序、三人の天乙貴人(大幅に加筆修正済み)
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この物語は一部分が史実に基づいて構成されていますが、フィクションです。また一部記述に差別的な言葉が含まれていますが、当時の状況を正確に再現するための表現ですので、ご了承ください。
その冬は記録的な寒さに見舞われ、過ぎ去りし夏は酷暑だった。人々は困窮し、賤民はもちろんのこと下級両班でさえも飢えに苦しんでいた。
そんな中、両班の名門で西人のシム家第24代当主シム・ジングの妻ホ・イェリが出産を迎えていた。二人目にもかかわらず難産だったため、皆が固唾をのんで経過を見守っている。
「産まれました!…ですが…」
侍女のイム・ヘウォンが赤ん坊を産婆に差し出すと、彼女はすぐに赤ん坊が既に息絶えていることを悟った。産婆に疲労のために意識がもうろうとしているイェリを労わせると、ヘウォンはジングとその一人息子であるウンテクに事の次第を伝えた。
「…そうか、わかった。」
「父上、母上にはお知らせしない方がよいかと…」
既に12だったウンテクは、父にそう尋ねた。ジングは深くうなずくと、最も信頼できる使用人であるヘウォンに命じた。
「赤子は女子だな?」
「はい、旦那様。」
「では、産み捨てられた女子の赤子を探して来い。この際貴賤は問わぬ。」
「かしこまりました。」
意外な指示に驚いているウンテクに向き直ったジングは、彼にも目で行くように命じた。
「ウンテク、お前も行け。」
「は、はい…」
彼は一礼すると、あわててヘウォンの後を追った。
彼らはまだ知らない。
─────この選択こそがあらゆる人のの運命を大きく狂わせることになるとは…
一方、時を同じくして賤民のチェ氏宅でも出産が行われていた。双子の女子を産み落とした妻を気遣いながら、チェ・ヒョウォンは元気がない姉の方を見た。
「…元気がないな。この子は…」
「わかっています、あなた。この子は医者にも掛ることができず、死ぬのです。ああ、可愛い赤ちゃん。ごめんなさいね…こんな家に生まれたばかりに…」
栄養がきちんといきわたっていないのか、発育も良くない姉の方の赤子は、力なくヒョウォンの腕の中で眠っている。対する妹の方は産まれたばかりというのに、もう手足を動かしている。
「ああ…姉さんを守れなくてごめんなさいね」
妹のほうはその言葉の意味も分かるはずはなく、相変わらず元気よく体を動かしている。兄のトンジュは双子を見るのもつらくなり、外へ飛び出した。
すると折しもたどり着いた先は、うまい具合に赤子が居らず困り果てているシム家の前だった。
「困りましたね、父上。仕方がなく母上には事情を説明しましたが、やはり受け入れがたいようで…」
「そうか。だが養子にできそうな捨て子かつ女の赤子は見つからぬのだな」
「はい。貴賤問わず探してみましたが、見つかりません。」
そのやり取りを陰で聞いていたトンジュは、居てもたってもいられず家へ駆け戻った。
「父上、母上!」
「なんだ。騒がしい」
「父上。先ほど知ったのですが、この先にある両班の家で養子にできそうな捨て子の女の赤子を探しているのです!」
「それは本当なの?」
目を輝かせて自分を見る母親に、トンジュは深くうなずいた。
「はい。事実です。」
優柔不断をも許さない状態だと悟った夫妻は、目を閉じて深くうなずいた。そして箱から家に一つしかない高価なノリゲを取り出し、ヒョウォンは中央についている玉を半分に割り、姉の方の赤子のお包みに入れた。
「…行こうか、トンジュ。」
「はい、父さん。」
名残惜しさが残らぬよう、悲しみが増さぬようにヒョウォンは妹の隣に眠る赤子を取り上げた。生き残るためとはわかっていても、妻の瞳に浮かぶ涙は彼の心をえぐった。
「……元気でね……こんな無責任で、あなたを守ることもできない私たちを許してちょうだい…」
