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『世界がいくつあったとしても』

第14話:「嫌な女やな……」

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 どれくらいだろうか、2人は互いのことを知ろうと、様々な質問をし合っていた。
七瀬には鉄板ネタとも言える漫画の話題に始まり、テレビ番組や映画、音楽、食べ物や色など、好み中心の取り留めのない話題から、果ては学校や仕事、私生活プライベートのことまで疑問に思ったことを聞きあう2人。

「そうなんや。 凄いね隼人は」

「七瀬さんに、そう言われると嬉しいけど、実際そんなでもないんですよ」

 七瀬の感心したような言葉に、隼人は何度目かの苦笑が漏れる。
先程から自分の事、殊に受験や将来の話をする度に七瀬に感心され、嬉しい反面こそばゆさが際立ち流石の隼人も苦笑してしまう。
それに、本当に“凄い”というならば、自分ではなく七瀬の方だろうと隼人は思っていた。
何せ、七瀬は応募総数38,934人の中から1,081倍という倍率を勝ち抜き、選ばれたオープニングメンバー36人の内の1人なのである。
そして、グループの中心的存在でありセンターや福神の常連メンバーなのだから、七瀬の方が大学受験をする自分よりもよっぽど“凄い”と隼人は思うのだ。
 
「ほんまに? ななにはできひんもん。 やっぱり凄いとおもうけどな~」

 それでも、七瀬の“凄い”は終わらない。
だが、隼人は彼女に対し決して“アイドルとして今こうやって居る方が凄い”とは思っていても口に出さずにいた。
何故ならば、その言葉が七瀬を傷付ける言葉かもしれない事を知っていたからだった。

 それは、夢の世界での七瀬とのやり取りにあった。
その中で、自分の口にした“アイドルの方が凄い”という言葉が、七瀬の表情を曇らせてしまったことがあったのだ。
夢特有の断片的なもので、理由わけについて詳しく知ることはできなかったのだが、その状況は今でも鮮明で隼人は後悔し続けていた。
だから、別の七瀬であったとしても、隼人は夢の内の出来事であった様な轍を踏まぬようにと、口にはしないと心に誓っていた。

 だが、同時にわだかまりを感じてもいた。
七瀬が傷付いた理由について考えもせず、安易に避ける事が本当に正しいのかと、ふと疑問に感じたのだ。
その気持ちは七瀬に“凄い”と言われる程、大きなものとなっていた。
七瀬がアイドルとして、多くの人の内から選ばれ、様々な試練や苦難を自らの努力で乗り越え、今の彼女がある。
その一部始終を、隼人は七瀬の隣で見てきた。
だが、隼人の観たものなど、所詮は夢という聞きかじった情報で作り出された虚構の産物でしかない。
そんな全てが偽りで構築された世界ですら七瀬に優しくはなく、彼女の生きる現実はより厳しいことは想像に難くない。
それはきっと紛れもない事実であり、だからこそ七瀬はもっと自分の努力を認めるべきだと、隼人は素直に思うのだ。

 一方の七瀬は、隼人と会話を重ねる程に、その存在がどんどん身近になっていくのを感じていた。
好みなど誰とでも話すだろう軽い話題は良いとしても、お互いのプライベートが知れてしまうような話題であっても、七瀬は何も感じず自然と答えていた。
警戒心は疎か疑問すら浮かばない位に七瀬は隼人を受け入れていたし、話題が出た後ふと以前にも同じことを言ったような気さえしていた。
だが、その心地よさは隼人が夢の中の自分との会話を、なぞっているからだとは七瀬は知りはしない。
寧ろ、会話から感じる心地良さは、七瀬に隼人を以前から知る相手だと錯覚させていた。

 だからであろう、ふと会話が途切れても七瀬は、無理に話題を探すことはせず沈黙に身を委ねる。

「……」

 スマートフォンに耳を傾けながら、七瀬は閉じていた瞳が開けた。
だが、そこに隼人が居る訳はなく、代わりに目に入ってきたのは漆黒が支配する暗闇。
本能的に闇に対し恐怖を憶えるものだが、七瀬の表情は至って穏やかなままで、寧ろ隼人が隣に居ないことに寂しさを感じさえしていた。

「あっ」

 すると、電話越しの隼人が小さく声を上げた。

「どないしたん?」

「時計見たら、もう5時過ぎてました」

 隼人は考え事をするうち、いつの間にか沈黙が訪れていた。
それに気付いものの、スマートフォンからは何も聞こえて来ない。
もしかしたら七瀬は寝てしまったのかと、耳をそばだててみたものの寝息すら聞こえては来なかった。
いつの間にか通話が切れたのかと、画面に目をやると2時間に及ぶ通話時間と、時刻が5時を過ぎていることを表示していたのだった。

