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紅い雨の降り頻るあの場所で

時は数分前に遡る
「昔話をするって言ったわよね」
そうリアナは走りながら悠長に話始める。
「そこで提案なのだけど」
進む先を真っ直ぐ見つめながら至って真剣な顔でリアナは言葉を続ける。
「あんたの昔話も聞かせるってのはどう?」
突拍子もない提案にイルフォードは目を丸くする。
「はぁっ!?…なんで僕が!」
「別にこと細やかに話せなんて言わないわよ!私ばっかり昔話をするのもなんだか不公平だし!あんたにも話して欲しいなって言うレディのお願いでしょ!少しぐらい妥協してよね!」
あまりに一方的すぎる主張にイルフォードはあんぐりと開いた口が塞がらない。
昔話をするのはリアナの勝手だしそれをわざわざ押し付けないでいただきたい。
眉間に皺を寄せて拒否の姿勢を見せるがリアナはその表情を見るやいなや口を尖らせる。
「…知ってるのよ、私。あんたが赤い目の吸血鬼が憎いんだって。」
何故それを、と思うがリアナの口は止まることなく話を続けた。

✣いつかの紅永の私室にて✣

「ふんふふ〜ん♪」
リアナは上機嫌に鼻歌を歌いながら紅永の部屋への廊下を歩く。
現在の時間は朝の9時。通常のリアナなら起きていない時間だが、今日は緋緒とのデートのために早起きをしたのだ。
鼻歌を歌いながら歩いているうちに紅永の部屋の前まで着く。リアナは特にノックもせず乱雑に紅永の部屋の扉を開いた。
「紅永〜。頼んだ洋服を貰いに…って居ない。」
紅永は朝の7時に起床し、夜の11時に就寝するという至って人間らしい健康的な生活を送っている男だ。
その紅永が起きているはずの9時、何故か私室にその影は無かった。
ベットはすで綺麗に整えられており、寝ていた形跡はあるものの、コートやパーカーなどの外に行くための荷物は無くなっていた。
外出していたらしい。
居ないのならばと、既に部屋の中に届いているはずのリアナの服を探すため、リアナは遠慮なく部屋にズケズケと入っていく。
届いているはずのリアナの服というのは、リアナが緋緒とのデートのために紅永に買うように頼んでいた服である。おそらく通販だろうからダンボール箱があるはずだと、リアナは容赦なく紅永の私物をひっくり返しながら目当てのものを探す。
その途中、紅永の机に視線が行った。
置き手紙でも置いておいてくれればよかったが特に何もないようだ。
しかし机の上には紅永の日記兼メモ帳が置いてあった。
日記ならば届いたことも書いているかと考え、リアナは迷いなく冊子を開く。
日記を見るのは良くないこと、と分かってはいるものの、リアナが紅永に対してそんな良心的な配慮をする訳もなかった。
1番最近のメモに書いてある可能性を考え、最新順にメモ帳のページをめくる。
途中、謎に目を引く内容があった。
『コバルデ 縁 碧 ←要⚠接触危険
イルフォード←オレに恨み ウォルズ家?』
他にも色々書いてあったが1番目を引いたのはそのふたつだった。
碧、というのはリアナがそれなりに気に入っている祓魔師の名だ。そして紅永を恨んでいるという旨、イルフォード。全く誰のことかは分からないがウォルズ家という名がなぜ横に書いてあるのかは引っかかる。
もし紅永を恨んでいるのなら、リアナの計画に使えそうな人材だ。近づいてみるのも悪くは無いだろう。
そう考えてから、服を探していたということを思い出す。
これ以上有益な情報もなさそうなので、ため息をついてそのメモ帳を閉じリアナは視線を落とす。
その先にダンボール箱があった。
机の下に隠されていたようだ。
「あった!」
うきうきでダンボール箱に手を伸ばし、確認のためにダンボール箱を開封する。
中身はしっかりとリアナが頼んだ服だった。
「これよこれ!貰っていくわね紅永〜」
そう言ってリアナはダンボール箱を抱え、紅永の私室を後にした。

