8、もう一つの出会い
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自分の生まれについて知って衝撃を受けてはいるが、優しい家族の普段と変わらぬ姿を見て段々慣れてきたウォルファは、いつも穏やかな捕盗庁の書庫で眠りこけていた。だが、唯一慣れないことがある。
「ウォルファ。寝ておったのか?」
それは、思い人のチャン・ヒジェが初恋の青年と同一人物だったということだ。今日もしまりのない笑顔を向けてくる彼に対し、ああそういえばそうだったな、と思い出すと、ウォルファは眠い目をこすってあくびを一つ漏らした。
「眠いのか?ん?あ!わかったぞ。私の夢でも見ておったのか。済まん済まん。」
「…見ていません。」
「先日の素直なそなたは一体どこへ行ったのだ」
ヒジェはやや不機嫌な彼女に驚くと、寂しそうな顔をした。それでも返事をしてくれない彼女に構ってほしい一心で、ヒジェは手元にあった墨のついていない筆を握ると、穂先で彼女の頬をくすぐり始めた。
「ほれ、ほれほれ」
「やッ…なっ、何してるんですか!?」
慌てて飛び起きたウォルファの姿を楽しんでいるのか、ヒジェは片眉を上げてにやけながらこう言った。
「"感度"が良いな、そなた。色々楽しみになってきたぞ」
「……"感度"、ですか?」
言葉の意味がすぐにはわからないウォルファだったが、しばらくヒジェの不潔感漂う笑顔を眺めていると、その意味に気づいた。
「へっ……変態っ!!やっぱりあなたはどスケベだわ!」
「失礼な。そのど変態のどスケベに初恋の相手だから、また初恋をしたいと言ったのはそなたの方だぞ」
彼女は先日の自らの発言を省みた。そして、みごと撃沈した。
「ああ…もう…」
「今も好きか??私はウォルファ、そなたがだーいすきだぞ?」
端から見ると、嬉しそうに見えるのはもちろんヒジェだけだが、内心そんなヒジェの真面目な素顔を知っている彼女は、気だるそうなふりをしつつも口許の緩みを隠すことが出来なかった。
早くに仕事を終えたウォルファは、捕盗庁を出ると一息ついて背伸びをした。すると、横から輿にのったヒジェがやって来た。
「えっ、輿ですか?」
「あ…」
唐突に距離の遠さを感じずにはいられなくなったウォルファは、思わず丁寧に会釈をした。気まずく思ったヒジェは、輿から降りると歩いて帰ると伝え、そのまま輿を帰した。
「久しぶりに歩いて帰る。」
「久しぶりって…よく体型が変わりませんね」
呑気に話しているヒジェの細身で見映えのよい身体に驚いたウォルファは、慌てて隣に早足で駆け寄った。
しばらく、無言で並んで歩く。いや、並んでいるという言葉がふさわしいかどうかもわからない。どちらが距離を詰めるわけでもなく、二人は歩いていた。
「…あまり寄りすぎると人目につく…な」
「そうです…ね」
本当は、か弱い手をやさしく握ってやりたい。本当は、もっと近くに居たい。本当は、今すぐさらって妻にしたい。けれど、世間とはそんなに自分の強さを削ぎ落としてしまうのか。ヒジェは無力感にさいなまれた。やり場のない怒りに肩を震わせていると、向こうからいかにもきつそうな性格の顔をした両班の婦人がやって来た。彼女はヒジェを一瞥すると、続いてウォルファの顔をまじまじと見てわざとらしい声を上げた。
「まぁ!あなたはシム様のところのお嬢様ではありませんか。いつも奥さまにはお世話になっておりますわ」
「あ…チョ・サソク様の奥方様の…」
「そうです。…ところで、そんなお方が何故賤民の息子といらっしゃるの?」
その言葉に少しだけ反応したヒジェは、作り笑顔で答えた。
「おお!奥方様ではありませんか。この人と職場が同じなもので…。そんな、一緒には居りませんよ。でないと噂になりますから」
あくまでも笑顔で。ヒジェは内心持っている剣で切り殺してやろうかと思っていたが、必死でこらえていた。だが、夫人の攻撃は続く。
