『世界がいくつあったとしても』
第6話:「嵐の置き土産」
不意に後ろの様子が気になった七瀬は、チラリと奈々未たちを見た。
すると、そこに思いがけない光景が目に入る。
なんと、隼人が何か紙切れの様な物を、奈々未に差し出しているところであったのだ。
『えっ、何してるん?』
まるで、それはラブレターを渡す青春の1ページを彷彿とさせ、七瀬は突然目の前で始まった光景に目を疑った。
しかも、奈々未は暫く考え込むようにしていたかと思うと、それを微笑みながら受け取ったのだから、七瀬の心中は穏やかではない。
『ななみん、何受けとってるん!?』
それもそのはず、突然、奈々未の元から連れ去られ困惑する七瀬に対し、圭子が「隼人の推しメンは“西野”さんなんですよ」と耳打ちするように告げていたからだ。
その話を聞かされ、七瀬も隼人の存在が気になっていたから、素直に嬉しいと感じ無意識に笑みが零れた。
困った様な表情をしていた七瀬が、隼人の話題をだした途端、笑顔に変わるのを見て、満更でもないことを知った圭子は、エピソードを聞かせ始めた。
彼の名は“新城 隼人”。
高校3年生であり東京に生まれ、小学校の頃北海道に移り住み、そこで圭子と出会う。
それ以降は現在まで奈々未の故郷と同じ、旭川で生活をしているという。
隼人が七瀬を知ったのは、乃木坂が初めてリリースしたシングル“ぐるぐるカーテン”が世に出た時のこと。
AKBが全盛で、それほど乃木坂は注目されておらず、メディアの扱いも小さかった。
現在とは違い、当時の乃木坂メンバーにはギャル風な出で立ちだった者が多く、七瀬もその一人であった。
しかも、その当時の七瀬は美人ではあったが今ほど注目を浴びるメンバーではなく、同シングルでも3列目選抜ギリギリという位置にいた。
そんな七瀬の姿を、隼人は圭子と共に見ていた音楽雑誌の小さな記事の中から見つけ「可愛い」と言い出したのが始まりだった。
隼人はそれまで、アイドルのみならず女優やグラビアを見てもそんな発言をしたことがなかった。
だから、同じくアイドルに興味のなかった圭子からすれば、同級生にも似た感じの娘が居るから“何が違うの?”と疑問に思っていたらしい。
しかも“生駒 里奈”や“生田 絵梨花”など七福神メンバーならまだしも、口下手で表情の乏しかった七瀬を選ぶ者は、周囲のアイドル好きな者でも当時は殆ど居らず不思議がられていた。
『……』
そこまでを七瀬は複雑な心境で聞いていた。
隼人は自分が注目される以前からファンだったことは嬉しい事実だったが、同時に自分のファンであると言うだけで不思議がられてしまったことに、小さなショックを受けていた。
七瀬の表情が悲しみに包まれていくのを見ていた圭子だったが、何だか嬉しそうな様子でそのまま話を続けていく。
「でも、そんな風に周囲から言われているのに、隼人は平然としていたんですよ。 何でだか分かります?」
「ううん……」
「あれはちょっとカッコ良かったなぁ~。 西野さんに聞かせたかったです。 それで話は変わるんですがじつ「えっ・・・」どうしました?」
「いや、何て言うたんかなって……」
「気になります?」
「……うん」
「ふふ、内緒です」
「なんで?」
「こういうのは、本人から聞くから良いんですよ~」
「そんなん……」
“できるわけないやん”と、七瀬は誰にも聞こえない小さな声で呟く。
核心に迫る所をはぐらかされ、違う意味で悲しそうな表情をする七瀬を尻目に、圭子は他の話題を話し始めた。
内容はと言うと、CDを全部持っていて七瀬の写っているジャケットがお気に入りだとか、コンサートでは普段出さないような大きな声で声援を送っていたとか、他にも多数のエピソードが語られた。
どれも一つ一つは他愛のないものばかりだったが、エピソードはどれも隼人の人となりが窺えるもので、七瀬を思う気持ちで溢れていた。
七瀬は、それを聞いている内、いつの間にか落ち込んでいた気分が吹き飛んでいた。
「あっ、それで今日なんですけど、これから西野さんたちのでるMス、あっ……」
ところが、圭子が話途中で七瀬の背中越し、隼人たちの方を気にする素振りを見せるから、七瀬もその様子が気になり、つられるように振り返ったことで状況は一変する。
そこで、隼人が奈々未に紙を渡すところを、目撃することとなったのだった。
このような状況で紙を手渡す理由などそう多くなく、それどころか七瀬には隼人が連絡先を奈々未に教える位しか思い付かなかった。
「……」
目の前で行われている光景に、七瀬は“裏切られた”そんな感情が心の底から込み上げ、消えた筈の悲しみも再び蘇るのを感じた。
今の今まで、隼人は自分のファンなんだと言い聞かされていたのだから、実際目にした光景がこれでは“負”の感情を抱くことは、ごく自然と言えるかもしれない。
