4、手にした幸せ
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翌日からウォルファとヒジェの家にはひっきりなしに党派を問わず朝廷の重臣がやって来るようになった。西人、南人はもちろんヒジェと懇意にしている少論までやって来る始末だ。ウンテクは二人の王の子の外戚となるくらいなんだと言いながらも、貢ぎ物の品を一つずつ嬉しそうに開いている。
一方、彼女は騒がしさから逃げるように母と市場で嫁入り道具を探していた。
「あちらの奥様に嫌われないように気を付けるのよ。気が強いお方らしいから………ちょっと、わかってるの?」
「え、ええ。」
「全く、今からそんなんじゃあ旦那に浮気されてしまうわよ」
「あの人はそんなことしないわ!断じてない!」
ウォルファは顔を赤くしてすねると、今度は嫁入り衣装の仕上がりを見に行く時間を気にし始めた。
「ねえ。いつ見に行くの?」
「もう少しあとだと思うけど………あなた、またヒジェ様に会いたいの?」
「ええ。毎日でも毎時間でも毎分でもいいわ」
呆れ返るイェリに笑うと、彼女は足取り軽く市場を歩いた。すると向こうから手紙を持ったチェリョンとステクがやって来た。
「あら、どうしたの?」
「…………旦那様からです。」
「ヒジェ様から?ありがとう」
ウォルファは手紙を開いて驚いた。すぐにイェリを呼ぶと、手紙に目を通すように催促する。
「あら……………奥様にお会いするなら、手土産にこれでも持っていきなさい。」
そう言うと彼女は予め買っておいた飾りをいれた箱を包みにいれて渡すと、娘の服装を整え、輿を呼んだ。
「粗相がないようにね。お前は西人を背負って婚姻するんだから」
「はぁい。気を付けます」
聞いているようで聞いていなさそうな返事をしたウォルファは、輿に乗るとそのままステクとチェリョンを従えてチャン家に向かうのだった。
初めてやって来たチャン家は別邸顔負けなほどに広く、一歩踏み入れただけで道に迷いそうだった。辺りを見回していると、ヒジェがやって来た。
「おお!ウォルファ!よく来たな。もうすぐここはそなたの家にもなるが、どうだ?気に入ったか?」
「当たり前です。…………広いですね」
「そなたの家も相当広いと思うが………」
「うちの兄は25代当主ですが、そこまで立身出世しているわけではありませんから」
とにかく広い家に目を奪われていると、姑となるユン・ソンリプことユン氏がやって来た。
「母上、この娘です。」
「改めてご挨拶いたします。私、シム・ウォルファと申します。粗品ではありますが、どうぞ……」
「ああ………やはりそなたが見込んだにしては、気立てのよさそうでまともな娘だな」
ソンリプは騰録類抄の一件でヒジェを助けた娘として覚えていたようで、そう彼に耳打ちした。彼は嬉しそうに微笑むと、ウォルファの手を取った。
「さて。挨拶も済んだことだし、部屋へ行こう」
「え?」
目を丸くするウォルファを置いて、ソンリプは息子の耳を引っ張って小言をいい始めた。
「ヒジェ!そなた、手が早すぎるぞ」
「ここまで我慢したんです。部屋に連れていくくらい許してくださいよ、母上」
「だめだ!そなた、どうせ良からぬことを企んでいるのであろう」
必死に弁明するヒジェにみかねたステクが加勢する。
「大奥様、旦那様はお嬢様に話をするだけですよ。」
「そうだ!流石はステク。俺の言いたいことをよくわかっている!」
「………好きにしなさい。全く…」
ヒジェはソンリプが諦めたのを見計らい、ウォルファの手を引くと早速自分の部屋に連れ込んだ。
「さて………何の話が聞きたい?何でも話してやる!」
目を輝かせて机から身を乗り出す彼に笑いながら、ウォルファは少し考えるとこう言った。
「ええと………では、留学のお話がいいわ」
「いいだろう。では、俺が北京に行って最初に驚いたのはな………」
ヒジェは当時を思い出しながら得意の話術で彼女を惹き付け始めた。途中何度か嘘もついたが、ウォルファにはそんなことは気にもならなかった。むしろ大事なのは彼と自分が今、同じ時間を過ごしているということだ。誰にも、どんな邪魔もされることはない。
───幸せだわ。こんなに、この人のそばにいることが幸せだなんて……不思議。
ウォルファは必死で話をしているヒジェの生き生きしている顔を見つめながら微笑んだ。その視線に気づいた彼は、話を止めてウォルファを見つめ返した。
「…………何だ?」
「あ…………話を止めるつもりはないから………続けて。あなたを見ていただけだから。」
「ふぅん…………」
彼は初めて会ったときにしていた、人を見透かしたような顔をすると、机を片手で横に押し退けてウォルファの手を引っ張って座布団に手慣れた様子で押し倒した。
「あ………あの…………ヒ……ヒジェ……様…?」
「───ウォルファ。」
耳障りの良く甘い声で彼女の名前を耳元で囁くと、ヒジェは優しくこのときを切望していたとでも言いたげに口づけをした。
「………まだ足りん。」
彼は更に口づけを重ねた。今度は深く、激しく、求めるような接吻だった。すっかりのぼせ上がった二人は、指と指を絡め合いながら笑い合った。
「ねぇ、夢みたい。覚めてしまわないかしら?」
「覚めるものか。もし覚めたら………そのときはまた、俺が夢を見せてやる。」