「そうですわね。賤民と両班の名家のお嬢様だなんて。あり得ない取り合わせだったわ」
さすがのヒジェも笑顔から真顔になった。だが、まだただの捕盗庁従事官。何も言い返せない。すると、ウォルファが我慢ならず口を開いた。
「…黙って聞いていれば、あまりに失礼ではありませんか。賤民だなんて。この方は中人ですよ」
「中人。はっ!聞いてあきれますわ。お嬢様は相当この男に刷り込まれたようですが。この男の母のユン氏は賤──」
「それ以上はお控えに。ですが、あなたが義禁府まで同行したいとおっしゃるならどうぞ。」
ウォルファは毅然とした態度で夫人を睨み付けた。
「チャン家の奥様のことを侮辱することはつまり、その娘であるオクチョン様─つまり、禧嬪様に対する名誉毀損ですから。王室の者を侮辱することは大罪…ではありませんか?奥様。」
的を得ている彼女の言葉に夫人はそれ以上言い返すことが出来ず、代わりに軽蔑の視線をヒジェに投げつけて去っていった。
「…大丈夫ですか?ヒジェ様。」
「…情けないだろう?私は。お前を守るといいながら、お前に守ってもらった」
力なく笑うヒジェがあまりにいつもの彼と比べると不釣り合いすぎて、ウォルファは悲しくなってきた。
「そんなことないわ。どうしてそんな悲しいこと言うの?だって、あなたが教えてくれたんじゃない。見た目では判断できないのが人間だって。」
「ああ、言ったとも。でも、それを理解してくれないやつらもいる。」
彼女は苛立ってつい、ヒジェのすねを蹴っ飛ばした。痛みで彼が跳ね上がる。そのまま怯んだ彼を裏通りに引っ張っていく。
「いたっ…!!何をする!?」
「馬鹿ヒジェ様!!もっと自信持ちなさいよ!そんなこと知ってるわ。理解してくれない人が殆どだって。でも…でも、私は理解しているわ。そんなのお互い様じゃない。お互い助け合わないと、私たちは生きていけないわ。誰も頼れない。南人と西人。そして、中人と両班。障壁しかない私たちは、お互いを信じるしかないのよ」
一気に気持ちをぶつけたウォルファは、肩で息をしている。想像以上に絶大な力強さを持っている彼女に、ヒジェは驚きしかなかった。やがて落ち着いた彼女は、ヒジェに寄り添うと、ぽつんと呟いた。
「だから、私が傍にいる。どんなときも、私があなたを理解してあげる。世界のみんながあなたを悪い人だと言っても、私だけは絶対にあなたの味方になるわ」
「ウォルファ…」
胸の奥が熱くなるような気持ちになったヒジェは、彼女の肩を抱いた。
「…ありがとう。私は…もっと強くならねばな。そなたを守るためにも」
「強がらなくていい。ただ、生きていてくれたら、それでいいの。」
それがウォルファの本心だった。生きていればいつでも会えるのだから。
また一つ、お互いの距離を縮めた二人は帰路についた。年末はもうあとすこしに迫っていた。
ある日、ウォルファは内需司の監査のための資料が必要だとの要請があったので、捕盗庁から珍しく監察部へやって来ていた。
「あ!!来たわ、トンイ。」
「どなたがですか?」
「ほら、捕盗庁の方よ」
書類を今か今かと待っていたトンイは、捕盗庁からの使いを見て驚きを隠せなかった。
「あ…あなたは…」
「お久しぶりです、トンイさん」
呆然としていたトンイは、ヨンギに証拠を命がけで渡してくれた礼を言わねばと思い立ち、慌てて会釈をした。
「あの時は、本当にありがとうございました!」
「いいのよ、お礼なんて…それより、キム・ユンダルの件、残念だったわね」
キム・ユンダルは、結局あのあと不審死を遂げてしまった。ウォルファももちろん、報告を聞いていた。
「そうなんです。あともう少しで尻尾を掴めそうだったのに…」
悔しがるトンイを見て、彼女は笑った。
「…何か、変ですか?私。」
「いいえ、変じゃないわ。ただ、尻尾はすぐに切られる。けれど、胴体は棄てられない」
