3、因縁の始まり
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すっかり仕事にも慣れて、ますます頼りない武官になっていくチャン・ヒジェは、ウォルファの元にしきりに通うようになっていた。その度に彼女は同僚たちにいぶかしげな目で見つめられており、誤解を解くのも面倒になり始めていた。
「チャン様!お仕事はどうされたのですか!?」
「知らん。私は剣が使えぬ故、訓練はさぼりっぱなしだ」
これには流石のウォルファも驚いた。
「剣が使えないのに、よく武官採用試験に通りましたね…」
すると、彼は声を潜めて耳打ちをした。
「ここだけの話だが、採用試験は受けていない」
「え!?やだ、それじゃあ裏口採…」
裏口採用と言い終わるより前に、彼は慌ててウォルファの口に人差し指をあてがった。
「馬鹿者!もう知っているかもしれんが、公にばれたら私がソ従事官様に殺されるではないか…」
思いがけない弱味を握った彼女は勝ち誇ったような笑顔を向けると、立て掛けてあるヒジェの剣を掴んで鼻先に突きつけた。
「では、いってらっしゃいませ。チャン"武官"様」
「…んふふふ…」
彼は笑顔で剣を受け取ったが、その目は一切笑っていなかった。
その様子を遠くから見ていたのは、司憲府の用事で立ち寄ったシム・ウンテクだった。彼はヒジェのことを落とせとは言ってみたものの、実際無理だろうとたかをくくっていたため、存外仲が良い二人を目にして驚いていた。
「…仲が良いですね、あの二人は」
そう言って話しかけたのは、同じく武官のチャ・チョンスだった。
「ああ。うちの妹だ。…知ってるか?」
「ええ。とても評判がよくて、優しい方ですね。武官の間でも人気ですよ」
あの無意識八方美人め…
ウンテクはなんとも人たらしな性格の妹にたくましさを感じつつも、一抹の不安を抱いた。
───あまり仲良くなりすぎるなよ、ウォルファ。チャン・ヒジェはだめだ。
彼がそう思うわけは、ヒジェ自身にあった。彼が一人の女性に対して本気になることはあり得ないからだ。つまり適度に遊ばれ、捨てられるのがオチ。前妻とも早々離婚したと思うと、二人目の妻とも数年前に離婚したらしい。危険なのはそれだけではない。彼は今、二度の離婚を経て独り身なのだ。
──頼むぞ、ウォルファ。左議政の甥の方に傾いてくれ…
しかし彼の願い虚しく、彼女はますます無意識にヒジェのことを考えるようになっていた。もちろん今のウンテクには知るよしもないのだが。
その日は久しぶりにヒジェが枝楼に顔を出した。相手は南人派のまだまだ若者である、オ・ユンとオ・ホヤンだった。ヒジェの本性を知れば合うはずもない三人は、お互いにおだてつつ、うわべだけの会話を重ねた。しばらくして、ユンが随分酒で出来上がってきたと見ると、ヒジェは本題を切り出した。
「ああ、そうだ。ユン様、あなたは結婚なさらないのですか?」
「そうですよ!ユン様。いい娘でも紹介しましょうか?」
珍しくホヤンがヒジェの思う通りの発言をしてくれる。これは好機と悟った彼は、酒を勧めつつも油断ならぬ顔で返事を待った。すると、酔いのせいでユンがとうとう喋りはじめた。
「……いや、いい。」
「どうしてですか?…あ、わかりました!心に決めた方が居るのですね?ん?」
「ああ、そうだ」
わざとらしく聞いてくるヒジェの本心に気づくことなく、ユンは返事をした。ホヤンは相手が誰なのかが気になって仕方がない様子だ。ヒジェは敢えて知らない振りをして続きを待った。渋々、酒の勢いをかりてユンは語り出した。
