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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第059話

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 東京港区汐留に汐留シオサイトと呼ばれる巨大複合都市が存在し、そこには読売テレビ社屋、電通本社ビル、ソフトバンクグループの入居する東京汐留ビルディング、そして“汐留シティセンター”が聳え立っていた。
“汐留シティセンター”は地上43階、地下4階を有し、テナントに富士通、ANAホールディングス、全日本空輸など日本の名だたる企業が本社機能を構える大型オフィスビルで、その27階に隼人が勤めるフロッグデザインの日本法人“フロッグデザインジャパン”のオフィスはあった。

 “フロッグデザイン”自体は1970年代に創立され、現在はアメリカに本社を置くクリエイティブコンサルタント会社である。
拠点はアメリカを中心に15ものスタジオがあり従業員数1000人を超え、デザイン会社として世界有数の規模と実績を有している。
クライアントは大手コンピューターや家電メーカーが中心だが、拠点によっては家具やアパレル、雑誌を扱うなど多岐に渡るデザインを手がけていた。

 そんな会社のロビーへ1人のスーツ姿の男性が息を切らせて駆け込んできた。

「おはようございます。 走ってこられてどうしたんですか?」

 それを1人の受付嬢が出迎えた。

 受付嬢の名は“松井 彩香”23歳。
彼女は去年春に大学を卒業したばかりの新人だった。
大きく少し垂れ目がちな瞳、そしてふっくらとした唇が印象的で、毛先だけ内巻きカールにしたブラウンの艶やかなミディアムヘアと相まって顔だけ見ると綺麗というよりも“可愛い”という表現が似合う女性であった。
一方で、受付嬢ならではの立ち振る舞いや164cmと平均女性よりも高めの身長と、抜群のスタイルの持ち主で良い意味でギャップがあり、そこに性格も素直で明るく嫌みがないとくれば、モテない訳がなく交際の申し込みが後を絶たないらしい。
だが、彩香本人は『好きな男性ひとがいますので』と全て断っているらしい。
実際、ロビーで男性が食事を断られている姿を多数目撃されている。

 その彩香が会社のロビーに走って入って来た男性に対し、挨拶と共に走ってきた理由を尋ねていた。
普段走ってくることなどないその男性が、駆け込んでくる理由が分からなかったのだ。

「はぁはぁ、おはよう松井さん。 ちょっと遅刻しそうだったから走ってきたんだ」

「あぁ……でも、新城さんフレックスじゃ?」

 彩香は肩で息をしているスーツ姿の男性を“新城さん”と呼んだ。
そう、走って来たスーツ姿の男性とは隼人だった。
隼人は荒くなった息を整えながら答える。

「そうなんだけど、はぁはぁ、みんなが早く来てるのに俺だけ遅く来てもね」

 デザイナーは不規則な生活になり易いためフレックスが基本なのだが、隼人は生活のリズムを一定にしておきたいと思い毎朝所定の時間に出社していた。

『新城さんらしい』

 彩香がそんなことを心の中で思っていると、隼人が何か気付いたのか質問してくる。

「あれ、そう言えば岡崎さんは?」

 彩香の隣にはいつもならペアの岡崎という受付嬢がいるのだが、居ない事に隼人は気付いたようだった。

「岡崎さん、体調不良でお休みなんです」

「そうか……それじゃあ今日は1人なんだ? 1人だと大変だと思うけど、今日も1日宜しくね」

ピッ

 そういうとカードキーでオフィスに繋がるドアを開け入って行った。
デザインに関して詳しくない彩香だったが、それでも隼人は会社の中でも年齢の割にかなり偉い役職だったと記憶している。
そんな隼人が毎朝“今日も1日宜しく”だとか“おはよう”と挨拶をしてくれるだけでなく、自分を“松井さん”と呼ぶ。
彩香は23歳、彼は26歳で先輩にも関わらずだ。
普通であれば受付嬢は“ちゃん”であったり、呼び捨てられたり会社組織の中では“結婚までの腰掛け”などと軽んじられる傾向にあるものだが、隼人は違っていた。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 そう思うに至ったのは、半年前にあった隼人の歓迎会での席のこと。
彩香は偶々隼人の隣に座る機会があり社会人の礼儀マナーとして彼にお酌をしていた。
だが、それを近くで見ていた相当酔いの回った上役が「おっ流石、受付嬢。手が早いな早速結婚相手探しか?」などと、セクハラまがいの悪態を吐く。
入社したてで挨拶程度しかしたことのなかった上役に、突然そんなことを言われた彩香はショックを受ける。
周囲からもそう見られているのかと思うと、何も言えず俯くしかなかった。

