『勘違いから始まる恋』第三章『私はストーカーに恋をする』
第049話
「何も聞かないんですね……」
優子が隼人の服の袖を掴んでいた。
俯き背を向ける優子の表情は見えず、声の低さが彼女の感情を表しているようだった。
「えっ……」
「プレゼントの相手が誰かって……」
隼人が聞き返すと優子は小さく呟いた。
暫く2人の間に沈黙の
そこにあったのは今までで一番悲しげな優子の笑顔だった。
掴んでいた袖から手を離すと何事もなかったように“表面上”はいつもの表情に戻る。
「ごめんなさい。 私も酔ったのかな……あっ、鞄返さないと」
「ちょっと待っててください」と付け加えると、優子は隼人に表情を見せないようにリビングを足早に出て行く。
隼人は優子の表情こそ見えなかったが彼女が泣いていることは、その後ろ姿を見て分かった。
『何で、俺は彼女にあんな顔ばかりさせてしまうんだ……』
自分のとった行動が再び彼女を傷付けている事実が悲しかった。
だが、優子はお詫びの事があったにしろ“大事な人”がいるのだから、自分に好かれる必要はない。
ましてや涙を流す理由がないはずだった。
“今恋人居るんですか?”
“気になります?”
“そうですね。私にとって特別な人かな”
“何も聞かないんですね。プレゼントの相手が誰かって”
彼女の先程の言葉を思い浮かべ、そして自らの言動も省みた隼人はある事に気付いた。
『もしかして……』
そこに大きな綻びを見つけると、自分が大変な思い違いをしている可能性に気付いた。
『もしそうなら最低だな俺……でもそんなこと……』
優子は洗面所に駆け込むように入ると扉を背にして俯く。
一人きりとなった部屋で抑えていた感情が嗚咽として外に出て行く。
『馬鹿みたい……自分ひとりで盛り上がって』
自分ひとり隼人に好かれていると浮かれ、はしゃいだ結果がこれだ。
瑛士の時もきっとこうやって浮かれ、相手のことを見ていなかったのかもしれない。
自分の成長のなさと、これは“運命”だと勝手に期待していた自分の短絡さが嫌になる。
報われることがないのだと思えば思う程に、涙がポロポロと床に零れ落ち床を濡らしてゆく。
だが、そんな優子の置かれた状況とは裏腹に、自分の内にあった恋愛やAKBに対する蟠りや理性という柵が、涙を流す度解かれ消えていく。
それまで心の内で柵に埋もれあやふやだった隼人への“想い”は、やがて一つの“純粋な感情”となって優子の心に溢れる。
『でも、今更分かったってしょうがないじゃない……』
隼人へのとめどなく溢れる感情が、2人の関係をどうすることもできない悲しい現実に拍車を掛け、優子の悲しみをより深くし涙を枯れさせることはなかった。
“ヒック……ヒグ……”
扉の向こうでしゃくり上げるような優子の嗚咽が微かに聞こえ、扉の前でノックしかけた手を止めた。
改めて自分の内にある決意を確かめ、その拳を強く握り直すとノックをした。
トントン
突然のノックに優子の体はビクッと大きく跳ね上がった。
「か、鞄すぐ準備できますから」
驚いた優子だったが何とかそれだけ言うと涙を手で拭い、洗面台脇にある洗濯機の上でタオルに包み水気を取っていた鞄に手を伸ばそうとした。
「違うんです……大島さんに聞いてもらいたいことがあるんです……」
扉越しに聞こえるくぐもっていても真剣だと分かる隼人の声に、優子は鞄に伸ばしかけた手を止める。
「そのままで良いので聞いてください……」
隼人のその言葉に優子は再び扉に体を預けると、不思議と涙の止まった瞳を瞑り彼の言葉を待った。
「大島さんは俺に“聞かないんですね”って言いましたよね? あれは“聞かなかった”んじゃないんです。 大島さんに“大切な人”が居るって聞いて、自分だけ勘違いし自分だけ盛り上がっていたんだと思って情けなくて“聞けなかった”んです……」
そこまで言うと隼人は目を閉じ、そこに浮かぶ初めて優子に会った日のこと、そしてこの3日間の出来事を思い返した。
出会ったきっかけがきっかけのため泣いている表情が多かったが、それでも喜怒哀楽がコロコロと変わる表情豊かな優子。
そして最後に隼人が心奪われた屈託なく大輪の花を咲かせたような笑顔が浮かんだ。
胸が弾み同時にギュッと締め付けられるような感覚。
改めて自分が彼女に“恋”をしていることを実感し、このあと自分が口にしようとしている言葉の重みを考えてしまう。
もし、自分が口にする言葉が彼女の“求める答え”でなければ今の関係は壊れ、もうこんな風に話すこともできなくなってしまうかもしれない。
だが、今言わなければこの先ずっと後悔することも、もしかしたら自分だけが優子を笑顔に出来るのかもしれないと思うと閉じた瞳をゆっくりと開けた。
「でも……大島さんを泣かせてしまった時に気づいたんです。 俺は大島さんを悲しませるためにここにいるんじゃない。 もっと大島さんに笑った欲しいんだって……俺の思い違いかもしれない……でも聞いてください……俺は」
隼人が続きを口にしようとした時だった。
ガチャッ
扉が開き中から勢い良く何かが出てくると、隼人の胸に飛び込んできたかと思うとギュッと抱きしめられた。
「お、大島さん!?」
面と向かい話すことだと思ってはいたが、まさか優子が自分に抱き付いてくるとは想像すらしていなかった隼人は驚きを隠せずにいた。
隼人は優子の表情を覗うが、彼女は隼人の胸に顔を埋め腕を背中に回しているので表情を見ることが出来なかった。
抱きつかれた反動で両手をバンザイした状態でいた隼人が、その手の所在をどうするべきなのか悩んでいると優子が口を開いた。
「扉越しじゃなくて直接聞かせてください……」
そう言って密着していた身体を浮かし顔を上げる優子。
腫れぼったい瞳や、涙で落ちたであろうアイシャドウの跡がうっすら残る頬が泣いていたことを物語っていた。
困り眉と神妙な面持ちでこちらを見る優子に、隼人は宙に浮いたままだった手を降ろすと何気なく左手の平で優子の右頬に触れ涙の跡の残る頬を指でなぞる。
優子は自分に触れたその手に何も言わず、すり寄るように頬を寄せた。
隼人は自分自身が優子にこういった形で触れることなど考えても見なかった。
だが、今現実にその手の平には彼女からの温もりが伝わっている。
その温もりが後押しをしたように優子の瞳を見つめると、今まで言えなかったありったけの気持ちを込め言葉を口にした。
「俺は大島 優子さんが好きです……」