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『世界がいくつあったとしても』

第3話:「まじめかっ!」

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ウィーン

 SonyMusic乃木坂オフィス正面玄関の自動ドアのガラス戸が左右にスライドし、建物内から2人の女性が出て来た。

 年の頃は二人とも20代前半といったところ。

「久しぶりになまらサイン書いた気がする。 すっごい手疲れた。 七瀬は?」

 そう言いながら手首を摩るのは、綺麗に整ったブラウンのショートカットに垂れ目と程よいあひる口が特徴的で、背が高めだからか、そこはかとなく姉のような雰囲気を持った女性。

「ななも久しぶりやった。 これやったら握手で立ってた方が楽やわ」

 そう言って軽く伸びをするのは、もう一人の女性。
長く美しい黒髪とキリッとした目元に、笑うと少し大き目な整った歯が眩しく零れる口元が特徴の、一人目の女性とは対照的に妹のような雰囲気を持っていた。

「えぇー、毎回何話したらいいか迷わない? 私はいっつも考えちゃうな」

「ななみんでもそんなことあるんや? まぁ、ななは今日の方がドキドキやけど」

「ん? なんで?」

「だって、Mステやよ? それもスーパーライブやよ? ななみん緊張せぇへんの?」

「あぁ、それね。 でも、普段だってライブやってるんだから大丈夫っしょ」

「うぅ、そうやけど。 私たちのことを見に来てくれている人たちだけやないやん」

「まっ、でも、ななせは“aiko”さん出るから嬉しいでしょ?」

「それは、そうやけど」

 二人は階段を楽しそうに話ながら降りてくる。
降りてくると彼女たちは、隼人や圭子の存在を気にする様子もなく、そのまま会話に花を咲かせながら前を通り過ぎていく。
そんな二人を隼人と圭子は、通り過ぎたのは疎か角を曲がり背中が見えなくなるまで、固まったように一歩も動かないまま彼女たちを見送っていた。

「……隼人」

「う、うん。 今のって、もしかして……」

「「橋本さん(ななみん)と、西野(なぁちゃん)さん!?」」

 彼女たちの背中が角に消えると、それが合図だったかのように、隼人と圭子は顔を見合わせ驚きの声を上げた。
どうやら隼人たちは“動かなかった”のではなく、驚きのあまり“動けなかった”のが正解だったようだ。

 それもそのはず、ショートカットで姉のような雰囲気を持つ女性は“乃木坂46”のメンバー“橋本 奈々未”で、もう一人の髪が長く妹を思わせる女性は“西野 七瀬”だったのだ。
二人とも同グループを牽引する中心メンバーで人気も高く、ファンである二人からしてみれば驚くのは当然だった。
しかも、奈々未は近々卒業することを発表し芸能界も同時に引退することになっているため、乃木坂メンバーとしても芸能人としても、彼女の貴重な姿を見たことになる。

「圭子すごい。 本当に本物でてきたよ……」

「えっ、驚くのそっち!? それよりも、今の“なぁちゃん”だよ? 声かけなくて良かったの?」

「だって……いきなり声掛けたら失礼じゃないか」

「まじめかっ!」

 だが、隼人の口からでた言葉は、何処かズレていて思わずツッコミをいれる圭子。

 それに対し隼人は「えー」っと戯けて見せながらも、視線は既に姿のない彼女たちの消えた角に注がれていた。

『めっちゃ気になってんじゃん』

 自分の相手をしつつ視線はしっかりそちらを見ている隼人の様子に、圭子は再び心の中でツッコミをいれる。
ツッコミをいれながら隼人らしい言動に圭子は苦笑する。

 何故なら“西野 七瀬”は隼人の推しメンなのだ。
目の前、それも触れられる程の距離に居たのだから、本当は嬉しくて声を掛けたいと思っていたはず。

 それは彼女たちの消えた角を見続ける様子が物語っていたし、圭子自身推しメンである“橋本 奈々未”の姿に同じ気持ちを抱いていた。
同じファンとして、 そして何より幼馴染みとして、圭子はどれだけ隼人が乃木坂ファンなのかを一番理解していて、迷惑と言いつつ内心追いかけたい気持ちで一杯なことは容易に想像がついていた。
それでも隼人が彼女たちを追いかけないのは、彼が他人の気持ちを尊重できる優しい男性ひとだからなのだと、圭子はこれまでの人生の中で幾度となく身を以って感じていた。

『隼人は我慢なんてしなくていいのに。 しょうがないな』

 そうやって真面目というか、隼人が相手を気遣うあまり自己犠牲ばかりなっていたことを、近くで見てきた圭子は今度は彼の幸せを願い、自分が背中を押すことにした。

「私、ななみんと話したい! いこ隼人!」

「えっ、ちょっ、圭子。 駄目だって」

 圭子は隼人の注意の声を無視するように、彼女たちが消えた方へと駆け出した――。


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