「ほんまや、もうこんな時間なんやね……ごめんね、話し込んでしもうて……」

「いえ、俺の方こそ七瀬さんと話せて嬉しかったから、つい時間忘れてしまいました。 すみません」

「そんな、謝らんといて。 ななも隼人と話せてめっちゃ楽しいし」

「そう言ってもらえて嬉しいです……七瀬さんは明日もお仕事ですよね?」

「うん……朝からお仕事やけど」

「じゃあ、もう寝た方が……」

「……もう寝ないとあかん? ななは、まだ全然平気やのに」

「でも、朝からお仕事なんだったら、そろそろ」

「そうやけど……ふぁ……」

 もっと話したいという七瀬の気持ちに押され気味で、あたふたするばかりの隼人。
ところが、七瀬が眠くないと言っている傍から可愛らしい欠伸を一つするものだから、その様子に隼人は思わず微笑んだ。

「ふふ、眠そうですね。 少しだけでも寝ましょうか」

「えぇ~、いやや」

「だけど、七瀬さん眠そうだったじゃないですか?」

「ぶぅ、ななは眠くなんかあらへんもん」

「でも……」

 困ったようにそう言うと、隼人は黙ってしまう。

「……え? 隼人?」

 困らせる程のことを言っているつもりではなかった七瀬。
それだというのに、突然黙り込んでしまった隼人に、困惑する七瀬は窺うように声をかけた。

「……心配なんです」

 すると、無言だった隼人が、ぽつりと七瀬への気遣いを口にする。
先程の“好き”と程のインパクトはないが、隼人の言葉はどれもストレートで、七瀬の鼓動を早まらせるには十分な一言となっていた。

 そんな七瀬の様子を知るはずがない隼人は、続きを伝えるべきか悩んでいた。
隼人がそれを伝えることで夢の内の七瀬同様に表情を曇らせるやも知れず、かといって言わないという選択をしたとして良い結果をもたらすとは思えない。
とは言え、時間は誰にも等しく過ぎ、時計の針は進んでいく。

 隼人は視線を自身の泊まるホテルのベッドサイドに備えられたデジタル時計に移す。
すると、タイミングを見計らったように数字が書き換わる。
その光景を目の当たりにした隼人は背中を押されたように、一呼吸置くと再び口を開く。
届けたい想いを、限りなく優しい言の葉にのせて。

「……七瀬さんは、俺のこと何度も“凄い”って言ってくれましたよね。 でも、俺は単に自分のために、自分のことを考えているだけなんです。 七瀬さんが今“アイドル”であるのは、自らが望んだからなのでしょう。 けど、そこから先、乃木坂のセンターでありエースになれたのは、様々な人たちの想いの導きと、それに応えるため重ねてきた相応の努力の結果だと思うんです。 そして、それがまた誰かの想いや笑顔に繋がっているのだとしたら、七瀬さんのしていることを俺は純粋に“凄い”と思います」

「だから、周りに迷惑を掛けへんようにしろってことやろ……」

 隼人に優しく語りかけられたというのに、七瀬の返した言葉はとても冷ややかだった。
同時に、早かった鼓動がまるで、帰宅したときに戻ったように落ち着いていく。
早く寝るべきと頭では理解していたが、そこは隼人が言うように七瀬も芸能界を生き抜いてきたアイドル。
たとえ、この様な時間だとしても多少無理を推せば遅刻などする訳がなかったし、それは隼人も知っている“はず”のことだった。
だから、七瀬には気遣われているよりも、“早く切りたい”と言われた気がしてならなかったのだ。

 まるで、隼人という存在が以前から身近だったと言わんばかりだったが、ここでも七瀬は自分の考えが矛盾していることに気付いてはいなかった。
再び、七瀬の内で“隼人という存在”が、現実と食い違いを起こしていた。
七瀬本人の与り知らぬ所で、隼人の存在が変わっていく。
徐々に距離が近付いていくことが自然な流れだとすれば、一目惚れとも違う、別の何かに惹き付けられる様な今の2人の関係は普通とは言えない。
その様な状況であったが、当の本人たる七瀬は異なることを考えていた。

『嫌な女やな……』

 言ってから、七瀬は自分が嫌味を言っていることに対し独りごちていた。
気遣ってくれることこそあっても、迷惑だとか、眠いとか、切りたいとか、そんなこと隼人からは一言もなかった。
だというのに、変に勘ぐって悪態を吐いた自分が嫌で、言ったことを後悔していた。