ところが、七瀬の場合、嘘を吐かれたなどという負の感情どころではなく“裏切られた”と感じたのだ。
確かに、聞かされていたことと、目の前で起こっていることにかなりのギャップを感じてはいた。
ただ、それ自体は悲しいと思うことではあっても、交際しているわけでも、況してや初対面の相手に対し“裏切られた”などと、感じるようなことではない。
それなのに自分の内に広がる感情は、まるで恋人に対する“嫉妬心”そのものであり、何故そのように感じてしまうのか七瀬自身些か不思議でならなかった。
『なんでや……』
突然、降って湧いたような出処も矛先さえも不明瞭な感情は七瀬を戸惑わせ、唯一出来る事と言えば、元凶であるその光景を見ないよう視線を逸らすことだけだった。
目を逸らすもののモヤモヤが消える訳もなく、寧ろ見えていない分余計な事を考える隙が生まれ、胸を焦がすような切ない気持ちに結局耐えきれなくなった七瀬は直ぐさま顔を上げた。
上げた先には、自分とは真逆の何だか嬉しそうな表情をする圭子の顔があった。
他の女性に連絡先を渡している光景を嬉しそうに見られる、圭子の心情の出処が理解できない七瀬は、自分の時とは違う意味で戸惑いを感じた。
すると、こちらに気付いた圭子が、こちらを見てニコリと微笑むと口を開く。
「
…………………………
……………………
………………
…………
……
初めこそ“西野 七瀬”を『可愛い』という隼人に驚きを感じた圭子であったが、アイドルを好きになるなど思春期特有の一過性のもので、直ぐに違うことに目移りするだろうと高を括っていた。
だから「何処がいいの? 他にも前の方で踊ってる子の方が、可愛い子いるよ?」などと、その時はまだ冗談交じりに言うことができていた。
ところが、半年が過ぎ、一年が過ぎても、隼人はCDが発売されれば必ず購入していたし、七瀬の話題を嬉しそうに話す様子は相変わらずだった。
とは言え、沢山CDを買う訳でも、壁にポスターが貼られていることや七瀬のことで過剰な反応を見せることもない。
隼人の日常の中に、ごく自然に七瀬が溶け込んでいた。
「何処がそんなに好きなの?」
そんなある日、圭子が聞くと、隼人は照れたように、はにかんでこう言った。
「何処って言われると……正直よく分からない。 でも、一日を終える前、最後に思い出すのが西野さんの顔なんだ……はは、変だよね相手はアイドルなのに……」
そう言って、隼人は自虐気味な笑みを浮かべ頭を掻く。
ところが、隼人の表情は言葉とは裏腹に、まるで遠距離恋愛中の相手を想っているかのように圭子には見えた。
ネットが普及し芸能界の裏事情を、身近ではない一般の人間が簡単に知ることのできる現代社会。
ファンを食い物にしているような“拝金主義的”なCDの売り方であったり、それでも応援する人々の異常とも思える熱狂的言動など、アイドルファンではない圭子でさえ様々な情報を知り得ていた。
情報の真意というものを実際に確かめた訳でもなかったが、そのような情報がまことしやかに流れてくるアイドルという存在に、圭子は嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
それだというのに、少なからず“異性として意識していた”隼人が、身近に居る自分よりも訳の分からないアイドルを選んだことに嫉妬心が芽生え、それまで我慢していた想いが思わぬ言葉となって口を吐いて出てしまった。
「あんなの何処がそんなに良いのか、私にはさっぱり理解できない……」
圭子の口から出た言葉は残酷で、隼人の七瀬への想いを真っ向から否定するものだった。
嫉妬心から出てしまったとはいえ、口にしてから自分の言葉に深い後悔を感じた圭子は、顔色を窺うように隼人の顔を見る。
ムッとしたり、怒ったり、それ以上の表情をも想像していたが、その意に反し隼人は苦笑を浮かべていた。
「俺自身、好きな理由が明確じゃないから、圭子が何を言っても反論できない……けどさ」
そこまで言って、隼人は少し考えるように目を伏せた。
そして、再び視線を上げると先程まで苦笑の表情は何処にもなかった。
「もう少しだけ、彼女たちの姿をちゃんと見てみて……」
怒りも、苛立ちも、どの負の感情も持ち合わせていない、唯々優しく圭子に話す隼人がいた。
…………………………
……………………
………………
…………
……
月日は流れ、純粋な想いをまざまざと見せられ圭子は紆余曲折ありはしたが、今では隼人の最大の理解者となっていた。
それは、隼人の言葉に従いアイドルという存在を知るうち、乃木坂46のメンバーの中に“橋本 奈々未”という圭子にとっての“想い人”たる推しメンを見つけたのが切っ掛けだった。
