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第6章


たんっ、たんっと屋根を踏む音と共に赤黒い羽を背中に携えたリアナが前を走っていく。
イルフォードは足音の気配を無くしリアナにどんどん近づく。
今だ、と思った瞬間にそのナイフを振り上げると、リアナはその瞬間こちらに振り返った。
リアナの羽がぐわりと形を変え、大きな獣の手のようになるとその手はイルフォードの体を素早く掴みあげてしまった。
「っ、ぐ…」
イルフォードは手の中で激しく動いて抵抗するがその拘束は強く、全く取れる気がしない。
「追ってきてることぐらい分かってたわよ」
少しため息混じりにリアナはイルフォードを見上げそう言う。その声色は相変わらず堂々としていて、碧と話していた時の落ち込んだ声とは全く違った。
「そうね。…あんたはどうせ後で死ぬのだろうし、話にでも付き合ってもらおうかしら。」
リアナはそう言って踵を返し、先程まで進んでいた方向に向かってまた屋根を伝って走り始める。
「あ。その目隠しは取ってもらえるかしら?」
そう言ったかと思えば、リアナはイルフォードの目隠しを反対側の羽を変形させて取ってしまった。
「あら。綺麗な緑色の瞳。…あ、下手に逆らおうとか意見しようとかしないでね。私はあんたをいつでも殺せるということを忘れないで」
冷めた目。先程まで碧に好意的だったリアナの表情はひとつもなかった。
「いつでも……」
イルフォードが怪訝な顔をするとリアナはそれに気づいたように説明を始めてくれた。
「私はリアナ・ネフィ。上位と言われてはいるけど……そうね。私さっきたらふく血を飲んだの。お腹いっぱいになるほど。あんたも祓魔師なら知ってるでしょう?吸血鬼にとって血は甘美なものであり増強剤でもあるって。」
そこまで説明してリアナは流し目でこちらを見る。
その視線に何やら意図を感じて、イルフォードはもしやと思う推測を口にする。リアナの視線はそれを誘導しているように見えたからだ。
「今の力は通常より強い、と?」
「そういう事。察しが良くて助かるわ。鈍感な男よりは、気づいてくれる男の方が好きよ。私」
そう言ってリアナは少しばかり楽しそうに笑う。
そうしていると到底人を沢山殺したようなものには見えないがそれが吸血鬼というものなのだと知っているイルフォードは警戒の表情を解かない。
「つまりね。私、いつもより強いの。てことはね、私今、最上位ぐらい強いのよ」
最上位というものが何を意味するのかは分かっている。
それがどれだけ強く、強大な存在であるかも。
それが目の前にいるという事実にイルフォードは表情を僅かに驚きに染め、再び警戒の色を強める。
「あら、そんな警戒しないで。私は今すぐあんたを殺そうってわけじゃないの。他にやりたいこともあるし……ねぇ、あんた名前は?」
「……イルフォード・ウーリッジ」
「そう。イルフォード、私と少し手を組まない?」
予想外のその言葉にイルフォードはその緑青色の瞳を見開いた。

