序章
少し時を遡り、ガラン町 竜胆一行がいた場所付近。
耳を劈くような女性の叫び声が聞こえる。
大方コバルテがひと芝居打っているのだろう。
そうぼんやり思うが自分にはあまり関係はない。
悲鳴のした方をちらりと視線を向けるがすぐ正面に目を戻し青年はお気に入りの赤いパーカーのフードを深く被った。
はぁとため息をつくこの青年は信樂 仁。なぜこんな場所にいるかと言うと理由は簡単である。
ボスである紅永に買い出しを頼まれたのだ。
本来ならフェールデとノクスも一緒だったはずなのだ。
なんならここに来る必要もなかった。
自分を含めた3人でここのガラン町で買い物をするつもりだったのだが、フェールデは買い出しを頼まれた直後に「じゃあ僕は狩りに行ってくるよ!いい肉を持ってくるからね!」なんてハツラツとした笑顔で言い、森へ行ってしまったのだ。
と言ってもいつも目を閉じているからハツラツとした笑顔とは言わないのかもしれないが。
まぁそこまでは良かった。
問題はノクスだった。紅永に命令されたのが相当不服だったのか一緒に歩いて暫くするとやりたいことがあるだの言い出して走り出してしまった。必死に追いかけて来たものの途中で飛んでいってしまったから追い掛けにくくなり、面倒になって追いかけるのを辞めた。
そして、追いかけたらこんなところに来ていたわけだ。
本当についていない。さっきも祓魔師達の気配を感じた。
危うく見つかるところだった。
そんなことを思いながら先程、恐らく竜胆の一行だろう。が通り過ぎた路地に目を向けるときらりと光る何かがあった。
少し気になって周りに人があまりいないことを確認してから光るものに近づく。
落し物だろうか?それなら交番やらに届けた方がいい。と言っても自分には届けられないが。なんて考えながら光るものを拾って月光に翳す。
夜闇であまり見えなかった物体がしっかりと形を取り、仁に分かるようになる。
それは紛れもなく指輪だった。金色が美しく、まるで金でできているようだ。
と言っても、正しくは銀で出来た上に金箔でコーティングされているものなのだが、肉眼でそれを確認出来るものは恐らくいない。それほど精巧に作られている。
「指輪……か…?……ってかこれ…見覚えがあると思ったら…煉霞のじゃねぇか…?…」
少し驚いた声を発する仁。
届けようとも考えたが仁が渡しに行けば煉霞が仁の知り合いとバレることは確定だ。
機会があれば返すということにしようか、何となくこれは他のやつに渡すのは良くない気がする。
そう頭で結論付けて拾った指輪をポケットに突っ込む。そして重い足取りでガラン町に戻り買い物に行った。
どこかに行ったノクスが少し気になるが、仁にはノクスが面倒なことを起こしていないことを祈るしかなかった。
仁が指輪を拾った同時刻、ガラン町の時計台。
(鉄紺にはここで見張っていてくれ…って言われたけど、ここに一体何があるんだろう……確かにガラン町全体を見渡せるけど……)
金髪の青年。イルフォードはぼんやり考えていた。
ここはガラン町の時計台の上。こんなところでイルフォードが何をしているかと言うと、もちろん鉄紺の指示通りにここで全体の戦況を見ているだけだ。
鉄紺がなんの狙いでイルフォードをここに置いたかは分からないが、鉄紺曰くボスの読みならここが当たりだそうだ。
当たりも何もここは一際高くて何もない。吸血鬼が屋根を飛ぶとでも言うのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると視界の端に黒色が映る。
ばっとそちらを向くと何かが一直線にこちらに飛んで来た。
イルフォードが目の焦点を合わせたところで何かと目が合う。
それは確実に赤い瞳の吸血鬼だった。
「赤い目の……!」
イルフォードも臨戦態勢を取ろうとするが何かが飛んでくる。咄嗟にそれを避けるが頬を掠めた。
鮮血が宙を舞う。
「…っ……」
ピリッとした痛みに耐えきれず微かに声が漏れる。一瞬目に写った何かは槍だった。