✣✣✣

「……この後、私はあんたのことも、ウォルズ家とやらのことも調べたわ。…ウォルズ家、随分と前に潰えているようね。」
回想に入ったかと思えばリアナはイルフォードについての情報だけを抽出し説明した。
「…何故それで、僕が赤い目の吸血鬼を恨んでいるって思ったのさ。その話の流れから行くと僕は、紅永を恨んでいるように聞こえたけれど?」
イルフォードの言い分は最もだった。
イルフォードはリアナがどこまでその事を知っているのか測りかねているようだ。平静を装いながら話を続ける。
リアナはそんなイルフォードの変化に気づくことも無く淡々と話を続けた。
「ウォルズ家の悲劇。あんたも聞き覚えがあるんじゃない?あれは吸血鬼の突然の強襲によって起こった悲劇なんですってね。あるツテで調べさせてもらったわ。……その時の吸血鬼の記録は、無し。なんておかしな話。それだけ暴れていれば手がかりぐらい一つや二つ見つけられるはずよ。…でも無かった。これだけ聞くと紅永の確率が高まるわね。…でもおかしいのよ。メモには『オレ』と書いてあった。……紅永の一人称は『ボク』それは一貫して変わらないわ。私生活においても紅永がオレと言ったシーンは無い。」
リアナの繰り広げていく話はまさに探偵のようにすじみち立てて考えられている。
リアナもただの馬鹿という訳では無いらしい。
「本当の一人称がオレ、とか?」
差し出がましいかもしれないがそう言ってみる。
本心と言動の一人称が違う人間などそう居ないが可能性がない訳では無い。
「…それは無いわね。確かに私の知る紅永の一人称はオレなの。だけれど、紅永はもうあの時のボクではないとその推測を否定した。つまり、紅永の一人称はオレではないってことよ。」
なんだかオレだかボクだか話しすぎてゲシュタルト崩壊を起こしてきている気がするが理解しようと必死に脳の情報を整理する。
とどのつまりは紅永から一人称がオレであることを暗に否定されたということだろう。
それなら先程のイルフォードの推測は成り立たない。
「それで、私は一応。一人称が『オレ』の味方を洗い出したわ。…あんたは知らないでしょうけど大人しく聞いてね。まず仁。…だけど仁は紅永を好いていないから紅永の部屋に忍び込んでメモを置き去るとかそういう可能性は考え難いわ。」
仁、イルフォードの記憶の中でその名前を辿るがこれといった検索結果は出てこなかったがぼんやりと思い出した。名前まで完璧に覚えている訳では無いのだが赤目だったことは記憶している。
イルフォードの抹殺対象のひとりだ。
「そしてもう1人。あいつ、名前を知らないのだけれど赤目で黒髪の、紅永の部下。話したことは無いけれど、私生活ではオレと言うそうよ。…紅永に最も近い、メモももしかしたらあいつのものかもしれないと睨んではいるけど…これは私の憶測ね。…それで、私が何故あんたが赤い目を恨んでいるのかと思った経緯ね。ここまで説明すれば簡単でしょ?あんたが恨んでいると思われる吸血鬼は全て赤い目を保持している。それにあんた、コバルデにはさほど血相変えて襲いかからなかったらしいじゃない。尚更信憑性が湧くわ。」
探偵のようにジリジリと確固たる事実に近づいていくリアナにイルフォードは一種の感情を抱く。
どんな感情か、と言われればよく分からないが、尊敬と言うには遠く、恐怖というにも程遠い感情だった。
感心、その一言に尽きるだろうか。
「ま、そんなもんね。…ってあら?話をしていたらそろそろ着きそうよ。あんたの昔話、聞きたかったのだけれど残念ね。……もしあんたの恨んでいる相手が紅永か、あの黒髪の男なのだとすれば私はあんたに協力するわ。…それだけは忘れないでいてね。…それじゃあまた」
そう言ってリアナは屋根の上から大通りに向かって、軽やかに飛び上がる。
イルフォードを掴んでいる血で出来た羽を大きく振り回すと、その羽はまた形を変え、イルフォードを上空に放り出す。
イルフォードは素早く建物の壁に足を付け、スライディングのように滑る。
その後地面に着地する間際になってから壁を蹴り、ふわりと飛んでから地面に着地した。
落下したところはどうやら仁と緋緒が交戦していた所らしく破壊された地面が粒子状に粉々になって凹んでいた。



