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その日の夜、ウォルファは不穏な物音で目を覚ました。だが起き上がった瞬間、彼女の口は何者かに塞がれ、背中を殴り付けられて意識を失った。
その頃、やはり納得が行かないと思っているヒジェはステクたちと共にウォルファの家に向かっていた。すると、家の前で何やら怪しい行動をしている、ムヨルの部下で捕盗庁の武官をしている人物らしい者を見た彼は、裏手から彼女の家に入ると、その無事を確かめた。だが、そこにウォルファは居なかった。靴も無くなっていないことから、裸足でどこかに行くなどはあり得ない。ヒジェは胸騒ぎを覚え、こっそり後ろから男に近づくと、背後から羽交い締めにして地面に叩きつけた。
「貴様!ここで何をしている。」
「よ、領議政様ではありませんか……」
「おい、一体ウォルファはどこだ。あの子に何かしたのか?」
目を泳がせる男に何かあったことに確信を持ったヒジェは、男を殴り付けた。
「貴様!ウォルファに何をした!!何をした!!!!!答えろ!!」
殴られ蹴られ、意識が朦朧とし始めた男は、虚ろな目で笑いこう言った。
「…………もう死んでいるでしょう。ここのすぐ近くにある廃倉庫に火を放ちました。今頃は焼け死んで………」
「なん………だと…………」
ヒジェは呆然として後ずさりすると、唇を震わせて男が指差した方向を見つめた。そして他の部下に男を捕らえるように告げ、ステクは残りの者に水を汲んでついてくるようにと命じると、その場に急いだ。
目を覚ましたウォルファは、自分が閉じ込められていることに気づくと、逃げ出せはしないかと辺りを見回した。だが、彼女はそれ以上に不味いことに気づいた。
「………なにこのにおい…………」
彼女が目を凝らして見ると、煙が上がっているではないか。
───火をかけられたのね!
「開けて!!誰か!助けて!!」
必死で戸を叩くが、誰も助けてくれる様子はない。彼女は絶望すると、その場に座りこんだ。
どんどん火が燃え盛り、倉庫の中は煙で充たされ、焼けた木が落ちてくる。ウォルファは息苦しさの中で横たわると、目を閉じた。走馬灯のように遠退く意識の中、彼女の脳裏に浮かんできたのはヒジェとの思い出だった。
「ヒジェ様……………助け………て……………」
届くはずのない想いを胸に秘め、自分は死ぬのだろうか。彼女が一筋の涙を流したその時だった。
「……ヒジェ様……?」
彼の、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
───ああ、最期にあなたの声が聞けて………私は…幸せ…私は………
彼女の意識が途切れる。絶望の中でも、ヒジェの声を幻聴として聞けたことに、彼女は微笑みを浮かべているのだった。
「ウォルファ!!ウォルファ!!!」
ヒジェは炎上している倉庫の前で、必死に彼女の名前を呼んでいた。そう、ウォルファが聞いていたのは幻聴ではなかったのだ。彼はどこからか助け出せないかどうかを見たが、どうしようもない。ステクは水を持ってきたものの、今さら消し止められるはずもなく成す術がないためただ黙って見ていた。
すると、ヒジェがおもむろに桶に入れておいた水を部下の一人からひったくって被ると、倉庫の入り口を蹴破って中に入った。
「チャン様!!」
ステクの叫びも聞かず、ヒジェは燃え盛る炎の中に身を投じた。中は耐えられないほどに熱く、炎はすでに天井にまで達していた。彼は必死でウォルファを探すと、その姿を捉え、近づこうとした。だが燃え尽きた木材が落ちてくる。それでも怯まずに彼はウォルファのもとに辿り着くと、横抱きにして炎の中から脱した。
外に出ると、彼はウォルファを地面に寝かせ、部下に叫んだ。
「別邸に医者を呼べ!早く!」
「は、はい!」
ヒジェが何度もウォルファの名を呼んでも、返事がない。息も浅く、苦しんでいるようだ。彼はステクに馬を持ってこさせると、彼女を前にのせて別邸への道を急いだ。
「……ウォルファ、もう少し耐えろ………!俺が助けてやる」
