「もう、そないなこと言うて、ほんまは他の子にも同じこと言っとるんとちゃうん？」

　隼人からの告白にも聞こえる一言に、七瀬は戯けたような言葉を返した。

　七瀬は別に、隼人が話の流れ上仕方なく、社交辞令で言ったとは思っていない。
何せ隼人にとって七瀬は推しメンなのだから。
今の様な状況が隼人にとって願ってもないチャンスであることは、七瀬も十分理解している。
それでも、七瀬は隼人に対し戯けた態度をとって見せた。

　実のところ、七瀬が戯けたのは照れ隠しに他ならない。
実際、先程まで冷めていたのが何だったのかと思うほどに、七瀬の心臓は早鐘の如く鼓動している。
　
　恋人に対し感じる様な、特別なドキドキとした気持ち。
戯けて見せても、それは収まる気配など一向になく、寧ろ自分の言った一言への隼人の返答が気になってさえいた。

　だが、一方でそんな自分に対する“戸惑い”も感じていた。
突然、降って湧いた感情の出処が分からないのだから、今自分が感じている全てを受け入れることは難しいのだ。
彼の容姿や言動だけみれば、別に気に留めるほどの相手でもない。
芸能界に身を置けば、もっと洗練された男性は年齢など関係なく数多くいる。

　そもそも、隼人とは初対面から、何やら不思議なものを感じていた。
当初、ファーストインプレッションが良かったのだと思っていた。
昼間も然り、そして今もこうやって会話をしていても、話しやすい相手であることから、少なくとも嫌いではないことは七瀬も理解の範疇と言えた。
とは言え、昼間はもっと気にすべき事があったし、もっと言えばあのような夢を見ることや、相手の一言で心が大きく動かされることなど皆無だった。
だから、隼人に対しこんなにも出会って僅かな時間で“好意”を抱く自分に『早うない？』と、七瀬は些か疑問を感じずにいられなかった。

　それでも、隼人に対する感情を、全て否定する気持ちになれない七瀬。
思考が状況と追いつかず、本心と裏腹な、思わぬ言葉を口にしてしまっていた。

　だが、たとえ裏腹な言葉であったとしても、相変わらず真っ赤にさせた顔を見ることが出来たならば、七瀬が照れ隠しで言っていることは隼人に伝わったかも知れない。
しかし、今2人が相対しているのは電話越しなのだ。
七瀬の精一杯の照れ隠しも、どのような感情を持ち合わせているのかも、彼女が自分を意識していることも、隼人に知る術はない。
そして、最も残念なのは、隼人が女性慣れしていないことであろう。
元来、隼人は気配りが出来るタイプの人間なのだから、女性の気持ちも分かりそうなもの。
ところが、隼人は女性の気持ちに対して人一倍疎いのだ。

　その一番の被害者は“圭子”であった。
圭子は七瀬でさえ、その美しさを認める美少女。
それが幼馴染みとなれば周囲の男子からは、羨ましがられたり冷やかされたり、時には嫉妬心を向けられることもあった。
況してや、圭子も隼人へ好意を抱いていたのだから、気持ちに気付いてもいいようなものなのだが、いまいち隼人自身はピンと来ている様子はなかった。
その様子を見て圭子が、何度溜息を吐いたか想像に難くない。
唯一の救いは、その鈍感力が女性全体に発揮されたことだろうか。
そのような“実績”を持つ隼人であるから、当然今回の一件である七瀬の心の変化にも気付く様子はみられなかった。

　一方の七瀬は、照れ隠しの冗談のつもりで言ったものの、心の何処かで“その先”について淡い期待を抱いていた。
七瀬の生きる世界は熾烈な人気争いが毎日の様に繰り広げられている。
ライバルとされるAKB48では選抜総選挙があり、ファンによる投票で残酷な程明確にメンバーの人気が順位としてテレビを通し発表される。
乃木坂46に同種のイベントは存在しないものの、運営が推す旬のメンバーはシングルの並び順で、握手会に並ぶ人の数をバロメーターとしてファンからの人気が計れてしまう。
幸いにも七瀬はファンを含め多くの男性陣を魅了し、幾度となく“好意（すき）”を向けられてきた。
だが、そこに"個"としての七瀬を“想う”者よりも、“アイドル”という存在に対し自己の欲求を満たそうと、一方的に気持ちを押し付ける者ばかりであった。
そんな中にあって音の響きこそ同じだというのに、隼人の言葉だけは七瀬の心が共鳴する“何か”を持っていた。
其ればかりか、胸掠める想いは以前から知っているようなそんな気さえして、七瀬が持つ本来の我が儘な部分が“もっと”と求める気持ちになって心の内で芽生えていた。

　お互い異なる方向（ベクトル）へ向いた心。
そのままでは心など通い合わせることなど出来ようもない2人であったが、隼人の次なる言葉が七瀬を驚かせた。

「七瀬以外に、こんなこと言ったりなんかしないよ」

「！？」

　七瀬にとって、隼人の一言は驚きに満ちていた。
まるで、何と言えば喜ぶのかを知っているような隼人の返答は、七瀬に驚きと同時に聞き間違いかと自分の耳を疑わせた。
だが、それは聞き間違いでも幻聴でもなく、しかも隼人の言葉には“アイドル”として意識している雰囲気を微塵も含んでさえいなかったのだ。
アイドルではなく“1人の女性として見て欲しい”。
それは正に七瀬が最も欲し、もっとも得ることの出来なかったものであり、隼人はそれをさも簡単に言ってのけたのだ。
次第に七瀬の心中は驚きから嬉しさへと変わり、それまで以上に隼人に対する感情を高ぶらせる結果となった。

　この一連の流れが偶然の産物であるのならば、2人の物語（ストーリー）は、この上なく感動的なものと言えたかも知れない。
ところが、隼人が七瀬を喜ばせられたのには、裏（からくり）が存在していた――。