仁は破壊された己のお気に入りのパーカーのことを悔やみながらアーナの攻撃を避ける。
どうやらアーナの能力は破壊のようだ。
先程からアーナが掴みかかった地面は瞬間的にヒビが入り粉々になっていく。
闘牛のように突進してくるアーナの体を必死に刀で受け流すがどんどん地面が破壊されて足の踏み場が無くなる。
後ろにいる緋緒すら巻き込みそうだ。
逃げ場が無くなっていく中、仁だけがその場から脱出する術だけが脳裏に過ぎる。緋緒を置いていく訳には行かない。その意思が、それへの行動を阻んでいた。
ついに逃げ場がなくなり、アーナもここぞとばかりにナックルを握りしめ腕を持ち上げこちらに拳を上げる。
刀で受け止めるにも、アーナの能力が破壊ならば刀を破壊されて終わりだ。
打つ手がない、と。諦めかけた。その時。
縁がいるはずのビルの屋上から赤黒い血が形を取ってアーナの肩を貫いた
「っぐ…!?」
「うわぁっ!」
アーナの呻き声と共にビルの屋上から驚きの声が聞こえる。
おそらく縁のものだ。
仁が反射的に上を見上げれば、そこには確かに彼女の姿があった。
同時に横からズザザッと音を立てて誰かが落ちてくる。その姿に見覚えはなかったが、吸血鬼の気配では無いから祓魔師だろう。
「リアナ!」
誰より先に彼女の名前を呼んだのは紛れもない、緋緒だった。
「あら!失敬!あまりにスカスカな檻だったもので簡単に貫けてしまったわ!…彼方 縁。私はあなたに用があったのだけど、緋緒ちゃんに手を出したのなら許さないわよ」
リアナの凝固した血液によって持ち上げられた縁は事態を上手く把握出来ずに困惑顔だ。
しかし地面から手を離したことで植物で出来た檻は維持することが出来なくなったのかふにゃりと若干解けた。
「…時間が無いわ。…仁!緋緒ちゃんのこと頼んだわよ!緋緒ちゃんに傷なんか付けて帰ってきたらあんたのこと殴ってやるから!」
リアナは間髪入れず1度中央街の方に視線を向けてから小さくつぶやくと、再び振り返り仁を指さし啖呵を切る。
あまりに素早い動きに仁は呆気に取られるが呆けている場合では無いことを思い出す。
その隙にリアナは踵を返し、縁を捕まえたまま今来た方向に走り去ってしまった。

「…えぇ…」
突風のようなリアナに困惑を覚えていると、先程までリアナの登場に仁同様呆気に取られていたアーナが動き出す。
拳を握り直し、こちらにその拳を振り上げた。
しかし、さっきは檻が邪魔だったと言うだけで今は檻が無くなっている。
それだけでアーナの攻撃を避けるのは十分だった。
後ろにいる緋緒を素早く抱き抱え、赤いパーカーを翻して飛び上がると、アーナの攻撃から距離をとる。
アーナから追加の攻撃が来ると身構えれば、向き直した視界に既にアーナの姿はなかった。
どうやら仁が翻った隙に転がっていたルーカスを抱えあげ救出したようだ。少し遠いところでなにやら話している様子だった。
話し声は遠すぎて聞こえない、相手が背中を向けているならと思い、仁は緋緒に小声で作戦を伝える。
「緋緒さん、俺は青い方の相手をします。だから緋緒さんはあっちの金髪の方を何とかしてください。…」
破壊の能力であるアーナを緋緒と接触させるのは危険だ。それと同時に、恋人である緋緒を危険から遠ざけたかったというのもあった。
そうは言っても、闘う時点で危険ではあったのだが破壊の能力は未知数だ。金髪の能力は分からないが戦い方は直線的。良くも悪くも読みやすい。
アーナよりか幾らか戦いやすいだろうと、少し舐めている節もある思考でもあった。