 すると、その様子を隣で見ていた隼人が、顔色一つ変えぬまま上役へ進言するように告げる。

「お客様が会社を訪れて最初に迎えるのは、私でも貴方でも社長でもなく受付の彼女たちです。 受付はその会社の第一印象を左右する重要な役割を持った業務。 それを馬鹿にされるのでしたら、それは会社を、延いてはご自身を馬鹿にされているのと同義だと思いますが」

 役職的にも年齢的にも上である上役に平然と言ってのける隼人に、場は静まりかえり皆そのやり取りに注目していた。

 上役はまさかの反撃に、酔って赤くなった顔をより真っ赤にさせ「なんだと! 社長のお気に入りだからって生意気に分かったような口を利くな!」と怒り出した。

 間に入った彩香はあたふたするばかりだったが、胸の内では仕事の意義を認められ嬉しかった。
隼人は怒る上役にニコリと笑いかけると一言付け加える。

「それと受付の女性が早期に結婚される率が高いのは、沢山の男性が会社を訪れるからです。 当然、人と接する機会が多くなれば出会いも増え、礼儀正しく常に笑顔を絶やさないでいる彼女たちならば、引く手数多になっても不思議ではない。 何より結婚後の退職率が高いのは、今のように言い掛かりでストレスの多い職場だからですよ」

 その隼人の一言は火に油を注ぐ行為であったのは言うまでもなく、上役は当然怒り心頭であった。
しかし、その場に居た他の者達にとって、隼人の言葉は上役と同意見だった者には反省を促し、それ以外の者には“新城 隼人”に対する強烈なインパクトを残していた。
その場の雰囲気は明らかに隼人寄りとなり、上役への冷たい視線が集まる。
特に女性からは“批難”の眼差しが集中していた。
上役は周囲の目に屈したのか、その場から逃げるように出て行った。

「ありがとうございます!」

 お礼を言う彩香に、隼人は「仕事には必ず意味があるからね」と笑っていた。
彩香は、その笑顔に唯々見入ってしまった。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 それからだろうか、隼人が受付を通るのを目で追いかけ、彼に声をかけられる度に胸が高鳴るようになったのは。
自分が隼人に“恋”をしていることに気付いてはいた。
だが、彩香は隼人に想いを伝えるまでには至っていない。
それは隼人の横にはいつも“ある女性”が寄り添っていたからであった。

「あの人には敵わないな……」

 ロビーに残された彩香は寂しそうに呟いていた。

「おはよう」

 隼人はオフィスに入ると、既に仕事を始めていた同僚や部下達のデスク脇を通り挨拶をしながら自分のデスクへと向かった。

「おはよう(ございます)」

 周囲の者も隼人を見ると皆当然のようにモニターから視線を上げ各々挨拶を返していた。

 隼人は挨拶を交わしながら自分の席に辿り着くと鞄をデスクの上に、そしてスーツの上着を半分に畳みその鞄の上に置いた。
自席のアーロンチェアに座りiMacをスリープから復帰させパスワードを入れると、デスクトップにはいつもの見慣れた画面が表示された。

