『勘違いから始まる恋』第二章『最悪な3日間』
第020話
「この部屋です。 どうぞお入りください」
前野は3階にある部屋に2人を通す。
そこは先程まで優子を見て驚いていたような署員の姿もなく、明るかった雰囲気は消え重々しい空気に包まれていた。
それは8つ見える扉が重々しい鉄製で、その脇に2人ずつ警察官が立っているからかもしれないと優子も学も同じことを考えていた。
奥から3番目の部屋に通されると大きな窓越しに男性が2人座っていた。
1人はスーツを着崩し調書になにやら書き込んでいるので刑事だろう。
そしてもう1人は昨晩現行犯で逮捕されたストーカーだった。
昨日と同じパーカーにジーンズ姿で座っていた。
窓越しに居るその男の姿を見て、学の後ろに隠れる優子を見て前野が言う。
「マジックミラーですからあちらからは見えません」
「そ、そうなんですか……」
安心しろと言われても目の前にいるのは事実で、おどおどしてしまう優子に「大丈夫だよ」と学が小さな声だが安心を与えてくれた。
それを見ている高峯は心中穏やかではない表情を浮かべているのを部屋に居た全員が知る由はなかった。
「では、大島さん、山本さん、ここからが本日お呼びした理由になります」
先程まで和やかだった前野は真剣な表情で2人に話し始めた。
「まず山本さん、昨日現行犯で我々に引き渡していただいた男性は、彼で間違いないですね?」
「……はい。 体格や服装も一緒なので本人だと思います」
「では、大島さん」
「は、はい……」
前野の質問に学は躊躇無く答えるが、優子は前野の真剣な表情に気押され返事に詰まる。
「貴女にストーキング行為をしていたのはあの男性ですか?」
「えっ……と……」
「大事なことですからよく見て判断してください」
「はい……」
念を押してくる前野に優子は男をじっくり見る。
改めて考えると優子が男を真剣に見たのはこれが初めてだった。
何も話さず伏し目がちで鼻や唇しか見えず、昨晩からずっといるからか髭が伸びかけていたり疲労の色が濃く見えてているのでお世辞にも良い印象とは言えなかった。
しかし、刑事が一言何か喋りかけたのか男が顔を上げ相手に何か話したとき、瞳が見え顔全体が露わになる。
『!?』
優子の胸が高鳴った。
年は優子と同じか少し上程度、黒髪でミディアムショートの髪型に整った眉や唇、鼻立ちなどは何処にでもいそうだと優子は感じたが、瞳を見た瞬間に優子の男に対しての印象が大きく変わった。
二重で大きく優しい目はとても印象的で疲労し憂いを帯びているが、その中に苛立ちなどは無くとても穏やかだった。
刑事が男と二言三言話し、部屋から出て行っても表情は変わらなかった。
『綺麗な瞳……』
優子は子役の時代を含め長く芸能界にいるからか、相手の瞳を見れば相手がどんな感情でいるか、自分をどう見ているのか等が十中八九分かってしまうようになった。
その彼女が見ても男の瞳に苛立ちや怒りなどの負の感情は微塵もなく、澄んだガラスのような透明感のある瞳をしている。
『もっと近くで見たい』
高鳴る胸の鼓動が大きくなり優子はマジックミラーに吸い寄せられるように近づいた。
「優子?」
先程まで怯えていた優子の表情が突然変わり、ミラーに近づいたことが不思議で学が声をかけるが、優子はこっちを見ずに「平気だから」と一言いうばかりだった。
マジックミラー越しでは刑事が手に飲み物をもって戻って来た。
2人は一言二言会話し、男は出された飲み物を口にする。
瞳に活力が戻るのが分かった。
その瞳を優子は何処かで見たことがあった。
『思い出せない……』
何処かでこの人と会ったことがあるのに思い出せないのがもどかしかった。
彼がストーカーであるとかどうでもよく、とにかく彼に会った時のことを思い出そうと記憶をたどっていた。
「大島さん、どうですかな?」
前野は先程から凝視するも中々答えようとしない優子の行動に苛立ったのか返答を求めてきた。
「すみません。 もう少し……」
優子はそれさえも彼を凝視したまま答えるのみであった。
正直、優子は彼のことを思い出せないことに内心苛立ちを憶え、前野の言葉など耳に入ってなどいなかった。
『何処かで会ったことあったはず……』
その時、彼がパーカーのポケットから“何か”を取り出し見つめているのが見えた。
キラリと光る“それ”を見た瞬間、彼と以前に会った時のことを思い出した優子の口からは思わぬ言葉が漏れた。
「彼は……ストーカーなんかじゃありません……」