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『世界がいくつあったとしても』

第15話:『なんか、様になってるやん』

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 12月24日、夕暮れ。
既に黄金色から薄紫へと染まった空の下、瞬く星を思わせるイルミネーションが輝き、街は週末のクリスマスとあって、冬の一大イベントを待ちきれない人々で賑わっていた。
そこは、百貨店や有名ブランド店、大手家電量販店など、都内でも有数の店が軒を連ねる大通り。
手を繋ぎプレゼントを見てまわるカップル、目を輝かせた子供を連れた夫婦などをはじめ、街行く人々は概ね皆幸せそうな表情を見せていた。

 ところが、そんな中にあって誰もが知る有名ブランド店のショーウィンドウを、難しそうな表情で見つめる女性の姿があった。

「んー、全然決まらへん……」

 先程から独り言を呟きながら、そわそわした様子で何度もショーウィンドウに飾られた商品……ではなく、自分の前髪を見つめている。
不思議なことに彼女は帽子を被っていて、髪型を気にする程に乱れている様子もない。
それなのに頻りに毛先を弄っては呟き、納得できないのか再びショーウィンドウを鏡代わりにしては弄るのを繰り返していた。
マスクや眼鏡に加え、その行動も相まって端から見れば不審人物にも見えなくもない。
だが、他の女性達と比べてもセンスの良さが光る着こなしをしているせいか、怪訝な視線を投げかけられるようなことはなかった。
寧ろ、そのセンスの良い着こなしと、スラッとした細身のラインが男性達からの注目を浴びているのだが、本人はその事に気付いていない。
正確には、前髪を気にする方が忙しく、視線など全くの無関心というのが正解だった。

 そんな注目を余所に、自分事でそわそわしている女性こそ、乃木坂46のエース“西野 七瀬”その人だった。
眼鏡とマスク、そして帽子を目深に被るあたりは芸能人らしくあったが、見える部分などそう多い訳でもないのに前髪を気にする様子は、まるでデートを楽しみにしている女子のそれであった。
そんな様子の七瀬であったが、周囲にはメンバーは疎か、マネージャーすら居らず、完全にプライベートでこの場所に居た。
見つかれば周囲を混乱させそうな七瀬がプライベートの時間を使い、ここに居るのには理由わけがあった。

 それは昨晩、隼人と電話で話している時の事。
隼人が夜まで東京に居ることを知った七瀬は、その日仕事が夕方までには全て終わるのを思い出し、困惑する彼と半ば強引に夕食ディナーの約束を取り付けたのだ。
初めこそ2人で居ることがバレ“もしもの事態”となったら、七瀬に迷惑が掛かるからと隼人は断ってきた。
だが、そこで諦める七瀬ではない。
そもそも自分のファンである隼人なのだから、リスクさえなくなれば断る理由などなくなる。
そう思った七瀬は、場所をいつも関係者と利用するお店だと伝え、隼人を半ば強引に安心させ、約束を取り付けたという経緯があった。

 それ程までしても隼人に会いたいという想いの表れか、朝目覚めた七瀬は何をするよりも早く、自分のスマートフォンの中に隼人の痕跡を探し始めた。
夢ではありませんようにと、祈るような気持ちで七瀬はLINEを開く。
グリーンの起動画面が切り替わり、吹き出しを模したアイコンが表示された“トーク”画面の一覧が表示される。
その中に探していた“新城 隼人”の名が、一番上に表示されているのを見つけると、緊張の面持ちでいた七瀬の表情が途端に破顔した。
それまでの緊張した面持ちが嘘のように、それからというものずっと表情がフニャっと崩れるのを七瀬は止められなかった。

 無意識に感情が表情そとへダダ漏れした結果、感情を隠しがちな普段の七瀬とは様子が違って見えた。
だからだろうか、朝迎えに来たマネージャーに始まり、現場で顔を合わせたメンバーやスタッフから“今日のなぁちゃんは異常な程可愛い”とちょっとした注目を浴びる始末。
皆から注目されるなど思ってもみなかった七瀬は、この状況に戸惑う。
だからと言って、昨日何があったのか打ち明ける訳にはいかず、当然周囲からは“何か良いことあったの?”などと理由を聞かれるのだが、元来人見知りな七瀬が当たり障りのない返答を咄嗟に出来ようもなかった。
しどろもどろで苦笑を浮かべ七瀬は何とか皆から逃れようと視線を泳がせた所、あるメンバーと目が合う。
普段の彼女であれば朝に滅法弱く仮眠をとっている。
ところが、今朝に限っては遅刻は疎か寝ていることもなく、ニヤニヤとした表情で七瀬を見ていた。

 そのメンバーとは、七瀬と隼人の2人の事情を知る唯一の人物“橋本 奈々未”のこと。
奈々未は、七瀬が控え室に来た様子を見て、すぐに状況を察していたのだ。
どうすべきか迷い、笑顔を失っていた昨晩の七瀬。
それを別れ際まで近くで見ていた奈々未であったから、妹のような七瀬に笑顔が戻ったことが嬉しく、同時に背中を押した身として2人が上手くいったことに安堵していた。
ところが、控え室に来てからずっと無防備な笑顔を振りまき続ける七瀬に、次第に奈々未の持つ“ドS”な部分が首を擡げる。
いつもであれば眠気に勝てない奈々未だったが、興味事を得た頭は冴え、悪戯っ子のような表情を浮かべ、何から弄ろうかと算段していた所で、視線を彷徨わせていた七瀬と目が合ったのだった。

