序、月夜の惨劇
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夜空を引っ掻いたような三日月が浮かんでいる。
その日、五歳にもならない幼い娘は真夜中の喧騒に目を覚ました。既に母親と兄は身支度を済ませており、彼女は兄の背中に抱えられていた。
「おにいしゃま………なぁに……?」
「静かに」
訳もわからず彼女は微睡みの中、空を見上げた。月が美しい夜だった。
「ねぇ、おとうしゃまは……?」
「ええと………それは……」
「ヨンフェ、お父様の話は止めなさい。」
いつもは穏やかで優しい母の厳しい口調に、娘はすっかり怯えてしまった。一体、何が起きているのか。
「いいか。お父様は今、ちょっと王宮から帰れないんだ。」
「じゃあ、どうして私たちは………」
子供心に不安を覚えた彼女だが、兄の表情にそれ以上を尋ねることは残酷なように思え、そのまま口をつぐんだ。
しばらくして、母は一軒の山間のボロ屋に娘───ヒャンユンを入れた。
「……お前を当分、お父様の親友のコン・ジェミョン様に預けることになるわ。だから、ヒャンユン。大人しく待てる?」
「うん!待てる!!待つね!お母様!」
彼女はすぐに首を縦に振り、母親の裾に抱きついた。母親は愛しそうにその頭を撫でると、ボロ屋の戸を閉めた。そして、兄のヨンフェは先に迎えに来ていた者に引き取られ、いよいよ彼女もどこかへ行こうとしたときだった。
突然彼女の視線が凍りついた。そして、それは板の隙間から様子を伺っていたヒャンユンにもわかる程の恐怖を宿していた。母親は後ずさると、少しでもヒャンユンのいる小屋から何かを引きはなそうとした。
その何かとは、刺客だった。
「────そなたたち、私の夫だけでなく一族をどうするつもりだ!」
「証拠を持っているはずだ。殺せ。」
「誰の差し金かはわかっている!ユン・ウォニョンとチョン・ナンジョンであろう!」
母がそう叫んだときだった。刺客の間を縫い、一人の女性が現れた。
「────その通りだ。」
冷ややかな美しさを持つその女性───チョン・ナンジョンは、ヒャンユンの母に微笑むと目で殺すよう指示をした。
そして────
月明かりにきらめく刃が、ヒャンユンの大切な人を切り捨てた。思わず叫び声が出そうになり、彼女は慌てて口を押さえた。
────お母様……!お母様……やだ……やだ………!
ヒャンユンは必死で母を殺すように指示した女性の顔を見た。その一度見れば忘れられないような美しさと残忍さは、彼女の心にしっかりとナンジョンの顔を焼き付けるのには造作もないことだった。
「娘と息子がいるはずだ。必ず探し出せ。…全く、面倒な話だ」
女性と刺客が立ち去ったことを確認すると、ヒャンユンは危険を省みず、外に飛び出して母のそばに駆け寄った。致命傷を負ったものの、奇跡的に一命をとりとめた彼女は、娘の名前を呼んだ。
「ヒャンユン………ヒャンユン……」
「わかった。いい子にする。だから……だから、お母様…だから…死なないで……お願い……これからは、言うこと聞くから。叱られて、叩かれてもいいから。お母様………お母様…お母様!」
「ヒャンユン…………生きて………生きて………生きて、幸せに………………………………」
「そんな……やだ………そんな…………お母様……お母様……お母様……」
ヒャンユンが握りしめた温かい母の手も、どんどん力が抜けていくのが感じられた。そして彼女は、ようやく自分がどのような状況に置かれたかに気づいた。
ふと、ヒャンユンが虚ろな目で振り向くと、目の前に例の女性が立っていた。
「お前が、娘か。」
「お母様をよくも……よくも………!」
幸いにも、ナンジョンからはヒャンユンの顔は影になって見えていなかった。けれど、彼女は必死でナンジョンを睨み付けていた。その殺意が手に取るように伝わったらしく、彼女は子供とは思えない眼光の鋭さに思わず後ずさった。
「私は、絶対にあなたを許さない。あなたがだれかは分からないけれど、絶対探しだすわ」
「そうか。だが、その前に死んでもらう。」
そのときヒャンユンは何を思ったのか、何故か微動だにしなかった。その気迫に圧倒され、刺客の男の刃が震える。
「何をしている。小娘ごときに手間取りおって!」
「は、はい!」