なるほど、とトンイはうなずいた。
「では、黒幕を探せばいいんですね?」
「そうね。従事官様達はきっと協力してくれると思うわ。いつでも捕盗庁にいらっしゃい、トンイ」
書類を手渡すと、ウォルファは帰っていった。その後ろ姿を見送ったあと、同じ監察部のチョンイムが呟いた。
「…あの人、トンイにそっくりね」
「え?性格ですか?」
「いいえ、顔よ。背格好も笑い方も、目元も…」
トンイは上を見上げて考えると、すぐに笑い飛ばした。
「そんなわけないわ、だって私は賤民。あの方は両班の名家のお嬢様ですから」
「まあ、そうよね。あり得ないわね」
「ただ…」
仕事にとりかかろうとするチョンイムの横で、彼女はそう言って石でできた装飾具の片割れを懐から取り出した。母の遺品であるそれは、産まれた彼女の双子の姉へ、我が子を飢饉のせいで捨ててしまうことに対するせめてもの贖罪のために割られたらしい。残りの片割れはもちろん父と兄が姉のおくるみに包んだため、生きていればどこかに彼女が生きている証しとなる。密かに生き残っているかもしれない肉親を常に探しているトンイは、この石を見るたびにまだ自分は独りではないのだと微笑むのだ。
「それ、なぁに?」
「え?あ、なんでもないわ。仕事、しましょうか」
剣契の頭の娘であり、罪人の身分だったということが明らかになることを恐れ、トンイはさっと石をしまった。
だが、心のどこかではウォルファのような優しい姉だったらいいのにと、彼女は期待を寄せるのだった。
翌日、やはりトンイはウォルファに会いたくなり、ヨンギのいる左捕盗庁へ向かった。すると、驚きの事実を知った。
「あの者は左捕盗庁の管轄ではない。右捕盗庁だ」
「えっ…」
彼女は愕然とした。右捕盗庁とは、チャン・ヒジェの管轄だからだ。彼の悪事を暴こうとしているトンイは、度々命を狙われていたため彼の恐ろしさを直で知っていた。そして、彼女は昨日のウォルファのある不可解な言葉に気がついた。
──そうね。従事官様達はきっと協力してくれると思うわ。
そこで彼女は核心をついた。
「あの…ウォルファさんは、チャン様とはどのような間柄ですか?」
「彼女はあの男を信じている。おそらく良い上司だと思っているだろうな。それと、あの子は西人だが禧嬪様とも親しい。」
やはりなと思ったトンイは、ウォルファが利用されているのではと心配し始めた。
──あの方達は、平気で人を利用する。ひょっとすると、ウォルファさんも利用されているのでは…?だとすれば、早く調べをつけてお知らせしなくては!!
彼女は賢かった。だが、このある種正解ともいえる推測が後にとんでもない事件につながるとは、まだ彼女は知るよしもなかった。
捕盗庁でヒジェと仕事をしていると、ウォルファはふとトンイのことを聞いてみたいと思い立った。
「ヒジェ様。禧嬪様が推薦なさったほら…トンイという女官、ご存じ?」
「トンイぃ?」
書類をめくる彼の手が止まった。その表情は今まで見たことのないものだった。ウォルファはなにか聞いてはならないことだったのではと、それ以上あえて聞こうとはしなかった。だが、予想外にもヒジェのほうが尋ねてきた。
「あの女官がどうした?」
「ええと…キム・ユンダル事件の件でひどく落胆していて…今度の内需司の監査でぜひ力になりたいなと思っているんです。」
内需司、その言葉にヒジェはどきりとした。実は彼は今監査をされている内需司での横領に関与しているからだ。だが、そんなことをウォルファが知るはずもない。彼は逆に彼女から監査をしているという情報を獲られたことに感謝し、笑顔でこう返した。
「そうか。いつでも私に相談すると良い。力になろう。」
「ありがとう、ヒジェ様。」
上機嫌なウォルファの後ろ姿を見ながら、ヒジェは言葉の反面、面倒くさそうに目を細めるのだった。
トンイという女官とウォルファ。一見全く接点のない二人は、このときからすでに、見えない運命の引き合わせにより数奇な運命へ歩き始めていた。
