『世界がいくつあったとしても』誕生記念:第一弾
25th -中編-
♬♩♪~
「――テトラポット登っててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう♬」
“西野 七瀬”の歌声がアップテンポなメロディに載り、小さな部屋の中に響き渡る。
ここは街でよく見掛ける青と赤の看板が目印のカラオケ店。
8人ほどが入れるほどの広さの一室には、マイク片手に唄う七瀬を筆頭に、“斉藤 優里” “伊藤 かりん” “伊藤 純奈” “川後 陽菜”のスイカメンバー達がいた。
それまでインスタ映えのする飲み物片手にウインドウショッピングをしたり、ランチしながら女子トークを繰り広げていたスイカのメンバー一同。
話している内、卒業メンバーが多くなり一緒に唄う機会が減ったねという話題になり、折角集まったのだからとこうしてカラオケに訪れると、かれこれ数時間歌に興じていた。
♫♬♩~
「――あなたがあたしの頬にほおずりすると♪」
♬♩♪~
普段、大声を出すことのそう多くない七瀬だが、気の知れたメンバーとのカラオケとあって楽しそうに歌声を披露していた。
特に、今唄っているものはaikoの代表曲で、彼女のファンである七瀬のお気に入りの一曲とあって、今日一番の笑顔を見せていた。
だが、理由はそれだけでなく、恋する乙女心を綴った歌詞の中に登場する“あなた”を、隼人を思い浮かべながら唄っているからだというのは、この場に居合わせるメンバーには内緒であった。
♫♬♩~
「――ふたりの時間は止まる♪ ん~ん好きよボーイフレンド~♬」
♬♩♪~
「おぉ~、なんかいつにも増して、にゃーが可愛く見えた」
「わかる。 恋する乙女って感じ」
「じょ、女優志望やからな」
それまで部屋に響いていた七瀬の歌声が、スイカメンバー達の拍手に代わる。
かりんと陽菜がパチパチと拍手しながら感想を漏らすと、隼人を思い浮かべていたことを見透かされたようで咄嗟に下手な言い訳をする七瀬。
「ほんとかな~、実は彼氏いるんじゃないの七瀬?」
「そうそう、“あなた”ってとこ、誰かを思い浮かべていたようにしか聞こえなかった」
「そ、そんな訳あるわけないやろ」
「白状し――」
プルル……プルル……プルル――
七瀬の言い訳に、優里と純奈が意地悪な笑みを浮かべ訝しむ。
卒業し恋愛が解禁された段階で、隼人という“彼氏”がいることをスイカメンバーに伝えれば良かったのだが、そのタイミングを逃してしまった七瀬。
今更、彼女たちへ打ち明けることも出来ず、それでいて動揺のせいか七瀬は歯切れの悪い返答しかできないでいた。
そんな七瀬に優里の追及が再び始まろうとしたその時、扉付近の壁に備え付けられたインターホンが鳴った。
タイミングの良さと、座っていたのが扉に一番近かった優里は、言い掛けた言葉を飲み込むと受話器を取った。
「……あっ、延長はなしで……はい、分かりました」
チラリと腕時計を見た優里は、電話越しの相手にそう言うと受話器を再び壁に戻した。
「時間だって。 さっ、みんな帰るよぉ~」
優里はそう言うと、そそくさと扉付近に置かれていた自分の荷物を纏め始めた。
「「「りょうかーい」」」
七瀬を除く3人も、彼女の言葉に素直に従い片付けを始める。
誰も延長を申し出ないこと、特に普段であればマイクを離さない陽菜までが、素直に言う事を聞いていることに驚き、思わず腕時計を見る七瀬。
時間は4時を少し過ぎた辺り。
6時に帰宅すれば良いことになっていたから、折角の誕生日とあってもう少し遊びたい気分の七瀬は、殆ど帰り支度の終えていた4人に声を掛けた。
「もう帰るん? まだ、早いやろ……」
すると、優里はまるで想定済みと言うように、間髪容れず七瀬の問いに答える。
「でも、明日はあたしらライブあるしさ」
「……そうやな」
“仕事だから”と言われてしまえば、駄々をこねる程子供ではない七瀬は引き下がるほかなく、自分も帰り支度を始めた。
「今日は楽しかったね。 じゃあ、かいさーん」
「「「じゃあねー」」」
「あっ……うん……」
会計を済ませたスイカの面々はカラオケ店を出ると、優里のこの一言によってあっさりと解散しようとしていた。
普段であれば誰かしらが何処かに寄っていこうと誘ってくるものなのだが、今日に限ってはそんなこともないまま、七瀬を除く4人はそれぞれ帰宅の途へと着こうとしていた。
