『勘違いから始まる恋』第一章『恋の終わり』
第004話
優子は夢を見ていた。
「はぁ、はぁ……誰か助けて……」
暗闇の中を誰かに追われ、逃げる自分。
相手が誰かなのか分からない。
それでも“それ”から逃げなければと思う気持ちが、優子を走らせる。
だが、走る優子に段々と“それ”は迫ってくる。
「来ないでよ!」
恐怖に叫ぶ優子の前に光が現れる。
不思議とそこへたどり着けば助かるような気がし、光に向かって走る。
「あともう少し……」
“それ”が優子を捕らえようと手を伸ばした瞬間、優子の身体はその光へと吸い込まれる。優子は振り返り“それ”が何なのか見ようとしたが、光が次第に強くなり意識も薄れていった。
徐々に薄れゆく意識のなか“それ”が知らない男の顔だということだけは分かった。
チュンチュン……
鳥の囀りと共に遮光カーテンの隙間から漏れ入る朝日が優子の顔を照らす。
「ん、んん……」
愛らしい唇から吐息が漏れ、長いまつげが僅かに揺れ綺麗な瞳が現れる。
朝日を浴びた優子が目を覚ます。
「朝?……つぅ! 頭痛い」
ベッドから優子が起き上がると、二日酔い特有の頭痛を憶え頭を抑える。
「部屋……だよね? あたし、どうやって帰って来たんだろう……」
辺りを見渡して自室であることを理解するが、メンバーとの食事会の後の記憶がない。
「痛っ!」
そればかりか膝に痛みが走りそこを見ると擦り傷があったが、その理由さえ分からなかった。
「飲み過ぎた……」
足を少し庇いつつ台所に行くと水を飲みながら、服もそのままで寝てしまった自分の行動に独りごちる。
アルコールで水分を奪われた身体に、水が染み渡り少し何かを考える余裕が生まれる。
昨日のことを思い返してみるが、知らない男に追われ走った夢を見たということしか、二日酔いの頭では思い出すことはできなかった。
ふと、時計を見ると8時半を少し過ぎていた。
「やば、9時に学が来るんだ!」
10時に今日最初の仕事があり、9時にはここを出なければならなかった。
シャワーを浴びるため服を脱ぐ、姿見で自分の身体を確認する。
「膝以外は……問題なし」
髪はボサボサだが、艶やかで特に枝毛などの痛みはない。
顔はメイクが落ち、ちょっと目が充血しているが怖い夢を見たからと納得する。
上半身、自慢のDカップの胸は今日も上を向いて良い形を保っている。
思わず胸を張るが、自分でしておいて気恥ずかしくなり視線を下に移す。
美しく括れた腰とその先にある締まりのある尻の膨らみを見る。
見返り美人のポーズで後ろ姿を確認すると、今度は前を見る。
恥部周辺は逆三角形に綺麗に手入れされた茂みが見える。
この時期は露出の多い水着などでのグラビア撮影は少なかったが、いつそのような仕事があるか分からないので手入れしておくことに越したことはなかった。
膝以外に傷もなく、膝の傷もきっと飲み過ぎて何処かで転んだ時のものだろうし、走った記憶も夢だったのだろうと自分を納得させ浴室に向かった。
………………
…………
……
ガラッ
「ふぅ、サッパリ」
二日酔いの頭痛は残るものの身体を綺麗にすることができた。
「ヤバッ! 急がなきゃ」
時刻は8時56分。
髪を乾かすのもそこそこに服に着替えると自室を後にした。
「学、おはよう」
「おはよう、さぁ行こうか」
マンション前で山本 学と挨拶を交わしつつ、彼の車に乗り込む。
助手席でシートベルトをするのを確認すると学はアクセルを踏み走り始める。
「あっ……」
マンションを出て少し走ったところで、外を見ていた優子が小さく叫んだ。
「どうした?」
「……何でもないよ」
学がどうしたのかと聞くが、優子ははぐらかすと俯いてしまった。
暫くエンジン音だけが響いていたが、学が口を開く。
「今日はやけに静かだね? 髪も半乾きみたいだし。 どうした?」
いつもであれば朝からテンションの高い優子が今日はやけに静かなのが気になり、今日のスケジュール表を渡しながら問いかける。
「二日酔いで寝坊したの……」
「二日酔いか。 昨日はメンバーとの食事会だったっけ?」
「うん……久しぶりだったから飲み過ぎちゃって……」
「薬とかは飲んだ?」
「ううん、急いでたから何も……」
「今日はドラマの撮影があるし、薬局寄る時間ぐらいあるから薬買ってくるよ」
「ごめんね。 学、ありがとう」
二日酔いが原因なら以前にも何度かあった。
でも、優子の様子をみていると今回はそれだけでは無いように感じていたが、通り沿いに薬局を見つけた学は深く追求せず車を停車させ店に入っていく。
「じゃあ、ちょっと待っていて」
「うん……」
車内が静寂に包まれる。
「なんで……」
1人になった車内で優子がつぶやく。
それはマンションを出てからすぐのこと。
学の車がマンションの近くの角に差し掛かった所で、スーツ姿の人が歩いていた。
何となくその後ろ姿が気になり、すれ違う時サイドミラーで顔を確認すると、スーツの人物が夢に出てきた男そのものだったのだ。
夢だというのに鮮明に顔を覚えていたことや、男が実在したことは、優子の内で一度は夢だと確信していたものが揺らがせる。
だが、男が誰で何故自分が追われたのか、肝心な部分を思い出せないでいた。
ガチャッ
「お待たせ。 くす「きゃッ」、えっ? どうした?」
暫くして、学が薬局の袋を手に戻ってきたのを、男のことを考え込んでいた優子は気づかず驚いてしまった。
「な、なんでもないよ」
そう言って取り繕う優子だったが、納得していない表情の学。
「何かあったなら、俺にちゃんと言うんだぞ」
「うん、それより薬頂戴」
夢で自分を追いかけてきた人物が実在していたなどと、言える訳もなく話をはぐらかしながら受け取った液体の薬を一気に飲み干した。
口の中にドロッとした感触と苦みが拡がる。
それは、まるで人を騙した時感じる罪悪感のようだった。
「にがぁ~い」