彼は炎を振り払ったときに負った火傷の痛みも気にせず、必死で馬を駆るのだった。
チェリョンとステクと共に別邸に到着した医者は、すぐにウォルファの診察と治療に当たった。施術中も終わってからも片時も離れようとはしないヒジェの姿を見て、二人は改めて主人の愛の強さを感じた。
「チャン様、そろそろお休みになられては…」
「ウォルファが起きるまでここに居る。」
だが、ウォルファは朝になっても目を覚まさなかった。仕事を休むわけにはいかないヒジェは、不安な気持ちを置いて別邸から出勤した。
彼が出掛けてしばらくしてから、ウォルファは目を覚ました。
「………ん……………」
「お嬢様!!お嬢様!!あなた!お嬢様が目を覚ましたわ」
「そうか!急いで連絡を入れよう」
目覚めてすぐ、彼女はなぜチェリョンとステクが居るのかに疑問を抱いた。
「わたし………死んだのでは?」
「違いますよ!ここはチャン・ヒジェ様の別邸です。お嬢様をお救いしたのはあの方ですよ」
「えっ……?」
それでは、あのときに聞いた声は本物だったのか。ウォルファは慌てて起き上がり、辺りを見回した。隣には自分のために用意されたらしき服と、あのときに返した紐飾りが置いてある。彼女はそれに袖を通し、紐飾りを付けると、好きなだけ使ってもいいと言われた別邸の中を歩き始めた。
色とりどりの花が咲き乱れる小さな花畑や、清国から取り寄せたようなものからいつも見ているような観葉植物が置いてあり、人工の川が流れる温室。更には目を見張るような珍しい書物の数々が置いてある書庫。全てがウォルファ好みの場所だった。後ろからついてきていたステクが彼女の考えを汲み取ってこう言った。
「ここは、チャン様が来るべき時が来るまでお嬢様を匿うために作った別邸なので、全てがお嬢様のお気に召すはずです。」
「私のため………?こんな広い別邸を?」
「はい。お嬢様への愛は別格ですから」
もっと他に使うところがあるだろうと呆れたウォルファだったが、反面本気で自分を妻に迎えようとしていたことを知った彼女は、にやけた顔を隠すと書物に目を通し始めた。
ヒジェが別邸に知らせを受けて帰ってきたのは、いつもの仕事を終える時間よりも大幅に早い時間だった。
「ウォルファ!」
ヒジェは足取り軽く温室に入った。そこには、薄紫のチマと白に花の刺繍が入ったチョゴリを着たウォルファが座っていた。まるで絵のような光景に、彼は思わずため息を漏らした。
「ああ……………」
「おかえりなさい、ヒジェ様」
彼女は放心状態のヒジェに近づくと、切望したその胸に顔を埋めた。
「…………ありがとう」
「構わん。クム王子も淑媛様も、そなたも必ず元に戻してみせる。それまで少し、別邸で共に暮らそう」
彼はウォルファの顔を覗き込むと、泣いていることに気づいた。
「……何故、泣いているのだ」
「だって…………私…もう、あなたに会えないと思っていたし、もうお側にいられないと思っていたのに……でも、あなたは待っていてくれた。本当に、待っていたのね。誤解してごめんなさい。………今も愛してる」
彼女はヒジェに抱きつくと、初めてあったときと変わらぬ声でそう言った。彼はウォルファの顎を片手で持ち上げると、そっと口づけをした。二人の周りで咲く花が、より色を鮮やかに変えたような気がするほどに、完璧で美しい光景だった。
唇を離したヒジェはウォルファの温もりを感じながら目を閉じると、優しく微笑んだ。
「もう、決して離さん」
「ええ。お願いね」
こうして二人の運命は再び交わることとなった。
だが、このときが二人にとって幸せの絶頂だったのかもしれない。幸福が転落に向かうことに、お互いまだ気づいていなかったこの時が………………
その日から、ヒジェはできる限りウォルファと共に居ようと努めた。朝と夕食は必ず共に食べるし、夜は添い寝をした。更に休みの日などは一日中別邸にこもっていた。また禧嬪もソンリプもヒジェが別邸に頻繁に通っていることを聞いていたが、そこまで気にも掛けていなかった。
そしてこの日、ウォルファは花畑にヒジェと並んで座り、花冠を作っていた。
