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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第058話

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キキーッ

「きゃっ、イタっ!」

 “ずっと、私を大事にしてください”優子がそう言った直後に車は急減速し路肩に寄った。
優子は急ブレーキのせいで身体が投げ出されそうになるが、シートベルトのおかげで辛うじてシートに身体が残る。
だが、シートベルトが働きベルトに身体を締め付けられ苦しくなった。
電話越しでは突然の悲鳴に隼人が何か喋っていたが優子に声が届くことなく、代わりに学の声が車内に響く。

「優子、さっきから一体誰と何を話してるんだ」

 山本 学は先程から優子の電話に聞き耳をたてていた。
優子がいつになく真剣にイメージトレーニングをしていたかと思うと、掛かってきた電話に出た途端楽しそうに話し始めた。
初めはメンバーだろうと思っていたが途中“隼人”と言う単語が聞こえ、終いには『ずっと、私を大事にしてください』と優子が言うのを聞き、相手が“新城 隼人”だと確信した。
優子は大事な妹のような存在であり、彼女の幸せは自分の事のように嬉しい。
だから、優子が前向きになるために恋愛をすることに反対するつもりはなく、警察署や劇場で優子に掛けた“応援”の言葉に嘘はなかった。
しかし“新城 隼人”という存在の全てを認めた訳ではない。
それは、警察署で見せた優子や自分たちへのあまりにも聖人的な言動や、隼人の素性が分からないことが原因だった。
それなのに、ここにきて優子と隼人の関係があまりに急激に進展していることを知り、思わずブレーキを踏んでいた。

「ちょっと学どうしたの急に!」

「優子こそ“隼人”って、あの新城って人のことか? ちゃんと説明するんだ!」

 いきなりの急ブレーキで死ぬかと思ったのに、間髪入れず学に怒鳴られ優子は訳も分からなかった。

 しかし、学はそんなことはお構いなしと言った感じで、畳み掛けるように質問をしてくる。
携帯電話からは微かに隼人の安否を気遣う声が聞こえ、学はこちらを険しい表情で見ている。
優子はどうしたら良いのか分からなかった。

《……優子……》

 その時、携帯電話から隼人の声が聞こえた。
先程までとは違い、落ち着いた声で名前を呼ばれ、その声は微かな筈であるのに何故か優子にはハッキリ聞こえ思わず電話に出てしまった。

「隼人……」

《大丈夫?》

「うん……大丈夫だけ、ど……」

 そう言ったものの目の前では、今にも学が何か言いそうな雰囲気でこちらを見ている。
すると思いがけない一言を隼人が言い出した。

《山本さんに代ってくれるかな? 状況は何となく理解したから》

 “名前を呼ばない”その約束を敢えて破ったのは、隼人が電話越しに優子と学のやり取りを聞いていたからのようだった。

「でも……」

 しかし、優子は目の前にいる学が、明らかに隼人に対し不信感を露にしているのを見て不安だった。

 隼人も学が自分に対し、決して良い印象だけを持っていないことは、警察署で会った時から気付いていた。
あの時は、一緒に居たもう1人の若い刑事の方があからさまだったが、学にもある種の不信感を持たれているであろうことは感じていた。
だからと言って、優子に2人の関係の説明をさせる訳にはいかなかった。
何故なら優子と学、2人の関係は兄妹のようでとても良いように隼人には見え、そこに亀裂などを生じさせたくはなかった。

《何にしても一度は挨拶をしなければならないからさ。 ね?》

「うん……」

 実は2人のことを考えているなど微塵も感じさせない軽い口調で言う隼人に、半ば押し切られるようになる優子。
一抹の不安を感じながら、優子は学に携帯電話を差し出す。

「隼人が電話代わって欲しいって……」

 先程までのやり取りは電話越しでも十分聞こえているだろうに、それでも電話を代わりたいと言うのだから驚きを覚え、学は差し出された携帯電話を見ていた。
だが、状況を把握するため差し出された携帯電話を受け取ると“新城 隼人”であろう人物と話し始めた。