ナンジョンの怒声に怯んだ刺客は、心の中で小さな娘を斬ることに対して、祈りながら目を瞑って刀を振り下ろした。鮮血が飛び散り、ヒャンユンは一気に意識が薄れていくのを感じた。だがその状態でも、母の手を決して離さないよう、彼女は必死でその手を握りしめた。やがて、ナンジョンたちが離れていったのと入れ替わりに、コン・ジェミョンがやってきた。彼は部下のチャクトと惨状に思わず絶句した。月明かりの中、地面に染み込んだ鮮血が月光を反射している。
「お、奥様!お嬢様!」
すぐに彼は駆け寄って二人の絶望的な安否の確認をした。すると、死んだように倒れているヒャンユンだったが、わずかに手が動いたことにジェミョンが気づいた。
「おい!チャクト!娘の方はまだ生きているぞ!」
「ええ!?こんなに血が出ているのに?」
「切り方が甘かったようだ。医者を呼べ。うちの商団で手当てをする」
「わ、わかりました………」
チャクトが慌てて駆け出したのをみて、ジェミョンは残りの部下のごろつき───曰牌たちに命じた。
「お嬢様をお運びしろ。いいな」
「はい、大行首様」
こうして奇跡的に一命をとりとめたヒャンユンは、ジェミョンの手厚い看病を受けることとなった。だがそれでも傷は深く、彼女は何日も眠り続けた。そんな中でも、ジェミョンは片時もヒャンユンの側を離れることはなかった。
「……大行首様。大行首様が倒れてしまいますよ」
「いや、大丈夫だ。それより、峠は今日だと言っていたな。」
「はい。今夜を越せば、大丈夫だとか」
「そうか………」
ジェミョンはヒャンユンの額に滲む汗を拭うと、深いため息をついた。
「こんな年で、辛い目に遭うなんて………大尹派と小尹派の争いなど、この子にはわからんだろうに」
「引き取って大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。俺が他のやつに死体のすり替えを頼んだから、世間では死んだことになっている。」
チャクトは驚きと戸惑いが入り交じった目でジェミョンを見た。この数日ですっかりヒャンユンへの父性が湧いたらしく、本当の父親のような笑顔を浮かべているときもある。普段は商売でも決して無茶はせず、無難に乗りきる性分のジェミョンなのに、何故か今回だけは違っていた。自らこのまま引き取って娘として育てると言い出したのだ。部下のほとんどは彼女の出自を知らないため、見ず知らずの娘を引き入れることに難色を示すものも居たが、ジェミョンは全ての人を説得していった。そしてついに、知り合いの詐欺師に頼んで戸籍を作ってもらい、自分の娘として籍を作ることに成功したのだ。
「………早く起きろよ。俺がどんなに辛いことがあっても守ってやるから。」
彼がそう言ってヒャンユンの頬を撫でると、ほんの少しだけ彼女が笑ったような気がして、チャクトも暖かな気持ちになった。
そして、5日目の朝。ようやくヒャンユンが目を覚ました。
「お、お嬢様!!お目覚めですか!大行首様!お嬢様が目を覚ましました!」
「そうか!…加減はどうですか?」
チャクトに呼ばれ、慌てて部屋に駆け込んだジェミョンは、ヒャンユンの手を握ってそう尋ねた。すると、驚いたことに何故か彼女は満面の笑みでジェミョンにこう返事をした。
「………はい、お父様!」
「……え?」
「お父様……ですよね?あれ………」
「ご自分のお名前は?」
「ヒャンユン。名字は………あれ………」
「家族は?」
「父と母と………あと……誰…………だっけ………」
そのやり取りとヒャンユンの表情をみてジェミョンは確信した。彼女はあまりに辛い出来事と大きな傷で陥った昏睡状態が重なり、過去の記憶を失っているのだと。ジェミョンはうろたえるチャクトを制し、優しくこう言った。
「そうだ、俺が父さんだ。もう大丈夫、安心しろ。」
「うん!」
元気よく首を縦に振るヒャンユンをみて安心した二人は、一旦部屋を出ようとした。すると、ヒャンユンがその背中に呼び掛けた。
「お父様。」
「何だ?ヒャンユン」
「ありがとう。ずっと、そばにいてくれたでしょ?」
その言葉に微笑むと、ジェミョンは再びヒャンユンの隣に座り、こう言った。
「…………当たり前だ。お前の父さんだからな」
「お父様、大好き!ちゃんと寝るから、また夕方になったら来てくれる?」
「もちろん。絶対来るよ、約束する」
ヒャンユンは心から喜ぶと、布団を肩までかぶり直して横になった。その大きくて愛らしい瞳が一体、どのような辛い出来事を見たのか。できればもう永遠に知らず、親子として生きていけることをほんの少しだけ願うと、ジェミョンは部屋を後にした。