『嫌われたないな……』

 ところが、そんなことを言われたはずの隼人の口からでたのは意外な言葉だった。

「いえ、“凄い”からこそなんです。 七瀬さんが自分を犠牲にし過ぎていないかって。 七瀬さんは、もう十分頑張っています。 だから、自分のことを好きになって、もっと大切にしてあげて欲しいんです」

「隼人……」

 隼人の言葉に、七瀬は思わず言葉を詰まらせる。
その様子に、隼人は自らの発言のせいだと、内心焦りと後悔の念を抱いていた。
七瀬に伝えた言葉は、予め隼人が用意したものではない。
その場で感じたことが口を衝いて出てしまったに過ぎず、言った後で何を自分が口走ったのだと焦り、夢の内と同じように、七瀬を傷付けてしまったらと後悔した。
だが、隼人のそれは杞憂に終わることになる。

 それまで、したかったこと、行きたかった所、一緒に居たかった人、青春という貴重な時間を割き、七瀬は乃木坂46というアイドルに費やしてきた。
他の生き方ではできないであろう貴重な体験もでき、一概に隼人の言うように“犠牲”にしたとまでは言えない。
しかし、どんな充実した日々の中にあっても、何処か物足りなさを感じ続けてきたのも事実であった。
それで、失ったものの代償だとでも言うように、何をし何を考えても埋めようのない“喪失感”として、今日までずっと七瀬に付きまとっていた。
だが、“自分を好きになる”その隼人の言葉が、七瀬の心を温め喜びで満たし、“喪失感”を拭い去った。
そして、隼人の言葉で、初めて何故そんな感情を抱いていたのかを、気付くことが出来た。
乃木坂に入ってからも暫く恋人がいたことや、“秋元 真夏”の復帰に対し醜い想いを抱いた自分に対し、何処か後ろめたさがあったこと。
何より、選んだ道が間違っていなかったと証明するため、自らに戒めだと言い聞かせる様に、これまで自分で自分の努力を認めなかったのだ。
その反面、内心誰かに認められ、許されたいという気持ちも存在していた。
相反する感情が複雑に内包され、かつそれを七瀬自身が無自覚となれば、葛藤などあることを知らず上辺だけを見ている者たちでは、決して気付きなど与えられようがなかった。
他人どころか本人一人では思いも寄らなかったことに、たった一言で気付かせてくれた隼人の存在が、七瀬の中で確固たるものとなった瞬間だった。

「それやったら……」

 そう言うと、短い間を置くと七瀬は再び口を開く。

「ななは、隼人ともっとお話ししたいな……」

 呟いた七瀬は落ち着き払った様子で、先程までの我が儘さはない。
隼人との時間を終わらせたくないという七瀬の想いが、自然と口を衝いて出ていた。

 七瀬の様子から、彼女を傷付けていないことが分かり安堵する隼人。
とは言え、結果的に七瀬の主張は変わっていない。
自分と話したいと言われることに嬉しさを感じつつも、体調面を心配する気持ちもあって隼人の想いは複雑だった。

「七瀬さんの気持ちとても嬉しいです。 だけど、連絡先交換したんですし、これから七瀬さんさえ良ければいつでもお話できるので、今日は一旦お開きにしませんか?」

「……ほんまに? これ切ったらブロックとか嫌やよ?」

「まさか。 七瀬さんにそんなことする訳ないですよ」

「わかった。 隼人のこと信じる……」

 隼人の提案に、普通はファンが言う様な言葉セリフを呟き不安そうな様子の七瀬。
実際に切ろうと言い出したのは隼人からだが、まさかそんな事を言われるとは思わず、即座に否定した。
すると、七瀬は承諾してはくれたものの、それでも不安そうな様子に変わりはなかった。

「明日夜に北海道に帰るので、その時だけはLINEとかできないですけど、その前後なら大丈夫なのでまたお話しましょう」

「明日の夜帰るん? それまでは何する予定なん?」

「フリーですね。 圭子は用事があるらしくて昼の便で帰ってしまうんですけど、俺はちょっと行ってみたいところがあるので、夜までは東京に居ます」

「ほんまに!」

 夜まで隼人が東京に居ることを知った七瀬。
不安など何処に行ったのかテンションが急に上がる。

 その七瀬の様子は、電話越しに隼人へも伝わる。
ところが、何処に不安を払拭させられる要素があったのかと、隼人は皆目見当もつかず困惑するしかないでいた。

「なら――」

 そして、七瀬は当惑する隼人を余所に、あることを彼に告げた――。


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