1.5章 ある秋の花姿 


高校に進学してから、蔵馬の髪は目に見えて伸びていた。
秋が深まり、首元に触れる風が少し冷たく感じられる頃のことだ。

町外れの里山。空気がひんやりと澄んでいる。
足元では、黄や橙に染まった桜の葉やもみじが折り重なり、歩くたびにかさりと音を立てた。
頭上からは、ときおり一枚の葉がはらりと落ちる。
風が梢を揺らし、そのすべてが、秋の静かなハーモニーを奏でている。

その音の層に、別のものが混じる。
言葉にならない、微かな気配。
人間界は魔界よりもずっと、言葉を持たないものの「声」を拾いやすい。


葵は足を止めて、しゃがみ込んだ。
紅く色づいた桜の葉を一枚、そっと指先でつまみ上げる。
四季によって変化する、葉の小さな喜びの声が聞こえた。

耳を澄ませていると、不意に影が落ちた。
振り返ると、学生服姿の蔵馬が立っていた。長くなった癖のある髪が、風に揺れている。

「楽しそうだね、葵」

「蔵馬」

待ち合わせの時間通り。
蔵馬の視線は、彼女の顔から腕、そして体全体へと、さりげなく流れる。
最近、会うたびに気づいていたことがある。

擦り傷。切り傷。時には、治りきっていない裂傷。
どれも深刻ではないが、その箇所が多いこともしばしば。
しかも本人に、その自覚がほとんどなかった。

(放っておくと、どこかで致命的な目に遭いそうだ)

見かねて、戦闘訓練を提案したのだった。

――たまには、こんな気まぐれもいいだろう。
理由を一つに定める必要もない。そう結論付けた自分に、彼は深く踏み込まなかった。

「落ち葉が、楽しそうに声を上げているから、聞いていたの」

彼女の言葉に合わせるように、一陣の風が吹いた。
無数の葉が、地面をらせん状に流れるように舞い、またかさりと落ちる。

「生きてる、って言ってるようだわ」

蔵馬は、葉の動きを目で追った。
別の妖気の流れも、異変もない。彼女の感性が、そこに何かを見ている。
彼には聞こえないものを、彼女はいつも当たり前のように受け取っている。
それは能力ではなく、世界の見方そのものが違うのだ。

「時々、自分を見ているように思うの」

葵は手にしていた葉を地面に帰して、立ち上がる。

「花の寿命は、短いって言うでしょう?その花から生まれた私も、きっと」

蔵馬は、沈黙を保った。彼女の言葉の続きに任せる。

「短くても、長くても……私は、この瞬間に感じたことを大切にしたい。
やりたいことも、自分の意志も」

風に、彼女の淡い花色の髪が揺れた。紅葉とは別の景色を見るようだった。

(……覚悟している、ということか)

妖怪は長命な存在が多い。だが、すべてがそうではない。
葵は、自分の命の尺度を、すでに受け入れている。

だからこそ、時折醸し出す円熟した雰囲気がある。
年齢とは釣り合わない、静かな死生観。

「だから……あなたが、私の記憶を消すつもりだったって聞いた時、怒ったの」

蔵馬は、わずかに目を細めた。

「……なるほど。あの剣幕は、なかなかだったよ」

彼女の告白に、蔵馬は一瞬だけ言葉の隙間を空け、それから冗談めかして言いながらも、あの表情を思い出す。
真正面から感情をぶつけられたのは、久しぶりだった。
その時は、一時的な縁だと思っていたが――こうして一年近く、関係は続いている。

(……読めないものだな)

流れを止める理由は、まだ見当たらなかった。だから、その流れに静かに身を置いていた。
流されているのではなく、この流れと知ったうえで。

蔵馬の思考を断ち切るように、葵は立ち上がった。

「行きましょう」

彼女の瞳は、これから向かう場所だけではなく、まだ名前のない今日という時間そのものを満喫しているようだった。

「ああ。練習場所に適したところがある」


二人は山手へと足を進める。
やがて、視界が一変した。

竹林。
緑一色の空間に、ひんやりとした空気が満ちている。
風が吹くたび、竹同士が軽く触れ合い、低い音を立てる。
揺れた竹が、静かに元の位置へ戻る。地下では互いにつながったまま。
葉が擦れる音が、静寂を壊さずに揺らしていた。

