『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』
第038話
12時10分。
「おっはよー……ん?」
宮澤 佐江は劇場の休憩室に入るが部屋には誰も居なかった。
勿論、自分が一番のりなことが多いので挨拶を空振りすることは気にしていなかった。
しかし、テーブルの上にバックや食べかけの食事が残されているのを見つけ、気になりテーブルに近づいた。
『優子か。 珍しいこともあるんだ』
置かれていたトートバッグを見た佐江は、それが優子の物であると分かり少々驚いた。
選抜メンバーの特に上位にいる優子は佐江に比べ仕事の数が桁違いに多い。
そうなると当然スケジュール通りに仕事が終わるはずもなく次の仕事の入りが遅く、良くても時間通りなのだ。
それが、今日に限っては早いので佐江は驚いていた。
『トイレかな?』
本人は居ないがバッグやiPhone、それに食べかけのサンドウィッチなどが残されているならば直ぐに戻ってくるのだろうと思った佐江は、優子の隣に座ると荷物バックから自分のiPhoneを取り出しいじり始めた。
「……でしたっと(=´∀`)人(´∀`=) つぶやき完了!」
慣れた手付きでつぶやきを書き終える。
iPhoneを置きバックから出したミネラルウォーターを一口含みながら部屋を見渡す。
優子はまだ部屋に戻って来ていなかったが、つぶやきを書いていたのはわずか2、3分なので、トイレの時間が基本長い女子からすると大して気にするものではなかった。
すると廊下を近づいてくる音が聞こえ、佐江は扉の方を見ると丁度、人影が入ってくるのが見えた。
「優子って……あれ? 宮澤じゃないか。 優子は?」
「あっ、学おはよう。 優子ならあたしが来た時から居ないよ」
「おはよう宮澤。 そうか。何処行ったんだ?……ところで宮澤、そんな事じゃあモテないぞ」
山本 学が休憩室に入ると優子は居らず、佐江が優子の座っていた席の隣でペットボトルを咥えながらこちらを見ていた。
優子の行き先が気になったが、先程までの様子を考えるとトイレなのだろうと思った。
それよりも佐江のペットボトルを咥えながら自分の質問に答える姿は、あまりにアイドルらしからぬ様子で思わず一言いってしまう。
“男前”そう昔からよく言われていたし、兄が2人居るためか振る舞いが男っぽいところがあるのは本人も理解していたし、そのことで傷ついたこともあった。
しかし、AKBに入りファンやメンバーからそれが自分の“個性”なのだと教えられたことで、今ではそれが“宮澤 佐江”なのだと胸を張って言えるようになった。
だから、学の言ったことも冗談で返すことができ、学もそのことを理解しているからこそ冗談として言えた。
「ぶぅ、学は私より女女している“麻里子”が好みだからでしょ?」
「おいっ、その件は勘弁してくれよ……」
そう言うと、お互いの顔を見合わせ笑い合う2人。
その光景は兄妹ようでさえあった。
AKBが出来てから7年の月日が、メンバー間のみならずマネージャーやスタッフも一つにし、家族のような関係を築き上げていた。
優子が学に対し兄のようだと思うように、佐江も学を兄のように慕っている。
学も優子と佐江が仲が良い事もあってか自然と話すようになり、いつしか優子のメンタル部分などの深い話をする仲になっていた。
それは優子が瑛士と交際していることを、佐江などに打ち明けていたことによるところも大きいが、優子と佐江を見ていると互いを信頼しているのが目に見えてわかり、佐江には優子の状況を伝えるべきだろうと日頃から学は考えていた。
勿論AKBのメンバーであり1人の女性でもある佐江に負担を強いることを本来避けるべきだと重々承知していた。
しかし優子が自分の事で誰にも相談せず限界まで我慢をしてしまうようなことがあった時、心から信頼できる身近な存在が必要となる。