「ルーカス!平気か!動けるか!?」
かなり大きなアーナの声がルーカスの耳を貫く。
ルーカスの体は激痛ではあるが死ぬ程の負傷でも無いため大丈夫、と返したかったのだが、薔薇の文様が刻まれた唇は動かせる気配がない。
筋肉に力が入らないというか、そんな感覚だ。
「待ってろルーカス。たしかここに、縁が用意した…あった!」
そう言ってアーナはポケットをごそごそと漁り、なにやら瓶のようなものを取り出す。
その中にはたぷん、と波打った透明な液体が入っていた。
アーナは迷いなく瓶の口を塞いでいるコルクを外す。するときゅぽんっという音が鳴り、完全に開いていることを音でも知らせてくる。
アーナは素早くその瓶の中身をルーカスの体に刻まれている文様にかける。
瓶の中身はどうやら水だったようで、文様はその水に触れたところからするすると消えて行く。
同時に、ルーカスの体から痛みと筋肉が固まる感覚がなくなって行った。
「どうだ?もう痛いところないか?」
「おー!アーナ!俺もう痛くなくなったー!」
元気になった途端、ルーカスは飛び上がり元気な体を主張する。
薔薇の文様は残らず消えているので本当にもう元気なようだ。他に負傷などなくて良かった。
そう少し安堵する。
アーナは立ち上がり、振り返ると視界に仁と緋緒を入れる。
「…アーナ。」
仁の方に向き直って戦闘態勢を取るアーナにルーカスは突然声を掛ける。
何かと思いルーカスの方に振り返るとルーカスはそれを待たずして言葉を続けた。
「あっちのオレンジ色の方は俺にやらせて」
「……ッ、わかった。」
僅かに驚きはした。
ルーカスはあまりそう言う要望は言わない。基本的に戦えればなんでもいい主義なのか、戦いに対して要望はないらしい。
そうと知っているものからの突然の願いに一瞬動揺こそしたが断る理由もない。アーナはルーカスの要望に迷いなく首を縦に振って頷いた。

どうやらアーナとルーカスの話は片付いたようだ。
2人ともこちらに意識を向けている。
仁と緋緒はどちらからともなく地面を蹴り、二方向に駆ける。
仁はアーナの居る方に、緋緒はルーカスの居る方だ。
順当に行けばアーナは仁の方向に来るはずだった。
しかし、その予測は大きく外れた。
アーナとルーカスはわざわざ交差するように進み、ルーカスが仁の方角に、アーナが緋緒の方角に駆け、お互いの距離を詰める。
仁は予想外に微かに動揺を見せるが、その隙にルーカスは仁に斬撃を食らわせる。
ルーカスの攻撃を受けてはいけない。
ルーカスの能力は物体を浮遊させる力。サイコキネシスと言うやつだ。攻撃した対象の物体ということは武器も例外では無い。
仁は咄嗟にそこまで頭を回しルーカスの刀に自分の刀が当たらないように後ろに飛び退いて避ける。
ルーカス越しにちらりと緋緒の様子を見るが特に心配は無さそうだ。緋緒に何かあったらと思って心配していたが杞憂だといいな、なんて少し自分を落ち着かせるように心の中で息を着く。
そして真っ直ぐルーカスを見据えると足を前後に開いてその刀を構えた。

✣✣✣

「んーっ!むーっ!!」
縁は体を拘束されたまま、その上口も塞がれているのでもごもごとなにか言おうと抵抗しているものの無意味に終わっていた。
突然背後から現れたリアナは縁を能力で変形させた血の塊で軽々と持ち上げて運んでいる。
どう足掻いてもそれが取れる気配は無い。
「あーもーっ!んーんーむーむーうるさいわね!ちょっとぐらい黙って運ばれなさい!」
それはあまりに暴君というものじゃなかろうか。
リアナの理不尽なまでの怒りに縁は目だけを大きく開く。
彼女は何をしようと言うのか、縁には何も分からなかった。
ただ睨む気も起きなくて縁はリアナの挙動をじっと見る。洞察力の優れた縁だ、1つぐらい情報は読み取れるだろう。
少し黙ってリアナの動きを見ていたのだが、結局は何も分からなかった。
分からなかった、というより、理解ができなかったと表現するのが正しいのか、否、どちらも同じ意味だろうか。
リアナの行動に害意は無かった。
縁を殺そうとして動いている訳ではなく、なにか、利用しようとしている者の動き。
同時に、残酷になりきれない、何かを諦めているような、過去の己に近い何か。
全てを諦めて、終わらせてしまおうってあれだけ足掻いていたのに。自分はまだのうのうと生きている。
自分は、沢山言い訳を上げてられてはそれを生きる理由として考えているのだ。
リアナからはそれに近い何かを感じる。
全てを諦めたいのに、ただ彼女の何かがそれを許さない。投げ捨てることも、放棄することも。
責任感が強いのか、そんな結論に至る。
リアナの強い瞳には葛藤のような、苦しみが滲んで窺い知れる。
あの幼き日、全てを投げ出そうとした自分とは違う。
そう思った。