「完成したら、つける?」
「俺が?………いいだろう、貰ってやる」
「ありがとう!頑張るわね。何色が好き?」
「赤。黒。紫。」
彼女はそんな色の花を探したが、当然そんな毒々しい花は見当たらない。ふと、ウォルファは綺麗な赤い花に目を留めた。彼女はそれを摘むと花冠に組み込み、完成させた。
「出来た!……つける?」
「ああ、頼んだ。」
ヒジェは帽子を外すと、ウォルファの作った花冠を頭に載せた。
「……どうだ?似合うか?」
「ええ!とっても。私とお揃いね」
彼女は同じく赤い花を組み込んだ花冠を載せると、無邪気に笑った。もう26というのに、彼女の美しさは目を見張るものがある。ヒジェは夢のような幸せにうっとりすると、いつの間にかウォルファの顔に自分の顔を近づけていた。とろけるような表情をしているヒジェに驚いた彼女は、そっと指で彼の頬を押した。
「………変な顔。」
「元が良いゆえ、何をやっても絵になるのだ」
武官時代で聞いた懐かしい言葉を言ったヒジェは、彼女に深い口づけをして懐から指輪を包みを取り出した。
「これを、受け取ってほしい」
「これは…………!!」
包みから出てきたのは既婚者がつける二つの指輪を紐で一つに束ねているカラクジだった。つまりそれは、正式にヒジェの妻に迎えられるということを意味していた。ウォルファはそれをはめると、白くほっそりした美しい指を彼に見せた。
「どう?変…かしら」
「いや、とてもいい。とても、きれいだ」
「ありがとう。………私を選んでくれて」
「当然だ。そなた以外に、俺の妻になる女はいない。」
その当たり前の言葉があまりに嬉しくて、ウォルファは彼に抱きついた。
これからの未来は、本当に幸せだけが待っている。どんな苦難も二人でなら乗り越えられる。この時、ウォルファとヒジェはそう強く信じていた。
一方、朝廷は荒れていた。淑媛とクムの家に火がつけられたことから西人は呼び戻せと主張し、対する南人は罪人の娘だと強く非難した。
すると粛宗が静寂を破って一枚の宣旨を読み上げた。
「よく聞くがよい。清国との関係を改善することに余は長年努めてきたが、今回はまことに有意義な結論に至った。そなたたちも知っているように昭顕世子の妻、姜嬪は謀殺された。昭顕世子はかつて、清国と良好な関係を持っていた。よって清国側は昭顕世子とその妻姜嬪、更にはあの事件で濡れ衣を着せられ賤民に降格された者の身分回復を求めてきた。」
「そうですが、それと淑媛様がどう関係しているのですか?」
左議政となったユンがいぶかしげに尋ねる。隣のヒジェは黙ったままだ。
「淑媛の父チェ・ヒョウォンは、調べたところその身分回復の対象であることが判明した。よって、余はこの期に淑媛とその姉、ウォルファの身分を回復する。シム・ウンテクはかねてからの訴え通り、再度この者を養子に迎え正式に両班とするように。」
ウンテクは突然のことに驚いたが、すぐにどういうことかを悟ると、声を上ずらせて平伏した。
「有りがたき幸せにございます………!!!」
ところが南人の重臣たちは猛反対を始めた。
「王様、どうかお考え直しください!」
「そうです、王様!あまりに危険です。」
ヒジェは粛宗を見ると、静かに頷いた。王は先日あった事件を説明し始めた。
「先日の夜、淑媛と王子の居住地である家に、何者かが彼らを殺さんがために戸に閂をつけ、故意に火がつけられた。また隣に住んでいる姉のウォルファも、何者かに連れ去られその命を狙われた。仮にも二人は側室と外戚として王室の血族に属している身。また王子は今年で六歳となり、宗学の教養授業を受けるべき時期だ。よって余は以上のことから三人の身の安全、そして王子の教育の面も考え、淑媛と王子を宮殿に戻し、チェ・ウォルファを正式に両班としてシム・ウンテクの妹シム・ウォルファとしての身分に回復することを宣言する!」
ここまで理路整然と並べ立てられては誰も反論できない。もし今反論をのべれば、王室の者を危険にさらすことも良しと思っていると捉えられかねない。粛宗はヒジェを見て笑った。人間としてはとんでもなく信頼に足らない人物だが、政治的能力としてはやはりずば抜けている。彼は感心しながらも次の宣旨を取り出した。
