『勘違いから始まる恋』第三章『私はストーカーに恋をする』
第050話
「俺は大島 優子さんが好きです……」
隼人の言葉を聞いた優子は無言で俯き、先程まで頬に触れていた隼人の手は虚しく宙に残された。
優子の肩が微妙に震えているのを見て、隼人は自分の思い違いだったのかと落胆した。
それでも優子に自分の発言で負担をかけたくないと考えた隼人は、努めて明るい口調で再び口を開く。
「俺は気持ちを伝えたかっただけです。 だか、んぅ!?」
『だから付き合いたいとか言うつもりはありません』と続けるつもりだった隼人は、突然視界が遮られたかと思うと口を柔らかいもので塞がれた。
唐突なことで目を閉じることのできなかった隼人は目の前の光景が信じられず目を大きく見開いた。
眼前にあったのは優子の顔。
そして自分の口を塞いだのは彼女の唇だった。
一瞬何かの間違いかと思ったが、自分の首に回された手や鼻孔を擽(くすぐ)る彼女のシャンプーの香りが間違いでも夢でもないことを教えていた。
隼人は自らも目を閉じ宙に浮いていた腕を優子の背中に回した。
時間にして10秒程の唇と唇が触れるだけの初々しいキスだったが、すれ違いを繰り返していた2人にとっては十分の行為だった。
やがて2人の唇がゆっくりと離れる。
優子は首に回した腕を解放しキスのために背伸びしていた足を地面に着けた。
恥ずかしさのあまり顔をから火がでそうな程に自分が真っ赤だと分かったが隼人に伝えるべきことがあり、俯きたい衝動を必死に抑えながら口を開いた。
「私も新城 隼人さんのことが好きです」
それを聞いた隼人の顔は喜びが溢れ出さんばかりの笑顔となり、今一度彼女が現実であるかを確かめるように抱き寄せ彼女の髪に顔を埋めた。
優子も隼人の背中……と言っても20センチ近くも身長差があるので腰辺りに手を回すと存在を確かめるように抱きしめ返した。
「ありがとう……大島さん」
隼人は優子がきっかけを与えてくれなければ2人はこうしていなかったと思い感謝を述べた。
だが、優子の口から意外な言葉が出て隼人を驚かせた。
「いやです……」
「えっ?」
髪に顔を埋めていた隼人は顔を上げ優子の表情を覗う。
すると優子も埋めていた隼人の胸から顔を上げた。
「“大島”じゃ嫌です……」
拗ねたような表情でそう催促する優子。
要は名前で呼ばれたいと言うことらしい。
言い終わると恥ずかしくなったのか、ぷいっと横を向いて視線を隼人から外す。
そんな優子の様子が可愛らしく思わず小さく吹き出してしまう隼人。
勇気を振り絞り伝えた優子は、笑われ「真面目なことなのに」と言いながら怒った目だけ隼人に向けた。
無論、隼人も優子の言いたいことは理解していた。
『自分は”新城さん”のままなのに』
内心苦笑しつつ隼人の表情が真面目な面持ちに変わる。
そのまま横を向いた優子の顎に手を添えゆっくりと正面を向けさせると、2人の視線が重なり合う。
それだけで心拍数が上がる優子に、追い打ちを掛けるように隼人は優しげな笑みを浮かべた。
「ありがとう優子」
そう言うと隼人は添えた手で優子の顎を少し上げ顔を近づけてきた。
キスなのだと思った優子は自らも目を閉じると唇に触れる感触を待った。
チュッ
「ふぇ?」
唇にキスをされると思っていた優子は、予想外におでこへキスされ変な声を上げた。
隼人はクスクスと笑いながら優子の耳元に顔を近づけ囁く。
「唇にされると思いました?」
優子は隼人にからかわれたことよりも、期待していた唇へのキスがなかったことに不満があったのか、隼人から身体を離し拗ねたような態度で不満を漏らした。
「意地悪……」
「そんなに沢山していたら、優子さんとのキスに有り難みが薄れるじゃないですか」
それに対し和やかな表情で答える隼人だったが、内心違う思いを抱えていた。
『これ以上、彼女とそんなことしたらキスだけじゃ我慢できないかもしれない……』
互いに求め合うも、些細な誤解ですれ違いを続けた2人は紆余曲折を経て結ばれた。
離れ離れの間に積もり積もった互いの想いは結ばれると同時に大きな火花となって燃え上がった。
それは2人の“好き”という名の炎。
隼人は自分の中に燃えるその炎の大きさに戦き、その炎が優子を傷付けるではないかと恐ろしくなった。
今の2人が肉体関係を持つことは容易いだろう。
しかし、初めからそこで結ばれてしまうと“行為を前提”として考えてしまうのではないかと隼人の中で心配だった。
そうならないために隼人は優子のことを知り、彼女にも自分を知ってもらう時間を必要なのだと考えていた。
おでこへの口付けは、彼女を大事と想えばこその隼人なりの自制の行動であった。
そうとは知らない優子だったが隼人の言葉に「もう……」と言いながらも嬉しそうにしている。
その時、隼人の視界に何気なく優子のブレスレットが目に入る。
「あっ……」
隼人は何かを思い出したように声を上げ“?”疑問符を頭に浮かべ首を傾げている優子を見る。
「今更なんですが……ブレスレットは何方から?」
「あぁ……ちょっと待っててください」
優子は隼人の質問を聞くと、そう言って洗面所へ入っていった。
隼人は暫くの間大人しく優子が戻るのを待っていると、部屋から革鞄を持って出てきた。
「リビングに行きませんか?」
隼人の手を取ると優子はリビングへと彼を引っ張っていくと、柔らかく温かい優子の手の感触が心地よいと思いながら隼人も大人しくついて行く。