ふわりと、体が浮いた。
「え」
視界に映るは先程まで走っていて、眺めていたはずのリアナの横顔ではなくリアナの真っ直ぐとこっちを射抜くような視線。
なぜ今私の体は彼女の正面にある?
疑問は形となる前に、縁の頭は違うことに気が向いた。
浮遊している訳では無い体。
どちらかと言えば落下する感覚が強い。
そして先程まであった口元の拘束も、体の拘束も何一つない。
慌てて見上げれば地面が迫ってきている。頭からの落下は避けたい。
いくら体が丈夫でも頭から落ちようものなら即お陀仏だ。
縁は頭を守るように抱え、体を捻る。
まともな着地が出来ればいいが。
そう願い縁は目を瞑る。
心の中で、攻撃はしなかったものの突然投げ捨ててきたリアナに毒づきながら頭を守る手を強めた。
数秒も経たないうちに、縁の耳にはドンッという衝撃音が聞こえた。

✣✣✣

数分前

かつ、かつ、と音を立ててコバルデと呼ばれた吸血鬼はこちらに向かってくる。
闇夜の中でよく見えなかったが近づけば近づくほど月光でその顔が見えた。
にたにたと笑う不気味な表情が顕になる。
前に居る鉄紺はコバルデの顔を見るなり血相を変えて碧の前に立ち塞がった。
「コバルデ」
そう呼ぶ鉄紺の声は異様なほど殺気立っていた。
「相変わらず、よく鳴く家畜だ。」
コバルデの表情は変わらず、にたにたと不気味に笑っている。
コバルデの片手には先程リアナが血を入れた試験管。
それを傾けた瞬間、目の前にいた鉄紺は姿を消した。
「あぁぁっ!」
雄叫びと共に鉄紺はコバルデの持つ試験管を破壊しようと薙刀を振り上げる。
しかしその斬撃はコバルデにひょいと避けられてしまいその上体をぐにゃりと捻らせたコバルデは飛び込んできた鉄紺の脇腹に強く拳を入れた。
コバルデが体術を使うことは珍しいためか鉄紺も予測が出来ず防ぐことも無く身体は舞い上がり横の建物に突っ込んで行った。
ばこんっ、なんて音がしたが構っていられない。
鉄紺がすぐ出てこないのを見て若干意識が昏倒しているのだと碧は頭で結論づける。
それならば、もうこのコバルデを相手できるのは自分しか居ない。そう思って札を構える。
コバルデの能力の発動を阻止するのは碧の能力では難しい。どうにか隙を作らねば。
そう思ってコバルデの姿に目を凝らす。
……あれ、……
真っ直ぐと見つめて気づいた。
見覚えのある姿。
「…っ、…あんた、」
急いてはいけない。
だめだ、だめだ。
息を飲む。呼吸が浅くなる。
まだあいつと決まったわけじゃない。
確かめなければ、確かめなければ。
碧の様子が変わったことに対し、コバルデは僅かに不審に思ったのか傾けていた試験管を真っ直ぐに戻しこちらを見る。何か訝しんでいるような表情だ。
「あんた、俺の姉さんを、不知火 翠を、覚えとるか」
想像していたよりずっと、低く殺気に満ちた声が出た。
その名を聞くとコバルデは緩慢に首をもたげ、分からない。と言ったような表情をして碧の顔に目を凝らす。
上下どちらを見ているか分からない瞳は、珍しく真っ直ぐと碧を見ていた。
そこでふと、思い当たったような顔をする。
「あぁ、確かいましたね、そんな方……おや?貴方、どこかで見た顔だと思えば。あの方とよく似ている…ご家族でしたか?…」
その言葉を聞いた瞬間、碧の喉は意図せぬ形で息を吸った。
ひゅ、と音が鳴るように息が吸われ、体が強ばる。
ガチガチと震える手は怒りだろうか殺意だろうか分からない。
コバルデはそんな碧を意にも介さず話を続けた。
「あの方…家畜にしては見所があったのですが、あれは惜しいことをしましたね。これでも少しは後悔しているんですよ。…」
「…なにが……」
震える声を必死に抑えて平静を無くさないように出来るだけ丁寧に言葉を絞り出す。
「…えぇ、それはもちろん。ワタクシの手で殺さなかったことですよ。あの女が死ぬ時、少し後悔したんです。どうせなら全ての血を取っておけば良かったと。…死体は祓魔師が邪魔で近付けませんでしたし…あぁでも感謝もしているのですよ?彼女がいたからワタクシはこうして助かった訳ですから。あぁ、でももっと利用できたでしょうか。…まぁ、興味などないのですが。……どうしたんですか?そんなに震えて」
コバルデは聞いてもいないことをつらつらと喋る。
「…っ…あんたは!!!!」
もう我慢の限界だった。
頭にカッと血が上り、体が震える。
声も大きく荒らげて、息も何故か上がる。
怒りが。込み上げてきた。
自分の唯一の姉、オカルト好きで、神様を信じていて。
いつも酷く優しい声で「神様は見てるんやで」と言っていたのを鮮明に思い出す。
人をあまり疑わず、そして自分にとっての唯一の姉。紛れもなく善たる人間。
反対に、碧は神様なんか信じていなくて、人に対しての警戒心も多分おそらく強い。
翠は、こんな悪たる吸血鬼に利用されるべき人間ではなかった。
きっと翠ならば真っ当な人生を歩めた、幸せになって
碧と共に笑う未来が……あったはずなのに。
こんな奴のせいでその未来は壊され、奪われた。
許すなんて、到底出来ない。
例え翠が許していても、誰もが仕方ないと言っても、神様すらも見放したとしても。
碧だけは許さないと、あの時、翠の死体を前にして誓ったのだ。