「更にもうひとつ……今日は忙しいな。長らく余は、換局の理念で政治を進めていた。ところが度重なる換局の末、両者の党派が牽制しあうことで権力が増すことに気づいた。よって西人と南人の融合政策を行おうと思う。それに先んじて、南人と西人の重臣の子息と子女を婚姻させる。」
一同がざわつく中、ヒジェだけが笑っている。粛宗は清々しい笑顔でこう言った。
「────西人令嬢シム・ウンテクが妹シム・ウォルファを、この場で領議政に命じられる南人チャン・ヒジェは慎んで妻として迎えよ」
ユンはその言葉を聞いてようやくすべて仕組まれていたことだと悟った。ヒジェはわざとらしく驚くと、深々と感謝の意を示した。
「身に余る光栄でございます、王様」
「そうか。では、婚礼の日取りは既に調べさせた。よって五日後に婚礼を執り行う。以上だ」
粛宗が帰ったあと、ユンはヒジェを捕まえて質問攻めにした。
「お前、一体どのような手を使った??」
「そうだな…………王様を説得し、そのあと清国に派遣され、向こうが昭顕世子と姜嬪の件を持ち出すように誘導した。後は宗学の件と偶然起きた事件のお陰で後押しされたと言うことだ。」
呆れ返るユンに笑いながら、ヒジェは彼の背中を叩いた。
「気にするな。そなたは禧嬪様に黙っておけばよい。」
「いや、あまりになにも考えていなさすぎるだろう!」
「党首様に迷惑はかけん。な?」
相変わらず人の調子をとるのがうまい彼はそう言うと、渋々納得したユンに満足するのだった。
身分回復の宣旨が下されたことはウォルファの耳にも入り、彼女は実家に帰るための身支度をしていた。
チェリョンが紅を引こうとしたとき、彼女はその入れ物に目を止めた。それはヒジェがかつて武官であったときに買ってくれたものだった。チェリョンはそれでウォルファの唇を彩ると、彼女の手に持たせ、こう言った。
「お嬢様。とてもお辛い道やもしれませんが、きっと大丈夫です。お嬢様と旦那様なら」
「ありがとう、チェリョン。」
彼女はそれを受けとると用意された輿に乗り、実家に向かいはじめた。人々が皆、好奇の目線を送っているが、彼女は気にはしない。
────ヒジェ様、私はあなたの妻になります。決してもうお側を離れたりしません。
決意を固くした彼女に、もう怖いものはなかった。
戻ってきたウォルファを出迎えたのは、母のイェリだった。
「ウォルファ!ウォルファ!ああ、私の娘…」
「お母様…………」
二人は抱き合うと、互いの健康を確かめた。
「大丈夫だった?体、壊していない?」
「それはお母様の方よ。大丈夫だったの?」
二人が回顧を終えると、ウォルファは兄の所在を聞いた。
「お兄様は?」
「宮殿よ。領議政様とお待ちよ、行ってきなさい。」
婚姻の話を知らないウォルファは、兄が一体ヒジェに何の用なのだろうかと首をかしげたが、すぐに宮殿に向かった。
ヒジェは何度も同じ場所を行き来して焦っている。ウンテクはそれを冷ややかな目線でみている。するとそこにウォルファがやって来た。名実共に両班となった彼女は、再びシム・ウォルファとしてヒジェの前に現れた。彼は人目も気にせずにふらふらと吸い寄せられるように近づくと、その華奢な身体に飛び付いた。
「ヒ………ヒジェ様…………」
「愛しておる。よく俺の許に帰ってきたな…………」
彼女も恥じらいながらその背中に腕を回す。ウンテクは見ていられないと言いたげに顔をそらした。その様子を見て、ヒジェは不敵な笑みを浮かべた。
「何をしているのですか。私たちは義兄弟となるのですよ?」
「え?義兄弟?それは………」
「ほら、読め。」
何が何やらさっぱりのウォルファにヒジェは婚姻の件が書かれている宣旨を渡した。目を通し終わるにつれてみるみる彼女の顔に笑顔が浮かぶ。顔を上げたウォルファは、ヒジェに抱きついた。
「ヒジェ様。ヒジェ様!!私たち、婚姻するの?」
「ああ、そうだ。そなたは俺を" あなた "と呼び、俺はそなたを" お前 "と呼ぶわけだ。」