 すると頃合いを見計らったように、デスクには淹れたてのコーヒーが置かれる。

「おはようございます。 急いで出社されたみたいですけど、どうしたんですか?」

「おはよう。 今日は寝坊してしまってね」

「あら、珍しい。 新城先輩が寝坊だなんて。 それならゆっくり出社されればいいのに……」

 隼人のことを“新城先輩”と呼ぶのは社内では1人だけだった。
その人物は隼人に頼まれたわけでもないが、毎朝欠かさず彼のためにコーヒーを淹れていた。

 その人物の名は“渡辺 杏”。
25歳の今年入社3年目になる女性デザイナーである。
杏は少し肌の色が濃くエキゾチックな印象の顔立ちと、174cmの長身とスレンダー体型がモデルを思わせる容姿をしていた。
股下などは身長が2cm程度しか違わない隼人と比べ10cmも杏の方が高かった。
それもそのはず、杏は15歳でモデルデビューを果たし、パリコレクションなど世界のファッションショーで活躍したモデルであった。
そればかりか日本では女優としても活動するなど人気を得ていた。
それがある日突然デザイナーに転身し、フロッグデザインに入社したという異色の経歴の持ち主だった。

 そして昨日、隼人が発表会でプレゼンテーションを行ったユーザーインターフェイス“Feel UI”のアートディレクションを担当したデザイナーでもあった。
だが、このプロジェクトは入社3年目の若手が抜擢されるには些か大規模なもので、異例の大抜擢ともいえた。
そこにはクリエイティブディレクターとしてプロジェクトを統括した隼人が関わっており、隼人はいくつかの書類を元に複数の社内デザイナーと面接を行い、最終的に杏をアートディレクターに選んだ。
当初、その人選に批判的だった者も多くいたが、隼人はその声に『見ていれば分かるよ』と微笑んでいた。
その言葉通り杏の働きぶりは周囲の予想を大きく裏切り、そして隼人の期待に十分に応えるものだった。
何時しかその働きぶりが周囲からも認められ、隼人の右腕として活躍するまでになっていた。

「あっ、またスーツをこんな所に。 掛けてくださいっていつも言ってるじゃないですか」

 そう言うと杏は鞄の上に置かれたスーツを手に取り、近くにあったコートハンガーにスーツを掛ける。

「ありがとう。 渡辺さん……でも、1時間位したら外出だから大丈夫かなって……」

「そういう問題じゃありません!」

「すみません……」

 叱る母親のような杏と、子供のようにしゅんとなる隼人。
何故だかプロジェクトが進む内、今のようなやり取りをするようになり、その夫婦漫才のようなやり取りは社内では日課のようになっていた。
社内ではすっかり2人のやり取りは定番化し、それを見ていた者たちは嫌な顔をするどころか笑いさえ起き、オフィス内は和やかな空気に包まれていた。

「もう……」

 笑いが起きていることに杏は少し不満そうだったが、このオフィスの雰囲気は大好きだった。
これも目の前で、苦笑しながら自分が淹れたコーヒーを飲んでいる隼人のお陰だと感謝していた。

 実は、杏がデザイナーに転身したきっかけは隼人にあった。
それは昔まだ杏がモデルだった頃、一度だけ隼人と会ったことがあった。
そして、その時に隼人のみせた言動が、昔から憧れであったデザイナーを目指そうと決意させるきっかけとなっていた。
この事については周囲には勿論、隼人本人にさえ言っておらず、自分からも言うつもりはなかった。
それでも、5年ぶりに再会したとき隼人が自分のことを覚えていたことは嬉しく、今は彼とこうして一緒に仕事が出来ることが何より楽しかった。
杏が隼人にコーヒーを淹れたりスーツを掛けたりと身の周りの世話を焼くのも、隼人の役に立てることに喜びを感じていたからだった。
周囲からは良く「付き合っているの?」などと聞かれるが“恋愛”関係ではないし、彩香の思うような“感情”は今のところなかった。
それでも隼人に恋心にも似た“憧れ”という感情があることは本人も自覚していた。

 毎朝恒例の杏との夫婦漫才を終えると、各々その日の業務に戻る。
隼人もメールの処理やスケジュールの確認、部下への指示出しなど朝のタスクをこなしていく。
そろそろ外出の時間となろとしたとき、隼人のスマートフォンが鳴る。
画面を見ると、そこにはこれから往訪する担当者の番号からの着信だった。

