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『勘違いから始まる恋』第三章『私はストーカーに恋をする』

第054話

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「ずっと離さないでね……」

 優子がその言葉を口にしたとき、何故か隼人は言葉通りの意味で受け取ることができなかった。
それは先程も感じた優子の言葉の重みに、何か得体の知れないものを感じてのことだった。
その正体が何なのか分からず、もやもやした気持ちが心に沸き上がる。
ただ、それが決して良いことでないことだけは理解出来た。

 優子もついさっき決意したばかりなのに口を開くのを躊躇っていた。
“一番好き”と恋をする度に思うが“この男性ひとしかいない”そう思ったのは人生で隼人が初めてだった。
なのに、自分はその大事な人を失うかもしれない大罪を犯そうとしていることが優子を躊躇わせていた。
しかし“過去の清算”それに囚われた優子は重い口を開いた。

 優子はAKB48に二期生として“Team K”に加入することになり、毎日のように栃木からレッスンを受けに東京に上京し、レッスンが終わると栃木へ戻る生活をしていたという。
メンバーとの確執にも似た関係や、当時のチーム担当だったマネージャーから苛めともとれる言葉にも心を痛めていた。
それでも優子は父親がその間送り迎えや弁当を作って持たせてくれることを励みに頑張れたという。
そして紆余曲悦を経て優子を含むメンバー達は、レッスンを耐え抜き“Team K”劇場公演デビューまでこぎ着けた。
しかし、既に数ヶ月先輩にあたる一期生達が活動を始めており、デビューのセットリストは前日にその一期生“Team A”が使用していた物をそのまま使用する有様。
初日こそ満員だったがヤジは飛び、お客からは『二度と来ない』など言われるなど、徐々に客足は減っていった。
街頭でチラシを自ら配るも“秋葉原のオタク向けアイドル”としてしか思われていなかった彼女たちに世間の風は冷たかった。
それでも優子や、チームメンバーの必死の努力が次第にファンを増やし始め、優子自身もマネージャーから労いの言葉を聞ける程まで認められるようになった。
チームも増え互いに切磋琢磨できる関係になり、次第に劇場公演のお客は増え、CDの売り上げ枚数が増え始めると新たな問題が浮上したという。

 そこで、それまで淡々と喋っていた優子の口が急に重くなる。
ちらりと隼人を見、そして彼の服をギュッと掴みながら口を開いた。

 新たに浮上した問題。
それは碌にテレビに出たことも、喋ったこともないメンバーばかりのAKBでは、テレビの出演依頼など取れる訳もなく営業をしなければならなかった。
しかし、素人アイドルの集団が“普通”の営業をして効果を上げられないことは当時AKBを運営していたoffice48も承知していた。
だから、彼女たちに“枕営業”の命が下ったという。
芸能生活の長い優子も噂は聞いたことはあっても、芸能界の都市伝説だろうと思っていた。
しかし、表向きはテレビ局の関係者との食事会や懇親会との名目で篠田 麻里子、“大堀 恵”“野呂 佳代”など20歳を超えたメンバー達が次々と駆り出され、AKBのテレビ出演などが続々決まっていった。
それでもテレビ慣れしていないアイドルをメディアに露出させ続けるため、当時まだ高校生だった優子にも声が掛かった。
当然、拒否したが相手は隼人でもその名を知る“秋元 康”である。
そしてバックには電通など強力なバックを持つ彼らに逆らう術など、一介のアイドルにあろうはずがなかった。
結局、スタイルも良く芸能界の長かった優子は、プロデューサーなど重要ポストの相手をさせられたという。

 そこまでの話を聞いて隼人は正直ショックで、優子に何も掛ける言葉が見つからず天井を見つめる。
過去のことを自分はどうする事も出来ないと分かっていても、自分の無力さに打ち拉がれていた。
うっすらと照らされているはずの天井が何もかも吞み込む底なしの暗闇に見えおぞましく感じた。
かといって今自分がどんな顔をしているか分からず、優子に顔向けることさえ憚られ天井を仰ぎ見続けた。

 優子は隼人の気持ちを傷付け続けていることを自覚し、そして胸を痛めながらも話を続ける。

 それでも、そのお陰でメンバ-達は次々とメディアに露出場所を増やしていき、次第にメディア受けするメンバーも増え、安定した人気の上昇曲線を描き始めた。
それにつれて交際関連の不祥事も目立ち始め、脱退や解雇などが相次いだAKBに“恋愛禁止条例”が出される。
しかし、青春真っ只中の彼女たちが、人気もありちやほやされれば止めることなど出来ず、ファンや共演者と交際する者は後を絶たなかった。
実際“バレなければ平気”という裏の掟や、実際に脱退や解雇をされたメンバーを見ていた彼女たちが大きな不祥事を起こすことは少なかった。
かく言う優子も、忙しい中の隙間時間を見つけファンや共演者との、合コンや交際をしていたこともあった。
そんな中、ウエンツ 瑛士とは去年の年末に別れるまでの2年間、真剣に交際していたという。
別れた原因について深くは分からないけど、きっと自分に原因があるのだと優子は語る。
そして、それから全てを変えたくて引っ越しをし、その先で隼人と稀有な出会いをした。
2人は瞬く間に恋に落ち、今こうしている。