許さへん。あいつも、あんたも。絶対に。

あの日、口にした言葉を追うように、碧は口をはくりと動かした。

札を思い切り握り締める。
息を吸い込む、
今、と思えばその瞬間後ろから大きな音が聞こえた。
ドンッ、という音。反射的に後ろを振り返れば視線の先では土煙が立っていた。

「…ぃた……た…」
咄嗟に植物のツタをクッションにして着地したが、縁の大柄な身体はそこに収まらず背中をそれなりに強かに打ったらしかった。
むく、と体を起こせば背中以外に痛いというところは無いので骨が折れていたりは無さそうだ。
3階程の高さから落とされたのによく無事なものだな、なんて己の頑丈さに感心する。
土煙が晴れる前にその場から出る。
さて、自分を連れてきたリアナと言う少女はどこに…
そう思って顔を上げる。
そこには自分を恨む碧。そして奥に吸血鬼、その姿は戦場で時折見かけるコバルデそのものだ。
今まで、コバルデに対しては吸血鬼なんだという感情しか無かった。他の人が恨んでいることもなんとなくは知っていた。
ただ、その認識がぬり変わったのはつい最近。

この戦いが始まる前日の事だった。

色々な考え事や調べ物をしながら碧から貰った資料を和訳している煉霞と共に書類を運ぶ手伝いをしている時だった。
「和訳にこの書類が要るの?」
そう単純な疑問を縁が口にする。
煉霞はズキズキと痛む頭を抱えながら和訳する書類から顔を上げ、縁を見て言った。
「その書類は、…今回参戦している吸血鬼が過去に関わったとされる事件の資料です…竜胆の書庫にしか無いので、先代に無理を言って出してきてもらったんです。……この中には事件に関与した祓魔師にさえ伝えられていないものが書かれていますので、見ても内緒でお願いします。」
「事件、か…」
事件と言えば、縁が自信を無くす最大の要因となった事件もそれなりに大事になっていたなと思い当たる。
縁が起こした事件というのも、祓魔師ならばあまり珍しくもない事件だった。
祓魔師が戦う際、一般人が巻き込まれないように今回の戦争のように一般人に避難勧告を出したりすることはある。しかし日常に紛れ込む祓魔師を討伐する時は勝手が違う。
基本的には彼らを人の目に触れないところに誘き寄せ、戦うという配慮が必要なのだ。
時間があれば応援を呼んで人が近づかないようにするのがセオリーなのだが、あの時は時間がなかった。
そう思って、これは言い訳かもなと縁は自分を自嘲する。
必死に和訳をする煉霞をぼんやりと眺めながらその時のことを思い出す。
縁は近頃街中に出た中位の討伐のため、とある神社に赴いていた。
中位と言えども、人を欺くことに特化した能力でその質は陰湿で悪質なんだとか。
確かに近隣住民にそれらしき聞き込みをしても全く収穫は無くて、完全に騙されているか、本当に見ていないかのどちらかな事は明白だった。
そこまで高等な力を持っているのなら上位と判断されてもおかしくなかったが、実害の数が少なかったため中位とされていた。
数日捜索に費やしたが得られた功績はまるでゼロ。
諦めかけた時、とある少女が吸血鬼の残滓を残していた。
大柄な縁がすれ違って視界にギリギリ入るか入らないか程の小さな背丈の少女は薄く、けれど確かに血の匂いと吸血鬼の匂いをまとわりつけていたことを覚えている。
失礼ながらその少女を尾行すれば、彼女は神社の娘らしく、巫女として働いているようだった。
清廉潔白な乙女であるはずの巫女が何故、と思うが吸血鬼はそれだけ高尚な能力を使って信じさせているのだろう。
手掛かりも何も無い以上、彼女を尾行するしかない。
そう考え、大柄な縁は尾行にあまりに向かないため、それはほかの祓魔師に任せた。
それから暫く、その神社の娘の尾行していた祓魔師から報告が上がった。
結果は、不知火 翠の恋人は吸血鬼である。ということだった。
それからすぐ、縁達は行動を起こした。
不知火 翠への注意勧告、及びその家族に対しても事情を説明する。それと同時に吸血鬼への討伐へ動いた。
縁達は二手に分かれ、家族に事情を説明する数人、そして縁は吸血鬼討伐に動く。