二人は幸せをかみしめた。もう誰にも邪魔されることはない。二人の道を歩んでいけるのだ。
ウォルファとヒジェは見つめ合うと、静かに頷くのだった。
その頃、やはり納得が行かないと思っているヒジェはステクたちと共にウォルファの家に向かっていた。すると、家の前で何やら怪しい行動をしている、ムヨルの部下で捕盗庁の武官をしている人物らしい者を見た彼は、裏手から彼女の家に入ると、その無事を確かめた。だが、そこにウォルファは居なかった。靴も無くなっていないことから、裸足でどこかに行くなどはあり得ない。ヒジェは胸騒ぎを覚え、こっそり後ろから男に近づくと、背後から羽交い締めにして地面に叩きつけた。
「貴様!ここで何をしている。」
「よ、領議政様ではありませんか……」
「おい、一体ウォルファはどこだ。あの子に何かしたのか?」
目を泳がせる男に何かあったことに確信を持ったヒジェは、男を殴り付けた。
「貴様!ウォルファに何をした!!何をした!!!!!答えろ!!」
殴られ蹴られ、意識が朦朧とし始めた男は、虚ろな目で笑いこう言った。
「…………もう死んでいるでしょう。ここのすぐ近くにある廃倉庫に火を放ちました。今頃は焼け死んで………」
「なん………だと…………」
ヒジェは呆然として後ずさりすると、唇を震わせて男が指差した方向を見つめた。そして他の部下に男を捕らえるように告げ、ステクは残りの者に水を汲んでついてくるようにと命じると、その場に急いだ。
目を覚ましたウォルファは、自分が閉じ込められていることに気づくと、逃げ出せはしないかと辺りを見回した。だが、彼女はそれ以上に不味いことに気づいた。
「………なにこのにおい…………」
彼女が目を凝らして見ると、煙が上がっているではないか。
───火をかけられたのね!
「開けて!!誰か!助けて!!」
必死で戸を叩くが、誰も助けてくれる様子はない。彼女は絶望すると、その場に座りこんだ。
どんどん火が燃え盛り、倉庫の中は煙で充たされ、焼けた木が落ちてくる。ウォルファは息苦しさの中で横たわると、目を閉じた。走馬灯のように遠退く意識の中、彼女の脳裏に浮かんできたのはヒジェとの思い出だった。
「ヒジェ様……………助け………て……………」
届くはずのない想いを胸に秘め、自分は死ぬのだろうか。彼女が一筋の涙を流したその時だった。
「……ヒジェ様……?」
彼の、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
───ああ、最期にあなたの声が聞けて………私は…幸せ…私は………
彼女の意識が途切れる。絶望の中でも、ヒジェの声を幻聴として聞けたことに、彼女は微笑みを浮かべているのだった。
「ウォルファ!!ウォルファ!!!」
ヒジェは炎上している倉庫の前で、必死に彼女の名前を呼んでいた。そう、ウォルファが聞いていたのは幻聴ではなかったのだ。彼はどこからか助け出せないかどうかを見たが、どうしようもない。ステクは水を持ってきたものの、今さら消し止められるはずもなく成す術がないためただ黙って見ていた。
すると、ヒジェがおもむろに桶に入れておいた水を部下の一人からひったくって被ると、倉庫の入り口を蹴破って中に入った。
「チャン様!!」
ステクの叫びも聞かず、ヒジェは燃え盛る炎の中に身を投じた。中は耐えられないほどに熱く、炎はすでに天井にまで達していた。彼は必死でウォルファを探すと、その姿を捉え、近づこうとした。だが燃え尽きた木材が落ちてくる。それでも怯まずに彼はウォルファのもとに辿り着くと、横抱きにして炎の中から脱した。
外に出ると、彼はウォルファを地面に寝かせ、部下に叫んだ。
「別邸に医者を呼べ!早く!」
「は、はい!」
ヒジェが何度もウォルファの名を呼んでも、返事がない。息も浅く、苦しんでいるようだ。彼はステクに馬を持ってこさせると、彼女を前にのせて別邸への道を急いだ。
「……ウォルファ、もう少し耐えろ………!俺が助けてやる」
彼は炎を振り払ったときに負った火傷の痛みも気にせず、必死で馬を駆るのだった。