「…シム・ウンテクの妹のシム・ウォルファだ。」
「なんと!!堅物のユン殿をここまで惑わすとは…相当な女ですな」
「いや、本当に純粋で良い娘だ。手先も器用で…」
そこまで聞いて、ヒジェは誰も見ていないことを確認し、口の端を歪めた。
───相当のぼせきっているな…
それからの会話は、専らウォルファのことが多く、ヒジェは普段からはわからぬ様々な情報を仕入れることができた。
「ああ!そういえば。ウォルファって娘、どこかで聞いたことがあるなと思ってたら!」
「なんだ?ホヤン」
「ほら、ヒジェ殿。故仁敬王妃様の甥っ子、シム・ウンテクの妹君ですよ」
「あの娘、西人派の名門両班だったのか…」
ヒジェが驚いたのも無理はない。シム家は代々科挙で極めて優秀な成績を修める、学才にも家柄にも長けた名家なのだ。彼はそれを聞いてウォルファにますます興味を抱いた。南人派の擁立を受けたヒジェとオクチョンだが、もしヒジェが西人派の──しかも名家の娘を嫁に貰えば、宮廷は彼の思惑通りに動かざるをえなくなる。どちらの側にも交流がある者こそ、この覇権闘争の中で渡り歩けるだろうというのが彼の考えだった。
「今度、一度皆さんで飲みに行きませんか?捕盗庁の書庫整理係は美人揃いだそうですし!!」
そのホヤンの提案に、異を唱えるモノは誰一人としていなかった。
数日後、ウンテクの元に彼を驚かせるような書状が届いた。
「な…お、おい!!ウォルファ!!」
「はい、兄上様。」
「大変だぞ!捕盗庁の書庫整理係の女を含めてお前宛に会食の招待状が届いた!!」
何のことかさっぱり分かっていないウォルファは疑問に思いながら書状に目を通した。内容はこういうものだった。
『シム・ウォルファ殿
この度、貴女と兄君のウンテク殿、並びに捕盗庁の書庫整理係とご一緒に今夜の会食にご招待したく存じます。所々の親睦を含めたこの集まりに是非ともご参加ください。
オ・ホヤン』
読み終えたウォルファは、一体何故楽士の官吏が捕盗庁の書庫整理係と関係があるのかと思ったが、よくよく考えてみると、南人つながりでオ・ユンが一枚噛んでいるのはなんら不思議なことではない。ウンテクもその意図を察したらしく、さっそく下女に頼んで一番彼女が映える服を用意させた。
「よかったな、ウォルファ!!!これはいいぞ。うん。お前の方にもやはり運気が向いてきた!」
「兄上様、私は一体いつ返事をすべきなのでしょうか…?」
「そろそろだろうな。チャン・ヒジェがもっと食いついてきてからと思っていたが、あいつは今独り身だし、ちょっと釣るのは危険だ」
そう言って得意気に話した瞬間、ウンテクは妹の表情の変化を見のがさなかった。
「…あの方は、独り身なのね…」
少しだけほっとしたような、嬉しそうな顔。妹のそんな反応を見たことがなかった彼は、すぐにヒジェへの思慕の念が彼女に芽生えているに気づいた。
───まずい。
会食にヒジェも来ないことを祈りつつ、彼は嬉しそうな妹の横顔を複雑な思いで眺めることしか出来なかった。
座敷の外には既にウォルファを含めた同僚が集まっていた。皆確固たる下心を携え、一番の服を用意させたのが手に取るようにわかる。そんな中でも、一番目を引いたのはやはりウォルファだった。端から諦めてウンテク目当てに切り替えた女性たちを適当にあしらい、ウンテク自身は誰がやって来るのかと気を揉んでいた。すると、現れたのはユンを連れたホヤンだった。しかし、彼がほっと胸を撫で下ろした瞬間、あと一人が到着した。
「すみません、まだ帰ってばかりの都なので道に迷いました…」
───チャン・ヒジェ!!!
