『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』
第039話
「やっぱり、ここに居た……」
声に反射的に優子は振り向くが、そこには今1番会いたくなかった宮澤 佐江が扉の所に立っていた。
自分の泣き顔を見られまいと、咄嗟に背を向けるが時すでに遅かった。
「優子どうしたの……」
「な、何もないよ。 目に塵が入っただけ」
佐江の言葉に何と答えるべきなのか考えるが思いつかず、我ながら下手な嘘だと思いながらもそう答えるしかなかった。
言ってから嘘もろくに言えない今の自分が、なんだか情けなくなり再び涙が込み上げてくる。
涙が瞳から零れそうになった瞬間、ふわっと優子を何かが包み込む。
「あっ……」
佐江が優子を優しく抱きしめていた。
佐江の方が優子よりも背も体格も良く、佐江の胸に優子がすっぽり収まっていた。
「ねぇ、優子。 あたしらが付いてるから、泣きたければ泣いていいんだよ」
佐江は抱き締めたまま優子の涙の理由も聞かず、唯々優しく語りかける。
「……ぅうっ、佐江ぇ……」
佐江の温もりと言葉に押し込めていた感情が溢れ出す優子。
涙が止め処なく溢れ、佐江に抱かれたまま声をあげ泣いた。
佐江は優子を抱き締めながら時折り頭を撫で、彼女が泣き止むのを待った。
次第に優子の泣き声が小さくなり、佐江の腕を縋るように掴む手からも力が緩むのが分かると抱きしめるのをやめる。
「落ち着いた?」
子供をあやすかのように覗き込みながら、優しい微笑みを浮かべ気遣う佐江に、優子は時折鼻を啜りながら答える。
「うん、ごめんね……」
そして「もう大丈夫」そう言って優子は笑顔を佐江に向けた。
元気になったことをアピールする優子だったが、佐江はそれでも気遣うような表情をする。
「ほら、もう平気!」
『そんな作り笑いで平気な訳ないでしょ……』
優子の様子は、佐江には強がりにしか見えなかった。
優子のことを深く知る佐江は笑顔の裏に隠された彼女の感情を感じとっていた。
「優子、何をそんなに悩んでいるの?」
「悩んでなんかないって。 佐江ちゃんは心配性だなぁ~」
「じゃあ、なんでそんな悲しそうに笑うの?」
「そ、それは……」
自分では精一杯の元気を演じていたつもりだったが、佐江にあっさりと見抜かれ言葉を続けることができなかった。
しかし、ここで何も言わなければ悩みがあることを暗に認めることになり、それだけで佐江に心配をかけてしまう。
一方で男性のことで悩んでいることなど、同じ掟の中で活動するAKBのメンバーに言える訳もない。
どちらを選んでも誰かを裏切る選択肢しかない状況が優子を苦しめる。
先程まであった笑顔は消え、再び悲しみが込み上げる。
その苦悩に満ちた表情が佐江を再び突き動かし、優子を引き寄せ抱き締めると再び問いかけた。
「ねぇ、優子。 私達“心友”だよね?」
「うん……」
「私も優子を心友だと思ってる。 だから、私に出来ることは少ないけど、優子が抱えている苦しみや悲しみを分けて……優子はもっと自分を幸せにしていいんだよ」
「佐江……」
優子は“心友”の名を呼び自らも応えるように抱き返す。
過去、両親の離婚、不良グループに入り夜遊びを繰り返していたこと、子役時代の挫折、禁止条例の中でのウエンツ 瑛士との交際と破局など様々な経験をしてきた。
どれも人ならば少なからず経験するもの。
優子自身も本人の持つ明るさや努力、そして周囲の助けを得ながら乗り越え、今の大島 優子を構成する“我慢強さ”“人一倍の努力”“プロ意識”“演技力”を身につけていた。
それでも心の片隅で残った小さな痼りは、時として彼女の“我慢強さ”“プロ意識”を“自己犠牲”“自己批判”に変え、背負わなくても良いものまで背負わせようとしていた。
そんな時、必ず優子へ救いの手を差し伸べてくれるのが佐江や才加などの心友だった。
そして、今も佐江の言葉は“自分さえ我慢すれば”と自分の気持ちを抑え込もうとしていた優子の心を解放していた。
パッと目の前が晴れた気がした。
優子は佐江から身を離すと彼女の目を見ながら口を開いた。
「佐江……聞いて欲しいことがあるの……」
「……うん」
佐江を見つめる優子の瞳は輝きを取り戻し強い決意を、表情は同じ女の自分でもハッとさせられるような凜とした美しいものだった。
佐江はやっと自分の好きな優子に戻ってくれたことを喜び、優子の口からどのような事を聞こうと味方でいようと決意した。
しかし、優子から語られた言葉は意外なものだった――。