 全てを話し終えた優子は静かに隼人の顔を、胸の所から見上げながら様子を覗う。

『……』

 全て聞き終えた隼人は無表情で何も喋らず天井を見続けていた。
うっすらと光に浮かび上がる隼人の表情を下から見上げた優子は、彼のその姿がまるで彫像のようでひどく無機質に見え話したことを深く後悔した。

 “過去の清算”
それをしなければ隼人に“愛される資格はない”そう思い自分の過去を全てを話した。
しかし、それは結局のところ自分のエゴであり、自己満足でしかなかった。
考えてみれば過去の男性関係や、強要されてしたとはいえ枕営業の話など恋人から聞きたい訳などなく、隼人からすれば残酷な仕打ち以外の何物でもなかっただろう。
それは隼人の無表情さが物語り、それさえも気付かない自分はやはり隼人と付き合う資格などないと思った。

『それでもこの人の側に居たい』

 その気持ちが優子を突き動かす。
優子は隼人から身体を離すとベッドサイドに立った。

 ベッドサイドに立った優子を不思議に思い視線を移した隼人は、光景に目を奪われた。

 スルッ
優子が自分の着ている衣服を脱ぎ始めたのだ。

 肌と布が擦れる音と共に、パジャマの下が床に落ち優子の素足が露になる。
その白く細い引き締まった足はライトに仄かに照らされ妖艶でさえあった。
そのままパジャマの上のボタンも外し脱いでいく。
擦れる音と共に服が床へ落ち、ショーツだけを見に着けたほぼ全裸の優子がそこに居た。

 白い肌と豊かで形の良い乳房、それに反するような引き締まり括れたウエストや、ふっくらとしたヒップとそこから続く細く引き締まった脚。
女性でも憧れるであろう優子のスタイルに、仄かな明かりが妖艶さを加えていた。

 そのような姿を見せられれば“普通”の男であったら惹かれないはずがなかった。
しかし、彼女の目の前に居た男はそうではなかった。

 唯一残ったショーツに手を掛ける優子。
微かに震える手は、裸を見せる行為自体の恥ずかしさではなく、隼人へこんな形でしか裸を見せられなかった自分の惨めさからきていた。
優子は目を瞑りショーツに掛けた指を一気に下げようとした。

「優子」

 その声が早いか隼人はベッドから起き上がり、優子の足下に脱ぎ捨てられていたパジャマの上を拾い上げると、それを彼女の方から羽織らせた。

「何でこんなことを……」

 そう隼人に言われ我慢していた優子の感情が爆発した。

「だって、こうでもしなきゃ隼人と一緒に居られない! 隼人に愛される資格のない私でも、体の関係なら隼人も一緒に居てくれるでしょ!」

 パンッ
部屋に乾いた音が響き、優子は叩かれた左頬をおさえ驚いていた。

 「体の関係なら隼人も一緒に居てくれるでしょ!」その優子の言葉を聞いた瞬間、女性に手を上げることなど一度もなかった隼人だったが、彼女の言葉があまりに悲しく頬を無意識に引っぱたき叫んだ。

「優子がなんで自分をそんなに卑下しなきゃいけない? どうして体だけの関係でも良いなんて言うんだ!」

「だって隼人は話を聞いて私に幻滅……したでしょ?」

 躊躇いがちに聞くその様子で、隼人は原因が自分にあると悟った。
彼女を想うばかりに、何かを言おう言おうとウジウジ悩んだ。
しかし、それが結果的に彼女を傷付けていた。
本当にしなければならないのは、自分が優子をどう想い、どうしたいのか“言う”ではなく“伝え感じてもらう”ことなのだ。
そう思うと自然と口が動いた。

「優子の話は確かにショックだった。 自分と違い過ぎる人生を送って来た優子に、どう言葉を掛ければいいのか、優子のように苦しんだことのない俺には分からなかった。 今でも正直分からないけど、伝えたいことは沢山ある」

 隼人の口からでる言葉1つ1つが自分への最後通告のようで優子を苦しめた。
それでも最後まで聞かなければ諦めることも前へ進むことも出来ない、そう思いながら隼人の話を聞き続けた。

「優子には過去に囚われていて欲しくない。 だって、俺たちに過去を変える事なんて出来ない。 でも、その代わり俺たちは未来を作っていくことが出来る。 過去は未来を作るために振り返るだけでいい。 だから、優子が今までの誰よりも俺のことを好きだと言うのなら胸を張っていればいい……優子は、俺のこと好きかい?」

 “俺のことを好きだと言うのなら胸を張っていればいい”
隼人の言葉は今まで自分の抱えていた“後悔”という重荷を、全て取り払い心を軽くしてくれた。
そして今まで後悔で見えなかった“未来”を自分に見せてくれた。
だから“俺のこと好き?”その質問に優子は迷いなく答えを口にすることが出来た。

「好きです」

 その短い言葉の中に優子の気持ちの全てが凝縮されていた。
嬉し涙を瞳一杯に溜めた優子の笑顔に、隼人もまた笑顔で応える。

「俺も優子が好きだ。 これからも俺と一緒に居て欲しい」

「はいっ!」

 2人は互いの存在を確かめ合うように抱き合う。
互いの心を映したように壁に投影された影も溶け合い1つになった。
2人の唇が触れ合い、優子の羽織っていたパジャマが床に滑り落ちる。
それでも暫くの間2人は互いの温もりを唇に求め合った。

『この時が一生続けば良いのに』と願いながら――。


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