「もしもし。 大島のマネージャーの山本です。 新城さんですよね?」

《はい。 新城です。 昨日は挨拶も途中で退室してしまい申し訳ありませんでした》

「いえ、こちらがご迷惑をお掛けした方ですので……」

 2人のやり取りは一見社交的なものに聞こえたが、どう本題を切り出そうか探っているようでもあった。

『どうしてこうなるのかな……』

 断片的にしか聞こえない2人のやり取りを、やきもきしながら助手席で見ているしかない優子は気が気ではなかった。

「ところで、本題ですが“うちの大島”とは、どのような関係なのでしょうか。 随分、昨日一日で親しくなられたようですが?」

《昨晩、マンションの下で偶々お会いし、夕飯をご馳走になりました。 その際に私から交際を申し込み、大島さんからOKをいただきました》

 学の嫌味混じりの言葉に、平然と、しかも臆することなく返答する隼人。

「付き合っているということですか?」

《はい。 真剣にお付き合いさせていただいています》

 “付き合っている”その言葉が学の口から出たとき思わず携帯電話を見る優子。
学に交際していることを言ったのかもしれない。
そう思うとドキドキしていた。

「……優子がアイドルであることはご存じですよね?」

《はい。 国民的なアイドルなんだと電車に乗っているだけでも実感させられました》

「では“恋愛禁止”だということも当然知っておられますよね?」

《はい。 大島さんから聞いています》

「マスコミに知られれば優子のアイドル人生は終わるかもしれないと、知っていながら付き合おうとよく思われましたね。 本当に優子のことを考えておられますか?」

 その言葉はナイフはのように隼人の心に突き刺さる。
優子を好きであるならば、彼女の目指す夢を邪魔するようなことをするべきではないことは重々承知していた。
それでも交際することを選んだのだから、言われることを覚悟はしていた。
だが、実際に言われると想像していたよりもきつかった。
それは自分への非難ということではなく、優子の人生を台無しにするかもしれないという責任の重さであった。

「学!」

 隼人に告白させたのは自分だ。
そしてアイドルとしての禁を犯し責めを負わなければならないのは自分のはず。
それなのに、あまりに暴力的な言葉に優子は学に詰め寄ろうとした。
しかし、学は「シッ」と口の前に人差し指を立て優子を制しすると、携帯電話を耳元から放し何かボタンを押した。

 すると、携帯電話から隼人の声がスピーカーを通して車内に流れる。
学は携帯電話を“ハンズフリー”に切り替えていたのだ。

《彼女と交際することが彼女から夢を奪うかもしれないというお話は分かります。 それに長年、彼女を見守ってこられた山本さんへ、一番に報告を差し上げなかったことについても申し訳ないと思っています。 ですが、昨日の夜2人で一緒に話し合い考えた末、納得して決めたことです。 私も大島さんも互いを掛け替えのない存在として必要としています。 困難は承知の上で選んだ道です。 2人でバレないように最大限の努力をしますが、山本さんにも協力していただかなければ決して上手くいかないのも事実です。 どうか、ご理解とご協力いただけないですか?》

 学の存在を最大限に配慮し尊重しつつも、自分の言い分も網羅したその言葉は満点の解答だった。
しかし、本当に学が聞きたかったことは、模範解答などではなく“新城 隼人”という1人の男性が“大島 優子”という1人の女性をどう思っているかであった。

「優子のために、貴方は死ねますか?」

 学の言葉は唐突な上に衝撃的過ぎて優子は何も言えなかった。

《死ねません》

 しかし、隼人は躊躇なくキッパリと言ってのけた。
その言葉に優子は頭を殴られたような衝撃を受け、視界が真っ暗になった気がした。
“死んでほしい”など思ってなどいなかったが、覚悟の大きさをみせて欲しかった優子は、隼人の言葉に正直ガッカリした。

 だが、その言葉には続きがあった。

《何かを引き換えにしてでも生きます。 そうでなければ彼女との約束を破ったことになりますから》

「約束?」

《はい。 “どんな事があっても彼女を裏切らず味方でいる”そして“ずっと一緒にいる”と約束しましたから》

 隼人の言葉に優子は両手で口元を押さえ涙した。
隼人はハンズフリーで優子にも会話が聞こえていることを知らない。
それでも、誰に対しても自分の考えを変えることなく言える隼人は口だけでないことを証明し、優子は改めて彼を尊敬の念と彼を疑った自分を恥じた。

 学は優子の様子を見て隼人の言葉が嘘でないことを感じとる。
学は、人は人に対し何をもって尊敬の念の抱くのか、それが目の前の2人を見ていて分かった気がした。

「隼人、ありがとう。 グスッ、私も絶対に、ヒグッ、隼人を残して死んだりしないから」

《えっ!?……優子、ありがとう。 でも、今から泣いてたらリハーサルで疲れてしまうんじゃない?》

「元気だけが取り柄だから、少しくらい大人しい方が丁度良いの」

 感極まり我慢できなくなった優子は涙を拭いながら隼人への感謝の気持ちを伝えていた。
隼人は状況を理解できず驚きの声を上げたが、直ぐに優子の言葉に対するお礼と剰え心配の言葉を返していた。
それに対し優子から涙は消え笑顔で答えている。

 たった一言で優子を元気づける術を知っている隼人は、確かに優子にとって必要不可欠な存在となっていることを学は理解した。
そして、隼人の言葉に口先だけの軽いものではなく“覚悟”を持った者だけが持つ“言葉の重み”を感じ取った。
学は心の中で彼に対して貼っていた“偽善者”というレッテルを剥がす。