✣✣✣

「…煉霞…二重人格って…」
アリクレッドは理解できないと言いたげな表情をしながら横に立つ煉霞の顔を覗き込む。
煉霞はアリクレッドに少し視線を送ってから下唇をぐっ、と噛み「その…」と意を決したように説明をするため口を開いた。
「ここに来るにあたって、俺はまだ吸血鬼のことを殆ど知らなかったので、その、資料や報告書を読み漁ってきたんです。その時、ノクスさんの報告書や資料に不可解な点がいくつもありました。」
そこまで話すと先程までこちらに大した殺意も向けていなかったノクスが目を見開き戦闘態勢を取る。
その殺気に反応し煉霞はびくりと体を震わす。
アリクレッドもこれを見過ごす訳には行かないのでフォークを片手に取り煉霞の前に立つ。
「ひとつ……ノクスさんとは別に、名前が不詳のノクスさんとそっくりな見た目をした吸血鬼が、目撃情報に上がっていました。」
煉霞が震える声でそう説明するとノクスはその言葉を聞き終わる前に片手に持つ槍を思い切り投げてくる。
アリクレッドはその槍を素早く捌き、同時にガィンッという金属が擦れる音が響く。
「ふたつめ、…そのノクスさんそっくりの吸血鬼は、見た目こそ似ていたものの白髪と赤色のグラデーションの髪をしていたそうです。」
槍と共にいつの間にかこちらと距離を詰めていたノクスは手をマスクに引っ掛ける。
ノクスの能力を知っているアリクレッドはノクスが言葉を発する前に、ノクスの懐に素早く踏み込む。
そして能力で歪め、相手に向かって刺さるように尖らせたフォークを下から顎に向かって振り上げた。
その攻撃はビッ、という音と共にマスクを引き裂き、同時にノクスの皮膚にも傷をつける。
「…っ、…ァ……かひゅ…」
咄嗟に仰け反って避けたノクスだったが僅かに間に合わなかったようだ。上位とはいえ近接が得意では無い吸血鬼なのだから仕方ないと言えばそうなのかもしれない。
ノクスはアリクレッドを視界に入れた瞬間目を見開き驚きのような息を吸う。そして地面を強く蹴って飛び上がり空を舞った。
空にいかれては話ができない。そう思い煉霞が狼狽の色を見せたがノクスの目にはそんなことひとつも写っていないように何やらブツブツと呟いている。
顎の下辺りの怪我を擦るように引っ掻き、なにかの言葉を繰り返している。その姿は異常という他なかったが、煉霞の目には不思議と恐怖は無かった。
「汚ェ汚ェ、あぁ、っ、あぁ゙、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!!!!!」
何かを呟いていたかと思えばノクスは頭を抱え絶叫を始める。
その音はビリビリと空間を引き裂くような、悲痛な声だった。
マスクが僅かに裂けただけで良かった。ノクスの能力は麻酔に近い。そんなものを聞いていたら煉霞もアリクレッドもここで眠り、ノクスのいい餌になってしまっていたところだった。
煉霞は絶叫するノクスに何か言葉をかけようと手を伸ばす。しかしそんな間はなく、ノクスの視線はアリクレッドに向いてしまっていた。
「この、っ不潔女ぁ゙!」
我を忘れたようにノクスはその手に持つ槍を投げアリクレッドと素早く距離を詰める。
アリクレッドが危ないと脳が認識するより先に煉霞はアリクレッドの体を引っ張り自分より後ろに投げた。

ノクスは投げた槍を持ち直し素早く下から振り上げる。
アリクレッドに当たると思ってのことだったがその攻撃は間に割って入った煉霞に当たった。
肉が引き裂ける感覚と共に骨に当たるような重い感覚が槍を通して手に伝わる。
しかしノクスはそんなこと気にせず思い切り槍を引き抜こうと引っ張ったが深くまでくい込んだ槍はそう易々とは抜けてくれない。
そう思った時には既にノクスの体は煉霞によって蹴り飛ばされ槍からは手を離していた。
「っ、は、…ぐ、っ……」
ふらつきながら煉霞は突き刺さった槍を抜き、投げ捨てる。
痛みになれていない煉霞からすれば耐えられないほどの激痛に意識を飛ばしそうになるが、敵を目前にしているならいつ何時でも意識を飛ばしてはならないと耳にタコができるぐらい教えられたことなので必死に痛みを堪える。
「っ、ふ、…」
血がぼたぼたと流れ落ち、煉霞の視界はぐらぐらと揺れる。
視界に入るノクスは蹴り飛ばされた後少し動かなかったがすぐさま立ち上がりまたなにか叫んでいるように見える。
あぁ、もう耳すらまともに聞こえない。
「アリクレッド、さ、…にげ、…」
そこで煉霞の意識は途切れた。

