5、張り巡らされた罠
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トンイとまだ三ヶ月にもならない王子を尋ねて宝慶堂を訪れていたウォルファは、姉妹として楽しい時間を過ごしていた。トンイは王子の服を縫いながら微笑んでいる。ふと、ウォルファは王子の顔をまじまじと見た。
「どうしたの?姉さん」
「………何だか汗をかいてるし、ちょっと熱っぽくないかしら?」
「そう?部屋が暑いのかしら…」
「一度侍医に見てもらうといいわ。お風邪を召されていては大変よ」
トンイは姉の助言通りに侍医を呼んだ。診断結果はやはり軽い風邪だった。彼女は指示通りに薬飲ませ、産着を整えると王子を別の部屋に移し、ウォルファは邪魔しても悪いと思いそっと退室した。
宝慶堂の外にはヒジェが待っていた。就善堂の者たちに見られないようにきょろきょろしているが、もはや宝慶堂の女官たちに気にする様子はない。彼は満面の笑みを浮かべると彼女の手を取ろうとした。だがウォルファはその手を取らずに手洗い場に向かった。
「おい、どうした」
「王子様がお風邪なのよ。あなたにうつすわけにはいかないわ。心なしか目も充血していたようだし…」
「ふうん………」
さも興味がなさそうに空を仰いでおるヒジェの様子にウォルファは気づかないまま続けた。
「ねぇ、お見舞いって何がいいかしら?」
「あのなぁ。普通病気のガ…………王子様に近づくか?」
ガキと言いそうになって慌てて口をつぐんだヒジェは、丁寧にトンイの子供などには普段はつけないような敬称をつけて言い直した。
「あら、どうして?」
「そなたがうつっては困る」
それに淑媛の子供だし、と本音を吐きそうになり、彼はまた口をつぐんだ。
「大丈夫。私は元気よ」
「いや、心配だ。当分宝慶堂へは行かぬほうが良いぞ」
「でもお見舞いの品は送らないとね。何がいいかしら?」
「………紐飾りはどうだ?」
その提案にウォルファは大喜びした。
「そうね!それがいいわ!ヒジェ様って天才ね!」
「そうか?まぁ……当然だ」
「ありがと。大好きよ」
「俺もだ。」
甘い視線を交わしながら、二人は微笑んだ。こんな幸せが少しでもあるのなら、どんなことがあっても耐えられる。彼らはそう思うと、手を繋いで宮殿を後にした。
ウォルファはその夜、珍しく部屋の外に出て月を眺めていた。会瀬のためにやって来たヒジェは、その物思いに耽りように声をかけるのをためらった。
「………あら、ヒジェ様。来てたのね」
「……どうした、ウォルファ。そなたらしくないぞ」
彼女は目を伏せて笑うと、形見の片割れを取り出した。
「私、トンイと違って家族のことを何も知らないの。こんなこと言うべきじゃないけれど、本当の家族のことを知っているなんて、あの子が少しだけ羨ましい。」
「家族のことが、知りたいのか?」
「ええ。トンジュっていうお兄様がいて、ヒョウォンっていうお父様がいて、ファギョンっていうお母様がいたの。」
その横顔がとても悲しそうで、ヒジェは優しくその頬に触れた。そして彼自身もその境遇を語りだした。
「───俺は、父を幼い頃に亡くした。そして、推奴に追われていたせいで、死に立ち会えなかった。ずっと、俺を呼んでいたらしい。お前にはずば抜けた語学の才だけでなくもっと可能性がある、と。だからもっと身分が上ならきっと凄い人になれたのに…………」
ヒジェは言葉をつまらせながら声を絞り出した。
「………私が…私が…父のせいで………こんな家に産まれたせいで……………済まない………と…………」
気がつけば、ヒジェは泣いていた。ウォルファは彼の背中をさすりながら、その肩に彼の首をあてがった。
「…………それが父の最期の言葉だった。俺は、ずっと父に怒られながら中国語を学んでいた。だが、それは俺のためだった。なのに俺はそんなこともわからずに父に……………」