本当に夢のようだった。夢も希望も何もない、決して結ばれないとまで言われていた恋が、今は嘘のように二人を結びつけているのだ。
抑えきれなくなったヒジェが思わずウォルファの胸元に手を伸ばした。それを何も考えていない彼女がそっと取ると、その大きな手を自分の心臓に当てた。
「………聞こえる?」
意外な行動に驚いたヒジェは、手のひらを通して伝わる心臓の拍動にうち震えた。
「……ああ、聞こえる。すごく、生きている。」
「生きてるわよ。この鼓動が止まるその日まで、私はあなたのお側に居ますから。だから独りじゃないって、覚えていて」
彼女はヒジェに微笑むと、いつのまにか彼の両目から溢れている涙をぬぐってやった。
「もう、大丈夫?」
「ああ………大丈夫だ………ありがとう………ありがとう………俺が生きてこれたのは、そなたのお陰だ。そなたが居なければ、俺は死んでいた。」
彼はそう言いながら騰録類抄のときや剣契の襲撃、更には義州で深手を負ったときのことを思い出した。ウォルファは起き上がると、その頬をつねった。
「私がいなければ危険な目に遭わずに済んだのだと思いますが?」
「いや、大事だ。そなたが綿入れを作ってくれなければ、流刑地で俺は凍え死んでいた」
「そんなに褒めて………何がお望みなの?」
すっかり照れてしまった彼女は顔を背けると、ヒジェの肩を叩いた。その手を取って、彼が甲に唇を付けて舌先を這わせる。ウォルファは驚いて小さな悲鳴をあげた。
「なっ、何をしているのです!?」
「何って…………夫婦になるのだろう?今からでも慣らしておかねば、夜に焦るではないか」
「や、やめてください…………変な気分です。」
それこそ狙い通りとでも言わんばかりな笑顔で、彼はすかさず再びウォルファの唇を奪った。
「もう…………!本当に………その…………恥ずかしいです…」
「おお………愛いやつめ…………どうしてくれようか。」
彼が再び口づけをしようとするのをウォルファが必死で押し止めているとき、ちょうどステクが部屋に入ってきた。
「旦那様、お嬢様。衣装の合わせが───」
「はっ、はい!わかったわ!行きます!今行きます!」
「おっ、お、おお。そ、そうだな」
ステクは明らかに挙動不審なウォルファとヒジェ、そして退けられた机を見て、あと少し遅かったらどうなっていたことやらとため息をついた。あまりの気まずさにそれ以上なにも言えなくなったヒジェは、彼の肩をそっと叩くと逃げるように去っていくウォルファの後を追った。
仕立屋が持ってきた服で顔色映えを見ている間、ヒジェはすることもないのでぼんやりと自分の服の紐の結び目を眺めていた。すると衣装合わせが終わったのか、ウォルファがソンリプとイェリと共に出てきた。手には何やら包みを持っている。
「ヒジェ様、お待たせしました。」
「おお。では私の番か………」
ゆっくりと立ち上がったヒジェを、母が呼び止める。
「それには及ばぬ。そなたの着る服は既に出来てある。」
「えっ?そ、それは………」
ソンリプがそう言うと、ウォルファは包みを彼に渡した。包みを開けたヒジェは、目を丸くした。そこに入っていたのは、婚礼用と政務用をかねている官服だった。ウォルファが顔を赤らめながら説明し始める。
「………別邸にいるとき、少しお出掛けの間に予備の官服を拝借して測ってから作りましたので、丈は合っていると思いますが………」
「そ、そなたが作ったのか?これを?」
「はい。…………ひょっとして……ご迷惑でしたか?」
彼女が心配そうに覗き込んだ。ヒジェは慌てて否定した。
「いや!そんな!全く!むしろその………ありがとう。」
「よかった…………」
「これを着てずっと登庁しよう。いやぁ…………本当に素晴らしい官服だ。宮廷でもらうものとはまた素材が違うな」
嬉しさのあまりどこから褒めていいのかわからないヒジェは、官服を取り出して眺めながらにやけを抑えられずに笑みをこぼした。ウォルファはそんな彼に失笑すると、小さく首を振った。
「いえ、一緒です。」
「あ………そうか」
そのやり取りを見ていたソンリプとイェリは、遠目から二人の顔をみながら会話をしている。
「……全く。済みませんね、ああいう息子で……」
「いいえ、良いのです。私の亡くなった夫のジングは、早くから若様をウォルファの夫にと言っていましたから。あの方にお見せしたかった………」
「私も、夫のリョンに見せたかったわ。あの放蕩息子が領議政になり、あんなに良い娘を嫁にもらうだなんて………」
イェリは微笑むと、ソンリプの手を取った。
「娘を、お願いします。どうしようもないおてんばですが、若様をお慕いする気持ちは誰よりも強いはずです。」
「当然です。あのヒジェが初めて心の底から好いた娘ですから。」
それを聞いて安心したイェリは、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「すみません………もう、あの子は嫁に行けないと思っていたので………」
「それはこちらの言葉です。あのヒジェを党派が違うにも関わらずよく待っていてくれた。本当に、ありがとうございます」
イェリは顔を上げて、ソンリプと共にもう一度ヒジェとウォルファの方を見た。
二人は今まで見たなかで一番幸せそうな表情を浮かべている。ヒジェは仕立ててくれた官服を着ようとしてその場で服を脱ごうとしている。慌ててステクが止め、その様子を見てウォルファが焦りながら笑う。