 視線が重なり、その相手が奈々未だと気付いた七瀬。
助けを求めかけたのだが、奈々未の獲物を見つけた猫のような表情に、逆に身の危険を感じ視線を逸らした。
だが時既に遅く、それからというもの撮影中や、合間の休憩時間など2人きりとなる度、奈々未は“隼人”との間で何があったのかを七瀬に尋ねてきた。
端から見れば2人が仲良くじゃれ合って見えたのだろうが、実は耳元で囁く様に容赦ない追及が奈々未によってされていた。
楽しそうに呟く奈々未に対し、七瀬は蛇に睨まれた蛙の様に“うん。 うん”と頷き、時折しどろもどろに小さく話すばかりだった。
内容が内容なだけに、他の者には聞かせられないものだから好都合ではあったが、それでもドSさを遺憾なく発揮し、楽しそうな奈々未に七瀬は早々に白旗を上げた。
元々、隼人と出会う切っ掛けは奈々未の一言から始まり、背中を押してくれた相手でもあったから、折りをみて話すつもりではいた。
ただ、まさか奈々未から弄られるとは思ってもみなかった七瀬だったが、事の次第を彼女に打ち明けた。
未だ自分の気持ちを話す事が少し苦手な七瀬。
途中ドSな奈々未に茶々を入れられながらも、一生懸命何が昨晩あったのかを話した。

「上手くいったみたいだし、新城くんも良い人みたいで安心したよ。 良かったね七瀬」

 話を聞き終えた奈々未から掛けられた言葉に、それまで目を合わせ話せなかった七瀬が顔を上げた。
そこには、ドSで弄ろうとニヤニヤとする表情は既になく、姉のように七瀬を優しく見つめる奈々未の微笑みがあった。

「頑張って話す七瀬見て、本当に好きなんだってのも分かったよ」

 そう言われ七瀬は思わず顔を真っ赤にし俯く。
奈々未はそれを見て、再び悪戯っぽくニヤニヤすると「乙女してるな」と言いながら、七瀬の頬をつんつんと突っつく。

「もう、くすぐったいからやめてや、ななみん」

 頬への突っつきから逃れるように、奈々未に抱き付く七瀬の顔はとても幸せそうであった。

 その後、奈々未が他のメンバーやスタッフに対し、それとなくフォローをしてくれたお陰で話が大きくなることはなかった。
また、幸い現場全体の雰囲気も紅白が控えているということもあってか、緊張感が保たれていてスムーズに遅延なく進行した。
結果、大きな遅延もなく仕事が終わり、七瀬はすぐに現場を後にすることができた。
そんなことで七瀬は、待ち合わせ場所へと無事に着くことができたのだが、指定の時間よりも20分も前に到着していた。
変装しているとはいえ芸能人であるのだから、身バレをしないためにも時間ピッタリ、ないしは遅れて到着しても良いようなものなのだが、七瀬は一刻も早く会いたいと待つことを選んだ。
そして、時刻は待ち合わせまで、残り10分を切ろうとしていた。

ブーッ

 手に持っていたスマートフォンが震え、何か通知が来たことを知らせる。
ディスプレイを見ると、そこには隼人からのLINEが来ていた。
道に迷ったのかと思いメッセージを確認すると、“迷いましたが、ちゃんと時間には辿り着けそうです”という内容だった。
案の定、一度は迷ったという内容に、東京に住む者であるなら分かりやすい場所を選んだはずであったから、改めて隼人が東京の人間でないのだと実感する。
時間に遅れることについては問題ないのだが、本当に辿り着けるのだろうかと心配になった七瀬は、隼人に返信をしようとしたその時だった。

「ここです。 ありがとうございます」

 聞き覚えのある声に気付き七瀬は顔を上げる。
声のした方に振り向き周囲を見渡すと七瀬の居る店のショーウィンドウを挟み反対側、同じように待ち合わせのために集まっていた人集りの中に、隼人の姿を見つけた。
だが、隼人を見つけたというのに、七瀬は僅かに眉間に皺を寄せる。
その原因は視線の先、少し距離があり良くは見えなかったが、確かに隼人は柔らかい笑顔を自分ではない誰かに向けているのが見えたからだった。
人が多く集まり相手の姿は見えず、距離が離れていてどんな会話をしているかも分からない。
それでも、その親しげに話す隼人の様子は、七瀬の表情をより険しくさせるには十分のようで、マスクの中で口を尖らせると近付いて行く。
ズンズンと大股で近付いていく姿に、七瀬の心中を想像するのに難くない。