妻のその言葉が、ヒョウォンの足を止めようとさせる。だが、彼はその辛さを振り払うとそのままシム家へと急ぐのだった。
シム家の前に赤子を置くと、ヒョウォンはその頬に触れようとして手を伸ばした。しかしその手は、愛らしい娘の柔らかな頬に触れることはないままひっこめられた。
「生きるのだ、娘よ。お前は今日から私の子ではない。今日からお前はシム家の両班の令嬢として生きるのだ。賤民として、人間以下の扱いを受けるのではなく、人として…誰よりも高貴な人として生きるのだ」
彼がそう言いながら別れを惜しんでいると、ウンテクがやってきた音を聞きつけたトンジュがその腕を引っ張った。
「父さん、行かないと。」
「ああ、わかった。」
二人が早足にその場を去ってすぐ、入れ替わるようにしてウンテクが門の前にやってきた。彼は首をかしげると、この誰よりも愛らしい女の赤子を抱き上げた。
「あ…この子は…女の子だ!!」
喜んだ彼は、さっそく父と母に知らせようと向きを変えた。しかし、そんな彼を呼び止める人物が偶然現れた。
「もし、そこの若様。その子の相を見せてくださらんか?」
「はい…?」
怪しげな道士をまじまじと観察するウンテクに失笑すると、道士———ファン道士は手を横に振った。
「お父上の『中庸』を返すのを忘れているままでいるキム・ファンとお伝えを。」
「キム・ファン…?」
ウンテクの質問には答えず、ファンは赤子の相を見始めた。
「ほう、この子は…天乙貴人の相だ。そして、生年中殺とは…」
「天乙貴人はわかりますが、生年中殺とは何でしょうか?」
「親もとを離れることで本来の定めを全うできる人物のことだ。」
「ふぅん…」
「つまり、拾っても問題ないということだ。お父上にもそう伝えなさい。」
納得したらしいウンテクは一礼すると、赤子を部屋に持って入ろうとした。だがファンはまだ何か言い足りないらしく、その背を呼び止めた。
「若様、この子は弱っております。すぐに医者に見せた方がよいでしょう。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「それと…婚姻の際は殺印相生格の男に気をつけなさい。」
「はい、そう伝えておきます。」
ウンテクは丁寧に一礼すると、とにかく母が喜ぶであろうという嬉しさに包まれてその場を後にした。残されたファンは目を細めると、静かに頭を下げた。
—————幸福な人生が、お嬢様を待っていますように。
「…例えそれが、どのような形になろうとも…」
医者に診てもらいすっかり回復した赤子を抱きながら、ジングの妻イェリは亡くなった自分の子供に勝るともおらぬ愛らしさにすっかり母性をくすぐられていた。
「ああ、かわいい子…なんて可愛いのかしら。捨てられたにもかかわらずお包みの中にノリゲの片割れを入れるのは、きっと本当の両親に愛されている証ね」
「妻よ。そなたにはこの子を娘として育てる覚悟があるか?」
そう言って微笑むジングの瞳にも、すでに父親としての愛が芽生えていた。イェリは首を縦に振ると、机の中から紙を取り出した。
「この子はウォルファ。今日からこの子はシム・ウォルファです。例えどのような下に産まれてきた子であっても、今日からそなたは私たちの子です。」
彼女はウォルファに笑いかけた。すると、僅かにその口が笑ったような気がした。
「あら。この子、今笑ったわ!」
「本当だな。ウォルファ。」
ウォルファとよばれるたびに、赤子は幸せそうな笑顔を浮かべている。その様子を外から聞いていて、居ても立っても居られなくなったウンテクが部屋に飛び込んできた。
「きっと名前が気にいったのでしょう。ウォルファ、私の妹。」
「そうだといいものだ。」
こうして、一人の女性が生を受けた。元あった定めとは異なる、何一つ不自由ない定めで生きていく人生だけが待っているように思われた。