折角の誕生日だというのに普段よりも随分とあっさりした別れに、七瀬は落胆の表情を浮かべその場で彼女たちの背中を見送っていた。
七瀬は卒業したらこんなに疎遠になるものなのかと落ち込む気持ちと同時に、どうしても今日にしたいと優里たちが言ったから空けたというのにという苛立ちにも似た感情を感じていた。
「あっ」
すると、優里が何かを思い出したように声を上げ振り向くのが見えた。
優里がこちらを向いたから、てっきり自分に何かを言おうとしているのだと手を挙げかける七瀬。
「純奈、明日は頑張ろ」
「うん、頑張ろう〜」
ところが、優里が手を振った相手は、七瀬を挟み逆を歩いていた純奈で、彼女もまた優里に手を振り返していた。
去る者とそれを送り出す者、異なる立場を越え同じコンサートに挑む2人のやり取りは、独特の雰囲気をその場に作っていた。
『……』
自分を飛び越えて深まるメンバー同士のやり取りに、改めて自分が卒業し乃木坂にとってはもう部外者なのだと実感した七瀬。
挙げ掛かっていた手がだらんと下がり、2人がその場を去るまで俯きながら立ち尽くしていた。
だから、どことなく足早に去って行くスイカメンバーたちの姿など、七瀬の視界には入っていなかった。
『なんなん一体……』
“自分の誕生日なのだから”そんな自分中心の考えを、七瀬が心の何処かに持っていた事は、紛れもない事実。
それが今こうしてあっさりと1人取り残される状況になり、明日ライブがあるという事実を理解しつつも、七瀬の内で不満を含む感情の方が大きくなっていた。
ブッブッー、ブッブッー――
すると、バッグの中で七瀬のスマートフォンが震えだすと止むことはなく、それが電話であることを教えていた。
バッグから取り出したスマートフォンの画面には“飯豊 まりえ”と表示されていた。
「……もしもし」
「もし……どうしたの、そのテンション!?」
七瀬が低いテンションで何処かぶっきらぼうな様子のまま電話に出たせいで、掛けてきた“まりえ”は驚きの声を上げた。
ドラマ“電影少女”で共演してから公私共に仲良くなり、遊びに行ったりご飯に行ったりする間柄の2人。
七瀬にとって心許せる数少ない友人であり、感情をストレートにぶつけられる相手だということもあってか包み隠さないまま電話に出ていた。
「……なんでもあらへんよ。 まりえこそ、どうしたん?」
「あー、うん。 今日はなぁちゃんの誕生日だからさ……」
七瀬が頑固な面を持つことを知るまりえは、理由を無理に聞こうとはせず本題に入った。
「誕生日おめでとう、なぁちゃん――」
………………
…………
……
「――だったんやで。 ほんま酷いと思わん?」
「あー、そうだね……」
先程までのぶっきらぼうな様子とは打って変わり、七瀬は前のめり気味で目の前のまりえに喋り続けていた。
普段は感情を抑え気味な七瀬が口を尖らせ話すのを見て、余程不満が溜まっているなと考えながら、まりえは何度目かの相打ちを打っていた。
今2人が居るのは、七瀬の居たカラオケ店から少しの場所にある一軒のカフェ。
電話をよこしたまりえが“偶然”近くにいることが分かり、七瀬の電話口の様子を気にした彼女たっての希望で会うこととなった2人。
まりえが待ち合わせ場所に着くと、七瀬が負のオーラを纏わせ立っていた。
マスクや眼鏡で変装し表情があまり見えないというのに、漂うオーラで七瀬の感情が読み取れてしまったまりえは、彼女をそのままにしておく訳にもいかず恐る恐る声を掛けた。
すると、待ってましたとばかりに七瀬は「なぁ、聞いてやまりえ――」と、2人共芸能人である事などお構いなく話始めようとするではないか。
驚く暇もなく、まりえは彼女の手を引くと、急ぎ何処か落ち着いて話せる場所へ連れていかなければとなり、今こうしてカフェに居るのであった。
「そう思うやろ?」
「う、うん」
「はぁ、なんでこうなるんやろ……」
注文を済ませ、それが運ばれてきても、七瀬のマシンガントークは止む気配を見せない。
まりえが何度目かと数えるのを諦めるほど相槌を打った頃、七瀬が溜息交じりの言葉を吐き出し、そして静かになった。
ようやくそこで言いたいことを言い終えたのか、七瀬は氷の溶けかけたアイスカフェオレに口を付けると、一息ついたように深々と椅子に座り直した。
その一方、七瀬のトークの勢いに飲まれ、相槌ばかり打っていたまりえが目の前のアイスティーに口を付ける頃には、既にグラスの氷は溶けきっていた。
