『勘違いから始まる恋』第三章『私はストーカーに恋をする』
第053話
「私と一緒じゃ……嫌?」
「嫌じゃ……ないよ」
何度目かのこのやり取りで隼人は優子が演技かそうでないか、何となく分かるようになってきていた。
今回はワザとなんだろうなと思いはしたし、年下にこうもイニシアティブを取れるのはどうかと思う。
しかし、惚れた弱味だろうか断ることなどできなかった。
それから隼人はスウェットを渡され、彼女が化粧を落としに洗面所へ行っている間に着替えを行った。
着替えも終わり、脱いだ服を畳み終わった隼人は椅子に座りボーッとしていた。
「隼人」
そこへ廊下に出る扉が少し開くと、優子がひょこっと顔を出した。
「なに?」
メイクを落とし終わったのだろうか、首にタオルを掛けた状態で優子がチョイチョイと手招きをする。
何だろうと思いながら優子に近付くと、彼女はスタスタと廊下を歩いて洗面所に入って行ってしまう。
訳の分からないまま隼人も洗面所に入っていくと、ピンク地に黒のラインのチェック柄のパジャマに身を包んだ優子が洗面台の所に立っていた。
すると、優子が何かを差し出してきた。
「はい、ピンクでごめんね。 これしか新しいの無くって」
渡されたのは歯磨き粉の付いたピンク色の歯ブラシ。
「あぁ、平気だよ。 ありがとう」
呼ばれた理由に納得しながら歯ブラシを受けとると歯を磨き始める隼人。
同じように優子も黄色の歯ブラシで歯を磨き始める。
お互い無言のまま部屋には歯を磨くシャカシャカという音だけが響く。
磨きながら横目で優子をチラチラ見る隼人。
『すっぴんでも殆んど変わらないな』
化粧を落とした優子の素っぴんが化粧をしている時とさほど変わらない程に綺麗だなと見とれていると、視線に気づいた優子が口にブラシを咥えたまま喋る。
「ふぁひぃ?」
言葉になっていないが「なに?」と言っているのだろう。
隼人も口にブラシを咥えたまま喋ってみる。
「ふっぴんでぼひれいふぇすね」
「素っぴんでも綺麗ですね」そう言ったのだが挑戦虚しくやはり言葉になっていない。
それでも優子は理解できたのか顔を紅くさせそっぽを向いてしまう。
「ふぁふぁあれひろいはらはふはひぃ」
「肌荒れ酷いから恥ずかしい」と聞こえ不思議と会話が成立する2人。
その後も歯磨きが終わるまで2人だけの会話が繰り広げられた。
やがて2人は歯を磨き終えると、優子は素っぴんの件が恥ずかしかったのか、はたまたこれからのことを想像しているのか「いこっか」と言ったきり無言のまま寝室へと入り、隼人もそれに続くように入って行った。
優子が先に部屋に入ると、リビングから差し込む僅かな光を頼りに迷うことなくベッドサイドライトを点けベッドに入った。
優子の点けたライトの淡い暖色光に照らされ、朧気に全体像が写し出された部屋を見て隼人は呟いた。
「……ディズニーベア?」
暗がりに映るそれが実際にそうなのか自信がなかったが、確かそんな名前だったと記憶していた隼人は思わずその数に驚いた。
ライトの置かれたベッドサイドボードからキャビネットやドレッサーの上に至るまで、あらゆる家具の上に鎮座する大小様々の人形。数は視界にパッと見えるだけでも20、いや30は超えているのではないかと隼人は思った。
「昔はそんな名前だったかな。 私“ダッフィー”が好きで、集めていたらいつの間にかこんな沢山になっちゃって……」
見る人がみたら乱雑な部屋に見えてしまうことを分かっているのか、隼人の疑問に答えはにかむ優子。
収集にさほど興味がない隼人の部屋はこれとは逆に殺風景なので、これぐらい賑やかな方が良いかなとドアの所で考えていた。
それを見ていた優子が、一向にベッドに入ってこない隼人に痺れを切らしたのかベッドの中から彼を呼んだ。
「隼人……寝よ?」
「あ、あぁ……」
呼ばれて改めて自分の状況を思い出した隼人は、優子の待つベッドへゆっくりと入って行った。
優子は隼人のために、それまで自分の居た位置からずれるが、そこはまだ冷たく思わず隼人の方に体を寄せる。
「ゆ、優子!?」
ベッドに入った直後に体を寄せられ驚く隼人に、優子は甘えるようにより体を寄せる。
「ぅん、隼人はあったかいね」
擦り寄られるのは嬉しかったが、その度に鼻孔を擽るシャンプーの香りや優子自身から放たれるフェロモン、そしてパジャマから見え隠れする胸の谷間が隼人の理性を揺さぶる。