「汚ェ汚ェ、汚ェ、殺す、殺す、殺す殺す殺す死ね死ね死ね死ね、ぶっ殺す」
ノクスは目を見開き、呪詛のようにそう呟くと次はアリクレッドに目の焦点を合わせる。
瞬間、煉霞に突き刺さっていた槍はひとりでに動き、煉霞の体からずるりと抜け、ノクスの手元に戻る。
「っあ、…」
アリクレッドは倒れた煉霞に対し非常に心配そうな視線を向けるが、ノクスから明確な殺意を向けられていることに気付き再びフォークを持ち直し応戦しようとする。
しかしノクスの動きは先程よりも遥かに早くアリクレッドの懐に入り、その槍を振り上げるのも、到底目では追えなかった。
振り上げられた槍を振り下ろされる瞬間を眺めることしか出来ない。そう思った直後、赤い瞳がノクスの腕を絡め取り思い切り横に向かってノクスの体を飛ばした。
「…ん?…おぉ、面白い体をしてるようだな、貴様。名は?」
先程倒れ臥した煉霞の体が楽しげにそう笑いその片手にはスローイングナイフ。
煉霞の血が滴っていくと、それは薙刀へと形を変えた。
アリクレッドからすれば、彼との対面は2度目だった。
前回は名をなんと名乗っていたか。必死に思い出す。
「…あな、たは、……」
「…ふむ…?小娘如きがなぜ我を知っている?…」
アリクレッドが前、薄れゆく意識の中で彼は声高に笑っていたことだけは記憶している。彼は赤い瞳をこちらに向け怪訝な表情をする。
その一挙手一投足には強者の風格のようなものを感じた。
「…えっ、その、前見て…」
なんと答えるべきか迷ってやっと答えたのがそれだった。
アリクレッドはその場にいた誰よりも理解出来た。目の前の彼が到底上位の枠で収まる吸血鬼では無いことを。
「ふむ…そうか。名を呼ぶのは構わんが、呼び捨ては許さん。炎楼様と呼べ。…さ、そっちの童も名を名乗るといい。我が直々に遊んでやろう」
勝ち気な表情で炎楼はそう言うと倒れ伏しているノクスにどんどん近づいていく。
ノクスは、と言えば自分の先程裂けた傷口に炎が付いているのに気づいてガリガリと引っ掻きながらそれをどうにかしようとしているようだ。
相変わらずブツブツと何かを呟いている。
「おい。名乗れんのか?」
炎楼がやっとノクスの目の前に来たかと思えばノクスは「ぅあ゙ぁ゙ッ!」と咆哮のような叫び声を上げて槍を振り上げる。
しかしその攻撃は炎楼に槍を掴まれたことで防がれる。
「っくく、ははっ、あははははは!面白いなぁ貴様」
ノクスは炎楼に掴まれた槍を手元に戻そうと引っ張ったりしてみるが全く動かない。
炎楼は、困惑し発作を起こすノクスを眺め、恍惚とした表情をする。
その姿は発作を起こしたノクスよりも異様で、確かに彼ら吸血鬼が悪だと思うのも理解出来るような絵面だった。
武器を失ったノクスは素早くマスクを外し口を開く。
しかしそれも読まれていたようで、炎楼はマスクを外した瞬間、ノクスの顎を蹴り上げた。
「っぐ、…」
小さなうめき声が聞こえてノクスの体は僅かばかり宙を浮いた後、地面に叩きつけられ勢いのまま転がっていく。
少しの土煙が消える頃には炎楼は楽しそうにノクスに歩み寄りノクスの首に手をかけ、ノクスの体を持ち上げていた。
「っか、ぁ゙っ、…っ、は、…」
炎楼の体とそう変わらない身長のノクスの体は、炎楼が首を持ち、腕を伸ばして持ち上げてしまえば、足は地面に着くことなくぷらぷらと空を切る。
苦しげに表情を歪めて、声とは言えない息の漏れ出る音を喉から出して精一杯の抵抗とばかりに炎楼の手をガリガリと引っ掻く。
「はは、ぁははははははっ!苦しいか?命が惜しいか?死にたくないか?生きていたいか?ははははは!可哀想だなぁ?苦しいなぁ?いい、いいぞ。その顔、もっと見せるがいい…!……おっと…?」
炎楼が楽しそうにベラベラと喋っている間にノクスの腕の力は緩み、必死に引っ掻いていた手もだらりと下されてしまう。
「……つまらんな。」
炎楼の瞳は再びつまらなそうになり、ノクスをぱっと手放す。
どしゃり、なんて音ともにノクスの体は地面に投げ捨てられた。
力無く横たわっている姿はどう見たって死んでいるように見えるが、炎楼は執拗にノクスの体を足で触ったりして安否を確認している。
しかし動く兆しがないと分かればノクスの腹元を踏みつけ、ここぞとばかりに服の中身を払拭し始めた。下劣極まりない。そういう他なかった。
「お。あったあった」
その言葉と共に炎楼はノクスの懐から数個の血液パックを取り出す。それには飲み口が付いていて端っこにストローもついていたからノクスの非常食かなんかだったのだろう。
「いやぁ、童の能力は血ありきの燃費が悪うてのう。だから血が欲しかったところなのだ。助かる助かる。」
ケケケ、とでも効果音がつきそうな笑い方をして、炎楼は血液パックをポケットに仕舞い、2つほど手元に残す。
ぱき、という音を立てて血液パックを開封し、飲み口に口をつけながら、炎楼は器用に飲み口を咥えたままもうひとつの血液パックを開封する。
何をするのかと思えば、炎楼は血液パックを傾け自分が中身を飲み込み始める、と同時にもうひとつの血液パックをノクスの顔に向かってひっくり返した。
とくとくと音を立てながらその血液はノクスの顔に向かって落ちていく。
何をしているのだろうか。そんなことをすればノクスが回復してしまう。
アリクレッドのその予想は見事に的中し、炎楼が血液パックを飲み干そうとしたところで事は起きた。
ノクスの髪色が白髪に変わっていく。
毛先の赤色は幾分か明るくなるが茶髪の頃とあまり変わりは無い。
炎楼はそんなノクスの変化を一切見ていないようでごくごくと血液を飲み干している。
その瞬間、下から槍が振り上げられた。
その槍は炎楼の体を横から切り裂くと思うが、脇腹に突き刺さったきり動かない。
槍が突き刺さった脇腹からは勿論血が垂れているが地面に着く前にその血は炎と化し、業火のごとき勢いで燃えて消失する。
「起きたか。童。貴様を待っていたぞ」
これ以上ないほど歪な恍惚とした表情で炎楼が見下げた視線の先には、先程の発作が嘘のように落ち着いた金色の瞳があった。
直後に、建物が崩落するような轟音が響いた。