そしてこの二人の関係こそが最大の恋の障壁になるなど、まだ知るはずもないのは当然のことだった。
「ウォルファ。寝ておったのか?」
それは、思い人のチャン・ヒジェが初恋の青年と同一人物だったということだ。今日もしまりのない笑顔を向けてくる彼に対し、ああそういえばそうだったな、と思い出すと、ウォルファは眠い目をこすってあくびを一つ漏らした。
「眠いのか?ん?あ!わかったぞ。私の夢でも見ておったのか。済まん済まん。」
「…見ていません。」
「先日の素直なそなたは一体どこへ行ったのだ」
ヒジェはやや不機嫌な彼女に驚くと、寂しそうな顔をした。それでも返事をしてくれない彼女に構ってほしい一心で、ヒジェは手元にあった墨のついていない筆を握ると、穂先で彼女の頬をくすぐり始めた。
「ほれ、ほれほれ」
「やッ…なっ、何してるんですか!?」
慌てて飛び起きたウォルファの姿を楽しんでいるのか、ヒジェは片眉を上げてにやけながらこう言った。
「"感度"が良いな、そなた。色々楽しみになってきたぞ」
「……"感度"、ですか?」
言葉の意味がすぐにはわからないウォルファだったが、しばらくヒジェの不潔感漂う笑顔を眺めていると、その意味に気づいた。
「へっ……変態っ!!やっぱりあなたはどスケベだわ!」
「失礼な。そのど変態のどスケベに初恋の相手だから、また初恋をしたいと言ったのはそなたの方だぞ」
彼女は先日の自らの発言を省みた。そして、みごと撃沈した。
「ああ…もう…」
「今も好きか??私はウォルファ、そなたがだーいすきだぞ?」
端から見ると、嬉しそうに見えるのはもちろんヒジェだけだが、内心そんなヒジェの真面目な素顔を知っている彼女は、気だるそうなふりをしつつも口許の緩みを隠すことが出来なかった。
早くに仕事を終えたウォルファは、捕盗庁を出ると一息ついて背伸びをした。すると、横から輿にのったヒジェがやって来た。
「えっ、輿ですか?」
「あ…」
唐突に距離の遠さを感じずにはいられなくなったウォルファは、思わず丁寧に会釈をした。気まずく思ったヒジェは、輿から降りると歩いて帰ると伝え、そのまま輿を帰した。
「久しぶりに歩いて帰る。」
「久しぶりって…よく体型が変わりませんね」
呑気に話しているヒジェの細身で見映えのよい身体に驚いたウォルファは、慌てて隣に早足で駆け寄った。
しばらく、無言で並んで歩く。いや、並んでいるという言葉がふさわしいかどうかもわからない。どちらが距離を詰めるわけでもなく、二人は歩いていた。
「…あまり寄りすぎると人目につく…な」
「そうです…ね」
本当は、か弱い手をやさしく握ってやりたい。本当は、もっと近くに居たい。本当は、今すぐさらって妻にしたい。けれど、世間とはそんなに自分の強さを削ぎ落としてしまうのか。ヒジェは無力感にさいなまれた。やり場のない怒りに肩を震わせていると、向こうからいかにもきつそうな性格の顔をした両班の婦人がやって来た。彼女はヒジェを一瞥すると、続いてウォルファの顔をまじまじと見てわざとらしい声を上げた。
「まぁ!あなたはシム様のところのお嬢様ではありませんか。いつも奥さまにはお世話になっておりますわ」
「あ…チョ・サソク様の奥方様の…」
「そうです。…ところで、そんなお方が何故賤民の息子といらっしゃるの?」
その言葉に少しだけ反応したヒジェは、作り笑顔で答えた。
「おお!奥方様ではありませんか。この人と職場が同じなもので…。そんな、一緒には居りませんよ。でないと噂になりますから」
あくまでも笑顔で。ヒジェは内心持っている剣で切り殺してやろうかと思っていたが、必死でこらえていた。だが、夫人の攻撃は続く。
「そうですわね。賤民と両班の名家のお嬢様だなんて。あり得ない取り合わせだったわ」