槍はイルフォードを通り過ぎるとすぐこちらに刃を向け向かってくる。
直線的な動きをする槍をひらりと避けて時計台の動きやすい屋根の上に移動する。
風が酷いがさすがに吹き飛ばされることはないだろう。
幸い目隠しのおかげで風の中でも目を開いていられる。
「チッ…外したか…人間なんて大人しく食われればいいのによ。やっといい獲物を見つけたと思ったんだが…祓魔師か…めんどくせェな…」
そう言う吸血鬼は宙に浮いてマスクをつけている。
いつの間にか手元に戻ってきている槍を器用に片手にくるくると回しながらこちらを見ている。
イルフォードは相手が飛び道具であることに少々不利を感じ僅かに歯噛みする。
吸血鬼、ノクスはイルフォードの武器を見やってから勝てると確信したのかニヤリと笑う。
ノクスは能力を使おうと考えたものの、この高所では眠らせたところで取りこぼす可能性がある。
早々に決着をつけて食ってしまおうと思いまた槍を構えた。
そこでノクスが何かを察知したのかピタリと動きを辞めた。
「…ん?テメェ…血の匂いがするな。それも、大量の。…なんだ同族殺しか?…最近の匂いじゃねぇが…」
「黙ってくれないか。」
冷たく硬い声でイルフォードが言う。
「ハッ。図星かよ。」
「うるさい!君たちに…君に言われる筋合いはないよ。特に君みたいな赤い目の吸血鬼にはね」
そう、目隠しで見えない眼光を鋭くしてイルフォードが言う。どうやら地雷だったようだ。
「…うるせェなぁ。…祓魔師如きが俺に刃向かってんじゃねぇぞ。無駄なことってわかんねェのかよ。」
ノクスはイルフォードの怒りを意にも介さないように流し睨む。
「人間は黙って食われてれば…いいんだよッ!!」
その言葉と同時にノクスは槍をイルフォードに向かって投げる。
イルフォードはひらりひらりと避けているものの、避けたそばからノクスの手元に戻り再び攻撃を仕掛けてくる槍にかなり苦戦を強いられる。距離を詰める隙もない。
ノクスはそれを嘲笑うように、弄ぶように攻撃を続け、少しずつじわりじわりとイルフォードの体力を奪う。
そんな方法でイルフォードは後半にはかなりバテており、隙が生まれてしまった。
ノクスはそこにここぞとばかりに槍を投げ込んだ。
決まったと思ったのもつかの間、その槍はがつんと弾かれた。
何かが横から飛んできたのだ。それはとても見た事のある矢だった。
「チッ…仲間か…」
そうノクスが矢の飛んできた方角を一瞬見やった隙にイルフォードがこちらを目掛けて飛び込んでくる。
空中にいるノクスの懐にイルフォードは飛び込みそのまま短剣でノクスを切り裂く、はずだった。ノクスはくるりと回って後ろに行った為イルフォードの剣は空を切る。
「…っ…」
落ちる。この高所から落ちればタダでは済まない。グッと受け身の体制を取ると、コンクリートの地面ではなく人に受け止められたような感覚がした。
「おいおい。捨て身の特攻かよ。イルフォード。相変わらず赤い目の吸血鬼を倒すのに命かけてんなぁ。」
そう聞きなれた声が耳を撫でる。それは正しく緒環のボスである白華の声だった。
ダンッという衝撃とともに落ちたのはある家の屋根。白華は自分と同等のサイズはあろうという男を難なく姫抱きと俵担ぎを足して割ったような持ち方で、しかも片手で持っている。
相変わらずの腕力だと感嘆せざるおえないがそんなことを考えている暇はない。先程のノクスのところに視線を戻せばノクスは矢の攻撃を避けるのに必死で槍を投げられず攻撃できていない。
もちろん矢を打っているのはセレイアである。
「貴方とここで会うとは思っていませんでしたよ!」
セレイアが珍しく声を張り上げて言う。
ノクスはそれを嘲笑うかのような口調で返した。
「ハッ!テメェみてぇなマフラーと会った記憶なんかねぇけどなァ!」
「ノクスさん…!貴方という人は!」
セレイアが珍しく怒っているような声をあげるがノクスはそれを意にも介さない。
的確に打たれていく矢をノクスは槍で弾きながら応戦する。
(チッ……そろそろ引いた方がいいな…この人数は相手できね………ェ…?)
