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『勘違いから始まる恋』第一章『恋の終わり』

第006話

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ピッピッピッピッ、ピー

 暗証番号が入力されたオートロックのガラス戸がゆっくり左右に開く。

 中に入ると間接照明が高級感を演出している割と広めな大理石丁のエントランス、その先に12人乗りのエレベーターが2基備わっている。
いつもなら感じない寒気を感じる。
外で降る大雨の雨音と時折轟く雷が、そう感じさせているんだと優子は感じた。
1基のエレベーターが下へと降りて来ていた。

ピンポーン

 1階でエレベーターは停まり、女性が降りて来る。
優子とエレベーターホールですれ違うが、女性の髪は長く俯き気味だったため表情が見えず不気味な印象を与えていた。
奇異な印象を受けつつエレベーターに乗り込み8階のボタンに手を伸ばしながら女性が出て行ったエントランスを見る。
すると、女性と入れ違いに閉まりかけのオートロックの扉をすり抜け入ってくる人影が見えた。
その人影はスーツを着た男性で、大雨の中傘も差さずいたのか、ずぶ濡れになっていた。
雨で濡れ垂れ下がった前髪で表情は見えないが、優子はその姿に胸がざわついた。

 やがて、男性は垂れ下がった髪を掻き上げ、隠れていた顔が露わになる。
現れたのは優子が夢で、そして今朝すれ違ったあの“男”であった。

 ビクッ
優子の肩が大きく揺れ、湧き上がってくる恐怖でボタンを押す手が震えた。

 男も優子の存在を認めたのか、彼女の乗るエレベーターへ一直線に向かってくる。

「あの、君昨日の……」

 手を上げ優子に声をかけながら小走りに近づいてくる。

「嫌ぁ……」

 男の近づいてくる姿は、優子の脳裏に昨夜のことをフラッシュバックのように蘇らせ、自分が夢だと思っていた出来事が全て現実だったことを思い出させていた。
そして、昨夜の恐怖に加え、安心だと思っていたマンションの敷地内に“男”がいる。
それも自分はエレベーターという密室に居て、もし乗り込まれれば何をされるかわからない。
優子は瞳は大きく見開き、恐怖のあまり閉ボタンを何度も押していた。

 段々と閉まる扉に男は驚き、声を上げる。

「ちょっと、待って!」

「何で私をつけ回すのよ! 来ないで! 変態!」

 優子の涙混じりの叫びに先ほど以上に驚く男は、一瞬怯んだように見えた。
その間にエレベーターの扉は閉まり、8階へと上ってゆく。

「はぁはぁ……」

 肩が上下する程呼吸が乱れる。
何度も息を吸うが、酸素が肺に届いていないかのように息ができない。
極度の緊張が優子を過呼吸にさせていた。
メンバーが過呼吸になっているのを何度か見たことがあり対処方法は知っていたが、実際に自分がなってしまうと、気が動転し何もできなくなってしまう。
段々と顔は青ざめてゆく。

ピンポーン

 エレベーターから胸を押さえ青ざめた表情で優子が降りてくる。
呼吸ができず壁に身体をあずけながら、必死に部屋へと歩く。
“男”がここまで追ってくるのではという恐怖と過呼吸で涙と汗がとまらない。
部屋の鍵を取り出し、鍵穴に差すことさえ手間取り、何度も鍵穴に鍵を差し損ねる。
その度に、エレベーターが開き“男”が姿を現わすのではと考えてしまう。

ガチャ

 鍵がささり、部屋へ入る。
その一瞬後、エレベーターの到着を知らせる音が後ろで聞こえた。
息を止めのぞき窓をみやる。その刹那“男”が部屋の前を通り過ぎる。

「ヒッ!」

 思わず口を手で押さえ悲鳴を堪えた。

ゴロゴロピカ、ドドーン

 その瞬間、部屋に雷鳴が轟く。

「キャッ!」

 凄まじい音と光に驚き悲鳴を上げる優子。
先ほどまで玄関で点いていた明かりが消え、部屋が暗くなる。
部屋の電気を付けようとスイッチを手探りするが、スイッチを入れても部屋は明るくならない。
落雷が原因でマンション全体が“停電”になったのだ。
布団を頭から被り恐怖から少しでも逃げようとするが、心細くなる一方だった。

「助けて……瑛士ぃ……」

 助けを求めたのは別れた“ウエンツ 瑛士”だった。
彼女の中で表面的には瑛士との別れを受け入れたつもりではあったが、心の何処かではまた自分の所へ帰って来てくれるのではと淡い期待をしていた。
ベッド下に無造作に置いていたバッグから携帯電話を出すと、アドレス帳を呼び出しコールする。
画面には“ウエンツ 瑛士”と表示されていた。

《プップップッ、お客様がおかけになった番号は現在使われておりません》

 無機質な自動応答メッセージが流れる。

『捨てられた』

 彼女の中で自分が捨てられたと始めて実感した。
自分が捨てられることなど無いと思っていた優子だったが、瑛士の持つ“番号”が変わっていたことは、最後の2人の大事な繋がりが消えたことを意味していた。

 優子がかけた瑛士の携帯番号は、優子が持つ携帯と一つ違いの番号となっていた。
2人が交際し始めた時、お互いの直通の専用電話を持とうと2人で買った時のものだった。
自分はまだその携帯電話を使っていたし、アドレス帳にも瑛士のものしか登録していなかった。
しかし、瑛士は“それ”を捨てた。
優子にとって死刑宣告を出された形だった。

「グス、ウゥ、ヒッグ……」

 涙が止まらない。
恐怖と失望と孤独感、負の感情が次々と襲い、彼女の心を蹂躙してゆく。
優子はベッドの上で何時間も泣き続けた。

 外は優子の心を映し出すように激しい雨が降り続け、彼女の声が誰かに届くことはなかった――。


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