さすがのヒジェも笑顔から真顔になった。だが、まだただの捕盗庁従事官。何も言い返せない。すると、ウォルファが我慢ならず口を開いた。
「…黙って聞いていれば、あまりに失礼ではありませんか。賤民だなんて。この方は中人ですよ」
「中人。はっ!聞いてあきれますわ。お嬢様は相当この男に刷り込まれたようですが。この男の母のユン氏は賤──」
「それ以上はお控えに。ですが、あなたが義禁府まで同行したいとおっしゃるならどうぞ。」
ウォルファは毅然とした態度で夫人を睨み付けた。
「チャン家の奥様のことを侮辱することはつまり、その娘であるオクチョン様─つまり、禧嬪様に対する名誉毀損ですから。王室の者を侮辱することは大罪…ではありませんか?奥様。」
的を得ている彼女の言葉に夫人はそれ以上言い返すことが出来ず、代わりに軽蔑の視線をヒジェに投げつけて去っていった。
「…大丈夫ですか?ヒジェ様。」
「…情けないだろう?私は。お前を守るといいながら、お前に守ってもらった」
力なく笑うヒジェがあまりにいつもの彼と比べると不釣り合いすぎて、ウォルファは悲しくなってきた。
「そんなことないわ。どうしてそんな悲しいこと言うの?だって、あなたが教えてくれたんじゃない。見た目では判断できないのが人間だって。」
「ああ、言ったとも。でも、それを理解してくれないやつらもいる。」
彼女は苛立ってつい、ヒジェのすねを蹴っ飛ばした。痛みで彼が跳ね上がる。そのまま怯んだ彼を裏通りに引っ張っていく。
「いたっ…!!何をする!?」
「馬鹿ヒジェ様!!もっと自信持ちなさいよ!そんなこと知ってるわ。理解してくれない人が殆どだって。でも…でも、私は理解しているわ。そんなのお互い様じゃない。お互い助け合わないと、私たちは生きていけないわ。誰も頼れない。南人と西人。そして、中人と両班。障壁しかない私たちは、お互いを信じるしかないのよ」
一気に気持ちをぶつけたウォルファは、肩で息をしている。想像以上に絶大な力強さを持っている彼女に、ヒジェは驚きしかなかった。やがて落ち着いた彼女は、ヒジェに寄り添うと、ぽつんと呟いた。
「だから、私が傍にいる。どんなときも、私があなたを理解してあげる。世界のみんながあなたを悪い人だと言っても、私だけは絶対にあなたの味方になるわ」
「ウォルファ…」
胸の奥が熱くなるような気持ちになったヒジェは、彼女の肩を抱いた。
「…ありがとう。私は…もっと強くならねばな。そなたを守るためにも」
「強がらなくていい。ただ、生きていてくれたら、それでいいの。」
それがウォルファの本心だった。生きていればいつでも会えるのだから。
また一つ、お互いの距離を縮めた二人は帰路についた。年末はもうあとすこしに迫っていた。
ある日、ウォルファは内需司の監査のための資料が必要だとの要請があったので、捕盗庁から珍しく監察部へやって来ていた。
「あ!!来たわ、トンイ。」
「どなたがですか?」
「ほら、捕盗庁の方よ」
書類を今か今かと待っていたトンイは、捕盗庁からの使いを見て驚きを隠せなかった。
「あ…あなたは…」
「お久しぶりです、トンイさん」
呆然としていたトンイは、ヨンギに証拠を命がけで渡してくれた礼を言わねばと思い立ち、慌てて会釈をした。
「あの時は、本当にありがとうございました!」
「いいのよ、お礼なんて…それより、キム・ユンダルの件、残念だったわね」
キム・ユンダルは、結局あのあと不審死を遂げてしまった。ウォルファももちろん、報告を聞いていた。
「そうなんです。あともう少しで尻尾を掴めそうだったのに…」
悔しがるトンイを見て、彼女は笑った。
「…何か、変ですか?私。」
「いいえ、変じゃないわ。ただ、尻尾はすぐに切られる。けれど、胴体は棄てられない」
なるほど、とトンイはうなずいた。
「では、黒幕を探せばいいんですね?」
「そうね。従事官様達はきっと協力してくれると思うわ。いつでも捕盗庁にいらっしゃい、トンイ」
