こんなに嬉しいことはない

自分の背より遥かに高い門を見上げて、場違いなところに来たもんだ、と思いつつぽかりと開いたままの口を閉じた。そしてたぶんここで驚いていては身が持たないと頭を振る。幼等部からあるというこの全寮制の学園は、パンフレットを見た限り、豪華絢爛という言葉がこれ以上ないくらいふさわしいものだったのだ。俺は果たしてここで生きていけるのだろうか真剣に悩みつつ、長い溜め息をついて恐る恐る門扉横のインターホンを押した。

「今日からお世話になる、編入生の花房優人と申します。」

『花房優人様。お待ちしておりました。門扉横の扉を解錠いたしますので、そちらからお入りください。』

様、と呼ばれたことに目をぱちりと瞬かせるが、慌ててありがとうございますと礼を口にして、開けられた扉を押す。金持ちのご子息が多いからなのだろうが、庶民に様付けはきつい。慣れん。

と。

「花房くん。」

綺麗な声が俺を呼んだ。声の方を見やれば、綺麗な人が走りよってきて、俺の目を真っ直ぐ見て微笑む。可憐なその人に笑い返せば、花房くんですよね?と首を傾げた彼が、さらに笑みを深くした。なんというか桜みたいな人だ。弛みそうになる口角を引き締めて、愛想笑いに止める。

「はい。今日からこちらでお世話になる、花房優人です。よろしくお願いします。」

「僕はこの学園で副会長をしている海野 賢紫郎といいます。今日は案内役として来たんだ。迷子になるといけないからね。よろしくね?」

少しだけ砕けておどけたように笑う副会長は、俺の緊張を解そうとしてくれているようで、いい人だなぁとゆるりと笑う。

「わざわざ俺のためにすみません。ありがとうございます。」

「気にしないで。これも僕の仕事だから。校内の案内から始める?」

「はい。よろしくお願いします。」

歩き出した副会長の歩幅に合わせて少し歩を緩めて歩き始めると、さらさらと手触りのよさそうな明るいブラウンの髪が歩を進める度に揺れるのをぼんやりと眺めた。自分の短い黒い髪を引っ張って眺めながら、副会長みたいに綺麗な髪だったら俺みたいな顔でも垢抜けて見えるかも、と少し思う。副会長の場合は綺麗な顔が引き立っているけど。そんなことを考えながら副会長を見ていれば、しばらく歩いてたどり着いた校舎で、俺を見上げた副会長と目が合った。よく見たら瞳の色も髪とお揃いの色をしていて、本当に綺麗で少し惚ける。

「職員室はあっち...って、どうしたの?」

「副会長って目も淡いヘーゼルなんですね。」

「え?」

「とても綺麗だ。あ。すみません、思ったこと口に出さないと済まないたちで。それにしても大きい校舎ですね。これじゃ慣れるのに時間がかかりそう。」

ずっと浮かべられていた笑みが固まったまま動かなくなって、苦笑いを浮かべる。

「えっと...?」

「職員室!職員室に行きましょう。」

早歩きになった副会長を慌てて追いながら、どうしたんだと副会長の隣に並んだ。耳元が赤染まっていて、ちらりとヘーゼルがこちらを見つめる。

「帰国子女って皆こうなの?」

「え?俺は帰国子女じゃないですよ。」

「うん?でも日本にいないから、新学期に間に合わないと花房くんのお母様から学園の方に電話が合ったと聞いたよ。だから今日も案内として俺が来たんだけど。」

「ああ。俺の姉がドイツに嫁いだんですけど、向こうで出産をするって言うから行ってきたんです。予定日より少し遅れたから、今日になったんですけど。ドイツ語も少ししか話せません。」

そうなの、と少し驚いた副会長が一度自分の足元を見て、俺を見上げた。何だか照れたように戸惑ったように泳ぐ目に、首をかしげる。

「綺麗だ、なんて言われ慣れているんじゃないですか?だって目だけじゃなくて、副会長はとても綺麗だし。あ、格好いいか。」

「そんなことないよ。」

何処か陰ってしまった目の奥の光と綺麗な笑みに、眉を寄せた時だった。

「副会長様?」

弾かれたように声のした方向へ顔を向けた副会長に、俺もそちらへ顔を向ける。小首を傾げた可愛らしい生徒がこちらを見て、微笑んだ。ふわふわした髪が揺れて、黒目がちな大きな目がゆっくりと細くなる。

「お疲れ様です。そちらが新入生の方ですか?」

「そうですよ。雪宮くんもお疲れ様です。会長のお手伝いですか?」

「ええ。...、花房くん、でよかったですか?」

何だかお互いに愛想笑いを浮かべて、ピリッとした空気を生み出すので、あまり仲は良くないのだろうかとぼんやりと考えていれば、雪宮くんと呼ばれた生徒が俺を見て、微笑んだ。

「すみません。新入生の花房優人といいます。」

「僕は会長の親衛隊隊長をしている雪宮聡太郎といいます。君は外部生だから親衛隊、なんて言われてもピンときませんよね?親衛隊のことは、...、あ、僕の場合は会長様なんですけどね?ひとりの人をお慕いして手助けをする集まりとでも思ってくれればいいですよ。」

曖昧に笑った俺に、雪宮さんはいずれ分かります、と微笑む。豪華な内装以外にまたひとつついていけない事柄が増えて、本格的に本当にここでやっていけるだろうかと出そうになる溜め息を飲み込んだ。

「困ったときには青い色の持ち物を持った生徒に尋ねてください。会長親衛隊は全校生徒のために動く会長様を尊敬していて、優しい者ばかりだと思っておりますので、ぜひお役に立てると思いますよ。」

自分の青いネクタイを締め直すように結び目に手を添えた雪宮さんは、では失礼します、と颯爽と去っていく。

「びっくりした?」

「いいえ、と言いたいところですが大分驚いています。」

「それが普通の反応だよ。ここは普通じゃないから、気を付けて。」

何だか悲しそうな顔で笑う副会長に、どうしたもんかと顔を撫でた。行こうか、と歩き出してしまった彼に何を言えないまま校内の案内は続いていき、後は寮に行けば終わりというところで、足が止まる。

「何か質問はない?」

「学園のパンフレットにトレーニング室完備って書いてあったんですけど、どこにあるんですか?」

「どこかの部活に入るの?」

「いや、部活に入る予定はありません。」

「じゃあ寮の1階にあるトレーニング室を使えばいいよ。大きなお風呂もあるし、個室の露天風呂だってあるよ。」

「そんなのまであるんですか!」

楽しそうに、にこにこと笑う副会長に、俺は小さく笑い返した。

「やっぱり素敵な人ですね。」

「え?」

「副会長を綺麗だっていう人も慕う人も、皆あなたが素敵だから言うんですよ。俺なんてほんの少し優しくしてもらっただけで、いい人だなって好きになるくらいだから、他の人もきっとそうなんですよ。」

「好き?」

驚いたように固まった副会長に大きく頷いて、笑みを深める。

「...、そんなこと考えたことなかったなぁ。目から鱗だ。」

はにかんで笑う副会長が何だかとても可愛くて、綺麗で可愛いなんて本当に素敵な人だなぁと暢気に考えながら、今日は本当にありがとうございましたと頭を下げた。

「いいよ。仕事だし。あ。僕の親衛隊の子は紫のものを付けているから、困ったことがあったらその子たちに聞けばいいよ。」

それだけ言ってもと来た道を帰っていった副会長に、やってみるかと頬を手のひらで叩いてから、寮に一歩足を踏み入れたのだった。

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