『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』
第043話
「おっはよ~」
「おはよう」
優子と宮澤 佐江が休憩室に挨拶をしながら入ってくる。
悩みが一段落した優子は普段通りの明るさを取り戻していた。
佐江も優子の想い人がどうであれ、優子が元気になったことに上機嫌でいた。
「おはよう(ございます)」
部屋にいたメンバーが2人に挨拶を返す。
昨日の優子を知るメンバー達は、飛び抜けて明るい表情を見せる優子と、その後ろでニコニコしている佐江をみるや、佐江に駆け寄り部屋の片隅に連れて行くと取り囲む。
「優子はん、めっちゃ元気ですけどストーカー事件解決したんですか?」
メンバーを代表して横山 由依が佐江にヒソヒソ声で聞く。
「あぁ、解決したみたいよ」
ケロッとした表情でそう告げるとメンバー達から小さな歓声が上がり、今度は優子の席を取り囲むメンバー達。
「優子ぉ~!」
峯岸 みなみが優子の名前を呼びながら後ろから抱きつくと、ちょうど残ったサンドウィッチを頬張っていた優子は、突然のことにサンドウィッチが喉に詰まりそうになり無理矢理ペットボトルの紅茶で流し込むと涙目になりながら抗議する。
「うぐぅ、けほけほ……みいちゃん死んじゃうじゃん!」
「ごめんごめん。 でも、ストーカー事件解決したんだって! 良かったね」
みなみがそう言うと、他のメンバーも口々に「良かった」と言い喜んでいた。
「みぃちゃん、皆も……ありがとう」
「ほら、優子笑って。 さっきも私と泣いたばっかでしょ」
泣きそうになる優子に笑うよう言う佐江。
本当は優子の好きなようにさせてあげたかったが、嬉し涙でも今日の優子は泣き過ぎでこれからの仕事の事を考えると控えさせるべきと判断してのことだった。
それは優子の恋愛は仕事との両立が絶対条件であり、両立できなかった場合、運営や事務所が優子に疑いの目を向ける可能性があるばかりか、最悪AKBの未来さえ変わってしまうと佐江は考えていた。
そのためにはメンバーにさえ優子が恋をしていることを隠し、今のように目の腫れもメンバーに指摘されないように嘘を吐かなければならなかった。
佐江自身、メンバーに隠し事をすることに後ろめたさを感じつつ、優子が自分一人で悩みを抱え泣いている姿は見たくはなかった。
優子の周りに集まったメンバー達は佐江の言葉で笑顔となった彼女を見ると安心したのか、また各々の席で自分の時間を過ごし始めた。
「佐江ありがとう」
優子は佐江の機転に感謝した。
佐江は優子の隣の自分の席に座り「どういたしまして」といいながらポケットからiPhoneを取り出す。
画面には山本 学からの着信が数件残されていた。
「やば……学のこと忘れてた。 ちょっとごめん」
佐江はそう言い残すとiPhone片手に休憩室を出ていった。
『?』
学がどうしたのだろうと思いながら、自分のiPhoneを見ると“山本 学”から着信3件とメールが2件入っていた。
これのことかと思いながらメールを開くと“今どこにいる?”“休憩室に戻ったら連絡くれ。”という文面だった。
『ごめんね学』
心の中で謝罪しながら“休憩室に戻りました。佐江には全て話しました。もう大丈夫です。”と返信を書いた。
ピッ
“送信中”の文字がアニメーションをしながら画面に表示される。
《……このような状況に……》
『?』
ザワザワする室内で男性の声が聞こえることに優子は気づき、周囲を見渡すが休憩室にメンバーだけで男性は居ない。
《我々、フロッグデザインは“Feel UX”を……》
周囲に気を配りながら耳を澄ますと隣の席に置かれたパソコンから流れていた。
聞き覚えのある声に興味を惹かれ、パソコンの画面を覗く。
トクン
心臓の鼓動が一際大きく脈打った。
“ライブ中継中 docomo春の新商品発表会”
そうテロップされた画面には、警察署で会ったときの乱れた髪型やパーカーとジーンズのラフな格好などではなく、きちんとセットされた髪にスーツを着こなした隼人が喋っていた。
《“強いる”のではなく、人の感性に寄り添った“心遣い”を提供する。それがFeelUXです……》