しかし、このウォルファこそが数奇な運命と共に、換局政治に巻き込まれていく悲しき定めを持つ天乙貴人の一人であるとは、まだこの子自身が知ることはない。
その冬は記録的な寒さに見舞われ、過ぎ去りし夏は酷暑だった。人々は困窮し、賤民はもちろんのこと下級両班でさえも飢えに苦しんでいた。
そんな中、両班の名門で西人のシム家第24代当主シム・ジングの妻ホ・イェリが出産を迎えていた。二人目にもかかわらず難産だったため、皆が固唾をのんで経過を見守っている。
「産まれました!…ですが…」
侍女のイム・ヘウォンが赤ん坊を産婆に差し出すと、彼女はすぐに赤ん坊が既に息絶えていることを悟った。産婆に疲労のために意識がもうろうとしているイェリを労わせると、ヘウォンはジングとその一人息子であるウンテクに事の次第を伝えた。
「…そうか、わかった。」
「父上、母上にはお知らせしない方がよいかと…」
既に12だったウンテクは、父にそう尋ねた。ジングは深くうなずくと、最も信頼できる使用人であるヘウォンに命じた。
「赤子は女子だな?」
「はい、旦那様。」
「では、産み捨てられた女子の赤子を探して来い。この際貴賤は問わぬ。」
「かしこまりました。」
意外な指示に驚いているウンテクに向き直ったジングは、彼にも目で行くように命じた。
「ウンテク、お前も行け。」
「は、はい…」
彼は一礼すると、あわててヘウォンの後を追った。
彼らはまだ知らない。
─────この選択こそがあらゆる人のの運命を大きく狂わせることになるとは…
一方、時を同じくして賤民のチェ氏宅でも出産が行われていた。双子の女子を産み落とした妻を気遣いながら、チェ・ヒョウォンは元気がない姉の方を見た。
「…元気がないな。この子は…」
「わかっています、あなた。この子は医者にも掛ることができず、死ぬのです。ああ、可愛い赤ちゃん。ごめんなさいね…こんな家に生まれたばかりに…」
栄養がきちんといきわたっていないのか、発育も良くない姉の方の赤子は、力なくヒョウォンの腕の中で眠っている。対する妹の方は産まれたばかりというのに、もう手足を動かしている。
「ああ…姉さんを守れなくてごめんなさいね」
妹のほうはその言葉の意味も分かるはずはなく、相変わらず元気よく体を動かしている。兄のトンジュは双子を見るのもつらくなり、外へ飛び出した。
すると折しもたどり着いた先は、うまい具合に赤子が居らず困り果てているシム家の前だった。
「困りましたね、父上。仕方がなく母上には事情を説明しましたが、やはり受け入れがたいようで…」
「そうか。だが養子にできそうな捨て子かつ女の赤子は見つからぬのだな」
「はい。貴賤問わず探してみましたが、見つかりません。」
そのやり取りを陰で聞いていたトンジュは、居てもたってもいられず家へ駆け戻った。
「父上、母上!」
「なんだ。騒がしい」
「父上。先ほど知ったのですが、この先にある両班の家で養子にできそうな捨て子の女の赤子を探しているのです!」
「それは本当なの?」
目を輝かせて自分を見る母親に、トンジュは深くうなずいた。
「はい。事実です。」
優柔不断をも許さない状態だと悟った夫妻は、目を閉じて深くうなずいた。そして箱から家に一つしかない高価なノリゲを取り出し、ヒョウォンは中央についている玉を半分に割り、姉の方の赤子のお包みに入れた。
「…行こうか、トンジュ。」
「はい、父さん。」
名残惜しさが残らぬよう、悲しみが増さぬようにヒョウォンは妹の隣に眠る赤子を取り上げた。生き残るためとはわかっていても、妻の瞳に浮かぶ涙は彼の心をえぐった。
「……元気でね……こんな無責任で、あなたを守ることもできない私たちを許してちょうだい…」
妻のその言葉が、ヒョウォンの足を止めようとさせる。だが、彼はその辛さを振り払うとそのままシム家へと急ぐのだった。