「………ずっと、この幸せが続けば良いですね」
「ええ、本当に。あの子達のためにも………」
蕾のままあまりにも長くの冬を耐えてきた二人は、ようやく華を咲かせたように見えた。もう決して離れない。その決意だけが強く、そして暖かく二人を包んでいた。
婚礼当日、ウォルファはシム家で花嫁衣装の重たさに愕然としながら着せかえ人形のように座っていた。既に外にはオ・ユンを始めとする南人の重臣から、チョン・イングクを筆頭とする西人の重臣、更にはイム・サンヒョンを中心とする少論まで出揃っている。三方それぞれ異なる党派が出席する会場は何とも複雑なもので、それを見るたびいかにこの恋が難しいものだったかを思い知らされる。
ところがヒジェはそんなことは気にも留めず、むしろ夜のことを気にしていた。ステクを前にしてああでもないこうでもないと言っている新郎は、こちらが目を覆いたくなるほどに能天気である。ヒジェはチェリョンにあらかた上手く聞き出してもらった事項から、様々なことを分析していた。
「まず、チェリョンから間違いないと聞いたゆえ、これは確実に言えることだが……処女だ。」
「…………そうですか。」
「それから、胸が大きい。」
「………そうですか。」
「あとは、尻がでかい。」
そこまで聞いたステクは、大きなため息をついて珍しく反論した。
「……………それ、私が知ったところでどうするんですか」
「…………知って損はない。」
「いや………余計すぎる情報です」
ヒジェは少し考えると、唐突に床技の本を取り出してきてステクの前に置いて尋ねた。
「なぁ、普通って何だ?」
「え?」
「人妻ばかり相手しているとな、どうも配慮というのに欠けるようになってきたようで……」
「今からでもそっくりそのまま王様とウンテク殿に言いましょうか?」
慌てて両手を振るヒジェは、
「じ、冗談だ!初心に戻れば良いのだろう?初心に!………初心ってどの辺りまで戻れば良い?やはり童貞の頃だろうか……」
「……人生そのものをやり直せば良いのでは………?」
「おい、今なんと言った?」
もう少しでヒジェがステクに掴みかかりそうになったとき、丁度ソンリプ付きの侍女イェジンがやって来た。
「そろそろ始まりますので、どうぞ」
「おお、わかった。……ステク、覚えていろよ」
「承知しました。ではどうぞ、新郎殿。」
「こいつ………」
ヒジェは苦笑いしながら会場に入った。ぞっとするような面子に表情をひきつらせたが、すぐに花嫁衣装のウォルファがやって来て、彼はいつもの笑顔に戻った。
「チャン様、雁です、雁。」
「お、おう。」
ヒジェはしきたり通りに木で作った雁をウォルファに渡すと、しきたりに従って彼女が礼をするのを待った。
ウォルファの美しい顔が、態勢が変わったことで礼のときにその場に露となる。当時の常識の婚期を過ぎた女性とは思えないほどに美しい顔立ちに、思わず少論のサンホンは驚いた。
「なんと美しい…………」
「当然です。あのチャン・ヒジェが執着するのですから。」
一方、ウンテクは複雑な心境で式を見守っていた。彼は隣に座るイェリに耳打ちした。
「母上、あやつが三日間うちに泊まるのですよね……?」
「そうですよ。義兄弟になるのですから、もう少し仲良くなさい」
しきたりで三日間新婦の家に泊まることになっているため彼は、しばらく顔をつきあわせねばならないことに頭を抱えた。
ユンは黙ってウォルファとヒジェが式を終えるのを見守っていた。
───ウォルファ、幸せになってくれ。私には与えられない幸せを、彼から貰ってくれ。
こうして様々な人の思いが錯綜する中、式は無事終了し、二人は晴れて夫婦となった。ヒジェはすぐにウォルファのもとに行きたい思いを抑えて来賓に挨拶をして回っている。彼はふとムヨルの前に立ち止まると、冷ややかな顔をして笑いかけた。
「そなた、よくもぬけぬけと来れたものだな。危うく死人と婚礼をあげるところだ」
「図々しさはチャン・ヒジェ様も負けてはいないと思いますが。」
「何?」
それを近くで聞いていたユンは、二人を引き離した。
「失礼する。───おい、ヒジェ。どういうことだ」
彼は人気のないところにヒジェを引っ張っていくと、事の次第を尋ねた。
「あいつに妻を殺されそうになったのだ。許せるものか」
「あの男は狡猾だ。そなたとて敵に回すのは危険すぎる。」
「ならどうしろと?いつか殺してやる………」
「おい!婚姻したのだから、下手なことは止めておけ。妻を大切に思うなら、決して大罪は犯すな。これからはもうそなたたちは縁座で処罰されるのだからな。」
自分に助言するユンがあまりに珍しかったので、彼は目を丸くしてムヨルのことなどすっかり忘れてしまった。
「…………何故、俺にそんなことを?」
「わからぬか?友だからだ。非常に腹立たしいことだが、そなたを私は友だと思っている。この六年間、私が叔父上の代わりに党首としてやっていけたのはそなたのお陰だ。全てそなたに頼った。」
「ははん、俺がいないと困るからか。」
茶化すヒジェにユンが食って掛かる。
「ヒジェ。本当にそう思っているのだぞ。」
「ああ、わかった。友の苦言はしっかり覚えておこう。………ありがとう」
二人は友人など出来たことも無かったので、あまりの恥ずかしさに背を向けた。もちろん先に憎まれ口を叩いたのはヒジェだった。
