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『世界がいくつあったとしても』

第17話:「次間違えたら……」

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「ダメだ。 行っちゃ……」

 涙を見せまいと部屋を出ようとする七瀬を、その声の主が手首を掴んで制止した。
顔から涙を隠していた手を退け、七瀬は掴まれたもう一方の手を見た。
部屋には二人きりだから手首を掴んでいるのは当然のことながら隼人であったが、こちらを見つめる表情に七瀬はハッとなる。
その表情は先程まで七瀬に見せていた他人行儀さは消え、真剣な眼差しの内に温かな感情が籠もったものだった。

 目の前にある隼人の真剣な表情を見ることなど初めての筈だというのに、七瀬は確かに知っていたのだ。
それは表情だけに留まらず、その全てに覚えがあった。
“覚えがある”そう考え、ふと思い浮かぶのは昨晩見た“夢”。
そこでは七瀬は隼人の“恋人”であり、過去、即ち今の自分達へとメッセージを送っていた。
流れでキスをしそうにもなるのだが、直前で目が醒めたことを思い出す。
それでも唇に残った僅かな感触は現実的リアルだった。
記憶にあるのは、たったそれだけなのだが、その時に心揺さぶられる感覚であったり、今手首から伝わる温もりなど、どれをとっても同じであると七瀬は本能的に感じていた。

『あれって本当に夢だったんやろうか……』

 隼人に出会ってから何度も感じる同種の疑問。
最初は“知っている気がする”程度だったものが、今は“覚えがある”と本能が感じていた。
ところが、本能という生物に備わる原始的で最も鋭敏な部分がどう判断しても、論理に縛られた生き物たる人間の七瀬は、不可解な今の状況を素直に受け入れることが出来ないでいた。
だが、それに対しても違和感を覚える七瀬。
違和感に対して違和感を感じるという矛盾した状況の中、七瀬はふと掴まれたままの手首に視線を落とす。

 隼人もそれに釣られ視線を辿り、自分が無意識に七瀬の手首を掴んでいたことに気付く。
ハッとなり席から立ち上がると、隼人はパッと掴んでいた手を解きながら謝った。

「ご、ごめん」

 すると、七瀬が解放されたその手を摩りながら、隼人を無言で見つめてくる。
見つめられ、無意識だったとは言え自らの行為が七瀬を傷付けたのだと思った隼人は、再び彼女へ謝った。

「ごめん。 痛かったよね」

 一方、七瀬は手首を掴まれたことで痛みもなければ、触れられたことに対し嫌悪感もなかった。
その後に、手を解かれた七瀬が手首を摩ったのは無意識で、隼人を見つめたのも実際のところ『離さんでもえぇのに……』という思いからきていた。
だが、咄嗟の行動だったのか手を解いた後心配げにこちらを覗う隼人の表情からも、そんな七瀬の真意など伝わっていないことは明白だった。
ところが、瞳に込められた決意のようなものとは裏腹にオロオロとする隼人の様子に、いつの間にか涙の引いた瞳を細める七瀬。

『うちに何かあると、隼人はいっつもオロオロして心配しすぎやねん』

 再び訪れた初めてなのに初めてではない感覚。
それまで受け入れ難かったその状況が、今度は嘘の様に七瀬の内で違和感もなくスッと受け入れることができた。

『どの世界のななも隼人が大好きなんは確定してるんやから……』

 其ればかりか、三度頭に浮かぶ自分の言葉ではない、だが決して他人のものでもない言葉に、七瀬は我慢できず思わずクスリと笑みが溢れてしまう。

「大丈夫、痛かった訳やないねん。 それにな……」

 その言葉と共に引っ込められてしまった隼人の手を、七瀬は自分の両の手で包み微笑んだ。

「なながそれくらいで隼人を嫌いになる訳ないやん」

「西野さん……」

 少し首を傾げ覗き込むような七瀬の視線。
そして、全てを払拭するような言葉に、隼人は思わず名を呼んだ。

 ところが、それを聞いた七瀬の表情が一気に険しくなったかと思うと、優しく包み込まれていた手にもぎゅうと力を込められ、驚いた隼人は思わず彼女と手を交互に見比べる。

「隼人……」

 すると七瀬が隼人の名を呼ぶ。
まるでこちらを見ろと言わんばかりの低くい声に、隼人は七瀬を見ると視線が交錯する。

「な・な・せ。 えぇか、次間違えたら……」

「つ、次間違えたら?」

 怒ったような表情の七瀬に隼人はたじろぐ。

「隼人のこと煮込んだる♪」

 そう言って、また笑顔を見せた七瀬の表情は悪戯っ子のようだった――。


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