それは学や他の男性には言えないことや身近でないと分からない、感じないことを佐江ならば優子にとって最善の方法で解決してくれるだろうと思ってのことだった。
そのため、今回のストーカー事件の顛末を佐江に話すことにした。
「ところで宮澤。 昨日は優子を励ましてくれてありがとうな」
「何、急に改まって。 優子のためなんだから当たり前じゃん」
急に真顔で学から礼を言われた佐江は、友人を助けるのは当然という思いと共に、何だか当たり前のことでお礼を言われたので恥ずかしくなった。
「いや、あれで優子はだいぶ気が楽になったはずだ。 改めてお礼を言うよ。 ありがとう」
そういうと頭を下げる学。
「ちょっ、だから、そういうのやめてって恥ずかしいよ」
一方、下げられた方の宮澤は慣れないことであたふたしながら、椅子から身を乗り出し学の行動を止めにはいる。
頭を上げた学は恥ずかしがる佐江に、昨日の夜から先程までの経緯と結果を報告した。
恥ずかしがっていた佐江も話題が優子のストーカー問題になると真剣な面持ちで聞いていた。
学はその話の中であえて優子が隼人に特別な感情を持っている可能性については触れなかった。
そこは優子自身が佐江に言うことだと思ったのだ。
「……という訳なんだ」
「そんな事があったんだ……グスっ良かった……グスっ」
「おい!? 何でそこで泣くんだよ」
学が話終わると、佐江は安堵の表情を浮かべたかと思うと目に一杯涙を浮かべ泣いてしまう。
泣くような事を言ったつもりのない学は困惑する。
「だって、グスっ解決したって言うから優子良かったなってヒグっ」
「だからって泣かなくても……ほらハンカチ」
学は女性の泣く基準がわからないと思いながらも、ポケットからハンカチを出すと佐江に差し出した。
佐江も「ありがとう」と言いながら受け取り涙を拭う。
「そう言えば優子遅いね……」
「……確かに、遅いかもしれないな」
涙を拭うと落ち着いたのか佐江が優子の戻りが遅いことに気付く。
学も佐江の言葉で腕時計の時間を確認すると、かれこれ10分以上は戻って来ていないことがわかった。
「何もないとは思うけど、念のため捜してくるよ」
「私も行くよ」
「宮澤はここに居てくれ。 もし俺が捜しに行っている間に、優子が戻って来たら携帯に連絡くれるか」
「うん、わかった」
学は佐江に留守番を頼むと休憩室を出て行った。
それと入れ違いに男性スタッフが休憩室に入って来た。
「あの宮澤さん、山本さん血相替えて走って行かれましたけど何かありました?」
「優子が暫く席に戻って来ないんで捜しに行ったんです」
男性スタッフに事情を説明すると思わぬ返事が返ってきた。
「そうなんですか……結構前なんですが大島さんが休憩室から走って出て行かれるのをみましたよ」
「どっちに行ったかわかります?」
「確か、非常階段の方に……何か思い詰めている感じでしたね……」
男性スタッフの言葉が本当ならば、優子に何かあったということは明らかだった。
「ありがとうございます」
佐江はスタッフにお礼を言うと部屋をでた。
“非常階段”そう聞いて行き先に見当がついていた。
優子が何かあったときに行く場所は一つ。
そう思うと佐江は非常階段を思い切り駆け上がる。
優子がもし“その場所”に居るとしたら、思い詰めていることがあるということだった。
まだ間に合う大丈夫と自分に言い聞かせ走った。
運動神経の良い佐江はあっという間に屋上へと続く踊り場まで駆け上がる。
ドアの前で荒くなった息を整えると、勢い良くノブを回す。
『ここに居て優子……』
そう思いながら屋上へ出ると、屋上には予想通り優子が居た。
「やっぱり、ここに居た……」
だが、優子がこちらに振り向くと、佐江の表情が曇った。
「優子どうしたの……」