「お前、禿げたって本当か?」
「は?どこからそんな話を………」
「では失礼、党首殿。」
ユンが呆然としている間にヒジェはわざとらしく一礼すると、そのままさっさと歩いていってしまった。残されたユンは彼の背中に吠えることしか出来ない。
「おい!待て!!こら!!会合は四日後そなたの家だからな!」
「はいはい、知っておる。」
「全く………」
子供じみたことをするやつだと彼はすっかり飽きれかえっていたが、いつのまにかこういうのも悪くないと笑っている自分に気づき、勝手に気まずく思うと咳払いをひとつして来賓たちの中に戻っていった。
ウォルファは頭の飾りをいつになれば下ろせるのだろうかと思いながらヒジェを待っていた。そろそろ呼びにいくべきではないだろうかと思い、彼女が立ち上がった瞬間、ヒジェが部屋に入ってきた。
「ウォルファ!済まん、今はずしてやるからな」
「……遅いです。肩がこりました」
「わかった。後で色々揉んでやるから───」
いいながらヒジェは、自分がとんでもないことを口走っていることに気づいた。
「いや、こ、これは………違う………あの……その……だな」
「何を焦っているのですか?」
きょとんとするウォルファの飾りを手早く外すと、ヒジェは気まずさのあまりそっぽを向いた。ウォルファが覗くと、初恋の相手を直視できない幼児のように耳まで真っ赤にしている。
「……ねぇ、大丈夫?」
「だっ、だっ…大丈夫だ!!」
彼はそう言うと、運び込まれた膳に向き合うと黙々と食べ始めるのだった。
一言も言葉を交わさずに食事を終えたウォルファは、湯船に浸かりながら下ろした長い髪をときながら、湯に浮かぶ花を掬い上げて香りを楽しんでいた。
「さて、奥様。お身体の清めは終わりましたので、新郎殿がしびれを切らせる前に上がってくださいな」
手際よく髪を乾かし始めるチェリョンは、すっかり手慣れた様子でウォルファを奥様と呼んだ。ふと、彼女はあることがどうしても気になってチェリョンに尋ねた。
「え、ええ。…………ねぇ、チェリョン」
「なんでしょうか」
「あの………その…………夜伽って…………どうすればよいのか………私、知らないの。」
顔を耳まで真っ赤にして尋ねるウォルファがあまりに幼く、チェリョンは思わず吹き出してしまいそうになるのをこらえて助言した。
「そんなことでしたか!簡単なことです。お任せすれば良いのです。旦那様はきっと百戦錬磨でしょうから、大丈夫ですよ!」
「任せる……?どうするのかも?知っておいた方が良い気がするのだけれど……」
彼女は聞こえていない振りをしてウォルファの話をはぐらかした。髪を乾かし終え、結ってから寝巻きに着替えさせてから、チェリョンはイェジンの元に行った。
「イェジンさん、奥様に夜伽のことを聞かれまして……」
「だめよ、教えては。きっとウォルファ様なら卒倒しかねないわ……それに、旦那様から自分が説明するゆえ、言うなと言われてるわ」
「まぁ、信用に足らない説明ですね」
「全くよ。きちんとステクさんと大奥様から壊れるほど滅茶苦茶に弄んではならないと念を押してもらっているんだけれど………」
イェジンは放蕩を重ねたヒジェの人並み外れた精力の噂に身震いすると、床の準備を始めた。それを聞いたチェリョンは、ただただ主人の無事を祈ることしかできなかった。
自分の裸体に見とれているヒジェにさっさと服を着せたステクは、再度イェジンとソンリプから頼まれていることを念押しした。
「旦那様、いいですか?決して奥様を滅茶苦茶に壊してはなりませんからね。限度をしっかりと……」
「わかった、わかった。俺も馬鹿ではないからな。」
といいつつも既に高揚している自分の気持ちを抑えるのに必死であるヒジェは、足取り軽く寝所に向かった。その様子を見ているステクとイェジン、そしてチェリョンはやれやれとため息をつくことしかできなかった。
部屋に既に着いていたウォルファは、そもそも布団の上にいるべきなのか床にいるべきなのかを迷いながらそわそわしていた。それから急に恥ずかしくなってきた彼女は布団を手繰り寄せると、座りながら胸元で端を抱きかかえた。
ヒジェが部屋に入ってくると、ウォルファはいよいよ強張った。緊張に気づいたヒジェは、彼女にゆっくりと恐怖を与えないように近づくと、にやける顔を抑えながらその隣に座った。
「……………夫婦に、なったのだな」
「そ、そうです………ね」
彼女は更に布団を上げようとした。だが、その手をヒジェが掴み、逆らえない力で布団をはがされる。
「あっ…………」
「ずっと待っていた。この時を。そなたと一つになれる時を。」
そのまま押し倒されたウォルファはすっかり怯えてしまい、目を潤ませながら彼を見ている。ヒジェはそんな彼女に優しく微笑んだ。
「大丈夫だ。俺がそなたに愛を全身で感じてもらうため、もっとそなたのことを知るだけだ。もちろん俺もそなたに愛を受け取ってほしいゆえ、俺の全てをそなたに知ってもらう。」
「それが………夜伽ですか?」
「そうだ。快楽のためだけに耽る奴もいるが、本当はそうではない。互いの愛をより深いところで表現する行為なのだ」
とても良いことを言っているなと、自分自身でも酔いしれているヒジェはウォルファの耳元で、あの何とも低く甘い声で囁いた。
「───感じたくはないか?俺の愛を。」