 ところが、数歩もしないうちに七瀬の足が止まる。
隼人と話していた人物が、人集りの中から出てきたのだ。
それは女性であり、隼人がするように彼女も和やかな雰囲気で会話をしていた。
ただ、七瀬の想像とは違っていたようで、再び歩き出す足取りは軽やかで、マスクをしていても分かる程機嫌が良くなっていた。

「近くまで来る用事があったんだから、いいのよ。 それじゃあね」

「はい。 ご親切にありがとうございました」

 人柄を表している様な柔らかい物腰と笑みを浮かべた“老齢”の女性は、隼人へ一言告げるとその場を後にする。
隼人も女性が去って行くのを、お礼を述べ会釈しながら笑顔で見送った。
女性の姿が見えなくなると、隼人は腕時計を確認する。
待ち合わせまで7分を残しているのを見て、流石に知らない土地での待ち合わせとは言え、七瀬を待たせるのは心苦しかった隼人はホッと胸を撫で下ろした。
そして、右も左も分からず困っていた隼人を、ここまで連れて来てくれた先程の女性に改めて感謝した。

 隼人はコートのポケットからスマートフォンを出し、素早くロックを解除するとLINEを開く。
七瀬とのタイムラインが映し出され、最後に自分が送ったメッセージが既読になっていた。
待ち合わせまで数分あることや、況してや七瀬は芸能人で時間ピッタリに来れるとは思っていなかった。
実際、夢の内の七瀬もピッタリに待ち合わせ場所に現れたことはなく、いつもカフェでお茶をしながら待っていたのを思い出す。
“待ち合わせ場所に着きました”そう打った隼人だったが、送信ボタンを押す寸前までいっていた手が止まる。
隼人は、そのままスマホ片手に空を見上げた。
息を吐く度、それは白い息となり、空へ昇り消えていく。
隼人の心の内にはドキドキする気持ちと、会う事への不安が入り交じっていた。

………………

…………

……

 昨夜、七瀬に会いたいと言われ、一度はスキャンダルになったらと断った。
ところが、七瀬は引き下がるどころか、芸能人がお忍びで行く店だからと言ってきた。
そこまで言われ“好き”だという気持ちを偽り続けることも出来なかった隼人は、結局会う約束を交わす。
そして、朝起きると今一度LINEの友達一覧に七瀬の名があるのを確認し、夢ではなかったことを理解した。
改めて実感が湧き嬉しさが不安を凌駕したのか、隼人は直ぐさま隣の部屋の圭子の所へ行き、事の顛末を話し始める。
それは2人で遅めの朝食を食べている時も続き、途切れることがない程だった。

 この時、隼人は会える喜びと嬉しさに高揚し、思慮深さを欠いていた。
だから、嬉々として七瀬の話を続ける隼人を、圭子がずっと相槌を打ち聞きながらいつもとは違う表情で見つめていることに気付かないでいた。

「“夢にまで見た”西野さんとのデートなんだから、楽しんできなよ。 お土産話待ってるからね」

 そして、それは一足先に帰る圭子を空港へ向かうバスの停留所まで送った際、別れ際にそう彼女から言われるまで続いた。
圭子の言葉に、そこで初めて我に返り彼女を見る隼人。
走り去って行くバスの窓、こちらを見る圭子の顔に浮かぶ複雑な表情が、何を思ってのものなのかを知る術はない。
だが、隼人の浮かれていた気持ちはその言葉によって失せ、再び不安が心を過ることになった。

 隼人の知る七瀬の性格や癖、好みなど全ては、あくまでも夢の内の彼女の事なのだ。
そして、これから会う七瀬は夢などではなく、紛うことなき現実なのだ。
たとえ間違った選択をし七瀬を傷付けたとしても、目覚めればリセットができる夢とは違う。
事実は事実として消えることはなく、一度の選択違いが二度と戻れない過ちになる。
一つずつの選択に重みが増し、夢で見た七瀬の悲しい表情を思い出し、胸を締め付けられる。

『あんな表情かおさせたくない』

 隼人にとって自分の幸せは七瀬と居られることだが、望みは七瀬の幸せなのだ。
だから、会うことで七瀬の幸せを奪うかも知れない、況してや夢という場で七瀬の笑顔を一度は失わせた経験があることが、後ろ髪を引かせていた。

 どれくらいそうしていただろう、とうにバスの姿が消えた停留所で隼人は立ち尽くしたまま居た。
その時だった、LINEのタイムラインに七瀬から、待ち合わせ場所や時間が送られてきたのは。

………………

…………

……

『会って本当に良かったんだろうか……』

 相反する想いに思考を奪われ、隼人は纏まらない考え事をしながら空を仰ぎ見ている。

『なんか、様になってるやん』

 いつの間にか傍らに来ていた七瀬が、隼人の横顔にそんな感想を抱きながら見ていた。
声を掛ければいいものを、隼人の物憂げな表情に見とれ、タイミングを逸したのだ。

 だが、視線を投げかけられ続ければ気付かない程鈍感でもなく、程なくして見られている事に気付く隼人。
空を見上げるのを止め、見られているだろう方へと視線を向けた。

 互いを求め合う様に、引き寄せられた視線が、次の瞬間重なった――。


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