こうして、ヒャンユンはコン・ジェミョンの娘として生きることとなった。そしてその選択こそが、多くの人物の人生を変えていくことになるとは、まだ誰も知る由はない。
その日、五歳にもならない幼い娘は真夜中の喧騒に目を覚ました。既に母親と兄は身支度を済ませており、彼女は兄の背中に抱えられていた。
「おにいしゃま………なぁに……?」
「静かに」
訳もわからず彼女は微睡みの中、空を見上げた。月が美しい夜だった。
「ねぇ、おとうしゃまは……?」
「ええと………それは……」
「ヨンフェ、お父様の話は止めなさい。」
いつもは穏やかで優しい母の厳しい口調に、娘はすっかり怯えてしまった。一体、何が起きているのか。
「いいか。お父様は今、ちょっと王宮から帰れないんだ。」
「じゃあ、どうして私たちは………」
子供心に不安を覚えた彼女だが、兄の表情にそれ以上を尋ねることは残酷なように思え、そのまま口をつぐんだ。
しばらくして、母は一軒の山間のボロ屋に娘───ヒャンユンを入れた。
「……お前を当分、お父様の親友のコン・ジェミョン様に預けることになるわ。だから、ヒャンユン。大人しく待てる?」
「うん!待てる!!待つね!お母様!」
彼女はすぐに首を縦に振り、母親の裾に抱きついた。母親は愛しそうにその頭を撫でると、ボロ屋の戸を閉めた。そして、兄のヨンフェは先に迎えに来ていた者に引き取られ、いよいよ彼女もどこかへ行こうとしたときだった。
突然彼女の視線が凍りついた。そして、それは板の隙間から様子を伺っていたヒャンユンにもわかる程の恐怖を宿していた。母親は後ずさると、少しでもヒャンユンのいる小屋から何かを引きはなそうとした。
その何かとは、刺客だった。
「────そなたたち、私の夫だけでなく一族をどうするつもりだ!」
「証拠を持っているはずだ。殺せ。」
「誰の差し金かはわかっている!ユン・ウォニョンとチョン・ナンジョンであろう!」
母がそう叫んだときだった。刺客の間を縫い、一人の女性が現れた。
「────その通りだ。」
冷ややかな美しさを持つその女性───チョン・ナンジョンは、ヒャンユンの母に微笑むと目で殺すよう指示をした。
そして────
月明かりにきらめく刃が、ヒャンユンの大切な人を切り捨てた。思わず叫び声が出そうになり、彼女は慌てて口を押さえた。
────お母様……!お母様……やだ……やだ………!
ヒャンユンは必死で母を殺すように指示した女性の顔を見た。その一度見れば忘れられないような美しさと残忍さは、彼女の心にしっかりとナンジョンの顔を焼き付けるのには造作もないことだった。
「娘と息子がいるはずだ。必ず探し出せ。…全く、面倒な話だ」
女性と刺客が立ち去ったことを確認すると、ヒャンユンは危険を省みず、外に飛び出して母のそばに駆け寄った。致命傷を負ったものの、奇跡的に一命をとりとめた彼女は、娘の名前を呼んだ。
「ヒャンユン………ヒャンユン……」
「わかった。いい子にする。だから……だから、お母様…だから…死なないで……お願い……これからは、言うこと聞くから。叱られて、叩かれてもいいから。お母様………お母様…お母様!」
「ヒャンユン…………生きて………生きて………生きて、幸せに………………………………」
「そんな……やだ………そんな…………お母様……お母様……お母様……」
ヒャンユンが握りしめた温かい母の手も、どんどん力が抜けていくのが感じられた。そして彼女は、ようやく自分がどのような状況に置かれたかに気づいた。
ふと、ヒャンユンが虚ろな目で振り向くと、目の前に例の女性が立っていた。
「お前が、娘か。」
「お母様をよくも……よくも………!」
幸いにも、ナンジョンからはヒャンユンの顔は影になって見えていなかった。けれど、彼女は必死でナンジョンを睨み付けていた。その殺意が手に取るように伝わったらしく、彼女は子供とは思えない眼光の鋭さに思わず後ずさった。
「私は、絶対にあなたを許さない。あなたがだれかは分からないけれど、絶対探しだすわ」
「そうか。だが、その前に死んでもらう。」
そのときヒャンユンは何を思ったのか、何故か微動だにしなかった。その気迫に圧倒され、刺客の男の刃が震える。
「何をしている。小娘ごときに手間取りおって!」
「は、はい!」
ナンジョンの怒声に怯んだ刺客は、心の中で小さな娘を斬ることに対して、祈りながら目を瞑って刀を振り下ろした。鮮血が飛び散り、ヒャンユンは一気に意識が薄れていくのを感じた。だがその状態でも、母の手を決して離さないよう、彼女は必死でその手を握りしめた。やがて、ナンジョンたちが離れていったのと入れ替わりに、コン・ジェミョンがやってきた。彼は部下のチャクトと惨状に思わず絶句した。月明かりの中、地面に染み込んだ鮮血が月光を反射している。