ぎこちなくではあるが、彼女が頷く。それを見届けたヒジェはウォルファに確かめるように優しい口づけをすると、部屋の灯りを吹き消した。そして、月光に照らされた二人の影が重なり、後には衣擦れの音と上気した吐息が聞こえ始めるのだった。
一方、彼女は騒がしさから逃げるように母と市場で嫁入り道具を探していた。
「あちらの奥様に嫌われないように気を付けるのよ。気が強いお方らしいから………ちょっと、わかってるの?」
「え、ええ。」
「全く、今からそんなんじゃあ旦那に浮気されてしまうわよ」
「あの人はそんなことしないわ!断じてない!」
ウォルファは顔を赤くしてすねると、今度は嫁入り衣装の仕上がりを見に行く時間を気にし始めた。
「ねえ。いつ見に行くの?」
「もう少しあとだと思うけど………あなた、またヒジェ様に会いたいの?」
「ええ。毎日でも毎時間でも毎分でもいいわ」
呆れ返るイェリに笑うと、彼女は足取り軽く市場を歩いた。すると向こうから手紙を持ったチェリョンとステクがやって来た。
「あら、どうしたの?」
「…………旦那様からです。」
「ヒジェ様から?ありがとう」
ウォルファは手紙を開いて驚いた。すぐにイェリを呼ぶと、手紙に目を通すように催促する。
「あら……………奥様にお会いするなら、手土産にこれでも持っていきなさい。」
そう言うと彼女は予め買っておいた飾りをいれた箱を包みにいれて渡すと、娘の服装を整え、輿を呼んだ。
「粗相がないようにね。お前は西人を背負って婚姻するんだから」
「はぁい。気を付けます」
聞いているようで聞いていなさそうな返事をしたウォルファは、輿に乗るとそのままステクとチェリョンを従えてチャン家に向かうのだった。
初めてやって来たチャン家は別邸顔負けなほどに広く、一歩踏み入れただけで道に迷いそうだった。辺りを見回していると、ヒジェがやって来た。
「おお!ウォルファ!よく来たな。もうすぐここはそなたの家にもなるが、どうだ?気に入ったか?」
「当たり前です。…………広いですね」
「そなたの家も相当広いと思うが………」
「うちの兄は25代当主ですが、そこまで立身出世しているわけではありませんから」
とにかく広い家に目を奪われていると、姑となるユン・ソンリプことユン氏がやって来た。
「母上、この娘です。」
「改めてご挨拶いたします。私、シム・ウォルファと申します。粗品ではありますが、どうぞ……」
「ああ………やはりそなたが見込んだにしては、気立てのよさそうでまともな娘だな」
ソンリプは騰録類抄の一件でヒジェを助けた娘として覚えていたようで、そう彼に耳打ちした。彼は嬉しそうに微笑むと、ウォルファの手を取った。
「さて。挨拶も済んだことだし、部屋へ行こう」
「え?」
目を丸くするウォルファを置いて、ソンリプは息子の耳を引っ張って小言をいい始めた。
「ヒジェ!そなた、手が早すぎるぞ」
「ここまで我慢したんです。部屋に連れていくくらい許してくださいよ、母上」
「だめだ!そなた、どうせ良からぬことを企んでいるのであろう」
必死に弁明するヒジェにみかねたステクが加勢する。
「大奥様、旦那様はお嬢様に話をするだけですよ。」
「そうだ!流石はステク。俺の言いたいことをよくわかっている!」
「………好きにしなさい。全く…」
ヒジェはソンリプが諦めたのを見計らい、ウォルファの手を引くと早速自分の部屋に連れ込んだ。
「さて………何の話が聞きたい?何でも話してやる!」
目を輝かせて机から身を乗り出す彼に笑いながら、ウォルファは少し考えるとこう言った。
「ええと………では、留学のお話がいいわ」
「いいだろう。では、俺が北京に行って最初に驚いたのはな………」
ヒジェは当時を思い出しながら得意の話術で彼女を惹き付け始めた。途中何度か嘘もついたが、ウォルファにはそんなことは気にもならなかった。むしろ大事なのは彼と自分が今、同じ時間を過ごしているということだ。誰にも、どんな邪魔もされることはない。
───幸せだわ。こんなに、この人のそばにいることが幸せだなんて……不思議。
ウォルファは必死で話をしているヒジェの生き生きしている顔を見つめながら微笑んだ。その視線に気づいた彼は、話を止めてウォルファを見つめ返した。
「…………何だ?」
「あ…………話を止めるつもりはないから………続けて。あなたを見ていただけだから。」
「ふぅん…………」
彼は初めて会ったときにしていた、人を見透かしたような顔をすると、机を片手で横に押し退けてウォルファの手を引っ張って座布団に手慣れた様子で押し倒した。
「あ………あの…………ヒ……ヒジェ……様…?」
「───ウォルファ。」
耳障りの良く甘い声で彼女の名前を耳元で囁くと、ヒジェは優しくこのときを切望していたとでも言いたげに口づけをした。
「………まだ足りん。」
彼は更に口づけを重ねた。今度は深く、激しく、求めるような接吻だった。すっかりのぼせ上がった二人は、指と指を絡め合いながら笑い合った。
「ねぇ、夢みたい。覚めてしまわないかしら?」
「覚めるものか。もし覚めたら………そのときはまた、俺が夢を見せてやる。」
本当に夢のようだった。夢も希望も何もない、決して結ばれないとまで言われていた恋が、今は嘘のように二人を結びつけているのだ。
抑えきれなくなったヒジェが思わずウォルファの胸元に手を伸ばした。それを何も考えていない彼女がそっと取ると、その大きな手を自分の心臓に当てた。