チェリョンとステクと共に別邸に到着した医者は、すぐにウォルファの診察と治療に当たった。施術中も終わってからも片時も離れようとはしないヒジェの姿を見て、二人は改めて主人の愛の強さを感じた。
「チャン様、そろそろお休みになられては…」
「ウォルファが起きるまでここに居る。」
だが、ウォルファは朝になっても目を覚まさなかった。仕事を休むわけにはいかないヒジェは、不安な気持ちを置いて別邸から出勤した。
彼が出掛けてしばらくしてから、ウォルファは目を覚ました。
「………ん……………」
「お嬢様!!お嬢様!!あなた!お嬢様が目を覚ましたわ」
「そうか!急いで連絡を入れよう」
目覚めてすぐ、彼女はなぜチェリョンとステクが居るのかに疑問を抱いた。
「わたし………死んだのでは?」
「違いますよ!ここはチャン・ヒジェ様の別邸です。お嬢様をお救いしたのはあの方ですよ」
「えっ……?」
それでは、あのときに聞いた声は本物だったのか。ウォルファは慌てて起き上がり、辺りを見回した。隣には自分のために用意されたらしき服と、あのときに返した紐飾りが置いてある。彼女はそれに袖を通し、紐飾りを付けると、好きなだけ使ってもいいと言われた別邸の中を歩き始めた。
色とりどりの花が咲き乱れる小さな花畑や、清国から取り寄せたようなものからいつも見ているような観葉植物が置いてあり、人工の川が流れる温室。更には目を見張るような珍しい書物の数々が置いてある書庫。全てがウォルファ好みの場所だった。後ろからついてきていたステクが彼女の考えを汲み取ってこう言った。
「ここは、チャン様が来るべき時が来るまでお嬢様を匿うために作った別邸なので、全てがお嬢様のお気に召すはずです。」
「私のため………?こんな広い別邸を?」
「はい。お嬢様への愛は別格ですから」
もっと他に使うところがあるだろうと呆れたウォルファだったが、反面本気で自分を妻に迎えようとしていたことを知った彼女は、にやけた顔を隠すと書物に目を通し始めた。
ヒジェが別邸に知らせを受けて帰ってきたのは、いつもの仕事を終える時間よりも大幅に早い時間だった。
「ウォルファ!」
ヒジェは足取り軽く温室に入った。そこには、薄紫のチマと白に花の刺繍が入ったチョゴリを着たウォルファが座っていた。まるで絵のような光景に、彼は思わずため息を漏らした。
「ああ……………」
「おかえりなさい、ヒジェ様」
彼女は放心状態のヒジェに近づくと、切望したその胸に顔を埋めた。
「…………ありがとう」
「構わん。クム王子も淑媛様も、そなたも必ず元に戻してみせる。それまで少し、別邸で共に暮らそう」
彼はウォルファの顔を覗き込むと、泣いていることに気づいた。
「……何故、泣いているのだ」
「だって…………私…もう、あなたに会えないと思っていたし、もうお側にいられないと思っていたのに……でも、あなたは待っていてくれた。本当に、待っていたのね。誤解してごめんなさい。………今も愛してる」
彼女はヒジェに抱きつくと、初めてあったときと変わらぬ声でそう言った。彼はウォルファの顎を片手で持ち上げると、そっと口づけをした。二人の周りで咲く花が、より色を鮮やかに変えたような気がするほどに、完璧で美しい光景だった。
唇を離したヒジェはウォルファの温もりを感じながら目を閉じると、優しく微笑んだ。
「もう、決して離さん」
「ええ。お願いね」
こうして二人の運命は再び交わることとなった。
だが、このときが二人にとって幸せの絶頂だったのかもしれない。幸福が転落に向かうことに、お互いまだ気づいていなかったこの時が………………
その日から、ヒジェはできる限りウォルファと共に居ようと努めた。朝と夕食は必ず共に食べるし、夜は添い寝をした。更に休みの日などは一日中別邸にこもっていた。また禧嬪もソンリプもヒジェが別邸に頻繁に通っていることを聞いていたが、そこまで気にも掛けていなかった。
そしてこの日、ウォルファは花畑にヒジェと並んで座り、花冠を作っていた。
「完成したら、つける?」
「俺が?………いいだろう、貰ってやる」
「ありがとう!頑張るわね。何色が好き?」
「赤。黒。紫。」
