『世界がいくつあったとしても』
第11話:「そないな風に言われると恥ずかしいやん……」
「……ちゃうな」
「…………」
七瀬の内で大きな出来事があったことなど知る由もない隼人は、電話越しの様子をじっと聞いていた。
聞いていて、七瀬が口にした否定するような言葉が何を指しているか分かりはしなかった。だが、少なからず彼女が誰かを思い浮かべ漏らした一言であることを、隼人は理解していた。
思い浮かべられた相手とはどんな人物なのだろうか。
そんなことを思う一方で、隼人の思考は自分はどうなのかというところまで考えが及んでいた。
今日初めて会ったとは言え、殆ど会話らしい会話などできなかったのだから、七瀬の中に自分の記憶など1%も占めてはいないだろうと考えてしまう。
だから、否定的な言葉であっても、七瀬の記憶に留まることの出来る相手が羨ましく、そして“嫉妬”した。
『またか……』
不意に胸に込み上げてきた“嫉妬”の感情に、隼人は目を伏せ諦めにも似たものを感じずにはいられなかった。
元来穏やかで、自分とは異なる思想や、価値観を排除することなく許容する寛容な性格をしている隼人。
従って“嫉妬”という感情を、乃木坂46や七瀬のことでは勿論、普段の生活の中でさえ殆ど感じることなどなかった。
それがある日、ある切っ掛けを境に、本人でさえ不思議に思うほど嫉妬心を感じるようになってしまったのだ。
その切っ掛けとなったものは“夢”。内容は七瀬と恋人同士というもの。
それも普通の夢とは違い、何もかもが
七瀬と触れ合った感覚は目覚めても残り、会話やシチュエーションに夢特有の嘘を感じないのだ。
そればかりか、夢を見る度に話のタイムラインが繋がっていて、本当に七瀬と毎日を過ごしているようであった。
始めこそファンなら胸躍る展開に夢を楽しみにしていたが、夢を見る度に
それこそが“嫉妬心”であった。それからというもの七瀬に関する話題がでる度、嫉妬心を憶え、結果的に夢を見ることが恐くなっていた。
そのような経緯を持つ感情だから、七瀬本人の口から聞いたことにさえ感じるようになったかと、隼人は諦めにも似た気持ちになっていた。
「「……」」
電話越しに流れる静寂。互いに考えを巡らせていたせいで、いつの間にか二人は沈黙していた。
「あっ、ごめんな。 ちょっと、考えごとしててん」
「いえ……こちらこそ変な質問しちゃいましたね。 すみません」
そんな沈黙を先に破ったのは七瀬からだった。
変な間が要らぬ誤解をさせたのではと思った七瀬は、明るく戯けたような言い訳をした。
一方、同じく考え事をしていた隼人も、七瀬に気遣いをさせたことへの罪悪感から謝ったのだが、彼女からは意外な返答が返ってきた。
「もう! また謝ってる! いつもはそんなんやないやん」
「えっ!?」
「なん?」
今日出会ったばかりだというのに、七瀬にまるで以前から自分のことを知っているかのようなことを言われ、隼人は思わず素っ頓狂な声を上げた。
すると、そんな隼人の反応の方が、不思議だと言わんばかりに聞き返してくる七瀬。
その様子は夢で幾度も見たであろう、七瀬が首を傾げ覗き込むようにする仕草を思い起こさせ、ドキリとした隼人は返答に詰まってしまう。
「あっ、いや……。 いま西野さん、何て言ったのかなって……」
「だ・か・ら! すぐ謝ったりせぇへんやんって言うたんよ」
『二度言わんでも、分かってるやろ?』と言う意味合いを含んでいるのか、初めこそ語気が荒めだったが、言い終える頃には拗ねたような様子をみせる七瀬。
隼人はその様子にも
ところが、隼人が幾ら思い返しても、昼間の乃木坂でのことと夢以外で、七瀬と出会った記憶はない。
だが、自分に向けられた言葉はどれも親しい者に接しているようであり、隼人は違うだろうと理解しつつ“
無論、夢でのことは伏せたままにしてではあったが。
「西野さん、俺たち昼間の乃木坂以外で、何処かで以前会ったことありました? もしかして、俺だけが憶えていないのかもしれないんですが……」
「なにいって……あっ……」
隼人の言葉に七瀬は反論をしようとするが、途中気付いたように呟き黙り込んだ。
隼人の指摘に、先程までのやり取りを反芻した七瀬は、何故か会ったばかりの相手に対し、ごく自然と敬語も使わずに喋っていたことに気付いたのだ。
それはまるで恋人に接するようであり、正に夢の中での隼人に対する態度そのものであった。
あのような夢を見たからなのかもと思いつつ、そんなことを隼人に言えるわけもなく、七瀬は謝る他なかった。
「ごめんなさい! 今日初めておうたばっかりやのに……」
「いえ……」
失言でしたと言わんばかりの勢いで謝る七瀬の様子に、自分が抱いた淡い期待は全くの思い違いであることを理解する隼人。
まざまざと現実を突き付けられ、先程まで感じていた嫉妬心は失せていた。
寧ろ“他人”であることがはっきりとしたことで、変に意識することもなくなり心は落ち着きを取り戻していた。