シム家の前に赤子を置くと、ヒョウォンはその頬に触れようとして手を伸ばした。しかしその手は、愛らしい娘の柔らかな頬に触れることはないままひっこめられた。
「生きるのだ、娘よ。お前は今日から私の子ではない。今日からお前はシム家の両班の令嬢として生きるのだ。賤民として、人間以下の扱いを受けるのではなく、人として…誰よりも高貴な人として生きるのだ」
彼がそう言いながら別れを惜しんでいると、ウンテクがやってきた音を聞きつけたトンジュがその腕を引っ張った。
「父さん、行かないと。」
「ああ、わかった。」
二人が早足にその場を去ってすぐ、入れ替わるようにしてウンテクが門の前にやってきた。彼は首をかしげると、この誰よりも愛らしい女の赤子を抱き上げた。
「あ…この子は…女の子だ!!」
喜んだ彼は、さっそく父と母に知らせようと向きを変えた。しかし、そんな彼を呼び止める人物が偶然現れた。
「もし、そこの若様。その子の相を見せてくださらんか?」
「はい…?」
怪しげな道士をまじまじと観察するウンテクに失笑すると、道士———ファン道士は手を横に振った。
「お父上の『中庸』を返すのを忘れているままでいるキム・ファンとお伝えを。」
「キム・ファン…?」
ウンテクの質問には答えず、ファンは赤子の相を見始めた。
「ほう、この子は…天乙貴人の相だ。そして、生年中殺とは…」
「天乙貴人はわかりますが、生年中殺とは何でしょうか?」
「親もとを離れることで本来の定めを全うできる人物のことだ。」
「ふぅん…」
「つまり、拾っても問題ないということだ。お父上にもそう伝えなさい。」
納得したらしいウンテクは一礼すると、赤子を部屋に持って入ろうとした。だがファンはまだ何か言い足りないらしく、その背を呼び止めた。
「若様、この子は弱っております。すぐに医者に見せた方がよいでしょう。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「それと…婚姻の際は殺印相生格の男に気をつけなさい。」
「はい、そう伝えておきます。」
ウンテクは丁寧に一礼すると、とにかく母が喜ぶであろうという嬉しさに包まれてその場を後にした。残されたファンは目を細めると、静かに頭を下げた。
—————幸福な人生が、お嬢様を待っていますように。
「…例えそれが、どのような形になろうとも…」
医者に診てもらいすっかり回復した赤子を抱きながら、ジングの妻イェリは亡くなった自分の子供に勝るともおらぬ愛らしさにすっかり母性をくすぐられていた。
「ああ、かわいい子…なんて可愛いのかしら。捨てられたにもかかわらずお包みの中にノリゲの片割れを入れるのは、きっと本当の両親に愛されている証ね」
「妻よ。そなたにはこの子を娘として育てる覚悟があるか?」
そう言って微笑むジングの瞳にも、すでに父親としての愛が芽生えていた。イェリは首を縦に振ると、机の中から紙を取り出した。
「この子はウォルファ。今日からこの子はシム・ウォルファです。例えどのような下に産まれてきた子であっても、今日からそなたは私たちの子です。」
彼女はウォルファに笑いかけた。すると、僅かにその口が笑ったような気がした。
「あら。この子、今笑ったわ!」
「本当だな。ウォルファ。」
ウォルファとよばれるたびに、赤子は幸せそうな笑顔を浮かべている。その様子を外から聞いていて、居ても立っても居られなくなったウンテクが部屋に飛び込んできた。
「きっと名前が気にいったのでしょう。ウォルファ、私の妹。」
「そうだといいものだ。」
こうして、一人の女性が生を受けた。元あった定めとは異なる、何一つ不自由ない定めで生きていく人生だけが待っているように思われた。
しかし、このウォルファこそが数奇な運命と共に、換局政治に巻き込まれていく悲しき定めを持つ天乙貴人の一人であるとは、まだこの子自身が知ることはない。