「ソファーにどうぞ」
リビングに行くと優子からテーブルではなくソファーを奨められ、隼人は大人しく座った。
座るとやはり1人暮らしに似つかわしくない程の豪華なソファーだと隼人は思った。
ブラウンの革張りで高級感のあるそのソファーはL時型で、長手側に背もたれがありそちら側には4人ほど座れ、短い方は背もたれのない2人掛けになっていた。
隼人は4人掛けの真ん中に座る。
そこからは真っ正面にテレビや収納棚、そしてワインセラーが置かれているのがよく見えた。
棚に飾られたいくつかの写真に興味を持ったが、優子が鞄をソファーの前のガラステーブルに置き自分の隣に座るのを見て、隼人は考えるのを止めた。
優子はブレスレットに触れながら誰からの贈り物なのかを話し始めた。
「このブレスレットは母からの贈り物なんです。 誤解させてごめんなさい。 私……」
そこまで話し、続きを言い淀む優子。
自分の特殊な家庭環境を話すべきか迷った。
自然とブレスレットに触れていた手が離れ力なくソファーに付いた。
伏せた視線に何かを感じ、隼人は彼女の手に自分の手を重ね彼女へ一言語りかけた。
「いつか優子が言えるようになった時に聞かせて」
それだけの言葉なのに優子は嬉しかった。
自分の内にある躊躇う気持ちに気づき理解してくれたこと、重ねられた手の温もり、そして大事な時だけ“優子”と呼び捨てにする隼人がこの上なく愛おしかった。
優子は無意識の内に隼人をソファーに押し倒していた。
小さい身体だが日頃からダンスなどで鍛えた優子の力に、警戒心など持っていなかった隼人は容易に押し倒されてしまう。
優子に突然押し倒されたかと思うと、覆い被さられた隼人は困惑する。
優子の長い綺麗な髪がベールのように2人の顔を隠す。
影が落ち暗くなった表情はよく見えなかったが、眼前に迫る優子の熱を帯びた優子の視線と吐息を強く感じる隼人。
2人の距離は次第に近づく。優子は何も言わず隼人の頭を両手で包み込む。
それに驚き「優子さん?」と言葉を発しようとするが、隼人がそれを口にする前に2人の距離はゼロとなった。
先程のように長い口付けではなく、短く何度も何度も優子は隼人へキスをする。
何度も隼人とキスをするが満足することはできず、また彼へとキスを落とす優子。
『好き』
その想いがキスをする度に優子の内で膨れあがる。
隼人にしても聖人ではなく“自分からの行為”は自制できても、激しく“優子に求められて”は拒むことも出来ず、繰り返されるキスに隼人も応じ始める。
次第に唾液と吐息が交じるようになる。
深く互いを味わうような口付けに変わり、唯々お互いを求めるように角度を変え舌が絡まり合う。
「んん、隼人ぉ……好きぃ……んん」
部屋の中に2人の粘液が混じり合う水音が響く。
隼人の舌が自分の中に侵入すると、それを吸うようにして彼の舌を味わう優子。
優子はこれまでこんなに自分からキスを求めたりしたことはなかった。
優子は学生の頃から男性に困ったことは無かったし、AKBに入り“恋愛禁止条例”があっても裏でファンや共演者と合コンをしたり、ウエンツ 瑛士と付き合ったりしていた。
それでも自分で相手を押し倒し自らキスなどしたことは無かった。
それだけ自分の内にいる“女”が、隼人を求めているのかもしれないと思うと下腹部が熱くなる。
気付くと自分の下腹部と隼人の男性部分が触れ合い、隼人のモノも大きく硬くなっているのが服越しに分かった。
『感じてくれてるんだ』
そう思う気持ちが更にキスを激しくさせ、段々と腰が小刻みに動きキス以外にも快楽を求めようとし始めた。
しかし、優子の気持ちの高ぶりとは裏腹に次第に激しいキスで息が上がり、とうとう優子は息が苦しくなり唇を離した。
「んんっ……」
2人の間に銀色の糸が引き熱情の跡を覗わせる。
息の上がる優子を隼人は自分の胸に抱き寄せる。
優子は黙って彼の胸に抱かれ、荒い息を整えている。
優子の髪を
優子からの情熱的なキスで隼人も興奮し理性も無くしかけ、このまま優子と結ばれてもいいとさえ思った。
それでも隼人が思い留まれたのはキスの合間に優子が口にする「好き」という言葉とブレスレットの存在だった。
優子はさっき何かを言いかけ、結局口にすることはなかった。
隼人はその理由が決して自分を嫌っているからではなく、それが今の2人の間にある絆の強さを表しているのだと理解していた。
一抹の寂しさを感じたが、それが肉体的に彼女を欲していた自分を落ち着かせる要因となっていた。
『優子が安心できる存在になれるように頑張るから』
隼人は優子の頭を撫でながら、自分がすべきことを考えていた。
優子は隼人の心臓の鼓動を聞きながら髪を撫でられるのが心地よく暫くの間、彼に身を任せていた。
隼人の気持ちそのもののを表しているような指先に優しく撫でられる内、先程まで強く自分を突き動かしていた情慾は薄れ安心感が全身を包む。
隼人と居ると今までのどの男性よりドキドキし、触れられると両親に抱きしめられたような安心感を感じる。
相反する2つの感覚に不思議と戸惑いは感じず、むしろそれを持ち合わせた男性が新城 隼人なのだと自然と納得できた。
やがて優子の心臓の鼓動が隼人のそれと重なるくらいゆっくりになり、落ち着きを取り戻した優子は隼人の名を呼んだ。
「隼人……」