見ないように顔を逸らすが、部屋全体が優子の匂いに包まれていることに気付き逆効果となっていた。
隼人は少しでも気を逸らすため優子に本題について聞いてみた。
「えっと……続き聞かせてくれるかな?……」
「ぶぅ……事務的だなぁ。 ちゅーくらいしたいな」
キスするとその先が心配だったが、したくないわけではないので軽くキスをした。
隼人は柔らかい唇の感触を楽しみながら、今日のことを思い出す。
優子は結構な甘えん坊なのだと知り、普段の様子と恋人に見せる姿が意外と違うのかなと思った。
キスが終わると“えへ”と嬉しそうにする優子。
こんな所も普段しっかり者に見える優子とは違う一面で、それは恋人にしか見せない姿だとしたら嬉しいことだと隼人は思った。
それから2人は暫く抱き合ったままでいた。
やがて優子の口から過去続きが語られ始める。
「自暴自棄になったけど、それで世界が変わったのかって言ったら何も変わらなかった。 それはそうだよね……周りにも同じ片親の子が多くて皆で傷を舐め合っていただけなんだから。 そんな時、夜遊びしている所を父に見つかって怒られたの。 それはもの凄い剣幕だったな。 でもね。それが私を本気で心配して怒ってくれたことだって分かったら、自分が一番不幸だって思っていたことが馬鹿らしくなったの。 私には友達がいっぱい居たし、父のやっていたお店のお客さんも優しいし。 巡り会う人や環境に、本当に恵まれていたのに自分で自分をドン底に叩き付けちゃ駄目なんだって。 その頃かな両親の離婚を受け入れることができたのは……」
隼人の胸で続きを話す優子は先程話していたときと様子が違っていた。
隼人に自分の過去を話すことは悪い方へ向かうかもしれない。
しかし、それでも隼人に過去を打ち明けるのは、彼に自分の過去をひた隠しにしながら悔いて生きるのではなく、2人で歩いて行くために自分の全てを知って欲しいという強い想いが表れていた。
それでも一旦話を区切り隼人の様子を窺ったのは、彼も同じ想いを共有してくれようとしているのか確かめたかったのだ。
自分の思いなど知る由もない隼人だったが、自分へと向ける眼差しは全てを包み込むような柔らかさと優しさ、そして全ての災いから護ってくれるような力強いものだった。
何より嬉しかったのは過去を話す優子に、ずっと変わらないその眼差しを向け続けてくれていることだった。
優子は過去未来含め“ありのままの自分”をさらけ出す相手として隼人を選んだ。
もし、隼人を失ったとしたら、同じようにできる相手は現れることはないだろうと思えたし、それだけの覚悟を持って優子は話を続け始めた。
「それから暫くして……高1の時かな。 時々メールで連絡を取り合っていた母から『一緒にご飯でもどお?』って誘われたのがきっかけで4年ぶりに母と再会したの。 色々話合って自分は捨てられたんじゃないんだって分かって救われた気がした。 それに今なら分かるんだけど両親は嫌いで別れた訳じゃなかったんだなって……でも当時それが分かっていたら私の人生少し違ったのかなって思ったこともあったのは確か。 けどね、そうしたら隼人にこうして会えなかったんだもん。 今も良かったって思ってる」
そう言って話を一端終えると、優子は隼人の首に手を回すとキスをする。
隼人も何も言わず受け入れた。
今日何度目かのキスをしながら優子は隼人の言葉を思い出していた。
“有り難みが薄れる”そう隼人は言っていたが、それでもいいと優子は思う。
有り難みが無くなっても『その分キスの回数で補えば良いんだ』そう思って再び隼人にキスをする。
唇が離れた直後、隼人が優子に話しかけた。
「昨日まで優子とこんな沢山キスをするなんて想像もできなかった。 人生って分からないものだね」
そう言って隼人は彼女を抱きしめる。
抱きしめられながら、優子も同じ事を考えていた。
しかし、彼を警察署で見てから優子は今までの恋とは違う感覚を隼人に感じていたので、想像も出来ないというのだけは違ったし何より母から貰ったブレスレットが導いてくれたのだと確信していた。
そう思うと自然と話の続きを口にし始めていた。