彼はヒジェの揉み髭が特徴的な顔を見るないなや、断れば良かったと後悔をした。そして、本当にユンを主体にするつもりがあるのかと疑問に思い始めた。
「ユン様、チャン様、ホヤン様。お招きいただきまして、光栄です」
恭しく頭を下げるウォルファにすっかり目を奪われたユンは、はにかみながらも笑顔を作った。ホヤンはあれが例の女なのかとしきりにヒジェの肩を叩く。そんな中、ヒジェとウォルファの目が合う。時が刹那に止まったような思いに駆られた彼女は、ほんの一瞬だけ口許を綻ばせた。それを受けたヒジェも作り笑顔を返した。ほんの数秒のこのやり取りは、幸いにもウンテク以外の者には悟られていなかった。何も気づいていないホヤンは手を叩いておおげさに切り出した。
「さ!!入りましょう、お嬢さん方。皆さん美人揃いでいいことだ!」
「うちの兄を忘れないでください。一人だけ違うものが混じっていますので…」
知略に富んだ笑いに思わずユンが吹き出す。ますます自分は付属で呼ばれたなと確信するウンテクは、広いはずの戸口を狭く感じながらくぐり抜けるのだった。
宴が始まると、さりげなくユンがウォルファの隣に座った。ヒジェは何故か隣には行かず、彼女とは反対側の正面に座っている。ウンテクもユンとヒジェらの行動に目を配らせるのに必死だ。ウォルファはユンに気を使って酒をついだ。顔をあげると、僅かに目が合う。お互いの心は既に別な場所を向いているというのに、彼は喜びを隠すことが出来なかった。その度にヒジェは隣にいるのが自分でないことを図らずも妬いていた。産まれて初めて感じた嫉妬心に、身も心も焼き尽くしてしまいそうな苦しさに駆られた彼は、今までとは違う別の何かを感じていた。と言ってもこの時点ではまだ、彼にとってそれはただの所有欲と独占欲に過ぎなかったのだが。
「すみません、少し席をはずしますよ」
「ああ、どうぞ」
ヒジェはそう言って席をはずした。その様子を見ていたウォルファは、彼のことが心配になり、そのあとの会話の内容をすっかり忘れてしまった。
気だるい会がようやく終わり、先に兄を帰らせたウォルファは、真っ先にヒジェの姿を探した。彼は東屋の一角に腰を下ろしながら月を呆然と眺めていた。その横顔があまりに端正で自然だったので、彼女は話しかけるのをためらった。
「……終わったのか?」
「え、ええ。気分でも…悪かったの?」
「…まぁな。隣、座るか?」
ウォルファは断ろうとしたのだが、その有無を言わせない眼光の鋭さに萎縮してしまい、渋々隣に座った。しばらく、無言が続く。
「ユンは、お前を好いているらしいな。知っていたのか?」
「…はい」
ただ事実を述べただけなのに、彼女の胸が苦しくなる。近いはずのヒジェがあまりに遠く見えてしまい、思わず涙が溢れてきそうになった彼女は、下を向いた。
「だが私から見ると、お前の心はユンを見ているようには思えなかった。」
そこまで言うと、彼は下を向くウォルファの頬に触れ、自分のほうを向かせた。
「────一体、お前の心が真に見つめていた男は、誰なのだ?」
「それは…」
震える唇が何かを言いかけたが、すぐに固く閉じられ、ヒジェはその答えを知ることが出来なかった。
「兄が心配していそうなのでそろそろ帰りますね」
「そうか。また、明日な。ウォルファ」
「ええ、さようなら」
ウォルファはそのまま会釈をし、帰ってしまった。残されたヒジェは、彼女の心理が読めぬまま複雑な思いを抱えるはめになってしまった。
「チャン様!お仕事はどうされたのですか!?」
「知らん。私は剣が使えぬ故、訓練はさぼりっぱなしだ」
これには流石のウォルファも驚いた。
「剣が使えないのに、よく武官採用試験に通りましたね…」
すると、彼は声を潜めて耳打ちをした。
「ここだけの話だが、採用試験は受けていない」
「え!?やだ、それじゃあ裏口採…」
裏口採用と言い終わるより前に、彼は慌ててウォルファの口に人差し指をあてがった。
「馬鹿者!もう知っているかもしれんが、公にばれたら私がソ従事官様に殺されるではないか…」
思いがけない弱味を握った彼女は勝ち誇ったような笑顔を向けると、立て掛けてあるヒジェの剣を掴んで鼻先に突きつけた。
「では、いってらっしゃいませ。チャン"武官"様」
「…んふふふ…」
彼は笑顔で剣を受け取ったが、その目は一切笑っていなかった。
その様子を遠くから見ていたのは、司憲府の用事で立ち寄ったシム・ウンテクだった。彼はヒジェのことを落とせとは言ってみたものの、実際無理だろうとたかをくくっていたため、存外仲が良い二人を目にして驚いていた。
「…仲が良いですね、あの二人は」
そう言って話しかけたのは、同じく武官のチャ・チョンスだった。
「ああ。うちの妹だ。…知ってるか?」
「ええ。とても評判がよくて、優しい方ですね。武官の間でも人気ですよ」
あの無意識八方美人め…
ウンテクはなんとも人たらしな性格の妹にたくましさを感じつつも、一抹の不安を抱いた。
───あまり仲良くなりすぎるなよ、ウォルファ。チャン・ヒジェはだめだ。