「ヒジェ様、もうわかったわ。辛いことは話さなくてもいいのよ」
「でも…………でも…………記憶があるだけ幸せなんだ………そなたにはそれがない…………温かな思い出も、悲しい思い出も…………」
彼はそういうとウォルファの手を取ってこう言った。
「だから、これからは私がその分になる。私と共に、幸せな、そなたが望む家族を作ろう」
突然の申し出に彼女は言葉を失った。だがすぐにそれが正式な婚姻の申し出であることに気づくと、とたんに笑顔に変わった。
「……私で、いいの?」
「ああ。むしろそなたでないとだめだ。子供は何人が良いかな………うーん、やはり五人くらいは普通に作るよな?」
「あなたがきちんと父親になれるなら、ね」
「なれるとも!!」
二人は顔を見合わせて笑った。ヒジェは心から吹っ切れたように見えるウォルファを見てほっとした。
───そなたの父は剣契の頭で、兄はその幹部、そして二人とも反逆罪で官軍に惨殺されたとは言えん。
彼女はそんな残酷な事実があるとは知らず、ヒジェに無邪気な表情で抱きついた。
「嬉しい!!愛してるわ、ヒジェ様」
「俺も、愛してる。」
彼は照れくさそうな顔をすると、ゆっくりとウォルファに口づけをした。
「───愛してる。」
「わ……私も………。」
たちまち赤面した彼女は、ヒジェの目から顔をそらした。だがそれを許さないとでも言いたげに彼はウォルファの顔に両手を添えると、強引に再び唇を奪った。今度は甘く、そして長い口づけだった。何度も口づけを交わしているうちに抑えきれなくなったヒジェは、ゆっくりと彼女の首に指を這わせた。だがすぐにこれ以上進めば戻れなくなると我に返った彼は、手を引っ込めるとそのまま塀によじ登った。
「あ、明日も……な」
「ええ。必ず来てね」
そして彼は余韻もなくさっさと帰ってしまった。心なしか物足りなさから来る寂しさにかられたウォルファだったが、また明日も会えるのだからとにやけると、そのまま部屋に戻り灯りを消して床についた。
この幸せが今日の夜に終わると彼女もヒジェも知っていたなら、二人はどんな選択肢を選んだのだろうか。しかし、我々にそんなことは知る由もないのだった。
次の日、トンイはいっこうに風邪が治らない王子を心配しながら見ていた。すると、ある連絡が入った。それを聞いた彼女の顔がみるみる青ざめていく。
「外出するわ。急いで支度をして!」
「えっ?淑媛様?どうされたんですか?」
「理由は聞かないで、ポン尚宮」
トンイは真剣な表情でそう言うと、慌てて身支度を始めた。彼女が貰った連絡とは、幼馴染みの今は剣契の頭となったケドラがオ・テソクを守ろうとして瀕死の重症を負ったというものだった。チョンスも怪我をしているらしく、彼女はソリの妓楼で匿ってもらっているため、そこへ行こうとしていた。
妓楼についたトンイは、ケドラに駆け寄ると話を聞いた。
「今すぐすべての計画を中止して、逃げるのよ。」
「だめだ………もう実行している最中です……」
「何をしたの?誰を狙ったの?」
「オ・テソク殺害の現場に居た、チャン・ヒジェです………」
「えっ…………」
その名前を聞いて、彼女の脳裏にウォルファの姿が思い浮かんだ。トンイは妓生のクモンへウォルファに今すぐこのことを知らせるようにと言った。伝えなければ自分の身は安泰なのにと思ったチョンスは、トンイの腕を掴み首を横に振った。
「………言いたいことはわかるわ、兄さん。でも、ウォルファ姉さんは………」
「姉さん?一体、どういうことですか?」
「話はあとでするわ。今はケドラを逃がさないと………」
何のことかさっぱりのチョンスを置いて、トンイはケドラに肩を貸した。だが妓楼を出ようとした瞬間、漢城府の兵が行く手を阻んだ。ムヨル、そしてなんと粛宗までもがトンイに詰め寄った。そして彼女は全てが南人と禧嬪が張り巡らした罠であることに気づいた。
───姉さん……!!