「さっきの続きね……母と再会したって言っても、それで仕事が増えるわけでもなくって、学校でバレーボール部のマネージャーとかやって過ごしてた。 次の年に“THE ALFEE”の高見沢さんって知ってるかな? その人がプロデュースするアイドルグループに運良く入れた。 その時、私の中で凄く期待していたからCD1枚出した後、自然消滅した時はショックだったな……だから、もう芸能界辞めて昔からやっていた手話通訳士になろうと思って事務所も辞めた。 そんな時にね。母から誕生日プレゼントにこのブレスレットを貰ったの……」
そう言って隼人にブレスレットを見せながら優子は続きを話始める。
「このブレスレットを母から貰うとき『このブレスレットを肌身離さず持って頑張っていればきっと優子を幸せにしてくれる』って言われたの。 母からのプレゼントで嬉しかったし綺麗なブレスレットだとは思ったけど、でもそうは言われたって流石に高校生にもなってそんな奇跡みたいなこと信じられる訳なかったんだけど……あったの奇跡が……」
「奇跡?」
「うん。 奇跡も奇跡! ダブルマック1260が出来た! みたいな」
「随分と難易度が高い技が出たね。 どんなことなんだい?」
スノーボードの高難易度技が優子の口から突然飛び出すのに驚かされる隼人。
それだけ凄い出来事なのだろうと想像すると共に、優子がスノーボードに造詣が深いことを知る。
一方の優子も、スノーボードで高難易度の技とされる“ダブルマック1260”と口にしてみたものの、まさか伝わるとは思ってもみなかったので嬉しさが込み上げてくる。
もしかして隼人もスノーボードが好きなのかと期待したが、隼人に続きを促されたのもあり話を続けることにした。
「事務所と契約を解除する直前に、その時のマネージャーさんから“秋葉原48プロジェクト”っていうのがあるから受けてみないかって言われて……ダメ元でも良いかって思いながら受けてみたら合格したの」
ニコニコと話す優子であったが“秋葉原48プロジェクト”なるものが凄いものなのかを、いまいち分からない隼人は素朴な疑問を聞いてみる。
「そうだったんだね……ところで“秋葉原48プロジェクト”っていうのが“AKB48”のこと?」
「うん。 秋葉原のドンキホーテの上に私たち専用の劇場があって、そこが拠点になっているの。 秋葉原にいるアイドルだからAKBって言うんだよ」
「へぇ、それでAKBなんだ。 それにしても秋葉原に専用劇場まであるんだ……」
隼人はアイドルである自分の姿を知らない。
そればかりかまるでAKB48というアイドルのステータスは、隼人にとって優子というステーキに添えられたポテトやニンジンのソテーぐらいの扱いなのではないかとさえ思えた。
「ほんとに隼人って私がアイドルだって知らないんだね。 AKBもまだまだか……」
そう口では言ったが、それは1人の女性としてこの上なく嬉しいことでもあった。
自分の内面を好きになってくれたということなのだから。
「そんなことないよ。 ほら、俺って4年も日本に居なかったし、それに帰って来ても忙しくてテレビとか新聞見てなかったから……ごめん知らなくて!」
隼人は初めは言い訳をしていたが優子の努力や喜びを考えると、とても申し訳なくなり心から謝った。
「それもある意味奇跡かもね」
「え?」
隼人は意味が分からない様子だったが、これは優子の率直な感想だった。
国民的アイドルとなりテレビ、雑誌、Webなど、ありとあらゆるメディアで取り上げられない日はないというAKB。
その中でも“神7”とも呼ばれる中心メンバーの自分を、単なる“女性”としてしか知らない男性と出会い恋に落ちキスをしている。
これは奇跡以外に考えられないことだと優子は思っていた。
「私がどんな人間かを
“
どういう人間関係の中に居たのか想像すら自分にはできず、優子の気持ちを共有できないもどかしさに思わず優子を抱きしめる。
「俺はどんなことがあっても優子を裏切らないし味方だよ。 今は口でしか言えないけど……」
想いを込めた言葉のつもりだった。
しかし、求められているのはそれを行動に移せるかどうかであり、言葉はあくまで言葉でしかない。
実際に言葉通りに行動できるか確約できない自分が嫌でしょうがなかった。
「信じているから……何故かな。 “隼人なら”信じられる気がするんだよね」
そういうと今度は優子が隼人を抱きしめ返す。
今は言葉だけだったとしても、この人なら心から信用できると、何か確信のようなものを隼人に感じる。
そして、優子は心に決意を秘め呟いた。
「ずっと離さないでね……」