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『世界がいくつあったとしても』

第10話:「……ちゃうな」

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♪♫~♬♩~

「んぅ……もしもし、新城です……」

 暫くすると呼び出し音が止み、スマートフォン越しに声が聞こえた。

 時間が時間なだけに、眠そうで寝惚けているようにも聞こえるものだったが、その声はまさに昼間に話した隼人のものだった。

 そんな隼人の様子に、勢いで掛けてしまったと罪悪感を感じながら七瀬は怖ず怖ずと名乗る。

「あの……西野……七瀬です」

「んぅ、ニシノさん?……」

 七瀬の名を口にするも、寝惚けた隼人は相手が誰なのか分らないようだった。

『こんな時間やもんね……』

 反応のないまま沈黙が流れること数秒。

「「……」」

 夜中過ぎる時間に突然連絡したことを、七瀬が後悔し始めた瞬間だった。

「えっ!! 西野さん!?」

 隼人が驚きの声を上げたかと思うと、ゴソゴソとスピーカー越しに音がし「あっ!? ほんとだ」と遠くの方で声が聞こえた。
きっと、隼人は画面に映る名前を確認し、そこに“西野 七瀬”と表示されているのを見たのだろう。

 再びゴソゴソと聞こえると「すいません大きな声出して・・・」と隼人の遠慮がちな声が聞こえた。

「ななの方こそ急やったし、夜遅うにごめんね。 圭子ちゃんやったけ? あの娘に、連絡先教えてもらったんよ」

「そうなんですか? 圭子の奴……西野さん、無理言って本当にすみません」

「ううん、隼人もななみんに圭子ちゃんの連絡先渡してたんやろ?」

「えっ、なんでそれを知ってるんです?」

「ななみんが言うてたし、ななも渡すとこ見てたから……」

「ごめんなさい」

 それを見て嫉妬してたなどとは口が裂けても言えなかったが、言葉の端に感情の一端が出ていたのか、隼人がバツが悪そうに謝る。

「なんで隼人が謝るん?」

「圭子から聞いてると思うんですが俺、西野さんが「推しメンなんやろ?」そ、そうです」

「圭子ちゃんから、色んなこと聞いたんよ」

「あいつ、変なこととか言ってないですか?」

「ん~どうやろ。 でも、一個聞いてえぇ?」

「は、はい」

「ふふ、そんな固くならんでもええのに。 あんな聞きたいんは、ななのこと初めて知ったとき、周りの友達からなんで“なな”なのかって聞かれたんやろ? そのとき何て答えたん?」

「えっ!? えーと……」

「うんうん、なに?」

 質問に対し凄く困ったようにしている隼人に、七瀬は興味津々と言った様子で待っていた。

「あのときは、その……好きになるのに理由が必要なの?……もし、その部分が変わってしまったら好きじゃなくなるの?かって……」

「……」

「……すみません」

「もう、何で隼人が謝るん?」

「あのときは思ったこと口にしてて。 でも、改めて考えたらアイドルの方相手に、何処なのか言えないのって失礼じゃないかなって……」

「ううん……ななは、隼人の言うてること分かる気がする……」

「西野さんは……そういう“恋”……したことありますか?」

「……どうやろ……ね」

 そう言ったまま黙り込む七瀬。

 電話越しの隼人は、その沈黙が“肯定”なように感じられ、質問したことを後悔していた。

 しかし、当の七瀬は隼人が思っていることとは違うことを考えていた。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 以前、七瀬には乃木坂46一期生として入る前から交際していた男性が居た。

 同級生であった彼は、人見知りな七瀬が高校生活を謳歌できるようにと色々世話を焼いてくれたり、両家共に仲が良く家族ぐるみの付き合いが出来るような間柄であった。
そんな二人だから、七瀬は結婚も意識した交際を続けていた。

 ところが、七瀬は何の気まぐれか母親が勝手に応募したオーディション、即ち“乃木坂46”に合格をしてしまった。
図らずしてアイドルとなってしまったが、そんな七瀬を彼は“頑張れ”と力強く応援し心の支えとなってくれた。

