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『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』

第021話

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 都心から電車で30分の距離にベッドタウンがある。
駅は大きく周辺には大型のスーパーや家電量販店に加え学校や病院など、都心に出なくても生活に不自由しない規模を有し賑わっている。
そこから15分も歩けば駅周辺の喧騒が嘘のように閑静な住宅街と桜並木があり、そこを抜け少し小高い丘の上に高級マンション群が存在した。

 時刻は午後11時を過ぎた頃。
週末最終日の夜とあってか街を行き交う人の姿は多くはなく、歩く人も週末の遊び疲れか、あるいは明日から始まる一週間という現実に直面してなのか気怠そうな表情が目立った。

 そんな街行く人とは対照的に、何処となく嬉しそうな表情を浮かべ歩く男がいた。

『久しぶりに終電前に帰れたな』

 男はそんなことを考えながら駅から家へと帰宅の途についていた。
その手にはビジネスバックと、晩酌でするのか駅近くのスーパーで買ったワインとつまみの入ったビニール袋を片手に下げていた。
だが、男の表情は単に久しぶりに終電前に帰宅することができたことを喜ぶには大袈裟な程和やかだった。

 男の名は“新城 隼人”。
大学卒業後、外資系デザイン会社の日本支社に就職。
新入社員ながら顧客の要望の汲み取り方やデザインセンスを高く評価され、一年後アメリカ本社へ異動を命じられ、その後の四年間をアメリカで暮らすことになった。
そして今から半年前、日本支社へ上級アートディレクターとして戻ると、すぐに某大手電機メーカーの開発するスマートフォンのUIデザインプロジェクトの指揮を任されることになる。
プロジェクトは多忙を極め、ほんの数日前まで隼人は仕事に忙殺されていた。
それもプロジェクトが一段落した今、残されたのは数日後に行われるプレゼンテーションの発表のみとなっていた。
暫くはそのための原稿作りなど簡単な業務だけでとなり、日本に帰って来てようやくのんびりとできそうなことが隼人の表情を普段よりも緩ませていた。

 駅からしばらく歩くと段々と繁華街らしさは也を潜め住宅が多くなり、隼人の視界には“最後”のコンビニが見えてきた。
それは何処にでもあるようなコンビニエンスストアなのだが、この先の住宅街には桜並木があるなど景観に配慮した街作りをしているということもあってか、このコンビニを境に一切の店がなくなるので“最後”と隼人は呼んでいた。

『あっ、あの子……』

 そんな“最後”のコンビニから見覚えのある女性が出てくるのが見えた。
背丈は決して高いわけではないが、横顔を見ただけでもわかる整った顔立ちやスラッとした体型に栗色の綺麗な長い髪が印象的だった。
初めて会ったのは一月半ほど前、隼人の住むマンションに彼女が越してきた時のことだった。
偶々エントランスで彼女が落としたブレスレットを隼人が拾い、それを返した時に言葉を交わした程度の間柄だった。
だから当然の如く、彼女の名前も部屋番号も知らないし、きっと彼女の方も自分のことなど憶えてはいないだろうと隼人は思っていた。

 だが、どうしてかそんな彼女の存在が、隼人にとって悩みの種になっていた。
原因は彼女と初めて出会ったとき、屈託ない笑顔でお礼を言われことに始まる。
その時の笑顔が眩しく彼女に好意を抱くと同時に、彼女と4年前に別れた女性が重なるのを感じたからに他ならなかった。

 『会いたいけど会いたくない』そんな気持ちが隼人を支配し、たまに彼女を見かけても声をかけられずにいた。
今も目の前にいる彼女が自分を覚えている確証ないからと自分に言い聞かせ、結局は声もかけられず10メートル程度の距離をとって歩いていた。

『情けないな。 全く……』

 アメリカに住んでいた頃は思い立ったら即行動が基本だった。
周りにいた人間達も同様で、ビジネスから恋愛まで即断即決だった。
初めは『この人たちは考えているんだろうか?』そんな気持ちでいたが、4年もいると彼らと同じように即断即決とまではいかないまでも、物怖じしない性格になったつもりでいた。
だが、今こうして声も掛けられないままいる自分に、恋愛事に及び腰なのは変わらないなと隼人は思った。

「まだまだ未熟だね。 俺も……」

 自分の成長のなさに嘆きつつ、隼人は彼女と適度な距離を保ち歩いた。

「太陽が~♫」

『随分上機嫌だな。 それにしてもフラフラして大丈夫か?』

 鼻歌を歌いながらフラフラと歩く彼女が危なっかしいなと思いながら後ろを歩く。

『歌上手いんだな』

 足下は覚束ないのに何故か歌声はしっかりしていることに感心しつつ、彼女が口ずさむ歌に聞き覚えがあることに気づいた。

『オフィスの有線で流れてたっけな。 確か……エーケービーだっけ?』

 こちらに戻ってきてから仕事のあまりの忙しさに、テレビや音楽を楽しむ暇もなかった隼人にとってオフィスで流れる有線放送と新聞が情報源だった。
女性のグループということ以外は“エーケービー”という名前も放送で聞いただけで正式な名前すら知らなかった。
ただ、鼻歌を歌う彼女の声が、そのグループの1人に似ている気がしてしょうがなかった。