「知っての通り、俺は西野さんのファンですから。 むしろ親しく話しかけてもらえて嬉しいんですよ」
それは口調にも現われ、七瀬を気遣う隼人の言葉は優しかった。
隼人の変化は、表情の見えない七瀬にも声色で伝わり、今日初めて会ったと言ったばかりであるのに、再び親近感を抱かずにはいられなかった。
しかも、声色が変わったことなど初めて耳にする七瀬が知る由もないというのに、隼人の優しさを含んだ声の響きは懐かしく、心地良ささえ感じた。
「ありがとう。 なんとなく、ハヤ……ちゃう。新城くんと話しとると、どうも初めてな気がしのうて困るわ」
「名前で呼んでもらって大丈夫ですよ。 俺の方が西野さんよりも年下ですし」
「そうなん? いくつ?」
「18です」
「わ、結構年下やん。 じゃあ、受験生?」
「はい。 年が明けたらセンター試験です」
「確か“ななみん”が地元が同じって言うてたけど、こっちに住んでるん?」
「橋本さんから聞かれたんですね。 橋本さんとは地元が同じ“旭川”で、俺と圭子は今も住んでます」
「じゃあ、この時期になんで東京におるん? 一緒にいた圭子ちゃんとクリスマスデートとか?」
「いえ、橋本さんにも同じ事言われましたけど、圭子とは幼馴染みなんです。 だから、彼女とかじゃ全然ないんですよ」
「ほんま?」
「本当です。 東京に居るのは、西野さんたち“乃木坂”のみなさんが出演されていた“Mステ”の観覧が、当たったんで観に来てたんです」
「えっ、会場におったん? ちっとも気付かんかった」
「結構後ろの方でしたから。 でも、来た甲斐ありました。 圭子なんか橋本さんのMステ最後の出演を生で観られて感動してましたし、俺も北海道では乃木坂のみなさんを直接見られる機会なかなかなかったんで、とっても楽しめました」
「私たち“北海道”に全然行けてへんね……」
楽しげに会場での様子を話す隼人に、七瀬は対称的な様子を見せた。
原因はZepp Sapporoで行われた“真夏の全国ツアー2013”以降、乃木坂46は北海道で目立った活動を行っておらず、多くの要望は寄せられていたが実現に至ってはいなかったのだ。
奈々未は北海道出身ということもあり、そのことを以前から気にしていた。
一方、大阪生まれの七瀬にとって縁もゆかりもない土地のこと、普段であれば関心の薄い話。
だが、東京にまで自分たちを観に態々来てくれたと言う隼人の話を聞き、七瀬は無関心ではいられなかった。
とは言っても、運営に口を出せる力がある訳でもな七瀬は、何と言えば良いのか分からず閉口してしまう。
「西野さんのせいじゃないんです、気にしないでください。 それに東京の大学受けるので、合格したらライブとか握手会も参加できるので、今からとても楽しみなんですよ」
「せやけど……」
自分でどうこうできる範疇を超えた問題に、七瀬は言葉が見つからず閉口するしかなかった。
「それに、今こうやって“好きな
そんな七瀬を、まるでどんなことを言ったとしても受け止めるかのように、隼人の優しい言葉が包み込む。
気持ちがふっと軽くなり、同時に真っ直ぐな言葉はまるで告白のようであった。
“好き”これまで数え切れない程、聞かされてきた
特にアイドルになってから向けられる熱意は比較にならず、回数も数えるばかりだった。
だが、アイドルたちは知っている。
今自分たちに向けられる“好き”という言葉に、必ず先頭に括弧書きで“アイドル”というブランドが付帯していることを。
同種の活動をする者ならば、誰もが向き合っている事実であり、七瀬自身もそれは自覚していた。
ファンは相手がアイドルであるからこそ“好き”と叫び応援し、彼女たちもアイドルだからそんな人々へ満面の笑みを向けるのだ。
彼と別れ、その状況が眼前に常に有り続ける環境に身を置き続ける内、“アイドルだから”という言葉が七瀬の内で“好き”と言う気持ちさえ変質させていた。
繰り返される歌詞の一節のように幾度となく耳にしてきた言葉。
それは七瀬の中で最早“情”を交わすものではなく、自分の価値を計るための尺度でしかなくなっていた。
何より電話越しに聞かされた隼人からの言葉は、考え抜かれたものでもなく七瀬にとって、これまでで最も飾り気のない一言であった。
そんな言葉では最早、七瀬の冷め切った心を再び動かすことなどできない……はずであった。
「そ、そないな風に言われると恥ずかしいやん……」
ところが、隼人の言葉に対する、七瀬の反応は違っていた。
まるで、恋人から告げられた時のようにこそばゆさと、それに混じる心地良さ。
何よりも、込み上げてくるドキドキ感が、七瀬の顔を耳まで紅く染め上げていた。
互いが夢の中で恋人同士を演じていたことなど知る由もない。
だが、隼人から贈られた“好き”は、七瀬の心に自然と居場所を見つけ、七瀬もそれを自然と受け入れることができた。
そして、七瀬は自分の内で眠っていた感情が、再び熱を帯びていくのを感じていた――。