彼女はそんな色の花を探したが、当然そんな毒々しい花は見当たらない。ふと、ウォルファは綺麗な赤い花に目を留めた。彼女はそれを摘むと花冠に組み込み、完成させた。
「出来た!……つける?」
「ああ、頼んだ。」
ヒジェは帽子を外すと、ウォルファの作った花冠を頭に載せた。
「……どうだ?似合うか?」
「ええ!とっても。私とお揃いね」
彼女は同じく赤い花を組み込んだ花冠を載せると、無邪気に笑った。もう26というのに、彼女の美しさは目を見張るものがある。ヒジェは夢のような幸せにうっとりすると、いつの間にかウォルファの顔に自分の顔を近づけていた。とろけるような表情をしているヒジェに驚いた彼女は、そっと指で彼の頬を押した。
「………変な顔。」
「元が良いゆえ、何をやっても絵になるのだ」
武官時代で聞いた懐かしい言葉を言ったヒジェは、彼女に深い口づけをして懐から指輪を包みを取り出した。
「これを、受け取ってほしい」
「これは…………!!」
包みから出てきたのは既婚者がつける二つの指輪を紐で一つに束ねているカラクジだった。つまりそれは、正式にヒジェの妻に迎えられるということを意味していた。ウォルファはそれをはめると、白くほっそりした美しい指を彼に見せた。
「どう?変…かしら」
「いや、とてもいい。とても、きれいだ」
「ありがとう。………私を選んでくれて」
「当然だ。そなた以外に、俺の妻になる女はいない。」
その当たり前の言葉があまりに嬉しくて、ウォルファは彼に抱きついた。
これからの未来は、本当に幸せだけが待っている。どんな苦難も二人でなら乗り越えられる。この時、ウォルファとヒジェはそう強く信じていた。
一方、朝廷は荒れていた。淑媛とクムの家に火がつけられたことから西人は呼び戻せと主張し、対する南人は罪人の娘だと強く非難した。
すると粛宗が静寂を破って一枚の宣旨を読み上げた。
「よく聞くがよい。清国との関係を改善することに余は長年努めてきたが、今回はまことに有意義な結論に至った。そなたたちも知っているように昭顕世子の妻、姜嬪は謀殺された。昭顕世子はかつて、清国と良好な関係を持っていた。よって清国側は昭顕世子とその妻姜嬪、更にはあの事件で濡れ衣を着せられ賤民に降格された者の身分回復を求めてきた。」
「そうですが、それと淑媛様がどう関係しているのですか?」
左議政となったユンがいぶかしげに尋ねる。隣のヒジェは黙ったままだ。
「淑媛の父チェ・ヒョウォンは、調べたところその身分回復の対象であることが判明した。よって、余はこの期に淑媛とその姉、ウォルファの身分を回復する。シム・ウンテクはかねてからの訴え通り、再度この者を養子に迎え正式に両班とするように。」
ウンテクは突然のことに驚いたが、すぐにどういうことかを悟ると、声を上ずらせて平伏した。
「有りがたき幸せにございます………!!!」
ところが南人の重臣たちは猛反対を始めた。
「王様、どうかお考え直しください!」
「そうです、王様!あまりに危険です。」
ヒジェは粛宗を見ると、静かに頷いた。王は先日あった事件を説明し始めた。
「先日の夜、淑媛と王子の居住地である家に、何者かが彼らを殺さんがために戸に閂をつけ、故意に火がつけられた。また隣に住んでいる姉のウォルファも、何者かに連れ去られその命を狙われた。仮にも二人は側室と外戚として王室の血族に属している身。また王子は今年で六歳となり、宗学の教養授業を受けるべき時期だ。よって余は以上のことから三人の身の安全、そして王子の教育の面も考え、淑媛と王子を宮殿に戻し、チェ・ウォルファを正式に両班としてシム・ウンテクの妹シム・ウォルファとしての身分に回復することを宣言する!」
ここまで理路整然と並べ立てられては誰も反論できない。もし今反論をのべれば、王室の者を危険にさらすことも良しと思っていると捉えられかねない。粛宗はヒジェを見て笑った。人間としてはとんでもなく信頼に足らない人物だが、政治的能力としてはやはりずば抜けている。彼は感心しながらも次の宣旨を取り出した。