衝撃で頭が真っ白になる中、彼女はウォルファの身を案じるのだった。
その頃、ウォルファはなかなか来ないヒジェを待っていた。すると、妓生のクモンがやって来た。その様子に何かが起きたことを悟ると、ウォルファは彼女を落ち着かせて話を聞いた。
「どうしたの、クモンさん」
「大変よ………ウォルファ!!ヒジェ様が危ないわ……!」
「え?どういうこと?ねぇ!教えて!!」
「剣契が…………ヒジェ様のお命を狙っているの……今頃は恐らくここに……」
彼女はケドラが書いた指示書を読み、クモンが慌ててやって来たことの意味を知った。
「…………行くわ。今すぐ」
だが彼女が行こうとすると、更に慌てた様子のエジョンがやって来た。
「いけません!!お嬢様!!通せません!」
「どうして?どきなさい」
「淑媛様がチャン・ムヨル殿に剣契の頭と居たところを捕らえられました。ですから、お嬢様がヒジェ殿の元に行けばお二人が双子であることがばれ、両班を侮ったことで凌上罪に処されてしまいます!」
ウォルファは足元がぐらりと歪むような錯覚に陥りながらも考えた。
「……つまり、私が行かなければヒジェ様が死に、行けば私が死ぬとでも言いたいの?」
「そうです。淑媛様から止めるように言われました!」
「………なら、私の性格も知っているはず」
彼女はエジョンをヒジェと同じ目で睨み付けると、怯んだ隙に着の身着のままで駆け出した。
「あっ………お嬢様!!お嬢様!!もう、あの二人の橋渡しは嫌だわ……どうしたらいいのよ……」
エジョンはとにかくこのことをトンイに報告せねばと思うと、再び来た道を戻るのだった。
ウォルファは走っていた。
────だめ、だめよ。ヒジェ様………死なないで!
彼女がヒジェの安否を心配している頃、ヒジェは絶体絶命の危機に陥っていた。
「………くそ、何なんだお前たち」
「私利私欲をむさぼる両班──特に南人のやつらを狩る上でチャン・ヒジェ、お前を外す意味がわからん」
「俺が何をしたというのだ!」
手練の私兵は皆死に、ステクだけになったヒジェは彼と背中合わせになっていた。ウォルファから貰った短刀を短く持つと、彼は間合いを詰めて一人を人質にとった。
「全員、剣を捨てろ。出頭しろとは言わん。だが、俺を殺すのだけは勘弁してくれ」
敵が怯んだのを見て安心したヒジェだったが、人質が主犯格にわめいた。
「どうだかな。お頭!俺を刺して、こいつも殺せ!!」
その言葉を聞いて、ヒジェは後ずさった。
「こ、こいつら、どうやっても俺を殺す気か!?」
「チャン様、お逃げください!」
だが退路を開こうとしたステクも腕を斬られる。地面をはって逃げようとするヒジェに、主犯の男は近寄ると、その身体を足で踏んだ。
「ひっ……………」
「今まで襲った奴等の中では最も粘り強い奴だ……そうまでしても死にたくないようだな」
「当然だ!俺は生きねばならない。俺を待っている人が居るのだ。それより答えろ!お前らは一体何者だ!?俺が昔寝取った女の男か?」
狙われるにしては心当たりが多すぎるヒジェは、そう言いながらも目では近くに落ちている短刀をしっかりと探していた。男はうっすら笑うと、月明かりを背にこう言った。
「───剣契だ」
「剣契……だと!?」
ヒジェはかつてテソクが大司憲のチャン・イッコン──ムヨルの父を殺害する際に剣契に罪を着せたという話を思い出した。もしこれがその復讐なのだとしたら…………
「さて、お前は知りすぎた。……死ね」
ヒジェは振り下ろされる剣を短刀で振り払い、自分の短刀を強靭な刃にしておいてくれたウォルファに感謝した。だが、多勢に無勢。ヒジェは完全に追い詰められてしまった。そして、首元に切っ先が突きつけられる。
ヒジェは目を閉じると、ウォルファのことを考えた。
