『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』
第031話
発表会の時間へのカウントダウンが刻々と迫るなか、落ち着いた様子だった隼人にも焦りの色が見え始めていた。
隼人は今回の発表会に、ある端末メーカーのUIデザインの責任者として登壇しプレゼンテーションを行う予定となっていた。
その端末メーカーとしては、今回のUIデザイン一新を他メーカーとの差別化、延いてはグローバル戦略への布石ともなる重要ファクターとなるもので、期待値や話題性も高かった。
ただ、隼人にとってはその辺りの経営的事情よりも、プロジェクトに関わったメンバーの努力に報いたかった。
メーカーやデザイン会社という垣根を越え、役職や人種さえも異なる多くの人々が、UIという一つの物を作り上げるために協力し今日まで頑張ってきた。
それを自分が登壇出来ないために努力を無にする訳にはいかなかった。
そう思うと目の前にいる後藤に、何度も同じ質問をするのも悪いと思いながらも時間を尋ねずにはいられなかった。
「後藤さん、何度もすみません。 今何時ですか?」
「10時になったところだよ」
10時と聞くと後藤に眉を顰めるのを見せないように俯く。
発表会のリミットまで残り30分を切っていた。
「新城君、どんな状況なのか見てくるよ」
向かいの席に座る後藤には隼人の焦りが徐々に増していることが見て取れた。
それでも、周りへの配慮を忘れない隼人に感心する。
そんな彼に自分も出来ることはないかと考え、現状を確認するため立ち上がり部屋を出て行こうとする。
ガチャッ
すると取調室のドアが開き、前野が入ってくる。
「前野どうだ?」
「今手続きが終わり、正式に取り下げられました」
「そうか」
前野から被害届の取り下げ報告を聞いた後藤は胸を撫で下ろした。
前野は隼人の前へ歩み寄ると、自分が何者なのか名乗ると同時に報告を始めた。
「新城さん。 私は刑事課の前野と言います。 貴方へのかけられていたストーカーの疑いが晴れました。 そこで、これからの「前野さん」はい?」
「すみません。 時間が捺しているので、手短にお願いします」
「そ、そうですか。 では、こちらへどうぞ……」
前野が今回の経緯を説明していると途中で隼人が遮る。
有無を言わせない表情の隼人に気圧されたのか、前野は歩きながら説明することにした。
取調室をでた前野、隼人、後藤の3人。
前野は署内を先導しながら、今回の誤認逮捕についての被害届が正式に取り下げられたことや、別室にいる優子と面会をできることを説明した。
階段を下り、3人が辿り着いた場所は、優子達が朝最初に通された応接室だった。
「こちらになります」
前野はそういうとノックしドアを開け入っていった。
その後を続くように隼人達が入って行く。
部屋には既に3人の人物がいた。
隼人はソファに座る2人とは面識があったが、残る1人は知らない男性だった。
ソファに座る2人は、隼人が部屋に入るのを見ると、立ち上がり会釈してくる。
1人は男性で、昨夜自分を投げ飛ばした人物。
そしてもう1人の人物こそ、隼人が会いたいと待ち望んでいた女性だった。
隼人も会釈を返し、顔を上げると女性と視線が合った。
互いに昨日まで、それぞれ相手に異なる感情を持っていた。
女性は隼人に対し“恐怖”を、隼人は女性に対し“興味”と“過去の苦い経験”を掘り起こされるような気持ちになっていた。
それが今、見つめ合う2人の間に昨日まで感じていた感情の蟠りなどはなく、時が止まったかのように暫く見つめ合う隼人と女性。
相手の瞳を見つめていると自然と心臓の鼓動が早くなるのを感じ、戸惑いながらも惹かれ合い視線を外せない。
『何か言わなければ。何かしなければ』そう思う2人だったが何も出来ず時間だけ過ぎてゆく。
「コホンっ。 宜しいですかな?」
前野は2人の間に流れる不思議な空気を遮るように咳払いし、話を進めようとする。
「あっ、はい」
弾かれたように2人の視線が離れ、隼人は我に返ったように返事を返した。
前野は隼人に部屋に居る人間について紹介した。
扉付近に立ち、隼人とは面識のない若いスーツの男性は高峯という刑事。
先程から鋭い視線を自分に送って来ていて気になっていたが、まさか刑事とは思わなかった。
一応会釈をしたが、自分に向けられた視線に敵意があり、あまり関わると危険な気がし視線を合わせないようにした。
もう1人はソファに座っていた男性で、大島 優子のマネージャーをしているという山本 学。
前野から彼が大島 優子のマネージャーだと聞き、安堵したと同時に本気で怒りを露わにし問い詰められたし投げ飛ばされもしたが、あの行動は全て彼女を守ろうとする彼の気持ちの表れなんだと思うと納得できるような気がした。
そして、その学と並んで座り、自分と先程見つめ合った女性こそ“大島 優子”だった。
後藤から取り調べの際に“アイドル”だとは聞いていたが、改めて前野から彼女の素性を聞き隼人は驚いた。
彼女は隼人が“エーケービー”だと思っていたグループ“AKB48”のメンバ-だというのだ。
四年ぶりに日本に帰国し数ヶ月の間、朝から晩までプロジェクトで忙しい日々を送る隼人がアイドルグループを知る機会は少ない。
しかし、“AKB48”だけはオフィスで流れる有線や移動の車内のラジオなど、至るところで頻繁に耳にして知っていた。
途中、前野がAKBについて紹介をしていると、横から高峯が「日本のアイドルの頂点」「200人近い大所帯」「オリコンで常に1位」「大島 優子さんはセンター」など色々熱弁していたが、隼人の中で“凄いアイドル”だという事で落ち着いた。
そして高峯が“大島 優子のファン”で、敵意の理由も分かり苦笑した。
前野は一通りの紹介が終わると本題について話し始めた。
「新城さんをこちらにお通ししたのは、他でもありません。 まずは、十分な裏付け捜査を行わず逮捕に踏み切った我々警察からのお詫びを。 勿論、署長から直々にさせていただきます」
そこまでの話だと署長など上役に謝罪をさせるのだから誠意を示しているだろと言わんばかりの言葉に、隼人の口からは「はぁ……」と諦めに似た返事がでる。
後藤もそのやり取りを苦渋の表情で聞いていた。
隼人の微妙な返事を肯定と受け取った前野は話を続ける。
「それから、届けを出された事務所並びに、ご本人からもお詫びをしたいそうです。 いかがですか?」
前野がそこまで言うと、優子はソファーに座ったまま再び会釈する。
隼人は一瞬何か考えこんだようだったが、すぐに温和な表情になると落ち着いた語り口調で話し始めた。
「お話は良く分かりました……警察の方には今後、このような事がないよう再発防止をしていただく必要はあると私も思います。 ただ……」
ここまでで一呼吸置くと、優子に微笑みながら残りの言葉を言った。
「謝っていただく必要はないと思っています」
その一言に、その場に居た者達は耳を疑った――。