奈々未を通しアイドルという存在を色眼鏡なしで見られるようになったことで、それまで偏見の対象で2人を隔てる壁だったものが、圭子と隼人にとって“共通項”へと変わっていった。
こうして、それまで以上に2人は行動を共にするようになり、圭子は隼人の“純粋な想い”を傍らで見続けてきたのだ。
だから、今日この日、この時に、隼人と七瀬が出会ったのは、一途に持ち続けた“想い”が引き寄せた“奇蹟”以外の何ものでもなかった。
しかも、七瀬の視線が不思議な程に、隼人に向けられていることもあって、これは絶好のチャンスだと圭子は感じていた。
ところが肝心な時に、隼人はあろう事か七瀬の前で奈々未に連絡先を渡しているではないか。
それを見て圭子は何をしているんだと止め、七瀬に対しフォローすることが、最善策だったかも知れない。
それでも、圭子は止められなかった。
何故なら、隼人のしていることが、自分が彼のためにしようとしていたことと正に同じだったからだった。
隼人の性格を良く知る圭子だからこそ、その行動の意味するところに気付き、彼の自分への気遣いが嬉しく止められないばかりか、あまりの実直さに良い意味で苦笑せずにはいられなかった。
『こっそり渡すとかあるでしょ……でも、ありがとう、隼人』
一方、圭子の心情とは裏腹に、七瀬側はそんな事情を知る訳もなく見たままの意味で受け取るしかなく、背けていた顔を再び上げた表情は先程と打って変わり、切なく悲しみに満ちたものとなっていた。
『二人って会うの初めてなの?……』
隼人の言動一つで一喜一憂する七瀬の様子はまるで、以前に隼人へ感じた“遠距離恋愛の相手”を見ている様と重なり、圭子は二人が初対面ではないように感じていた。
とは言え圭子の知る限り、ライブで見かけたことはあっても、一度も言葉を交わすことは疎か、名前知ることすらなかったはずの2人。
だが、2人の間に流れる空気は恋人同士のそれであり、圭子から見てもしっくりくるというか、昔から知っていたような錯覚を覚えた。
だからだろうか、このまま2人が誤解したまま終わって欲しくなく、自然と言葉がでていた。
「
圭子の口から出たのは事実だけを伝えるあまりにストレートな言葉だった。
そんな言葉で初対面の相手が信用するとは考えられないが、圭子は七瀬相手なら言い訳を必要としないような気がしていた。
「……そうなんや」
案の定、その言葉を聞いた七瀬は、小さく呟きホッとしたような安堵の表情を見せる。
圭子が七瀬相手なら言い訳を必要としないと感じたように、七瀬も何故か圭子の言葉に嘘はないような気がしていた。
この時、その場にいる者たちは誰も気付くことはなかったが、不思議とお互いが初対面であることなど忘れていた。
「
「うん」
だからだろうか、圭子の言葉に嘘などないと受け入れられ、七瀬は素直に頷くことができたし、さっきまでの切なく胸を焦がすような気持ちが消えていた。
「だから、橋本さんにはこういう風にして渡したんだと思います」
そう言うと、圭子は自分のバックからメモを取り出すと、そこにサラサラと何か書くと、そのページを破り七瀬に差し出した。
「ここに
「あっ……」
「勝手なお願いなのは重々承知です。 無理だったら捨ててもらっていいので! 貰うだけでもお願いします!!」
「う、うん……」
圭子は深々と頭を下げ、再び両手でメモを差し出してくる。
一連の圭子の行動はまるで先程、隼人が奈々未にしていたことと同じだったから、あの時起こったことに対し納得することができた。
そして、こうまでされ受け取らないのは、いけないことのように思え、奈々未と同じように紙を受け取っていた。
「ありがとうございます! それじゃあ!」
「ぁっ……」
七瀬が紙を受け取ると、圭子は満面の笑みで一言お礼を述べると、有無を言わせないという風に踵を返し奈々未たちの所へ足早に行ってしまう。
そして、圭子は奈々未と握手しながら一言交わすと、隼人を連れ、去って行ってしまった。
去り際、隼人と目が合い両手を合わせ“すみません”と苦笑しながら引っ張られていく彼に、七瀬も苦笑を返すのがやっとで、結局あっと言う間に2人の姿は見えなくなっていた。
「行ってもうた……」
「なんだか、嵐みたいだったね。 あの子たち」
「……うん」
七瀬がポカンとしていると、同じように一人になった奈々未が、苦笑しながら近付いてきた。
言うだけ言い紙を握らせ去って行った2人を、七瀬たちはまるで嵐が過ぎ去った後のような感覚を感じながら見送った。
暫くし我に返った奈々未が時計を見ると、集合の時間が差し迫っていた。
「……あっ、やばい! 七瀬、早く行かなきゃ!」
「うそ、ホンマや!」
駆け出す奈々未の声に弾かれ、七瀬もまた彼女の背中を追うようにテレビ朝日を目指し駆け出す。
その手に嵐が残した置き土産を手にしたまま――。