──済まない、ウォルファ…………独りで待って、心細いだろうに………そなたのそばには、行けそうにもない。
どうしてここまで彼女のことばかり考えてしまうのか。恋に狂ったと言われても仕方のない自分に笑うと、彼は覚悟を決めるのだった。
「どうしたの?姉さん」
「………何だか汗をかいてるし、ちょっと熱っぽくないかしら?」
「そう?部屋が暑いのかしら…」
「一度侍医に見てもらうといいわ。お風邪を召されていては大変よ」
トンイは姉の助言通りに侍医を呼んだ。診断結果はやはり軽い風邪だった。彼女は指示通りに薬飲ませ、産着を整えると王子を別の部屋に移し、ウォルファは邪魔しても悪いと思いそっと退室した。
宝慶堂の外にはヒジェが待っていた。就善堂の者たちに見られないようにきょろきょろしているが、もはや宝慶堂の女官たちに気にする様子はない。彼は満面の笑みを浮かべると彼女の手を取ろうとした。だがウォルファはその手を取らずに手洗い場に向かった。
「おい、どうした」
「王子様がお風邪なのよ。あなたにうつすわけにはいかないわ。心なしか目も充血していたようだし…」
「ふうん………」
さも興味がなさそうに空を仰いでおるヒジェの様子にウォルファは気づかないまま続けた。
「ねぇ、お見舞いって何がいいかしら?」
「あのなぁ。普通病気のガ…………王子様に近づくか?」
ガキと言いそうになって慌てて口をつぐんだヒジェは、丁寧にトンイの子供などには普段はつけないような敬称をつけて言い直した。
「あら、どうして?」
「そなたがうつっては困る」
それに淑媛の子供だし、と本音を吐きそうになり、彼はまた口をつぐんだ。
「大丈夫。私は元気よ」
「いや、心配だ。当分宝慶堂へは行かぬほうが良いぞ」
「でもお見舞いの品は送らないとね。何がいいかしら?」
「………紐飾りはどうだ?」
その提案にウォルファは大喜びした。
「そうね!それがいいわ!ヒジェ様って天才ね!」
「そうか?まぁ……当然だ」
「ありがと。大好きよ」
「俺もだ。」
甘い視線を交わしながら、二人は微笑んだ。こんな幸せが少しでもあるのなら、どんなことがあっても耐えられる。彼らはそう思うと、手を繋いで宮殿を後にした。
ウォルファはその夜、珍しく部屋の外に出て月を眺めていた。会瀬のためにやって来たヒジェは、その物思いに耽りように声をかけるのをためらった。
「………あら、ヒジェ様。来てたのね」
「……どうした、ウォルファ。そなたらしくないぞ」
彼女は目を伏せて笑うと、形見の片割れを取り出した。
「私、トンイと違って家族のことを何も知らないの。こんなこと言うべきじゃないけれど、本当の家族のことを知っているなんて、あの子が少しだけ羨ましい。」
「家族のことが、知りたいのか?」
「ええ。トンジュっていうお兄様がいて、ヒョウォンっていうお父様がいて、ファギョンっていうお母様がいたの。」
その横顔がとても悲しそうで、ヒジェは優しくその頬に触れた。そして彼自身もその境遇を語りだした。
「───俺は、父を幼い頃に亡くした。そして、推奴に追われていたせいで、死に立ち会えなかった。ずっと、俺を呼んでいたらしい。お前にはずば抜けた語学の才だけでなくもっと可能性がある、と。だからもっと身分が上ならきっと凄い人になれたのに…………」
ヒジェは言葉をつまらせながら声を絞り出した。
「………私が…私が…父のせいで………こんな家に産まれたせいで……………済まない………と…………」
気がつけば、ヒジェは泣いていた。ウォルファは彼の背中をさすりながら、その肩に彼の首をあてがった。
「…………それが父の最期の言葉だった。俺は、ずっと父に怒られながら中国語を学んでいた。だが、それは俺のためだった。なのに俺はそんなこともわからずに父に……………」
「ヒジェ様、もうわかったわ。辛いことは話さなくてもいいのよ」