事は、そこで起こった。

不知火神社本殿で吸血鬼を発見することが出来た。
しかし近くに不知火 翠がおり迂闊に攻撃ができないという状態だった。

ここまでは祓魔師ならば珍しくもない。
吸血鬼に心酔した人間は時に吸血鬼を守る行動を起こすことがあるのだから。
せめて話す事で不知火翠を吸血鬼から離そうと試みるも不知火翠は聞く耳を持たなかった。
その時、縁は悟った。
彼女はこの吸血鬼を愛しているのだと。そして依存しているのだと。
簡単に引き剥がせないことが分かってしまった以上、縁はそのまま放っておく訳にも行かない。
せめて殺さないように、不知火翠に当たらないようにと繊細な能力操作で吸血鬼を攻撃した。

あと少し、というところで。
不知火翠が縁の攻撃の射線に立ちはだかった。
止めることなど、出来なかった。

その後のことはもうお察しだろう。
縁は不知火翠を手にかけた。立派な人殺しだ。
その上吸血鬼も逃してしまった。
失敗しただけでなく、人を殺し、その上それを弟に目撃されてしまったのだ。
あぁ、なぜ、どうして、
後悔の念ばかりが募った。
もっと慎重に動けばよかったと、何度後悔したか知れない。
そんな後悔の果て、そこに縁は今立っていたのだ。

「…ん、…これは…」
ぼんやりと過去のことを思い出しながらぎゅぅっと締まる心臓を無視するために縁は目の前にあった書類を眺めていた。
眺めていたと言ってもほとんど内容も入ってこない。
煉霞から見るなとは言われていないものの、それでも少し罪悪感があって読むのをやめようとした、その時。
自分の名前がその目に飛び込んできたのだ。
事件発生場所を見れば不知火神社本殿
確かに自分が起こした事件であると確信する。
関係者の名前に目を走らせれば、そこにはこの事件で逃亡した吸血鬼の名前も載っていた。
『逃亡した吸血鬼は個体名コバルデである可能性が高い』
なぜ、なぜ今。今になって。
なぜ知らせなかった。なぜ。
そうすればあの時、きっと退治してやったのに。
知っていれば。
滅多にパニックになることの無い縁の冷静な頭が己が感情の色で塗りつぶされる。
それほどのショックがあった。
コバルデと呼ばれる吸血鬼には何度か対峙した。
その度にどこか不快感を感じていたが、これが分かっていればもっと早く。
「…縁、さん…?」
気づかないうちに鼓動が早くなり呼吸も荒くなっていた様で、煉霞が心配そうにこちらに声をかけてくる。
頭が痛いと言っていたのに、こちらを心配する煉霞を見てお人好しが過ぎるんじゃないかと少し思った。
「……ごめん…煉霞くん、聞いてもいい?」
そう言えば、煉霞は縁が片手に持つ書類に目を向けてから少し焦った顔をした。
「…はい、…俺でよければ、お答えします。…」
煉霞はこの事を知っているような反応だ。
知っていたならなぜ教えてくれなかったのかと問い詰めたい気持ちに駆られる。だけどそんなことをすればきっと煉霞は萎縮する。それはダメだ。
煉霞だってこの書類が運ばれてきた時に内容を見ただけかもしれない。知っていて黙っていたのではなく、確証がなく黙っていた可能性の方がずっと高い。
煉霞は根拠の無いこと、確証のないことを口にするのを特に怖がる。そんな人間であるということは、少しの付き合いでも分かるほどだった。
「…この事件、個体名コバルデ、って…あの時の…」
「はい。…コバルデという個体名の吸血鬼はあの時会った銀の髪色をした吸血鬼しかいません。…ですから、その可能性が高いかと。……この事件、コバルデという方が逃亡したのだと発覚したのは本当に数ヶ月前の話で……星那さん、いらっしゃいますよね。」
「…うん。」
「…あの方は実地での経験を積むため、最近まで事件の捜査に駆り出されていたんです。物の記憶を読み、事件の真相に辿り着く。そういうのに秀でている能力だったので。」
「…成程。それで、この事件についても調べたと。」
「そうです。…お伝えするのが遅くなってしまって、すみません……実際、俺がこの書類に目を通したのも最近で…すみません…俺がちゃんと調べておけば、逃すことはなかったかもしれないのに。」
そう言った煉霞の表情が酷く苦しそうで、縁はどこか安心したのを覚えている。
自分の苦しみを、少し、理解して貰えたような気になれたのだ。