✣✣✣

がら、と己の肉体の上に落ちていた瓦礫が動くことによって除けられる。
ボクは何度死んだことだろう。
途中で数を数えるのを忘れてしまった。
あぁ、40程だったろうか。
50程だったかもしれない。
いつまで経っても死なない紅永を見てピースはとても楽しそうな表情でこちらに飛び込んでくる。
鎌によって攻撃を防いでもピース後からの圧力は紅永の軽い体を吹っ飛ばす。
何度壁に打ち付けられて死にかけたことだろう。
単純な力勝負では紅永の分が悪すぎることはとうの昔に理解していた。
「操血」
紅永の口がそう唱えると周りにちらばった紅永の流した血がピースに一目散に向かいピースの体を縛る。
「ヌァ!?」
ピースは驚きの声を上げて縛られた腕をグイグイと引っ張ったりして抵抗しているが、糸の形を取った血はビクともしない。
「もう、この辺で。終わろうか」
紅永はピースに向かって鎌を振り上げる。
「遊戯は終い、だ、ぁ、……?」
殆ど爆発音のような銃声が響いて横から紅永の体を銃弾が貫く。
紅永はバランスを崩し、ぐらりと地面に倒れた。
「おし、!星那!いけ!」
それは紛れもなく白華の声で、その声に反応して星那のハリのある返事が響く。
ピースはその言葉が全く耳に入っていないようで特に気にもせず血の拘束を解くことに熱心だ。
紅永は動こうと思い体に力を入れるが痺れて体が動かない。打ち込まれた銃弾に痺れ薬でも仕込まれていたのではなかろうか。
そんなことに思考をめぐらせた瞬間、目の前の鎌を星那の手によって奪い取られる。
「えっ、ちょ、これ重…!?」
星那が困惑した声を出す。
重たい鎌を持っているためか先程のスピーディーさはなく、よたよたと必死に走っている。
そんな中、紅永は先程の一瞬の体の痺れが薄れてきたため素早く体を起こす。
鎌を取り返さなければ。
「身体強化・中」
紅永はそう呟いてから地面を思い切り蹴る。
石畳の地面には余波でびしっ、と微かに亀裂が入るが紅永はそんなこと構わず到底人とは思えないスピードで星那との距離を詰める。
「えっ、あっ…!きゃっ!」
気配に勘づいたのか星那はぱっと振り返りとんでもない形相で追いかけてくる紅永を視界に入れると小さく悲鳴をあげる。
紅永が星那から鎌を取り返そうと手を伸ばすがその腕はナイフによって絡め取られた。
「オマエ、…!」
先程までディーバと戦っていたはずの正のナイフは紅永の腕にくい込み、鈎はしっかりと紅永の肉に引っかかっていた。
「かかりましたね」
そういう正の表情は愉悦を感じているのか口角が上がっていた。
正は躊躇うことなくくい込んだナイフを紅永の腕に走らせその肌を引き裂く。
それはナイフで肌を切り裂くような鋭い音ではなく、肉を引きちぎるような鈍い音だった。
「…っ゙、ぎ、ぁ゙あああああ゙っ!」
紅永の絶叫が響き、正は尚嬉しそうな顔になる。
容赦なく引き裂かれていく肌を見ながら紅永も黙っている訳には行かない。絶叫を上げたものの、それをぐっと押しとどめ呻き声へと変えたと思えば、ピースを拘束していた血を使って正を縛り上げ遠くに投げ付ける。
「はっ、はっ、は…」
腕が焼けるように痛い。熱い、痛い、痛い、痛い。
どうやら筋肉も一緒に引き裂かれたようで腕はピクリとも動いてくれない。
それなのに血はばたばたと地面に落ちていく。
そこで正の相手をしていたはずのディーバが何故居ないのかと思い当たる。
素早く周りに視線をめぐらせると、ディーバは地面にばたりと倒れていた。
何故、負けたのか?正に?
そんな信じられないような事実が頭をよぎり、紅永は痛みに耐えながら必死に思考をめぐらせる。
しかし、仲間よりも手元になくてはいけない鎌が無いことで紅永の余裕はすっかり無くなっていた。
ぱつんっ、とタガの外れる音がした。

