だが、自分でも何故聞いてはならないのか明確な理由がある訳でもなく、結局良い人を演じるような態度をとってしまう。

「いえ、新城先輩なら信用できるので大丈夫です」

 そういうと社内で言えなかった話の続きを杏は語り始めた。

「先輩さっき私に“AKBに詳しいんだね”って仰いましたよね?」

「うん」

「私、AKBの大島 優子ちゃんと知り合いなんです」

「えっ……」

 会社の廊下で杏の意味深な言葉を聞いた時から薄々感じていたが、まさかみなみに続き杏までもが優子と繋がりがあるとは思ってもみなかった。

 聞くに2人の出会いは、杏と優子が以前ある映画で共演したのをきっかけに仲良くなり、杏が芸能界を引退した今でも食事や買い物などをする仲であるという。
杏が元々モデルであったことや、女優としても活動していたことは知ってはいたが、そんな所に接点があるなど隼人は思ってもみなかった。

 『渡辺さんAKBに詳しいんだね』その不用意な一言や、会社で“AKB48”を調べたばかりに自分と優子を取り囲む周囲の状況を把握することになったのだが、自分に関わる人間がこうも身近に接点があることに、隼人は自分の引当率の高さを呆れるのを通り越し感心すらした。

「今話題のAKBの優子ちゃんと友人だなんて社内の人に知られたら、何かと大変なんで言いたくなかったんです。 すみません」

 そう言って、深刻そうに話したことを両手を合わせながら詫びる杏。
その顔は社内で秘匿しなければならないことから限定的ながら解放され、和やかな笑みが溢れていた。

「でも、新城先輩だから言いましたけど、他の人には絶対に言わないでくださいね?」

 それでも念を押すことを忘れないのは真面目な杏らしかった。
隼人も優子と交際し同じような状況に置かれた身、他人事ではないため杏の言葉に共感し頷いていた。
しかし、それも束の間、今度は杏から社内でAKBについて調べていたことに言及が及んだ。

「新城先輩ってAKB好きなんですか? 誰推しなんですか?」

 普段そんなことに興味なさそうな、クールなイメージのある杏からは想像のできない質問に苦笑する隼人。
そんな様子を見て秘密にすることの大変さを知る。

 今は一般人として働く杏だが、それでも元芸能人である。
過去に交友関係について色々聞かれたりしたのかもしれない。
それが嫌で誰にも言わないようにしてきたのだろう。
だが、それは思いの外負担だったのではないだろうか、仲の良い友人の事であれば尚更ストレスだったのかもしれない。
それから解放されたことが、余程嬉しかったのだろうと隼人は勝手に考えていた。

 しかし実際の所、杏と隼人は半年間一緒に仕事をしながら、業務に忙殺されプライベートなことを殆ど話す機会がなかった。
それがここに来て隼人の意外な好みを知ることが出来、興味が湧いたのが理由だということを隼人は知る由もなかった。

 どんな理由にせよWebで態々検索している所を杏に見られていた隼人は“嫌い”と言えるわけもなく「興味はあるよ」と答えた。
また“推し”の意味が分からず杏に聞くと“応援したいメンバー”のことだと教えられ、後々の事を考えると嘘を吐く訳にもいかず「よく知らないけど好みで言うと大島 優子さん」と正直に答えていた。

 杏は他にも色々聞きたそうな顔をしていたが、幸いなことにタクシーが目的地に着き、それ以上の追及されることはなかった。
交際を匂わせるようなことはおろかファンだとも思われないように適当な回答をしたつもりではあったが、これ以上聞かれると襤褸(ぼろ)が出そうだったので隼人は心の中で安堵した。

 だが、質問に答えていた隼人本人は気付かなかったようだが、言葉の端々や表情に“知っているだけの人間”とも“ファン”とも違う、何かが込められているのを杏は女の勘で感じ取っていた。

………………

…………

……

 その後、遅れて始まった打ち合わせはランチを挟みながら予定の時間を大幅に超えて行われ、帰社してからも会議などをこなしているとあっという間に定時の時間になっていた。

「お先に失礼します」

 そういうと杏は、友人と会う約束があるからと定時で上がていった。
杏が帰り、それ以上“AKB”についての話題が上らないことに隼人はホッとしながら、自分のデスクで残業をしていた。

 iMacの画面には新しいプロジェクトの資料が展開され、隼人はそれに目を通していた。
今動こうとしている複数のプロジェクトの概要を精査し誰にそれをアサインするかを決める、それが隼人の今の仕事であった。
プロジェクトの肝は担当する者と企業側の担当者との相性で決まると思っている隼人は、過去同じ企業とのプロジェクト資料なども丹念に目を通していた。
真剣な眼差しで資料に次々目を通していく姿は、先程まで優子やみなみや、杏のことで悩んでいた隼人ではなかった。
失意の中アメリカに渡った隼人が最初に覚えたのはデザイン能力や交渉力などではなく“思考の切り替え方”だった。
それが今の隼人の評価に繋がっているのは皮肉だといえた。
暫く資料と睨めっこしていた隼人だったが次のプロジェクトの担当者を決めると、それを明日の会議用資料にまとめていく。
資料作成が終わりファイルを保存すると、一段落付いたのかキーボードから手を離し椅子に深くもたれ掛かり延びをする隼人。

「ん~」

 デスクにあったカップを取るとコーヒーを一口啜る。
先程まで温かかったコーヒーがいつの間にか冷めて風味が飛んだ、ただの苦いだけのものになっていた。

 腕時計を見ると、針は午後9時半を過ぎた頃だった。
かれこれ3時間程集中していたのか、社内は珍しく隼人だけになっていた。
閑散とした社内を見渡していると、ふと視界の端で光っている物に気付く。
それはiMac脇の充電スタンドに立てられた自分のスマートフォンだった。
パスワードを解除しメールを見ると、数件のメールが来ていた。
大半がどうでも良いものであったが、1通のメールに目が止まる。