ノクスはセレイアに気を取られていて気づいていなかったようだがまだ1人、いたのだ。
金髪のツインテールをふわりとはためかせながらギザ歯で笑う少年。
「おめぇ吸血鬼だろー?……殺してやるよー!」
間延びした話し方でそう告げる。もうノクスの真横まで来ていた。
「なッ」
「ギャハハハ!!!」
下卑た笑いとともに容赦なく振りかざされる双剣にノクスの体は切り裂かれる、と思ったがこちらにも救援が来たようだ。
「お゛ぁ!!」
少年、ルーカスは横からの唐突な矢に驚き、能力によって浮かせていた物体に飛び移る。
「なんだー?マスクに続いて新しい敵かよー?」
「…?ポニテ……!?」
ルーカスが退いたことにより視界が開いたノクスは矢の飛んできた方向を見て言う。
「危ないな〜。大丈夫ー?」
そう長髪の青色の髪の青年は言う。
「ポニテ。なんでここにいんだ?」
お前は狩りにいったはずだろ?と言葉を続けようと思うがそれは青色の髪の青年、フェールデによって遮られる。
「ボクは狩りを終わって戻ってきただけだよ。その道すがらにキミがこいつらに囲まれてたから来たって訳。キミこそ仁くんはどうしたの?」
そうサラリと説明してノクスに問うがノクスはそれに応えてる暇はない。
「そーかよ、これは俺の飯だ!邪魔すんじゃねェぞ!」
そう乱暴に答えるとまた近づくルーカスを槍で弾きマスクに手をかける。
「えーっ。…戦う気?…うーん」
フェールデは少し悩む素振りをしてからルーカスに矢を放つ。
矢は的確にルーカスの心臓を貫くように進むが、ルーカスは咄嗟に物を盾にして防ぐ。
次の瞬間、物を避けたルーカスの目の前にはどこにもノクス達の姿はなかった。
「おい!なんで逃げる」
そう不機嫌そうにノクスは文句を言いつつフェールデの隣を走る。
「さすがに人数的に不利だよ。仁くんやリアナちゃんみたいに近距離型がいたなら話は別だけど…ボクたち遠距離が主だから」
「はぁ!?なんでそこであのバカ女が出てくるんだよ!」
フェールデの冷静な言葉にまた怒るノクス。
「だいたい俺は飛んで逃げれる」
そんなことをノクスは不服そうに言うがフェールデは走りながら冷静に答える。
「今飛んだら場所がバレちゃうよ。もう拠点も近いしさっさと戻ろう。変に騒ぎを起こしたらボスに怒られちゃう」
「はぁ?なんで俺があのクソチビの言う事聞かなきゃいけねーんだよ!」
「そうだけど逆らわないに越したことはないよ。第一アイツらだってボクたちの力があれば何時でも喰えるじゃないか。」
そういつもより気味悪くフェールデが笑うとノクスも少し落ち着き、まだ消化不良のような表情を一瞬見せるがすぐさまいつもの表情に戻って視線を前に向ける。
「まァ、確かにそーか」
そう、いつものトーンで言い拠点に走った。
✣✣✣
「逃がしましたか…」
そう悔しそうにセレイアは言う。
ルーカスは酷くしょんぼりした様子でセレイアに謝っている。
「ごめんなー。オレが目離したからだろー…」
そんな2人を白華は眺め、それから口を開く。
「あれは上位だったし逃すのも仕方ねぇだろ。それにあいつ…青色の髪のやつは戦闘を避けてる感じだった。なにか狙いがあるのか…よくはわからんがなんにせよ嫌な感じだ。さっきから上位ばかり見かける。…早くアジトに戻るぞ。」
そう告げるとまだ白華に抱えられていたイルフォードが痺れを切らして声を上げる。