✣ほんの数分前のディーバと正✣
戦況はディーバの方が優勢だった。
ディーバは射程がある分、正と距離を置き狙いを定めて徐々に正を追い詰めて行った。
ただ、少しの侮りがあったことを認めよう。
ディーバは侮っていた。
人間が自分より弱い生物であり、手加減をしなければ軽く死んでしまうということを理解していた。それがあだになった。
疲弊しきって膝をつく正に、ディーバは問うた。
「人間、なぜ私達と敵対する?勝てないことは分かっているだろう」
「……僕がそれに答える義理とかあります?」
息も絶え絶え、しかもディーバの攻撃を受けて出血を伴っているにも関わらず正の軽口は変わらない。
ディーバはため息混じりにそのマスケット銃の銃口を正へと向けた。
「…もう少し、賢明な判断が出来ると思ったんだがな」
「それは僕のセリフですよ、ディーバ・アナーキー」
「は、」
ディーバは銃の引き金に手をかけ、それを引いた。
確かに、ぱんっと発砲音が聞こえた。
しかしその弾は正の顔の横を掠り、正に当たることなく地面に刺さる。
獲物を仕留める瞬間が生物の最も油断する時。
それは戦場に身を置くものなら知っていてもおかしくはない知識。
だがそれは強大な力を持っていたディーバには知る機会もない知識だった。
弾を避けた正は間髪入れずマスケット銃を横から殴ると気が動転したディーバは反射的にそのマスケット銃を手放してしまう。
ディーバが慌てた時にはもう遅く、正の瞳はもう眼前まで来ていた。
がつっとナイフの持ち手でディーバの頭を殴るとディーバの脳はぐらりと揺れ、体を支える術を無くす。
地面に倒れたが、ディーバはすぐさま立ち上がろうと腕に力を入れ体を持ち上げようと思うが、その行動は正に腕を踏まれ阻止された。
「ぁ゙ぁっ゙!」
続いて撃ち抜かれた太腿を正は踏み付け、そして言った。
「本当は、もう少しいい表情を見たかったのですが……時間がありませんので、これで退場と行きましょうか。」
そう言ってナイフを振り下ろした時、白華が放った銃声が聞こえ、正はピタリと止まる。
何故と思ったが止まったのも束の間、正はポケットから催眠ガスの入った缶を取り出し蓋を開けディーバの横に転がす。
「お前の、貴方の相手をしている暇は無いようです」
そう言って正はディーバに踵を返すと鎌を奪われた紅永の方に向かって走り出した。