 そんな彼だからこそ、七瀬は“恋愛禁止”である乃木坂に入ってからも、禁を破り周囲には内緒で交際を続けていた。
七瀬は、彼を本当に好いていたから、どんなに忙しい時でも合間に電話やメールをし、記念日などがあればプレゼントだって贈りあったりもした。

 当時の七瀬はそんな時間がずっと続くと思っていたし、彼にとって自慢できる彼女でいるために、そうなるようあらゆる努力を惜しまなかった。
努力が実ってか日増しに綺麗になっていく七瀬に、ファンからの人気も日増しに高まり、メディアへの露出も増えていった。

 ところが、東京での活動がメインとなり年に数度しか帰郷できなくなると、最初はアイドルとして頑張る姿を応援し続けてくれていた彼だったが、徐々に態度に変化が現れ始める。
笑顔もこなれ周囲へ愛想を振り撒く姿、Girls Awardでのモデルデビューなど、アイドルとして成長する七瀬に対し、彼は不機嫌になることが増え小さな喧嘩が絶えなくなり連絡の頻度も次第に減っていった。

 原因は、七瀬の“成長”だった。
彼にとって七瀬はアイドルになったとしても、いつまでも人見知りで自分が居なければどうしようもない、そんな女性であって欲しかったのだ。

 ところが、交際したままアイドルを続けていたとしても、七瀬はアイドルとしてしなければならないことを疎かにすることはなかった。
寧ろ、アイドルを真剣にやっているからこそ七瀬は彼との時間を大切にでき、彼のために誰よりも輝いていたいという想いが成長の原動力になっていた。

 こうして、決して交わることのないすれ違いが両者に溝を作り、七瀬の仕事の忙しさや人気の高まりによって、埋まるどころか徐々に深まっていった。

 そして、乃木坂46が2周年を迎えた頃。

 彼から唐突に「自分の知る七瀬ではなくなった」と別れを切り出された。
彼からすれば、本当は昔のように泣きじゃくり“いやや”と、別れを拒否して欲しかったのかも知れない。

 だが、七瀬はそうしなかった。

 彼のことは本当に好きであったから、別れを告げられたときは辛くショックだった。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上にアイドルとしての自分を否定されたショックの方が大きかった。

 彼の求める人見知りで後ろを付いてまわるのが“西野 七瀬”だとするならば、アイドルとしての日々の中で多くの経験と出会いを重ね成長した“現在いま”の“西野 七瀬”も紛れもなく彼女自身なのだ。
彼が居たからこそ乃木坂46のメンバーとして頑張ることができたことは事実だが、そこで得たものは掛け替えのない宝物であり、そこに内包する全ての思い出は七瀬のものなのだ。

 彼によってそんな日々を否定されたのは悲しく、そして同時に彼を想う気持ちが自分の内で消え去っていくのを感じた。
だから、彼から別れを切り出されても、七瀬は拒否することはしなかったのだ。

 その代わり、電話を切ったあと、一晩中泣いた。
終わりを迎えた恋を悼むように、彼との思い出が涙と共に尽きるまでずっと泣き続けた。

 次の日、迎えに来たマネージャーも、その足で向かったレッスン場に居たメンバーたちも、七瀬の泣き腫らした目元を見るやもの凄い勢いで心配されたものだから、逆に本人がビックリした。
同時に“泣き虫なぁちゃん”と言われる程にしょっちゅう泣いている自分に対しても、親身になって心配してくれるメンバーや関係者を目の当たりにし、その存在のありがたさに枯れた筈の涙が再び溢れた。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 ifもしも彼の望むままの自分であったのなら、今もまだ一緒に居て、結婚し、彼の子を産み、そして一生を添い遂げていたかも知れない。
七瀬は過去を振り返りながら、そんなことを考えていた。

「……ちゃうな」

 だが、七瀬は即座に自分の考えを否定するように呟く。

 “この人とは一緒に居られない”
あの日、そう七瀬自身が決断した気持ちは、時を経て振り返っても覆ることはなかった。
いくつもの分岐点とその選択をさせ七瀬の人生に大きな影響を与えた相手だったが、既に彼という存在はセピアに色褪せ思い出の1ページとなっていたこと確認するだけであった。

 そして、この呟きが七瀬にとって彼を想い、口にする最後の言葉となった――。


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