彼がそう思うわけは、ヒジェ自身にあった。彼が一人の女性に対して本気になることはあり得ないからだ。つまり適度に遊ばれ、捨てられるのがオチ。前妻とも早々離婚したと思うと、二人目の妻とも数年前に離婚したらしい。危険なのはそれだけではない。彼は今、二度の離婚を経て独り身なのだ。
──頼むぞ、ウォルファ。左議政の甥の方に傾いてくれ…
しかし彼の願い虚しく、彼女はますます無意識にヒジェのことを考えるようになっていた。もちろん今のウンテクには知るよしもないのだが。
その日は久しぶりにヒジェが枝楼に顔を出した。相手は南人派のまだまだ若者である、オ・ユンとオ・ホヤンだった。ヒジェの本性を知れば合うはずもない三人は、お互いにおだてつつ、うわべだけの会話を重ねた。しばらくして、ユンが随分酒で出来上がってきたと見ると、ヒジェは本題を切り出した。
「ああ、そうだ。ユン様、あなたは結婚なさらないのですか?」
「そうですよ!ユン様。いい娘でも紹介しましょうか?」
珍しくホヤンがヒジェの思う通りの発言をしてくれる。これは好機と悟った彼は、酒を勧めつつも油断ならぬ顔で返事を待った。すると、酔いのせいでユンがとうとう喋りはじめた。
「……いや、いい。」
「どうしてですか?…あ、わかりました!心に決めた方が居るのですね?ん?」
「ああ、そうだ」
わざとらしく聞いてくるヒジェの本心に気づくことなく、ユンは返事をした。ホヤンは相手が誰なのかが気になって仕方がない様子だ。ヒジェは敢えて知らない振りをして続きを待った。渋々、酒の勢いをかりてユンは語り出した。
「…シム・ウンテクの妹のシム・ウォルファだ。」
「なんと!!堅物のユン殿をここまで惑わすとは…相当な女ですな」
「いや、本当に純粋で良い娘だ。手先も器用で…」
そこまで聞いて、ヒジェは誰も見ていないことを確認し、口の端を歪めた。
───相当のぼせきっているな…
それからの会話は、専らウォルファのことが多く、ヒジェは普段からはわからぬ様々な情報を仕入れることができた。
「ああ!そういえば。ウォルファって娘、どこかで聞いたことがあるなと思ってたら!」
「なんだ?ホヤン」
「ほら、ヒジェ殿。故仁敬王妃様の甥っ子、シム・ウンテクの妹君ですよ」
「あの娘、西人派の名門両班だったのか…」
ヒジェが驚いたのも無理はない。シム家は代々科挙で極めて優秀な成績を修める、学才にも家柄にも長けた名家なのだ。彼はそれを聞いてウォルファにますます興味を抱いた。南人派の擁立を受けたヒジェとオクチョンだが、もしヒジェが西人派の──しかも名家の娘を嫁に貰えば、宮廷は彼の思惑通りに動かざるをえなくなる。どちらの側にも交流がある者こそ、この覇権闘争の中で渡り歩けるだろうというのが彼の考えだった。
「今度、一度皆さんで飲みに行きませんか?捕盗庁の書庫整理係は美人揃いだそうですし!!」
そのホヤンの提案に、異を唱えるモノは誰一人としていなかった。
数日後、ウンテクの元に彼を驚かせるような書状が届いた。
「な…お、おい!!ウォルファ!!」
「はい、兄上様。」
「大変だぞ!捕盗庁の書庫整理係の女を含めてお前宛に会食の招待状が届いた!!」
何のことかさっぱり分かっていないウォルファは疑問に思いながら書状に目を通した。内容はこういうものだった。
『シム・ウォルファ殿
この度、貴女と兄君のウンテク殿、並びに捕盗庁の書庫整理係とご一緒に今夜の会食にご招待したく存じます。所々の親睦を含めたこの集まりに是非ともご参加ください。
オ・ホヤン』
読み終えたウォルファは、一体何故楽士の官吏が捕盗庁の書庫整理係と関係があるのかと思ったが、よくよく考えてみると、南人つながりでオ・ユンが一枚噛んでいるのはなんら不思議なことではない。ウンテクもその意図を察したらしく、さっそく下女に頼んで一番彼女が映える服を用意させた。
「よかったな、ウォルファ!!!これはいいぞ。うん。お前の方にもやはり運気が向いてきた!」
「兄上様、私は一体いつ返事をすべきなのでしょうか…?」
「そろそろだろうな。チャン・ヒジェがもっと食いついてきてからと思っていたが、あいつは今独り身だし、ちょっと釣るのは危険だ」
そう言って得意気に話した瞬間、ウンテクは妹の表情の変化を見のがさなかった。
「…あの方は、独り身なのね…」
少しだけほっとしたような、嬉しそうな顔。妹のそんな反応を見たことがなかった彼は、すぐにヒジェへの思慕の念が彼女に芽生えているに気づいた。
───まずい。
会食にヒジェも来ないことを祈りつつ、彼は嬉しそうな妹の横顔を複雑な思いで眺めることしか出来なかった。
座敷の外には既にウォルファを含めた同僚が集まっていた。皆確固たる下心を携え、一番の服を用意させたのが手に取るようにわかる。そんな中でも、一番目を引いたのはやはりウォルファだった。端から諦めてウンテク目当てに切り替えた女性たちを適当にあしらい、ウンテク自身は誰がやって来るのかと気を揉んでいた。すると、現れたのはユンを連れたホヤンだった。しかし、彼がほっと胸を撫で下ろした瞬間、あと一人が到着した。
「すみません、まだ帰ってばかりの都なので道に迷いました…」
───チャン・ヒジェ!!!