✣✣✣

絶叫。苦しみの声。
「あぁぁぁぁ!!返せ、返せ、返せ!それは、ボクのだ!!!!!」
血走った瞳で紅永は星那の抱える大鎌を見、鼓膜を破らんばかりの叫び声をあげる。
その行動に、星那は恐怖を覚えるがそんなことは構っていられない。
重たい大鎌をぎゅっと強く抱きしめると星那は紅永に背を向け、必死に走った。
同時にその鎌の記憶を読む。
もしかしたら鎌に弱点の情報があるかもしれないと一縷の希望を抱きながら。

紅永は走り出した星那に向かって一直線に進もうとする。
しかしその前には正が立ちはだかった。
「…貴方の相手は僕ですよ」
「……邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ!!!!」
紅永の腕から滴る血が突然鉄に変わり、紅永の身の丈に合った剣となる。
正が少し身構えるとその直後に後ろからピースがとんでもないスピードで飛んで来た。
その上、紅永の頭を後ろから地面に叩きつけるように殴り飛ばす。
バキャァッ、なんて音がして紅永の脳髄は地面に突き刺さった。
しかし、紅永がこの程度で息絶える訳もなく少し土煙が収まった時に紅永は地面から頭を出し、顔を上げる。
腕の傷はさっきまで血が垂れていたのに完治していた。
「オウッ!?ケガ!ナゼ消エタ!?」
正の横にいたピースが困惑の声を上げたが正は理解していた。その能力のカラクリも、正にとって、紅永が最高のサンドバックであることも。

✣一方白華✣

「ちょっかいをかける余裕があったのに、今はやけに必死ですね。」
そう言ってルアは弓を引き、白華に数発打ち込む。
「元々必死だわ!っち、勘弁しろよ…」
白華は打ち込まれた矢をひょいひょいと避けるがそれも消耗してきた体力ではあまり間に合わず数発掠る。
「…くそ、…」
上がった息を整える暇もない。
持久戦に持ち込めば白華が不利なことは明確。だからこそルアとは早急に勝負をつけなければならなかった。
しかし白華の持つ武器は殺傷能力に長けた武器ばかりで手加減をするにも当たりどころを間違えれば命に関わる。
それはなんとしてでも避けたい。
戦いの間、団員が有利になるようにと必死に頭を回し援護していたものの、横では紅永の咆哮が聞こえる。
悪い方向に行ってしまったようだ。
あちらの方も何とかしなければ。
どんどん考えることが増え、集中が阻害されていく。
限界だろうか。
セレイアの体を傷つけずに撤退させることは、出来ないものだろうか。
ガシャコンッ、と白華の後ろから突然銃のリロード音が聞こえた。
不思議に思い、後ろを振り返るとそこには雪花がいた。
雪花を視界に捉えた直後、雪花はその手にあるリロードした銃の引き金を引いた。
パシュッと普通の銃から聞こえるには少し小さめの銃声が響いて、銃弾はルアの体に突き刺さった。
「…っ、こ、れは、…」
「即効性の麻痺毒だ。本来私は戦闘要員では無いのだが、君のことは生け捕りにするべきかと思って準備してきたんだ。」
そう言って雪花は体が痺れ、動けなくなったルアに一歩一歩と近づく。
こつ、こつ、とハイヒールの音が道に反響する。
「も、しわけ、ありま、せ、…こ、う、よう、さ、ま……」
捕まると観念した時、バキッと地面が割れる音と共に雪花とルアの間の地面が横からの風圧によって断絶された。
「何する気だ。」
それはどうやら紅永の一撃の余波だったようで紅永はこちらをぎろりと睨んでくる。
「どうやらオマエ達はボクを舐めているらしいな?……ボクのモノに手を出すとは、いい度胸をしている。
…死を持って償うといい。」
片手に剣を構えた紅永はこちらにビシビシと殺気を当て、そう言う。
相手をしていたピース達は、と紅永の後ろを僅かに覗き見るとなかなかワイルドな出で立ち、というか致命傷こそないものの傷も多く特位相手によく善戦したと言えるレベルにまで負傷していた。
あぁどうやら、紅永のことはこの場の全員で対処をしなければならないのだろうな、と。白華は心の中で諦めにも似た感情を持った。
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