「更にもうひとつ……今日は忙しいな。長らく余は、換局の理念で政治を進めていた。ところが度重なる換局の末、両者の党派が牽制しあうことで権力が増すことに気づいた。よって西人と南人の融合政策を行おうと思う。それに先んじて、南人と西人の重臣の子息と子女を婚姻させる。」
一同がざわつく中、ヒジェだけが笑っている。粛宗は清々しい笑顔でこう言った。
「────西人令嬢シム・ウンテクが妹シム・ウォルファを、この場で領議政に命じられる南人チャン・ヒジェは慎んで妻として迎えよ」
ユンはその言葉を聞いてようやくすべて仕組まれていたことだと悟った。ヒジェはわざとらしく驚くと、深々と感謝の意を示した。
「身に余る光栄でございます、王様」
「そうか。では、婚礼の日取りは既に調べさせた。よって五日後に婚礼を執り行う。以上だ」
粛宗が帰ったあと、ユンはヒジェを捕まえて質問攻めにした。
「お前、一体どのような手を使った??」
「そうだな…………王様を説得し、そのあと清国に派遣され、向こうが昭顕世子と姜嬪の件を持ち出すように誘導した。後は宗学の件と偶然起きた事件のお陰で後押しされたと言うことだ。」
呆れ返るユンに笑いながら、ヒジェは彼の背中を叩いた。
「気にするな。そなたは禧嬪様に黙っておけばよい。」
「いや、あまりになにも考えていなさすぎるだろう!」
「党首様に迷惑はかけん。な?」
相変わらず人の調子をとるのがうまい彼はそう言うと、渋々納得したユンに満足するのだった。
身分回復の宣旨が下されたことはウォルファの耳にも入り、彼女は実家に帰るための身支度をしていた。
チェリョンが紅を引こうとしたとき、彼女はその入れ物に目を止めた。それはヒジェがかつて武官であったときに買ってくれたものだった。チェリョンはそれでウォルファの唇を彩ると、彼女の手に持たせ、こう言った。
「お嬢様。とてもお辛い道やもしれませんが、きっと大丈夫です。お嬢様と旦那様なら」
「ありがとう、チェリョン。」
彼女はそれを受けとると用意された輿に乗り、実家に向かいはじめた。人々が皆、好奇の目線を送っているが、彼女は気にはしない。
────ヒジェ様、私はあなたの妻になります。決してもうお側を離れたりしません。
決意を固くした彼女に、もう怖いものはなかった。
戻ってきたウォルファを出迎えたのは、母のイェリだった。
「ウォルファ!ウォルファ!ああ、私の娘…」
「お母様…………」
二人は抱き合うと、互いの健康を確かめた。
「大丈夫だった?体、壊していない?」
「それはお母様の方よ。大丈夫だったの?」
二人が回顧を終えると、ウォルファは兄の所在を聞いた。
「お兄様は?」
「宮殿よ。領議政様とお待ちよ、行ってきなさい。」
婚姻の話を知らないウォルファは、兄が一体ヒジェに何の用なのだろうかと首をかしげたが、すぐに宮殿に向かった。
ヒジェは何度も同じ場所を行き来して焦っている。ウンテクはそれを冷ややかな目線でみている。するとそこにウォルファがやって来た。名実共に両班となった彼女は、再びシム・ウォルファとしてヒジェの前に現れた。彼は人目も気にせずにふらふらと吸い寄せられるように近づくと、その華奢な身体に飛び付いた。
「ヒ………ヒジェ様…………」
「愛しておる。よく俺の許に帰ってきたな…………」
彼女も恥じらいながらその背中に腕を回す。ウンテクは見ていられないと言いたげに顔をそらした。その様子を見て、ヒジェは不敵な笑みを浮かべた。
「何をしているのですか。私たちは義兄弟となるのですよ?」
「え?義兄弟?それは………」
「ほら、読め。」
何が何やらさっぱりのウォルファにヒジェは婚姻の件が書かれている宣旨を渡した。目を通し終わるにつれてみるみる彼女の顔に笑顔が浮かぶ。顔を上げたウォルファは、ヒジェに抱きついた。
「ヒジェ様。ヒジェ様!!私たち、婚姻するの?」
「ああ、そうだ。そなたは俺を" あなた "と呼び、俺はそなたを" お前 "と呼ぶわけだ。」
二人は幸せをかみしめた。もう誰にも邪魔されることはない。二人の道を歩んでいけるのだ。
ウォルファとヒジェは見つめ合うと、静かに頷くのだった。