「いい加減下ろしてー!!」
「あ」
✣✣✣
時を少し遡り、緒環がノクスと交戦を始める少し前。
「指輪をなくしたって……そんなに大事なものだったの?」
そう落ち着いた調子で縁が煉霞に聞くと、煉霞は泣きそうな表情でたどたどしく事情を話してくれた。
「じ…実は。その、あの指輪は俺の家、竜胆の家に伝わる指輪なんですけど…それが俺の能力と密接に関係があるらしくて…1度も役に立ったことは無いんですけど……父さ…先代に渡されてたものなんです…お守り代わりにでも持っとけって言われましたが…」
「そうなのか…それなら探さないと…」
「そうなんだー!それなら、私が探すの手伝ってあげるよ!」
そういつの間にか戻ってきた星那が元気よく言ってくれるが煉霞の顔は晴れない。
「…気持ちは嬉しいんですけど…俺、あれに特に助けられたこともないですし…多分そのうち見つかると思います……もう誰かに拾われてたとした無理ですけど…それより今は急いで戻った方が……」
その一言でみんな確かにと少し納得してしまう。
急いで戻れという命に背けば正に迷惑がかかることは確定だし、緊急連絡を無視する訳にはいかない。
みんなはひとしきり悩んでから来た道を戻りながら探して見つからなかったら帰るということにした。
竜胆一行は少し時間をかけて煉霞の指輪を探したが結果見つからず少し元気をなくしたようにアジトに戻った。
「遅かったですね」
そうふてぶてしく言うのは竜胆のボス、正である。
「少し探し物をしていたんだ。ボスこそひとりぼっちで寂しくなかったかい?」
そんなふうに少し茶化すように縁が言うと正は一瞬むっとしたような素振りを見せるがいつものにこやかな顔で所謂大人の対応というのをする。
「いえいえ。そんなわけないじゃないですか。少し皆さんのことが心配だっただけですよ」
(縁さん…よくボスのこと茶化せるなぁ…俺怖くて出来ないよ…)
そんな会話を眺めている煉霞はぼんやりとそんなしょうもないことを考えていた。
するとぼんやりしている煉霞の後ろからハッキリと声が聞こえる。
「なぁ。ボス。それで、カキュウの用ってのはなんなんだ?」
そうアーナが言うと正は説明しますからそこの机に集まってくださいといつも使う机を指さして言った。
同時刻、緒環一行
「さてと…あとは鉄紺達と合流するだけか……」
そう白華が言うとセレイアが不思議そうな顔をした。
「…ボス。ピースさんと一緒では?…」
そう言われて白華は周りを少し見渡してから驚く。
「ピースどこいった!??」
「えっ」
セレイアが珍しく驚きの声を漏らす。
「…??どこに行った?…ここまで一緒にいたよな……」
そう真剣に考え始めた白華と一緒にどこに行ったかを考えるセレイアをよそにルーカスは周りをキョロキョロ見渡す。
「?……あっちに足跡があるぞー?」
「足跡?…」
イルフォードが首を傾げてルーカスの指す方向を見ると確かに泥の足跡があった。
「これもしかして…ピースのじゃないかな?……ねぇボス?」
そうイルフォードが白華とセレイアに声をかけると2人もこちらに来て泥の足跡を見つけたようだ。
「敵……の可能性は薄そうだな。…裸足っぽいし…」
そう足跡をよく見てから白華が言う。白華は続けて行くかと言うとその足跡を辿って歩を進める。
イルフォード、ルーカス、セレイアはそれぞれ白華の後に続き足跡の続く先、森の中に入っていった。