ピッ

「はい。 新城です……お世話になっております……」

 電話の内容は打ち合わせの時間を、1時間ずらして欲しいとのことだった。

「はい、それでは後ほどお伺いします。 失礼します」

ピッ

「渡辺さん、打ち合わせの時間なんだけど、1時間ずれたから」

「は~い、分かりました」

 電話が終わると打ち合わせの時間が変わった事を同行する杏に伝えると、杏は自席から手を上げ答える。
一応は隼人が上司で、杏は部下になるのだが、あまりそう感じさせないのが2人の関係だった。
だから、隼人は杏の返事を気にすることもなく、この空き時間を利用し“AKB”についてこっそり調べることにした。

 優子の話では第2期メンバーでありAKB内で順位付けを行う総選挙で1位や2位を争う程の人気らしいのだが、隼人の中では未だに“大島 優子”がアイドルという認識に欠けている部分があり、今後のために彼女の所属する“AKB”について勉強しようと思ったのだ。
Googleで“AKB”と検索してみると、6,300万件もの膨大な数がヒットした。

『凄いヒット件数……』

 これ程ヒットするとは思っていなかった隼人はこれに驚いた。
検索トップには“AKB48公式サイト”があり、その下にはAKB関連のサイトがズラッと並んでいた。
隼人はAKBに対して優子から聞いた以上の情報は皆無だったので“公式”という文字に惹かれ、そのリンクをクリックした。

 画面にピンクのヘッダーと白い背景を基調としたサイトが現れ、ピンクのヘッダー部にはAvant Garde Gothicフォントを基にしたであろう“AKB48”という特徴的なロゴが配されていた。
ロゴの横には多数のメニュー項目が並び、画面中央にはFlashデータのロード画面が読み込み中を示すパーセンテージ画面を表示していた。
程なくしてデータを読み込み終えると、画面右端からピンクのレトロなバスのグラフィックが画面中央まで走ってくる。
車体側面には“25thシングル「GIVE ME FIVE!」発売”と書かれた広告が載っていたり、バスの窓からはメンバーであろう女性の顔が吹き出しコメントと共に現れたりと中々凝った作りになっていた。
下の方に画面をスクロールさせると、劇場公演の案内や多数のバナー広告の他、メンバーのメディア出演一覧などが所狭しと掲載されている。

『コンテンツが盛り沢山だな……』

 余りのコンテンツの多さに1つ1つ見るのを諦めた隼人は、一番上まで戻り“メンバー情報”をクリックする。
ページが表示されると“Team A”というピンクの文字が最初に目に飛び込んできた。
そして、その下に丸窓の中にバストアップのメンバー達の写真と名前がズラっと並んでいた。
下の方にスクロールしていくと“岩佐 美咲”“多田 愛佳”“大家 志津香”“片山 陽加”“倉持 明日香”“小嶋 陽菜”など、多くのメンバーが在籍しているのが分かった。

『確か優子はチームKって言っていたよな……』

 そこで優子の話を思い出し、Team Aの次が優子の所属している“Team K”であると思った隼人はスクロールさせるスピードを速めた。
“指原 莉乃”“篠田 麻里子”“高城 亜樹”“高橋 みなみ”“仲川 遥香”“中田 ちさと”“仲谷 明香”“前田 敦子”“前田 亜美”“松原 夏海”と駆け足にメンバーの顔と名前がスクロールしてゆく。
ちょうど“Team K”の文字が見えた所でスクロールしていた指が止まった。
しかし、それは“Team K”の文字が見えたからではなく、通り過ぎた“Team A”のメンバーの中に見覚えのある人物が居たような気がしたのだ。
隼人はゆっくり画面を逆スクロールさせていくと、その人物はすぐ見つかった。

 そこには幼かった表情は多少大人び、無頓着だった髪は整いアップにされていたが、頭には相変わらずトレードマークのリボンを付けている女性の姿があった。
それは、紛れもなく4年前に別れた彼女だった。
予想だにしない事態に、隼人は思わず呟いた。

「嘘だろ……」


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