「お、奥様!お嬢様!」
すぐに彼は駆け寄って二人の絶望的な安否の確認をした。すると、死んだように倒れているヒャンユンだったが、わずかに手が動いたことにジェミョンが気づいた。
「おい!チャクト!娘の方はまだ生きているぞ!」
「ええ!?こんなに血が出ているのに?」
「切り方が甘かったようだ。医者を呼べ。うちの商団で手当てをする」
「わ、わかりました………」
チャクトが慌てて駆け出したのをみて、ジェミョンは残りの部下のごろつき───曰牌たちに命じた。
「お嬢様をお運びしろ。いいな」
「はい、大行首様」
こうして奇跡的に一命をとりとめたヒャンユンは、ジェミョンの手厚い看病を受けることとなった。だがそれでも傷は深く、彼女は何日も眠り続けた。そんな中でも、ジェミョンは片時もヒャンユンの側を離れることはなかった。
「……大行首様。大行首様が倒れてしまいますよ」
「いや、大丈夫だ。それより、峠は今日だと言っていたな。」
「はい。今夜を越せば、大丈夫だとか」
「そうか………」
ジェミョンはヒャンユンの額に滲む汗を拭うと、深いため息をついた。
「こんな年で、辛い目に遭うなんて………大尹派と小尹派の争いなど、この子にはわからんだろうに」
「引き取って大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。俺が他のやつに死体のすり替えを頼んだから、世間では死んだことになっている。」
チャクトは驚きと戸惑いが入り交じった目でジェミョンを見た。この数日ですっかりヒャンユンへの父性が湧いたらしく、本当の父親のような笑顔を浮かべているときもある。普段は商売でも決して無茶はせず、無難に乗りきる性分のジェミョンなのに、何故か今回だけは違っていた。自らこのまま引き取って娘として育てると言い出したのだ。部下のほとんどは彼女の出自を知らないため、見ず知らずの娘を引き入れることに難色を示すものも居たが、ジェミョンは全ての人を説得していった。そしてついに、知り合いの詐欺師に頼んで戸籍を作ってもらい、自分の娘として籍を作ることに成功したのだ。
「………早く起きろよ。俺がどんなに辛いことがあっても守ってやるから。」
彼がそう言ってヒャンユンの頬を撫でると、ほんの少しだけ彼女が笑ったような気がして、チャクトも暖かな気持ちになった。
そして、5日目の朝。ようやくヒャンユンが目を覚ました。
「お、お嬢様!!お目覚めですか!大行首様!お嬢様が目を覚ましました!」
「そうか!…加減はどうですか?」
チャクトに呼ばれ、慌てて部屋に駆け込んだジェミョンは、ヒャンユンの手を握ってそう尋ねた。すると、驚いたことに何故か彼女は満面の笑みでジェミョンにこう返事をした。
「………はい、お父様!」
「……え?」
「お父様……ですよね?あれ………」
「ご自分のお名前は?」
「ヒャンユン。名字は………あれ………」
「家族は?」
「父と母と………あと……誰…………だっけ………」
そのやり取りとヒャンユンの表情をみてジェミョンは確信した。彼女はあまりに辛い出来事と大きな傷で陥った昏睡状態が重なり、過去の記憶を失っているのだと。ジェミョンはうろたえるチャクトを制し、優しくこう言った。
「そうだ、俺が父さんだ。もう大丈夫、安心しろ。」
「うん!」
元気よく首を縦に振るヒャンユンをみて安心した二人は、一旦部屋を出ようとした。すると、ヒャンユンがその背中に呼び掛けた。
「お父様。」
「何だ?ヒャンユン」
「ありがとう。ずっと、そばにいてくれたでしょ?」
その言葉に微笑むと、ジェミョンは再びヒャンユンの隣に座り、こう言った。
「…………当たり前だ。お前の父さんだからな」
「お父様、大好き!ちゃんと寝るから、また夕方になったら来てくれる?」
「もちろん。絶対来るよ、約束する」
ヒャンユンは心から喜ぶと、布団を肩までかぶり直して横になった。その大きくて愛らしい瞳が一体、どのような辛い出来事を見たのか。できればもう永遠に知らず、親子として生きていけることをほんの少しだけ願うと、ジェミョンは部屋を後にした。
こうして、ヒャンユンはコン・ジェミョンの娘として生きることとなった。そしてその選択こそが、多くの人物の人生を変えていくことになるとは、まだ誰も知る由はない。