人間言いたいことを言ってしまえば落ち着くもので、グラスを置き一息吐いた七瀬から漂うオーラは大分和らいでいるのを感じたまりえ。
ブッブッー
すると、テーブルの上に置いていたまりえのスマートフォンが短く震え止まる。
まりえは、それを取ると指をすべらせロックを解除する。
画面にはLINEとその内容が表示され、それを確認したまりえは七瀬に視線を移すと済まなさそうな表情を浮かべた。
「なぁちゃん、悪いんだけど、この後予定があって、そろそろ私帰るね」
そう言うと、まりえは財布を出すとお札一枚をテーブルに置き、両の手を合わせ“ごめんね”という風にしながら店を出て行った。
「えっ?」
風のように七瀬の前から消えたまりえ。
事態を理解できないまま、再び取り残された七瀬は、困惑するしかなかった。
「今日はなんなん?」
今日会ったみんながみんな、誕生日をさわりだけ祝うとサッと消えていく。
心から祝われていないように感じ、先程までなら苛立ちを感じていた心も、今は一抹の寂しさに変わっていた。
ブッブッー
今度は七瀬のスマートフォンが短く震えた。
脳裏には先程去ったまりえからだろうかと淡い期待をしながら、ロックを解除し通知を見る七瀬。
「は?」
通知は隼人からきたLINEで、そこに表示された文章に七瀬は自分の目を疑った。
“帰りで良いんだけど、いつものスーパーでワイン買ってきてもらえるかな”
普段であれば、この程度の買い物など何とも思わない。
だが、今日は七瀬自身の誕生日である。
買って帰るワインも、きっと今日のディナーで自分が飲むものだろう。
何が悲しくて自分の誕生日ディナーのワインを、自分で選ばなければならないのか。
それに“赤”なのか“白”なのかも書かれていない。
いつもならば隼人が料理に合わせて飲むワインも決めてくれていた。
それが今日に限っては何となく投げやりな印象を受け、先程まで七瀬の内で寂しさへとシフトしていた感情が、再び苛立ちへと立ち戻っていた。
“わかった”
スタンプも使わず、その至極短い一文を送ると、七瀬はさっさと会計を済ませ店を出た。
ムワっとし日本特有の纏わり付く外気が、七瀬の感情を更に逆撫でする。
伊達眼鏡こそすれど、マスクで隠されていない口元に笑みはなく、くっと結ばれていた。
歩くこと数分、見る人が見れば誰なのか分かる姿であったものの、幸いなことに誰にも声を掛けられることもなく車通りの多い大きな道路へと出ることができた七瀬。
程なくし一台のタクシーを捕まえると、その場を後にした。
………………
…………
……
タクシーに乗った七瀬は、自宅から一番近くいつも利用するスーパー“成城石井”で車を停めて貰うと、店内にあるワインの棚の前に来ていた。
大量に並ぶワイン棚を見る七瀬の視線は、物を選ぶようなものではなく、怒気が含まれていた。
流石に芸能活動する身である七瀬だからマスクこそ付けていたが、周囲を気にする素振りすらみせず適当に目に付いたワインを選ぶと会計を済ませ、あっと言う間に帰路についていた。
足音を敢えて表現するならば、“ドスドス”となりそうな勢いで、帰り道を歩く七瀬。
友人たちのみならず、恋人にまで大事にされていないと感じ、遣り場のない感情がそうさせていた。
それはまりえにぶちまけた比ではない程に、大きい不満となり七瀬の内で膨れ上がっている。
ブッブッー
画面には“あとどれくらいで家に着くかな?”という、隼人からのLINEが届く。
『隼人なんて知らん』
それを見て不機嫌度が増すばかりの七瀬は、呑気に感じる恋人からのLINEに返信せず歩き続けた。
ブッブッー、ブッブッー――
暫くし、自宅マンションのエントランスに着く頃、スマートフォンが再び震え、今度は電話であることを告げていた。
暫くは無視していたが、オートロックを解除しエレベーターに乗っている最中は疎か、部屋へ続く内廊下を歩いていても止むことがなかった。
苛立ち度の頂点を超えた七瀬は部屋の鍵を開け、同居人へ帰宅を知らせることもなく、ドスドスとリビングへと続く廊下を歩いて行く。
すると、スマートフォンの振動が止み、変わりにリビングで何やら普段とは違う気配を感じた七瀬は、一言言ってやろうと勢いよくリビングのドアを開けた。
「ちょっと、はや――」
そこまで言った七瀬の前に、想像もしない光景が広がっていた――。