(音が、耳に優しいわ……)

葵はしばらく聞き惚れていた。

「……きれいね」

「竹林は、初めて?」

「ええ」

目を閉じて、自分の感覚を余すところなく使っている姿を、蔵馬はしばらく観察していた。
頃合いを見て、彼が数歩前に出たところで、葵は目を開けた。

「竹は、縦横無尽に地下茎が走っている。オレが妖気を通すと、一斉に成長して伸びる」

中性的で理知的な声が、青い空間に吸い込まれていく。
彼女は静かに聞いていた。

「君は、それをかわす。一度に多数の攻撃を避けながら、オレに一撃を入れられたら――上出来だ」

「わかったわ」

深く考えずに、直感で受け取っているようだ。

――習うより慣れよということか。
蔵馬は、数メートル距離を取る。竹林の空気が、わずかに張り詰めた。

「始めるぞ」

葵が静かに身構える。
風が止み、音が消える。


彼が地面を叩くように妖気を放つと、竹を止まり木にしていた鳥が、一斉に声を上げて飛び立った。
ばさりと羽音が重なり、間髪入れず――

ドンッ!
地割れのような低い音が、竹林全体を震わせる。
地面の至るところから、竹の芽が噴き上がるように伸びた。
それだけではない。既に根を張っていた竹からも、枝葉が斜めに裂けるように成長し、空間を埋め尽くしていく。

風が押し出され、冷たい空気が頬を撫でた。

「っく……!」

葵は反射的に身をひねる。
伸びきったと思った竹が、わずかに軌道を変えてくる。
予測しきれない角度。何度か衣をかすめ、皮膚に浅い擦過傷を残した。

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それでも――倒れない。

蔵馬は、しなる竹の上に立ったまま、その動きを追っていた。
風に揺れる髪の隙間から、冷静な視線が落ちる。
戦い方を見るだけでは足りない。葵がどう考え、どう選ぶのかを観察する。

(前より……動きはいい)

想定内だが、彼女は予測して避けていない。
しかし、竹が伸びる直前のわずかな気配を、体が先に拾っている。
無意識だ。それでも確実に、前とは違う。

ただ――

(このままでは、オレには届かない)

迫る竹に対して防ぐこと、逃げること。そこに意識は集中しているが、攻める発想がない。
加えて、蔵馬が彼女を攻撃するのはかわせないだろう。
彼は一瞬だけ、視線を伏せた。

(……段階を上げる)

近くの竹に手を触れる。ひやりとした葉脈の感触。
その指先は冷徹に妖気を通しながらも、網膜には彼女の姿を寸分違わず捉え続けていた。
指令は下へ及ぶ。
地下茎をつたって――葵の足元へ忍び寄る。

「わ!?」

硬く冷たい感触が、左足首に絡みついた。
竹の根だ。締め上げるように巻き付き、自由を奪う。

葵の動きが止まる。
だが、周囲の竹はなおも伸び続けていた。

(……さぁ、どう出る?)

蔵馬はギリギリのところで、竹の動きを止める準備をしつつ観ている。
完全に追い込むつもりはない。だが、ここから先は、彼女の判断だ。
同じ妖怪であるならば、『反撃』するはずだ。

一瞬のことだった。

葵は、足元を見た。絡みつく竹の根に、ためらいなく手刀を振り下ろす。
乾いた音と共に、根元から切り離される。

彼女の体が跳ねた。軽く、風に乗るような動き。
そして――目で追っていた姿と気配が、完全に消えた。

「なにっ……?」

蔵馬は目を少し開いた。
妖気が、ない。
五感の優れた彼でさえ、呼吸音も、衣擦れも、匂いすら拾えない。

(……見失ったのか。オレが)

亜空間移動の可能性はある。
だが、これほど切迫した状況で使える能力ではない。

竹の動きを止め、蔵馬は鞭を構えた。
葵が、攻撃の機会を狙っている可能性がある。
視線は一点に定めず、全方位へ。
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