「新城さん」

 学の声は静かで、そして穏やかなものだった。

《はい》

「これからも優子をお願いできますか?」

 優子をチラリと見ながら携帯電話の先にいる隼人に頭を下げた。

「学!」

 先程まであんなに反対していた学の突然の心変わりに驚くも、優子は嬉しく彼の名前を呼んでいた。

《はい、全力で……山本さん、これからも優子のサポートをお願いします》

「わかりました。 ところで新城さん、酒は飲める口ですか?」

《割といけます》

「それは良かった。 今度飲みましょう」

《いいですね。 是非行きましょう。 連絡先は彼女に聞いて頂ければ大丈夫ですから》

「わかりました。 そろそろリハーサルに向かいますので」

《はい……優子?》

「なに?」

《ハンズフリー解除してくれるかな》

「う、うん」

 何事だろうと思いつつ言われた通りにハンズフリーを解除し、耳元に携帯電話を持ってくる。

《好きだよ》

「うん……わ、私も」

 そこまで言うと言葉が止まってしまう。
自分も“好き”と言いたいが、横で見ている学が気になり中々言えない。
思わずチラリと学を見ると、察したのだろうか学は車を再び発進させるため前を向いた。優子はその隙に口元を覆い学に聞こえない位の声で気持ちを伝えた。

「私も好きだよ」

 それを聞いた隼人は《ありがとう。 今日も頑張ろう。 それじゃあ》と言って電話を切った。

ツーツー……

 電話から聞こえる終話の音。

 普段は2人の繋がりを途切れさせるその音に寂しさを覚えたが、今日は何だかやる気が湧いてきていた。
携帯電話をポケットにしまっていると学が声をかけてきた。

「良かったな」

「うん……って、何そのニヤケ顔は?」

 学の顔を見るとあからさまにニヤニヤしている。

「青春だな~って思って」

 多分、先程自分が言った言葉を聞かれていたのだろう、そればかりか“どのような事があっても彼女を裏切らず味方でいる”“ずっと一緒にいる”など、状況が状況で仕方なかったとは言え、2人の秘め事を学に知られたと思うと優子は耳まで赤く染め恥ずかしかった。

「新城さんと飲んだときに“色々”聞いてみるか」

「絶対止めて! そんなことしたら二度と口聞かないからね」

「でもマネージャーはクビにならないんだ?」

「そ、それは……だって、学以外にマネージャーって考えられないんだもん……」

「それは嬉しい言葉だ……なぁ、優子」

「なに?」

 優子をからかっていた学は急に真剣な面持ちへと変わる。

「新城さんのことは好きか?」

「好きだよ。 私の過去のことを全て知った上で、それでも私を受け入れてくれた男性(ひと)だもん」

 学の問いに、恥ずかしがる様子もなく優子は凜とした表情で答えた。
“過去のこと”それは学が優子のAKB、個人両方のマネージャーをするきっかけになった事でもあった。

「言ったのか?」

「うん。 誰にも話したことないことも含めて全部ね」

「そうか……」

 過去を知る学でさえも知らないこと、それがどのようなことだったのか優子は自分には打ち明けないだろう。
それは信用とかではなく別次元の問題なのだと学は理解していた。
だから、それさえも打ち明けた優子と、それを聞いた上で彼女を受け入れた隼人は結ばれるべくして結ばれた2人なのかもしれないと思った。
2人の会話はそこで途切れ、いつの間にか小さく流れていたセットリストの音楽も終わり静かになる車内。

「あっ……」

 カーステレオに入ったセットリストのダビングされたCDを取り出し、自分のポータブルプレイヤーに戻そうとした時、レーベルに書かれた“業務連絡。頼むぞ、片山部長! in SSA 1日目”を見て、隼人に言っていたことを思い出した。

「ねぇ、学」

「ん、なんだい?」

「スーパーアリーナの3日目のチケットって今から手に入る?」

「千秋楽か……何でだ? 確か前に2日目に席取っただろ?」

「あれは友達の分。 3日目のは隼人に見て欲しくて。 でも、隼人の場合は関係者席って訳にもいかないから……」

 “関係者席”
AKBに関わる企業のお偉方だけでなく、メンバーの親族や友人などの関係者も含め限られた者だけが観覧できる特別な席のこと。
隼人の立場上あまり他の関係者と接点を持つことは危険だと優子も分かっていた。

「でも、新城さんはAKBというよりアイドルのコンサート自体初めてだろ? そんな人が一般席っていうのもどうかと思うよ」

 学に言われ、確かに特殊な慣習が多いアイドルのコンサートに、突然隼人が行っても驚くばかりで楽しめるとは想像し辛かった。
それにサイリウムを振り、大声でかけ声を上げる隼人の姿はあまり似合うとは思えなかった。

「どうしよう……」

 隼人をコンサートに呼ぶことに暗雲が立ち込めはじめ、優子はチケットの1つも取れないのかと自分の力のなさに肩を落とした。
すると、色々考えていた学が口を開いた。

「やっぱり関係者席だな。 俺の大学の後輩とか何とか言えば平気だろう」

「本当!?」

「あぁ、ただ、事前に口裏だけは合わせとかしなきゃいけないけどね」

「うん。 大丈夫! 隼人は喋るの上手いから」

「なんだそれ?」

 学が優子の言葉をどういう意味か分かりかねていると、優子はニコニコしながら説明し始めた。

「隼人はね……」

 チケットが手に入ると分かると優子は安堵したのか、途端にコンサート会場“さいたまスーパーアリーナ”に着くまで、イメージトレーニングそっちのけで隼人の事ばかり話し始めた。
そのせいか会場に着く頃には学はげんなりとなっていたという。

「わ、分かったって……」


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