それが、コバルデという個体への印象が塗り変わった時の話。
そしてその、雪辱の相手が、今。目の前にいた。
コバルデは縁を見るなり何が面白いのか知らないがにやにやと口元を動かした。
「おや、雪辱戦と言うやつですか?…役者が揃いましたね。…ワタクシを仕留め損ねた家畜と、ワタクシに家族を殺された家畜。…フフ、…私的にはどうでも良いのですが…餌から来てくれるなら大歓迎です。御相手しましょうか?」
コバルデのどうでもいいという発言が碧と縁の琴線に触れる。
「あっ、お聞きになります?其方の方の姉、私に好意的でしてね、私の血の採集も手伝ってくれて」
コバルデが面白そうにぺらぺらと喋り出すと、それをかき消す様に、先程鉄紺がめり込んでいた建物から鉄紺が飛び出してきた。
「コバルデ!!!!」
「おや、歓談中だったのですが、邪魔が入りましたね」
するっと避けようと飛び込んでくる鉄紺の方をコバルデが見る。その瞬間、上から赤黒い凝固させた血が針のような形になり鉄紺の肩やら腕やら足やらを貫いた。
ドォンと音がして鉄紺は再び建物に体をうちつける。
その前にふわりと着地したのは、先程縁を運んだリアナだった。
「コバルデ、勘違いしないで。あんたを助けたわけじゃない。……この子の相手は私がするわ。…あんたはそっちの、むさ苦しい方を頼むわ。」
「……貴方が連れてきた方も、ですか?」
「ええ。あんたに押し付けるために連れてきたの。…恨むなら恨みなさい。…どうせあんたは私に勝てないから。」
睨みつけるようにリアナはコバルデを一瞥し、すぐコバルデから視線を離す。
そしてぐったりと転がる鉄紺の首根っこを掴みずるずると引き摺るようにしてその場を立ち去った。
少し引き摺ってから、再び振り返って気を失った鉄紺を能力で抱え直していたのが、建物の隙間からちらりと見えて2人はその場を後にした。

「とんだ邪魔が入りましたね。さぁ、お話でもします?あまり覚えていませんが少しぐらいならお話出来ますよ。思い出話。」
リアナが去ったことを確認すればコバルデは愉快そうな顔をしてまた話始める。
碧は苛立ちを抑えることが出来ず、言葉を紡ぐ前に唇が震える。
「要らないよ。」
そう言ったのは縁だった。
いつもは穏和な柔らかな声で話す縁だが今回は酷く硬く、重たく、冷たい声音だった。
「碧くん。少し、力を貸してくれるかな。」
縁はコバルデから目を離すことなく碧の前に歩いてくるとそう言う。
碧は了承するかどうか、と逡巡する。
あいつは俺だけでやりたいと、言おうと思った。
だけど先程からどこか覚悟を決めたような縁の声を前にして、申し出を断る気はどこかに失せていた。
「……トドメは俺がやる。」
「分かった。」
碧の言葉を縁が否定することは無かった。


next___3月13日
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