零
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ふ、と一息ついた樹が、そこで顔を上げる。
『山を越え、歩いた。ひとつ前の里ではやはり気味悪がられて乱暴に追い返された。仕方なしに歩いて、また山を越えて、力尽きて倒れた』
それを助けてくれたのが、先生だよ。と、こっちを見る瞳はどこまでも色が薄い。
「そうかい。話させてすまなかったな」
『いい。けど、つまらなかったろ』
そう返す樹の顔には、特に何の感情が浮かんでいるわけでもない。
ただ事実を話し、事実を言ったまで、というような。
「いんや、俺は面白く聞いてたさ。お前の母さんはいい母親じゃねえか」
それじゃあ俺だって思ったままを言うまで、と口にしたその言葉に、少し笑って。
そうだろ、とどこか誇らしげな彼女が少し微笑ましい。
というか。言ってしまえば獣に育てられた人、だ。もう少し本能的で言葉もたどたどしくていいようなものを。
こいつの母親はかなりきちんと教え込んだな。狐、ってのも良かったのかもしれんな。
そんなことを考えると、思わず口元が緩んでしまう。
『ところで、先生。結局そうじ、ってなんだ。どうするんだ』
(…なんでそれを知らんかねえ)
不思議だ。そこそこの言葉遣いを知っているのになぜそのような簡単な単語を知らない。
山での暮らしには、掃除が必要なかった、とかそういう理由なのだろうか。
「ああ…明日手伝ってくれるか。蔵を久しく整理してなかったからついでにやりたいんだ」
『ん、わかった…蔵、あれだろう?何が入ってるんだ』
そうか、気になりもするだろう。なんせ一人暮らしだし、何か持つようなものはそうないし。
あんな大きな蔵もって、なに入れてるんだと。
「入ってみるか?」
そりゃ滅多に人なんて入れないように気を付けちゃいるが、自分が同伴するんだ、少しくらい見せてやってもいいだろう。
そんな言い訳をどこかを旅する例の男にしながら、嬉しそうに頷いた少女を蔵へと案内した。
いつの間にか興味津々、という顔になっている樹を従えながら、蔵の中を案内する。
「それでだな、この器を作った土には蟲がいてだな…」
分かってるんだかわかっていないんだか図れない表情で頷く樹。
そもそも蟲ってところになにか突っ込みどころが…いや、でもさっきの話だとこいつはどうやら蟲を知ってるようだった。
やはり山の主に育てられれば蟲という存在は当たり前なのだろうか。
そんなことを思っていたら。
『なあ、先生。此処の中、やけに多いな』
___蟲が。
樹がポツリと呟いた。
そりゃそうだ、伝手がある者たちから買い集めた選りすぐりの…って、そうではない。
…今の言い方は、さも。
さも、蟲が見えているような。そんな口ぶりではなかっただろうか。
「おい、樹…お前もしかして、見える質か…?」
恐る恐る、いや、期待をこめて、そんなことを尋ねてみれば。
『ああ。母さんが、多分私に母乳代わりに与えたものの影響だろうと言ってた』
そんな羨ましいことがあろうか。こんどギンコにその光酒とやらを売ってもらおうか。いやあいつは売らないに違いない。
くそ、羨ましいな。
『先生は見えてないのか?これ』
人は見えない質の者が多いって母さん言ってた、と首を傾ぐ目の前の少女に、今浮かぶのは羨望の念だけである。情けないことに。
「見えないね。常々見たいとは思ってるんだがね」
そうか、そういうものか。とどこか納得したような彼女は、どこか楽しげだった。