沢山のフラッシュの中、原稿を読むことも臆することもなく軽やかな口調と、日本人には珍しくジェスチャーを多用しながら、プレゼンテーションを円滑にやってのける姿は先程までとは別人に見えた。
「凄い……」
隼人の言っていた発表会とはこのことで、それに間に合ったのだとホッと胸を撫で下ろす一方で、彼の新たな一面を知る事ができて喜んだ。
プレゼンテーション中の隼人は終始笑顔だが、それは自分に見せた笑顔とは異なることに気付く。
自分に向けられた笑顔の方が温和で優しいものに感じ、隼人が自分に少しは好意を持ってくれているような気がして嬉しかった。
その後も隼人のプレゼンテーションから目を離すことができず、黙ったまま画面を見続けていた。
「何真剣に見てるの?」
「わっ! ビックリした! 佐江いつの間に」
「ひどいなぁ、何回も声かけたよ」
いつの間にか部屋を出ていたはずの佐江が優子の肩越しからパソコンを覗き込んでいた。
優子は驚いていたが、佐江が学との電話を終え休憩室へ戻ると優子が机に向かっていたので、何度も声をかけたが気付かなかったのは優子の方だった。
だから佐江は肩越しに覗いてみたのだが、パソコンでは動画が流れているだけで、その動画も何かの発表会のようで特段面白そうなものではなかった。
「声かけても気付かないくらい何を真剣に観ているの?」
「佐江、観て……」
そう言って流れる動画の中で喋っている男性を指差す優子。
佐江は改めて男性を見るが、落ち着いた雰囲気と優しそうな眼差しが印象的だが取り分けてイケメンでもなく、優子が注目する程でもないような気がした。
「この
「この
頬を紅く染めると小さく佐江にだけ聞こえるように呟いた。
「嘘……本当にこの
「うん。 この
佐江は驚きのあまり聞き返えすと、優子は彼女を真っ直ぐな瞳で見つめ答えるが視線は直ぐ画面に戻す。
「……」
佐江の知る限り優子が好意を持つであろう男性像とかけ離れている気がする映像の中に映る“新城 隼人”という男性。
鼻筋が通った瑛士のような男性が好みだと思っていた優子が、決してイケメンではない彼に好意を持っていることが不思議で仕方なかった。
パチパチパチッ……
佐江が考え事をしているうと、いつの間にか発表が終わり拍手で見送られ壇上を後にする隼人。
再び山田社長が登壇すると、優子はパソコンを観るのをやめ、お互い自分の席に座り直した。
優子は俯せになり顔だけ佐江の方を向いた。
「ん~ 間に合って良かったぁ~。 今度会った時“プレゼン”格好良かったですよぉ、なんて言って驚かそ」
そういう優子の顔は変ににやけている上に机に頭を載せているせいで、アイドルらしからぬ変顔になっていた。
「優子、その顔は新城さんには見せない方がいいよ。 絶対」
「しないよ~。 むしろ緊張しちゃって違う意味で変顔になりそう」
他のメンバーに聞こえない声で話す2人の後ろに人影が忍び寄る。
「優子!」
急に後ろから優子を呼ぶ声と共に誰かが2人の肩を叩いた。
「「!?」」
振り返るとそこには学がいたが、先程までスーツをちきんと着込んでいたにもかかわらず、今は上着を脱ぎネクタイも緩めラフな格好で汗をかいていた。
それは学が佐江から電話を受けるまで、ドンキホーテ内をくまなく捜し、それでも見つからず外に捜しに行っていたのが原因だった。
その状態を見た優子は両手を顔の前に合わせ謝った。
「ごめんなさい学!!」
「佐江から全部事情は聞いたよ。 それで平気なんだな?」
ハンカチで汗を拭いながら学は優子、佐江の2人だけに聞こえる声で聞いた。
「うん……また沢山迷惑かけちゃうと思うけど、宜しくお願いします」
そう言うと学に、そして佐江に頭を下げる。
「「まかせなさい」」
学も佐江も優子のそれに快く答え、ここに3人だけの『大島 優子の極秘恋愛プロジェクト』が結成された。
3人は自分たちの身に起ころうとしている大きな出来事を知る由もなく笑い合っていた――。
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