「………聞こえる?」
意外な行動に驚いたヒジェは、手のひらを通して伝わる心臓の拍動にうち震えた。
「……ああ、聞こえる。すごく、生きている。」
「生きてるわよ。この鼓動が止まるその日まで、私はあなたのお側に居ますから。だから独りじゃないって、覚えていて」
彼女はヒジェに微笑むと、いつのまにか彼の両目から溢れている涙をぬぐってやった。
「もう、大丈夫?」
「ああ………大丈夫だ………ありがとう………ありがとう………俺が生きてこれたのは、そなたのお陰だ。そなたが居なければ、俺は死んでいた。」
彼はそう言いながら騰録類抄のときや剣契の襲撃、更には義州で深手を負ったときのことを思い出した。ウォルファは起き上がると、その頬をつねった。
「私がいなければ危険な目に遭わずに済んだのだと思いますが?」
「いや、大事だ。そなたが綿入れを作ってくれなければ、流刑地で俺は凍え死んでいた」
「そんなに褒めて………何がお望みなの?」
すっかり照れてしまった彼女は顔を背けると、ヒジェの肩を叩いた。その手を取って、彼が甲に唇を付けて舌先を這わせる。ウォルファは驚いて小さな悲鳴をあげた。
「なっ、何をしているのです!?」
「何って…………夫婦になるのだろう?今からでも慣らしておかねば、夜に焦るではないか」
「や、やめてください…………変な気分です。」
それこそ狙い通りとでも言わんばかりな笑顔で、彼はすかさず再びウォルファの唇を奪った。
「もう…………!本当に………その…………恥ずかしいです…」
「おお………愛いやつめ…………どうしてくれようか。」
彼が再び口づけをしようとするのをウォルファが必死で押し止めているとき、ちょうどステクが部屋に入ってきた。
「旦那様、お嬢様。衣装の合わせが───」
「はっ、はい!わかったわ!行きます!今行きます!」
「おっ、お、おお。そ、そうだな」
ステクは明らかに挙動不審なウォルファとヒジェ、そして退けられた机を見て、あと少し遅かったらどうなっていたことやらとため息をついた。あまりの気まずさにそれ以上なにも言えなくなったヒジェは、彼の肩をそっと叩くと逃げるように去っていくウォルファの後を追った。
仕立屋が持ってきた服で顔色映えを見ている間、ヒジェはすることもないのでぼんやりと自分の服の紐の結び目を眺めていた。すると衣装合わせが終わったのか、ウォルファがソンリプとイェリと共に出てきた。手には何やら包みを持っている。
「ヒジェ様、お待たせしました。」
「おお。では私の番か………」
ゆっくりと立ち上がったヒジェを、母が呼び止める。
「それには及ばぬ。そなたの着る服は既に出来てある。」
「えっ?そ、それは………」
ソンリプがそう言うと、ウォルファは包みを彼に渡した。包みを開けたヒジェは、目を丸くした。そこに入っていたのは、婚礼用と政務用をかねている官服だった。ウォルファが顔を赤らめながら説明し始める。
「………別邸にいるとき、少しお出掛けの間に予備の官服を拝借して測ってから作りましたので、丈は合っていると思いますが………」
「そ、そなたが作ったのか?これを?」
「はい。…………ひょっとして……ご迷惑でしたか?」
彼女が心配そうに覗き込んだ。ヒジェは慌てて否定した。
「いや!そんな!全く!むしろその………ありがとう。」
「よかった…………」
「これを着てずっと登庁しよう。いやぁ…………本当に素晴らしい官服だ。宮廷でもらうものとはまた素材が違うな」
嬉しさのあまりどこから褒めていいのかわからないヒジェは、官服を取り出して眺めながらにやけを抑えられずに笑みをこぼした。ウォルファはそんな彼に失笑すると、小さく首を振った。
「いえ、一緒です。」
「あ………そうか」
そのやり取りを見ていたソンリプとイェリは、遠目から二人の顔をみながら会話をしている。
「……全く。済みませんね、ああいう息子で……」
「いいえ、良いのです。私の亡くなった夫のジングは、早くから若様をウォルファの夫にと言っていましたから。あの方にお見せしたかった………」
「私も、夫のリョンに見せたかったわ。あの放蕩息子が領議政になり、あんなに良い娘を嫁にもらうだなんて………」
イェリは微笑むと、ソンリプの手を取った。
「娘を、お願いします。どうしようもないおてんばですが、若様をお慕いする気持ちは誰よりも強いはずです。」
「当然です。あのヒジェが初めて心の底から好いた娘ですから。」
それを聞いて安心したイェリは、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「すみません………もう、あの子は嫁に行けないと思っていたので………」
「それはこちらの言葉です。あのヒジェを党派が違うにも関わらずよく待っていてくれた。本当に、ありがとうございます」
イェリは顔を上げて、ソンリプと共にもう一度ヒジェとウォルファの方を見た。
二人は今まで見たなかで一番幸せそうな表情を浮かべている。ヒジェは仕立ててくれた官服を着ようとしてその場で服を脱ごうとしている。慌ててステクが止め、その様子を見てウォルファが焦りながら笑う。
「………ずっと、この幸せが続けば良いですね」
「ええ、本当に。あの子達のためにも………」