「でも…………でも…………記憶があるだけ幸せなんだ………そなたにはそれがない…………温かな思い出も、悲しい思い出も…………」
彼はそういうとウォルファの手を取ってこう言った。
「だから、これからは私がその分になる。私と共に、幸せな、そなたが望む家族を作ろう」
突然の申し出に彼女は言葉を失った。だがすぐにそれが正式な婚姻の申し出であることに気づくと、とたんに笑顔に変わった。
「……私で、いいの?」
「ああ。むしろそなたでないとだめだ。子供は何人が良いかな………うーん、やはり五人くらいは普通に作るよな?」
「あなたがきちんと父親になれるなら、ね」
「なれるとも!!」
二人は顔を見合わせて笑った。ヒジェは心から吹っ切れたように見えるウォルファを見てほっとした。
───そなたの父は剣契の頭で、兄はその幹部、そして二人とも反逆罪で官軍に惨殺されたとは言えん。
彼女はそんな残酷な事実があるとは知らず、ヒジェに無邪気な表情で抱きついた。
「嬉しい!!愛してるわ、ヒジェ様」
「俺も、愛してる。」
彼は照れくさそうな顔をすると、ゆっくりとウォルファに口づけをした。
「───愛してる。」
「わ……私も………。」
たちまち赤面した彼女は、ヒジェの目から顔をそらした。だがそれを許さないとでも言いたげに彼はウォルファの顔に両手を添えると、強引に再び唇を奪った。今度は甘く、そして長い口づけだった。何度も口づけを交わしているうちに抑えきれなくなったヒジェは、ゆっくりと彼女の首に指を這わせた。だがすぐにこれ以上進めば戻れなくなると我に返った彼は、手を引っ込めるとそのまま塀によじ登った。
「あ、明日も……な」
「ええ。必ず来てね」
そして彼は余韻もなくさっさと帰ってしまった。心なしか物足りなさから来る寂しさにかられたウォルファだったが、また明日も会えるのだからとにやけると、そのまま部屋に戻り灯りを消して床についた。
この幸せが今日の夜に終わると彼女もヒジェも知っていたなら、二人はどんな選択肢を選んだのだろうか。しかし、我々にそんなことは知る由もないのだった。
次の日、トンイはいっこうに風邪が治らない王子を心配しながら見ていた。すると、ある連絡が入った。それを聞いた彼女の顔がみるみる青ざめていく。
「外出するわ。急いで支度をして!」
「えっ?淑媛様?どうされたんですか?」
「理由は聞かないで、ポン尚宮」
トンイは真剣な表情でそう言うと、慌てて身支度を始めた。彼女が貰った連絡とは、幼馴染みの今は剣契の頭となったケドラがオ・テソクを守ろうとして瀕死の重症を負ったというものだった。チョンスも怪我をしているらしく、彼女はソリの妓楼で匿ってもらっているため、そこへ行こうとしていた。
妓楼についたトンイは、ケドラに駆け寄ると話を聞いた。
「今すぐすべての計画を中止して、逃げるのよ。」
「だめだ………もう実行している最中です……」
「何をしたの?誰を狙ったの?」
「オ・テソク殺害の現場に居た、チャン・ヒジェです………」
「えっ…………」
その名前を聞いて、彼女の脳裏にウォルファの姿が思い浮かんだ。トンイは妓生のクモンへウォルファに今すぐこのことを知らせるようにと言った。伝えなければ自分の身は安泰なのにと思ったチョンスは、トンイの腕を掴み首を横に振った。
「………言いたいことはわかるわ、兄さん。でも、ウォルファ姉さんは………」
「姉さん?一体、どういうことですか?」
「話はあとでするわ。今はケドラを逃がさないと………」
何のことかさっぱりのチョンスを置いて、トンイはケドラに肩を貸した。だが妓楼を出ようとした瞬間、漢城府の兵が行く手を阻んだ。ムヨル、そしてなんと粛宗までもがトンイに詰め寄った。そして彼女は全てが南人と禧嬪が張り巡らした罠であることに気づいた。
───姉さん……!!
