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『勘違いから始まる恋』第三章『私はストーカーに恋をする』

第051話

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「隼人……このブレスレットは母に貰った物だって言ったよね?」

「うん、言っていたね」

 いつの間にか敬語ではなくなった優子に戸惑うこともなく、隼人は髪を撫でる手を止め相槌を打つ。
優子は隼人がそのまま聞いてくれることが分かると続きを話し始めた。

「母と再会した後に、私の誕生日プレゼントにって貰った物なの」

「再会?」

「そう、再会……実は私の両親、私が小6の時に離婚して、私と兄は父に引き取られたの。 その時、母が私たちを置いて逃げ出したんだと思って恨んだけど、何よりも嫌だったのがそんなことを思う自分だった」

 当時のことを思い出したのか、隼人の服を掴む優子の手に力が入る。
それに気付いた隼人は黙って優子の髪を再び撫で始める。

「私ね。 小さいときから母の奨めで子役をしていたの。 ドラマとか色々出て意外とと人気だったんだよ。 でもね、何か足りないのか両親が離婚した辺りからオーディションを受けても不合格になってばかりで仕事も減っちゃって。 最初は母が言ったからやっていた仕事も、段々楽しくて私自身、女優になりたいと願った途端に母と同じように私の手の届かない所に行ってしまった。 まるで手から零れ落ちる砂みたいだったな……それで、なんで私ばっかりって自暴自棄になって、中学に上がってから不良グループに交じって夜の街に出たり、色んな人と付き合ったりして……」

「うん……」

 思うところはあったのだろう“自暴自棄になった”と優子が言った辺りから、隼人は何度か撫で方に微妙な変化があった。
それでも何も言わず、相槌を打ちながら優子を撫でるのを止めなかった。

 一方、優子はそれまで隼人の胸に耳を当て鼓動を聞きながら自らの過去について喋っていたが、自分の失言と隼人の撫で方の変化に気付いた。
そして、隼人がどう思っているのかが怖くなり、顔を少し動かし彼の表情を見ようとした。
すると隼人と視線がぶつかり優子は咄嗟に謝っていた。

「ごめんなさい……」

「どうして謝るの?」

「だって……」

 そう言って優子は隼人から顔を逸らした。
親の薦めで芸能界に入り挫折する子供や、婚姻した夫婦の3組に1組が離婚するこの国で、この手の話しなど珍しくもない。
だが、優子が謝ったのは隼人に品行方正とは程遠い自分の過去、そして恋愛遍歴を語ってしまったことだった。
具体的に言わずとも察しのいい隼人のことだ、先程の言葉で分かるだろうし、ネットで調べれば出てくる情報もある。
だから隠し通せるとは思ってはいない。
事実、自分は中学の時だけで片手以上の相手と交際し、初体験も早い方だった。
両親の離婚でぽっかり空いた心の隙間を埋めようと、いつも誰かと付き合っていた。
相手が年上ばかりだったのは、父に思い切り甘えることが出来なかった反動なのかもしれないと今では思う。
多感な年頃の思い出話と言えば聞こえは良いし、彼女の過去の恋愛事情を聞いて憤慨する男性もどうかと思う。
でも、それでも隼人に言うべきことではなかったと優子は深く後悔した。
だが、後悔しても既に口を出てしまった事ものは元に戻すことなどできない。
それが優子に謝らせていた。

「優子、こっちを向いて」

「……」

 あんなに暖かかった隼人の声が無機質に聞こえ、優子は答えることも逸らした顔を向けることも出来なかった。
いつの間にか髪を撫でていた手も、優しく身体を抱き支えていた手もそこからなくなっていた。
先程まであった充足感や安心感は喪失感に変わり、鼻の奥がツンとする。

『泣いちゃダメだ』

 考えれば考える程に鼻の奥に走る痛みが強くなり、我慢の限界に達する寸前だった。

「優子」

 そう言って隼人は、優子の両脇を抱え半ば強引に上半身を持ち上げた。
それはまるで子供を高い高いとあやすようだった。
隼人を見ようとしない優子の顔が自然と隼人の真上に来て、首を振ることの出来ない体勢が強制的に2人の顔を付き合わせる状態にしていた。

 それでも優子は目を閉じて隼人を見ようとしない。
やがて、優子の閉じられた瞳から涙がポタポタ零れ落ち隼人の顔を濡らしていく。
自分の意思とは関係なく流れる涙を止める術を持たない優子に、隼人は行動を起こした。

 唇に暖かく柔らかいものが触れると、思わず優子が目を開ける。
若干視界の歪んだ先には隼人の瞳が映り、自分が口付けをしているのだと分かった。
しかし、今の優子は殻に閉じこもった貝のように頑なだった。

『私にキスする資格なんてない』

 優子はそう思ってまた目を瞑ると顔を左右に振り、隼人の唇から逃れようとする。
そうされてはキスなど出来るわけもなく、隼人の顔にはどうしたら良いのか分からないといった表情が浮かんでいたが、目を瞑っている優子が気付くことなどできなかった。

「ふぅ……」

 やがて、隼人の口から溜息が漏れる。
隼人の表情が見えない優子にとって、その溜息が失望を表しているようで彼女の悲しさを増した。
すると、抱えられていた身体は再び隼人の上に戻り、先程まで胸にあった頭は首筋辺りに落ち着いた。

「優子の心の中って今まで付き合った人達のことばっかりで、俺なんかちっとも居ないみたいだね」

「違う! そんなことない!」

 隼人の言葉がまるで自分の考えている事と真逆で思わず上体を起こし反論する。
元はと言えば過去を悔いる程、隼人を好きになってしまったからこうなったのに、自分が隼人を好きではないかのような言葉を聞き流すことは出来なかった。
しかし、優子が声を荒らげ上げた視線の先にはニコニコした表情の隼人がいた。

「やっとこっち見てくれた」

 『騙された』それが彼を見たとき最初に思ったことだった。
でも、それと同時に彼の笑顔に“救われた”そんな気持ちが、自分の中にあるのを優子は感じていた。
それは甘えとか言い訳などではなく、隼人から伝わる不確かだけど確実なものだった。

 誰にも独占欲は少なからず存在する。
相手を構成する思い出や経験、そして感情という名の想い、そのどれもが自分だけで構成されているならば安心もできよう。
しかし、その子を産んだ親でさえ、その子の全てを独占することなどできない。
それは人が他人と関わりを持つことでしか成長できない生き物であるが故に仕方のないことなのだ。
だが、それでも好意を持った相手の中に、少しでも多く跡を残したいと人は願う。
それは隼人も例外ではない。
それでも優子の涙が、彼女の中での自分という存在がどのようなものか感じることができた。
それを伝えたくて隼人は優子の名を呼んだ。

「優子……優子の話を聞いて嫉妬を感じなかった訳じゃない」

「うん……」

「でも、それでも優子の涙を見て、君の中にいる自分の存在がどんなものか感じることができた……お互いの過去を変えることはできない。 けど過ちや後悔があったなら、それを糧に“一緒に”前に進んでいこう? 優子と一緒なら俺はできるって思う……」

「……うん、うん……グスっ、隼人ぉ」

 隼人の言葉を聞き終えると、優子は嗚咽を漏らし彼の名前を呼びながら抱きつき大声を上げ泣き出した。

 隼人は彼女をしっかり抱きしめ、泣き止むまで優しく髪を撫で続けた。
そして耳元で彼女に言い続けた。

「大丈夫。 ずっと一緒にいるから」


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