蕾のままあまりにも長くの冬を耐えてきた二人は、ようやく華を咲かせたように見えた。もう決して離れない。その決意だけが強く、そして暖かく二人を包んでいた。
婚礼当日、ウォルファはシム家で花嫁衣装の重たさに愕然としながら着せかえ人形のように座っていた。既に外にはオ・ユンを始めとする南人の重臣から、チョン・イングクを筆頭とする西人の重臣、更にはイム・サンヒョンを中心とする少論まで出揃っている。三方それぞれ異なる党派が出席する会場は何とも複雑なもので、それを見るたびいかにこの恋が難しいものだったかを思い知らされる。
ところがヒジェはそんなことは気にも留めず、むしろ夜のことを気にしていた。ステクを前にしてああでもないこうでもないと言っている新郎は、こちらが目を覆いたくなるほどに能天気である。ヒジェはチェリョンにあらかた上手く聞き出してもらった事項から、様々なことを分析していた。
「まず、チェリョンから間違いないと聞いたゆえ、これは確実に言えることだが……処女だ。」
「…………そうですか。」
「それから、胸が大きい。」
「………そうですか。」
「あとは、尻がでかい。」
そこまで聞いたステクは、大きなため息をついて珍しく反論した。
「……………それ、私が知ったところでどうするんですか」
「…………知って損はない。」
「いや………余計すぎる情報です」
ヒジェは少し考えると、唐突に床技の本を取り出してきてステクの前に置いて尋ねた。
「なぁ、普通って何だ?」
「え?」
「人妻ばかり相手しているとな、どうも配慮というのに欠けるようになってきたようで……」
「今からでもそっくりそのまま王様とウンテク殿に言いましょうか?」
慌てて両手を振るヒジェは、
「じ、冗談だ!初心に戻れば良いのだろう?初心に!………初心ってどの辺りまで戻れば良い?やはり童貞の頃だろうか……」
「……人生そのものをやり直せば良いのでは………?」
「おい、今なんと言った?」
もう少しでヒジェがステクに掴みかかりそうになったとき、丁度ソンリプ付きの侍女イェジンがやって来た。
「そろそろ始まりますので、どうぞ」
「おお、わかった。……ステク、覚えていろよ」
「承知しました。ではどうぞ、新郎殿。」
「こいつ………」
ヒジェは苦笑いしながら会場に入った。ぞっとするような面子に表情をひきつらせたが、すぐに花嫁衣装のウォルファがやって来て、彼はいつもの笑顔に戻った。
「チャン様、雁です、雁。」
「お、おう。」
ヒジェはしきたり通りに木で作った雁をウォルファに渡すと、しきたりに従って彼女が礼をするのを待った。
ウォルファの美しい顔が、態勢が変わったことで礼のときにその場に露となる。当時の常識の婚期を過ぎた女性とは思えないほどに美しい顔立ちに、思わず少論のサンホンは驚いた。
「なんと美しい…………」
「当然です。あのチャン・ヒジェが執着するのですから。」
一方、ウンテクは複雑な心境で式を見守っていた。彼は隣に座るイェリに耳打ちした。
「母上、あやつが三日間うちに泊まるのですよね……?」
「そうですよ。義兄弟になるのですから、もう少し仲良くなさい」
しきたりで三日間新婦の家に泊まることになっているため彼は、しばらく顔をつきあわせねばならないことに頭を抱えた。
ユンは黙ってウォルファとヒジェが式を終えるのを見守っていた。
───ウォルファ、幸せになってくれ。私には与えられない幸せを、彼から貰ってくれ。
こうして様々な人の思いが錯綜する中、式は無事終了し、二人は晴れて夫婦となった。ヒジェはすぐにウォルファのもとに行きたい思いを抑えて来賓に挨拶をして回っている。彼はふとムヨルの前に立ち止まると、冷ややかな顔をして笑いかけた。
「そなた、よくもぬけぬけと来れたものだな。危うく死人と婚礼をあげるところだ」
「図々しさはチャン・ヒジェ様も負けてはいないと思いますが。」
「何?」
それを近くで聞いていたユンは、二人を引き離した。
「失礼する。───おい、ヒジェ。どういうことだ」
彼は人気のないところにヒジェを引っ張っていくと、事の次第を尋ねた。
「あいつに妻を殺されそうになったのだ。許せるものか」
「あの男は狡猾だ。そなたとて敵に回すのは危険すぎる。」
「ならどうしろと?いつか殺してやる………」
「おい!婚姻したのだから、下手なことは止めておけ。妻を大切に思うなら、決して大罪は犯すな。これからはもうそなたたちは縁座で処罰されるのだからな。」
自分に助言するユンがあまりに珍しかったので、彼は目を丸くしてムヨルのことなどすっかり忘れてしまった。
「…………何故、俺にそんなことを?」
「わからぬか?友だからだ。非常に腹立たしいことだが、そなたを私は友だと思っている。この六年間、私が叔父上の代わりに党首としてやっていけたのはそなたのお陰だ。全てそなたに頼った。」
「ははん、俺がいないと困るからか。」
茶化すヒジェにユンが食って掛かる。
「ヒジェ。本当にそう思っているのだぞ。」
「ああ、わかった。友の苦言はしっかり覚えておこう。………ありがとう」
二人は友人など出来たことも無かったので、あまりの恥ずかしさに背を向けた。もちろん先に憎まれ口を叩いたのはヒジェだった。
「お前、禿げたって本当か?」
「は?どこからそんな話を………」
「では失礼、党首殿。」
ユンが呆然としている間にヒジェはわざとらしく一礼すると、そのままさっさと歩いていってしまった。残されたユンは彼の背中に吠えることしか出来ない。