衝撃で頭が真っ白になる中、彼女はウォルファの身を案じるのだった。
その頃、ウォルファはなかなか来ないヒジェを待っていた。すると、妓生のクモンがやって来た。その様子に何かが起きたことを悟ると、ウォルファは彼女を落ち着かせて話を聞いた。
「どうしたの、クモンさん」
「大変よ………ウォルファ!!ヒジェ様が危ないわ……!」
「え?どういうこと?ねぇ!教えて!!」
「剣契が…………ヒジェ様のお命を狙っているの……今頃は恐らくここに……」
彼女はケドラが書いた指示書を読み、クモンが慌ててやって来たことの意味を知った。
「…………行くわ。今すぐ」
だが彼女が行こうとすると、更に慌てた様子のエジョンがやって来た。
「いけません!!お嬢様!!通せません!」
「どうして?どきなさい」
「淑媛様がチャン・ムヨル殿に剣契の頭と居たところを捕らえられました。ですから、お嬢様がヒジェ殿の元に行けばお二人が双子であることがばれ、両班を侮ったことで凌上罪に処されてしまいます!」
ウォルファは足元がぐらりと歪むような錯覚に陥りながらも考えた。
「……つまり、私が行かなければヒジェ様が死に、行けば私が死ぬとでも言いたいの?」
「そうです。淑媛様から止めるように言われました!」
「………なら、私の性格も知っているはず」
彼女はエジョンをヒジェと同じ目で睨み付けると、怯んだ隙に着の身着のままで駆け出した。
「あっ………お嬢様!!お嬢様!!もう、あの二人の橋渡しは嫌だわ……どうしたらいいのよ……」
エジョンはとにかくこのことをトンイに報告せねばと思うと、再び来た道を戻るのだった。
ウォルファは走っていた。
────だめ、だめよ。ヒジェ様………死なないで!
彼女がヒジェの安否を心配している頃、ヒジェは絶体絶命の危機に陥っていた。
「………くそ、何なんだお前たち」
「私利私欲をむさぼる両班──特に南人のやつらを狩る上でチャン・ヒジェ、お前を外す意味がわからん」
「俺が何をしたというのだ!」
手練の私兵は皆死に、ステクだけになったヒジェは彼と背中合わせになっていた。ウォルファから貰った短刀を短く持つと、彼は間合いを詰めて一人を人質にとった。
「全員、剣を捨てろ。出頭しろとは言わん。だが、俺を殺すのだけは勘弁してくれ」
敵が怯んだのを見て安心したヒジェだったが、人質が主犯格にわめいた。
「どうだかな。お頭!俺を刺して、こいつも殺せ!!」
その言葉を聞いて、ヒジェは後ずさった。
「こ、こいつら、どうやっても俺を殺す気か!?」
「チャン様、お逃げください!」
だが退路を開こうとしたステクも腕を斬られる。地面をはって逃げようとするヒジェに、主犯の男は近寄ると、その身体を足で踏んだ。
「ひっ……………」
「今まで襲った奴等の中では最も粘り強い奴だ……そうまでしても死にたくないようだな」
「当然だ!俺は生きねばならない。俺を待っている人が居るのだ。それより答えろ!お前らは一体何者だ!?俺が昔寝取った女の男か?」
狙われるにしては心当たりが多すぎるヒジェは、そう言いながらも目では近くに落ちている短刀をしっかりと探していた。男はうっすら笑うと、月明かりを背にこう言った。
「───剣契だ」
「剣契……だと!?」
ヒジェはかつてテソクが大司憲のチャン・イッコン──ムヨルの父を殺害する際に剣契に罪を着せたという話を思い出した。もしこれがその復讐なのだとしたら…………
「さて、お前は知りすぎた。……死ね」
ヒジェは振り下ろされる剣を短刀で振り払い、自分の短刀を強靭な刃にしておいてくれたウォルファに感謝した。だが、多勢に無勢。ヒジェは完全に追い詰められてしまった。そして、首元に切っ先が突きつけられる。
ヒジェは目を閉じると、ウォルファのことを考えた。
──済まない、ウォルファ…………独りで待って、心細いだろうに………そなたのそばには、行けそうにもない。
どうしてここまで彼女のことばかり考えてしまうのか。恋に狂ったと言われても仕方のない自分に笑うと、彼は覚悟を決めるのだった。