彼はヒジェの揉み髭が特徴的な顔を見るないなや、断れば良かったと後悔をした。そして、本当にユンを主体にするつもりがあるのかと疑問に思い始めた。
「ユン様、チャン様、ホヤン様。お招きいただきまして、光栄です」
恭しく頭を下げるウォルファにすっかり目を奪われたユンは、はにかみながらも笑顔を作った。ホヤンはあれが例の女なのかとしきりにヒジェの肩を叩く。そんな中、ヒジェとウォルファの目が合う。時が刹那に止まったような思いに駆られた彼女は、ほんの一瞬だけ口許を綻ばせた。それを受けたヒジェも作り笑顔を返した。ほんの数秒のこのやり取りは、幸いにもウンテク以外の者には悟られていなかった。何も気づいていないホヤンは手を叩いておおげさに切り出した。
「さ!!入りましょう、お嬢さん方。皆さん美人揃いでいいことだ!」
「うちの兄を忘れないでください。一人だけ違うものが混じっていますので…」
知略に富んだ笑いに思わずユンが吹き出す。ますます自分は付属で呼ばれたなと確信するウンテクは、広いはずの戸口を狭く感じながらくぐり抜けるのだった。
宴が始まると、さりげなくユンがウォルファの隣に座った。ヒジェは何故か隣には行かず、彼女とは反対側の正面に座っている。ウンテクもユンとヒジェらの行動に目を配らせるのに必死だ。ウォルファはユンに気を使って酒をついだ。顔をあげると、僅かに目が合う。お互いの心は既に別な場所を向いているというのに、彼は喜びを隠すことが出来なかった。その度にヒジェは隣にいるのが自分でないことを図らずも妬いていた。産まれて初めて感じた嫉妬心に、身も心も焼き尽くしてしまいそうな苦しさに駆られた彼は、今までとは違う別の何かを感じていた。と言ってもこの時点ではまだ、彼にとってそれはただの所有欲と独占欲に過ぎなかったのだが。
「すみません、少し席をはずしますよ」
「ああ、どうぞ」
ヒジェはそう言って席をはずした。その様子を見ていたウォルファは、彼のことが心配になり、そのあとの会話の内容をすっかり忘れてしまった。
気だるい会がようやく終わり、先に兄を帰らせたウォルファは、真っ先にヒジェの姿を探した。彼は東屋の一角に腰を下ろしながら月を呆然と眺めていた。その横顔があまりに端正で自然だったので、彼女は話しかけるのをためらった。
「……終わったのか?」
「え、ええ。気分でも…悪かったの?」
「…まぁな。隣、座るか?」
ウォルファは断ろうとしたのだが、その有無を言わせない眼光の鋭さに萎縮してしまい、渋々隣に座った。しばらく、無言が続く。
「ユンは、お前を好いているらしいな。知っていたのか?」
「…はい」
ただ事実を述べただけなのに、彼女の胸が苦しくなる。近いはずのヒジェがあまりに遠く見えてしまい、思わず涙が溢れてきそうになった彼女は、下を向いた。
「だが私から見ると、お前の心はユンを見ているようには思えなかった。」
そこまで言うと、彼は下を向くウォルファの頬に触れ、自分のほうを向かせた。
「────一体、お前の心が真に見つめていた男は、誰なのだ?」
「それは…」
震える唇が何かを言いかけたが、すぐに固く閉じられ、ヒジェはその答えを知ることが出来なかった。
「兄が心配していそうなのでそろそろ帰りますね」
「そうか。また、明日な。ウォルファ」
「ええ、さようなら」
ウォルファはそのまま会釈をし、帰ってしまった。残されたヒジェは、彼女の心理が読めぬまま複雑な思いを抱えるはめになってしまった。