「おい!待て!!こら!!会合は四日後そなたの家だからな!」
「はいはい、知っておる。」
「全く………」
子供じみたことをするやつだと彼はすっかり飽きれかえっていたが、いつのまにかこういうのも悪くないと笑っている自分に気づき、勝手に気まずく思うと咳払いをひとつして来賓たちの中に戻っていった。
ウォルファは頭の飾りをいつになれば下ろせるのだろうかと思いながらヒジェを待っていた。そろそろ呼びにいくべきではないだろうかと思い、彼女が立ち上がった瞬間、ヒジェが部屋に入ってきた。
「ウォルファ!済まん、今はずしてやるからな」
「……遅いです。肩がこりました」
「わかった。後で色々揉んでやるから───」
いいながらヒジェは、自分がとんでもないことを口走っていることに気づいた。
「いや、こ、これは………違う………あの……その……だな」
「何を焦っているのですか?」
きょとんとするウォルファの飾りを手早く外すと、ヒジェは気まずさのあまりそっぽを向いた。ウォルファが覗くと、初恋の相手を直視できない幼児のように耳まで真っ赤にしている。
「……ねぇ、大丈夫?」
「だっ、だっ…大丈夫だ!!」
彼はそう言うと、運び込まれた膳に向き合うと黙々と食べ始めるのだった。
一言も言葉を交わさずに食事を終えたウォルファは、湯船に浸かりながら下ろした長い髪をときながら、湯に浮かぶ花を掬い上げて香りを楽しんでいた。
「さて、奥様。お身体の清めは終わりましたので、新郎殿がしびれを切らせる前に上がってくださいな」
手際よく髪を乾かし始めるチェリョンは、すっかり手慣れた様子でウォルファを奥様と呼んだ。ふと、彼女はあることがどうしても気になってチェリョンに尋ねた。
「え、ええ。…………ねぇ、チェリョン」
「なんでしょうか」
「あの………その…………夜伽って…………どうすればよいのか………私、知らないの。」
顔を耳まで真っ赤にして尋ねるウォルファがあまりに幼く、チェリョンは思わず吹き出してしまいそうになるのをこらえて助言した。
「そんなことでしたか!簡単なことです。お任せすれば良いのです。旦那様はきっと百戦錬磨でしょうから、大丈夫ですよ!」
「任せる……?どうするのかも?知っておいた方が良い気がするのだけれど……」
彼女は聞こえていない振りをしてウォルファの話をはぐらかした。髪を乾かし終え、結ってから寝巻きに着替えさせてから、チェリョンはイェジンの元に行った。
「イェジンさん、奥様に夜伽のことを聞かれまして……」
「だめよ、教えては。きっとウォルファ様なら卒倒しかねないわ……それに、旦那様から自分が説明するゆえ、言うなと言われてるわ」
「まぁ、信用に足らない説明ですね」
「全くよ。きちんとステクさんと大奥様から壊れるほど滅茶苦茶に弄んではならないと念を押してもらっているんだけれど………」
イェジンは放蕩を重ねたヒジェの人並み外れた精力の噂に身震いすると、床の準備を始めた。それを聞いたチェリョンは、ただただ主人の無事を祈ることしかできなかった。
自分の裸体に見とれているヒジェにさっさと服を着せたステクは、再度イェジンとソンリプから頼まれていることを念押しした。
「旦那様、いいですか?決して奥様を滅茶苦茶に壊してはなりませんからね。限度をしっかりと……」
「わかった、わかった。俺も馬鹿ではないからな。」
といいつつも既に高揚している自分の気持ちを抑えるのに必死であるヒジェは、足取り軽く寝所に向かった。その様子を見ているステクとイェジン、そしてチェリョンはやれやれとため息をつくことしかできなかった。
部屋に既に着いていたウォルファは、そもそも布団の上にいるべきなのか床にいるべきなのかを迷いながらそわそわしていた。それから急に恥ずかしくなってきた彼女は布団を手繰り寄せると、座りながら胸元で端を抱きかかえた。
ヒジェが部屋に入ってくると、ウォルファはいよいよ強張った。緊張に気づいたヒジェは、彼女にゆっくりと恐怖を与えないように近づくと、にやける顔を抑えながらその隣に座った。
「……………夫婦に、なったのだな」
「そ、そうです………ね」
彼女は更に布団を上げようとした。だが、その手をヒジェが掴み、逆らえない力で布団をはがされる。
「あっ…………」
「ずっと待っていた。この時を。そなたと一つになれる時を。」
そのまま押し倒されたウォルファはすっかり怯えてしまい、目を潤ませながら彼を見ている。ヒジェはそんな彼女に優しく微笑んだ。
「大丈夫だ。俺がそなたに愛を全身で感じてもらうため、もっとそなたのことを知るだけだ。もちろん俺もそなたに愛を受け取ってほしいゆえ、俺の全てをそなたに知ってもらう。」
「それが………夜伽ですか?」
「そうだ。快楽のためだけに耽る奴もいるが、本当はそうではない。互いの愛をより深いところで表現する行為なのだ」
とても良いことを言っているなと、自分自身でも酔いしれているヒジェはウォルファの耳元で、あの何とも低く甘い声で囁いた。
「───感じたくはないか?俺の愛を。」
ぎこちなくではあるが、彼女が頷く。それを見届けたヒジェはウォルファに確かめるように優しい口づけをすると、部屋の灯りを吹き消した。そして、月光に照らされた二人の影が重なり、後には衣擦れの音と上気した吐息が聞こえ始めるのだった。