「届かないくらい♫……」

 突然鼻歌が聞こえなくなる。

「クスクス、あの女の人酔っ払ってるのかな?」

 隼人の脇を一組の若いカップルが彼女のことを言いながら通り過ぎたので、恥ずかしくて歌うことを止めたのだと思った。
しかし、段々と彼女の歩みが遅くなり2人の距離が近づき、後5メートル程の距離になったとき彼女が肩を震わせているのがわかった。

『どうしようか……』

 彼女の変化に驚きつつもどうするべきかを考え倦(あぐ)ねいていた。

「……駄目だ……」

『?』

 突然の行動に驚いてる隼人をよそに、彼女は何か言いながら頭を振って再び歩き出した。
先程とは異なり足早な彼女の歩みに2人の距離が段々広がっていく。

『もしかして、後ろにいる俺が原因?』

 彼女の様子から自分と距離をとろうとしているように感じた。
街灯があるとはいえ夜道に、それも静かな住宅街で後ろを気にするのも当然だろと思った隼人は、彼女の行動に合わせ自分は歩みを遅くする。
ところが、彼女はマンションの建つ高台へと続く坂の入り口辺りで転んでしまう。

「キャッ! つッ!」

『痛そうだな……大丈夫か?』

 隼人は彼女を心配するが、彼女は足早にマンションに向かっていってしまう。
彼女の転んだ場所まで来たとき足下になにか光るものを見つける隼人。

『あれ、これって確か……』

 拾ったそれは女性物の“ブレスレット”で少し温もりが残っていた。
隼人はブレスレットに見覚えがあった。

 それは彼女が越してきた日のこと。
エントランスで引っ越し業者と一緒に段ボールを運んでいる彼女と、出勤のため降りてきた隼人はすれ違った。
その時たまたま彼女のポケットから落ちたブレスレットと同じも物だった。

『ありがとうございます! 大事なものなので助かりました』

 返した時見せた彼女の屈託のない笑顔が隼人には眩しく、ブレスレットを大事そうに腕に着ける仕草が印象的だったので覚えていた。

『返さなきゃな』

 そう思った隼人が彼女を追い掛けようと視線を上げると、丁度振り返った彼女がこちらを見ていた。

『落としたことに気付いたのかな?』

 隼人がそう思い何か言おうとした瞬間のことだった、彼女が踵を返すようにマンションへと走りだした。

「ぇっ、ちょっと!」

 隼人は走り出す彼女を止めようと、ブレスレットを持った方の手を上げ声をかける。
すると彼女に聞こえたのか振り返ってくれた。

「あの、これ君の「助けて……」え?」

 隼人が『これ君のブレスレットだよね?』そう言い終える前に、彼女は助けを乞いながら再び走り出した。

『嘘だろ!』

 隼人は彼女の行動に唖然とした。
自分は危ない人物だと勘違いされたのだと。
一方、彼女は途中で手に持ったコンビニ袋を落とし、何度も転びそうになりながら隼人から逃れようと走っていた。
隼人は彼女の誤解を解こうと落ちていたコンビニ袋を拾いつつ彼女を追った。

「ちょっと待って!」

 隼人は何度か彼女に声を掛けたが声は届いておらず、むしろ追えば追うだけ逃げられてしまう。
彼女はもの凄い勢いでマンションに入って行き、隼人がマンションの前に着くと、エレベーターに乗り込む彼女の姿があった。

 扉が閉まる寸前に一瞬だけ彼女と目が合う。
恐怖で怯え、泣きそうな顔に隼人はショックを受けエレベーターを見送る。

『はぁ、これで次会った時も逃げられるんだろうか……』

 手に彼女のブレスレットとコンビニ袋を持ちながら、やるせない気持ちを感じたままマンションに入ってゆく。

「はぁ……」

 善かれと思い行動したにも関わらず結果最悪な事態になったこと、その相手が自分の好意を持つ相手だった事実が隼人にため息をつかせた。
肩を落としながらエレベーターホールまで来ると、彼女の乗ったエレベーターが8階に止まっていた。

『8階? まさか、同じフロアだったのか……』

 落とし物を返すこともできず、むしろ誤解されただけの形となり、楽しみにしていた晩酌もやめ眠ることにした。

『誤解解けるだろうか……』

 彼女の怯えた表情が頭から離れないまま眠りに落ちた――。


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