 それは7時頃に送られてきた優子からのメールだった。
中身を見てみると優子らしい文面でチケットの事などが書かれていた。

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■差出人:
大島 優子

■件名:
チケットゲット(((o(*゚▽゚*)o)))

■本文:
ヤッホー優子だよ!
チケットゲットしたよ(((o(*゚▽゚*)o)))
さっき座席確認しに行ったら2階席でした。
たぶんコンサート中に何回か近くに行くから
隼人の顔見られるかも───O(≧∇≦)O────
チケットは学が持っているので、学から受け取ってね。

隼人はまだ仕事なのかな?
私はこれからメンバーと御飯食べてきます。
ちゃんと隼人も御飯食べてね。

後でまたメールするから、
隼人が起きてたら電話したいな♥

それでは、いってきまーす!
PSお仕事頑張ってね♥
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 隼人はメールを見て複雑な表情をする。
優子の自分を気遣うような文面が嬉しくもあり、その反面“みなみの件”のことがあり優子の期待に応えコンサートに行くべきだろうかと悩んだ。
勿論、本音だけ言えば優子の踊り歌う姿を観たい。
しかし、元彼女みなみが、現彼女である優子と同じAKBに所属しているならば、自分がコンサートに行けば出会ってしまう可能性があるということなのだ。
そこで、みなみと出会った時、自分はどうすれば良いか隼人は分からなかった。
単純に、互いのことが嫌いになり別れたのであれば気にする必要などはない。
だが、隼人はマウスを操作し最小化していたブラウザのウィンドウを開くとAKBの沿革が書かれた記事を見るが、そう単純な話で終わる気がしないのだ。

 そこに載る情報が正しいとすれば自分とみなみが付き合っていた頃、既にみなみがAKBの1期生として活動していたことになっていた。
隼人はそれを知らずに1年程彼女と付き合っていたことになる。
当時、何処かの小さなグループに合格したと聞いた記憶があったが『自分が納得できるまでは秘密でス』とみなみが笑顔で言うので敢えて聞かずにいた。

 当時は隼人も社会人に成り立てで、自分のことで精一杯だった時期。
みなみとは一月に1度程度のペースでしか会えなかった。
折角会うことの出来た貴重な時間も、日頃の激務で疲れた隼人を気遣ってか、みなみは隼人の部屋で過ごすことが多かった。
自分もレッスンや公演で疲れ、世間からの風当たりも強かった時期だというのに、それでもみなみは笑顔と甲斐甲斐し振る舞いで隼人を癒やしていた。
今思えばあの時見た、はしゃぐ姿や笑顔も全て、自分に心配をかけまいと普段以上に無理をさせていたのかも知れない。

『情けない……』

 何も知らないでいた自分の不甲斐なさを噛み締める。
彼女の苦悩や想いに気付けないでいた自分が、どの面を下げてみなみと会えるだろうか。
それも、みなみが知らないとは言え、同じAKBメンバーの中に彼女を作っておいてだ。
だが、それでもみなみに会い確かめたいこともあった。

 隼人はブラウザの先程とは違うタブをクリックすると、そこにはみなみの写真が何枚も掲載されていた。
どれもアイドルらしい衣装に身を包み“微笑む”みなみの姿があった。
しかし、問題はこの“笑顔”にあり、それが1つ目の確かめたいことだった。
この“微笑む”みなみの画像を見る度、隼人は違和感を感じずにはいられないのだ。
見る画像全てが4年前、別れる直前まで隼人に見せていた自然な表情には程遠く、ぎこちなく不自然な笑顔なのだ。

 そして、もう1つタブをクリックする。
そこには“AKB48 高橋 みなみの母 淫行罪で逮捕!!”という記事が表示された。
これがもう1つ確かめたいこと。
みなみの家族には大学生時代ずっとお世話になり、恋人の家族という以上の関係にあった。
そんな一家に何があったのか知りたかったのだ。
夢を叶えたというのに4年前と変わってしまったみなみの笑顔と、お世話になった高橋家の変わりようなど、会って聞きたいことが山程あった。
事情を知ったからと言って優子を裏切るつもりは毛頭なかったが、みなみとの関係も簡単に切れる程浅くないのだと改めて感じる。

 コンサートに行くことはそれなりの覚悟が必要であることは確かで、今の隼人にそれがあるのかと問われて自信を持って答えられる気がしなかった。
だから、優子の誘いは嬉しかったが、コンサートに行くべきか判断出来ずにいた。
今昔の狭間でどうすべきか悩む内、無性に優子の声が聞きたくなった隼人。

 デスクに置いたスマートフォンを持つと電話帳を開き“大島 優子”の所までスクロールさせてゆく。
優子の声を聞けば解決する問題でもないだろうにと思うし、今頃AKBのメンバーと楽しく食事をしている頃だろう。
自分が単に声を聞きたいと思うだけで、メンバーとの時間を邪魔する程の意味もない電話をすることに気が引けてしまう隼人。

ブッブッブーーブッブッブーー……

 色々なことを考え倦(あぐ)ねいている隼人を余所に、手に持ったスマートフォンが突然振動する。

 一瞬、優子かと思い画面を確認するが、そこには電話帳に登録がなく隼人も憶えのない番号からの着信だった。
上がったテンションが急降下し、今の気分で仕事や間違い電話など取りたくないと一瞬躊躇する隼人。
だが、そこは社会人。
誰からは分からないまま通話ボタンをタップし着信にでた。

「はい、新城です……」


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