書類を手渡すと、ウォルファは帰っていった。その後ろ姿を見送ったあと、同じ監察部のチョンイムが呟いた。
「…あの人、トンイにそっくりね」
「え?性格ですか?」
「いいえ、顔よ。背格好も笑い方も、目元も…」
トンイは上を見上げて考えると、すぐに笑い飛ばした。
「そんなわけないわ、だって私は賤民。あの方は両班の名家のお嬢様ですから」
「まあ、そうよね。あり得ないわね」
「ただ…」
仕事にとりかかろうとするチョンイムの横で、彼女はそう言って石でできた装飾具の片割れを懐から取り出した。母の遺品であるそれは、産まれた彼女の双子の姉へ、我が子を飢饉のせいで捨ててしまうことに対するせめてもの贖罪のために割られたらしい。残りの片割れはもちろん父と兄が姉のおくるみに包んだため、生きていればどこかに彼女が生きている証しとなる。密かに生き残っているかもしれない肉親を常に探しているトンイは、この石を見るたびにまだ自分は独りではないのだと微笑むのだ。
「それ、なぁに?」
「え?あ、なんでもないわ。仕事、しましょうか」
剣契の頭の娘であり、罪人の身分だったということが明らかになることを恐れ、トンイはさっと石をしまった。
だが、心のどこかではウォルファのような優しい姉だったらいいのにと、彼女は期待を寄せるのだった。
翌日、やはりトンイはウォルファに会いたくなり、ヨンギのいる左捕盗庁へ向かった。すると、驚きの事実を知った。
「あの者は左捕盗庁の管轄ではない。右捕盗庁だ」
「えっ…」
彼女は愕然とした。右捕盗庁とは、チャン・ヒジェの管轄だからだ。彼の悪事を暴こうとしているトンイは、度々命を狙われていたため彼の恐ろしさを直で知っていた。そして、彼女は昨日のウォルファのある不可解な言葉に気がついた。
──そうね。従事官様達はきっと協力してくれると思うわ。
そこで彼女は核心をついた。
「あの…ウォルファさんは、チャン様とはどのような間柄ですか?」
「彼女はあの男を信じている。おそらく良い上司だと思っているだろうな。それと、あの子は西人だが禧嬪様とも親しい。」
やはりなと思ったトンイは、ウォルファが利用されているのではと心配し始めた。
──あの方達は、平気で人を利用する。ひょっとすると、ウォルファさんも利用されているのでは…?だとすれば、早く調べをつけてお知らせしなくては!!
彼女は賢かった。だが、このある種正解ともいえる推測が後にとんでもない事件につながるとは、まだ彼女は知るよしもなかった。
捕盗庁でヒジェと仕事をしていると、ウォルファはふとトンイのことを聞いてみたいと思い立った。
「ヒジェ様。禧嬪様が推薦なさったほら…トンイという女官、ご存じ?」
「トンイぃ?」
書類をめくる彼の手が止まった。その表情は今まで見たことのないものだった。ウォルファはなにか聞いてはならないことだったのではと、それ以上あえて聞こうとはしなかった。だが、予想外にもヒジェのほうが尋ねてきた。
「あの女官がどうした?」
「ええと…キム・ユンダル事件の件でひどく落胆していて…今度の内需司の監査でぜひ力になりたいなと思っているんです。」
内需司、その言葉にヒジェはどきりとした。実は彼は今監査をされている内需司での横領に関与しているからだ。だが、そんなことをウォルファが知るはずもない。彼は逆に彼女から監査をしているという情報を獲られたことに感謝し、笑顔でこう返した。
「そうか。いつでも私に相談すると良い。力になろう。」
「ありがとう、ヒジェ様。」
上機嫌なウォルファの後ろ姿を見ながら、ヒジェは言葉の反面、面倒くさそうに目を細めるのだった。
トンイという女官とウォルファ。一見全く接点のない二人は、このときからすでに、見えない運命の引き合わせにより数奇な運命へ歩き始めていた。
そしてこの二人の関係こそが最大の恋の障壁になるなど、まだ知るはずもないのは当然のことだった。