第6章
聞こえる。
轟音。
叫び声。悲鳴。
それから、少しの静寂。
「その子、殺して?」
跳ねるように柔らかい少年の声。
しかし声と反して言うことは物騒だ。
殺す。殺すって誰をだろう。その子って一体。
そこまで思考が至って、自分の首に冷たいものが当たっていることに気づいた。
あ、れ。……もしかして。
銃声が響いた。
銃声と言っていいのかは分からない。どちらかと言えば爆発音に近い。きぃんと耳鳴りがした。
首に当たっていた冷たいものが離れる感覚がして、体から力が抜けて、そのまま地面に崩れ落ちると思った。
でも予想していた冷たい地面とは違う温かさに、その体は抱きとめられた。
星那はゆるりとその瞼を持ち上げる。
「大丈夫か…!?」
思ったより近い位置にあった顔と視線がかち合う。
彼は…
「白華…さん…」
緒環のボス、白華だった。
だけどいつもと違うことがひとつある。
眼帯が無い。
一体何故。
それを問おうと口を動かそうとした瞬間、星那は自分が戦いの最中にいることを思い知った。
「っ、ち、…」
突然降り注いだ剣撃に驚きながらも白華は星那を抱えたままそれを軽々と避ける。
そして素早く後ずさり剣撃を繰り出したらしい人から距離を取った。
星那も白華が真っ直ぐ見つめる敵が誰なのかと、視線を移し視界に入れるが、そこには信じられない人が立っていた。
「セレイア……さん…」
「皆さん、私を見るとセレイアと仰いますが一体…どちら様ですか?」
怪訝な顔を浮かべるセレイアは当然のように有り得ないことを言い放った。
「F○○k youデス!!!!」
その声とともに建物が破壊される轟音が響く。
ガラガラと瓦礫が地面に落ちる音が聞こえて、そこには少年が横たわっている。
横たわっている少年はすぐさま起き上がりピースを視界に入れる。その瞳は空虚で、戦いを楽しんでいるように見えた。
「お前。強いアクマ。ケド、ナゼ傷デキナイ?」
たどたどしいながらもピースは紅永に言葉を投げる。
戦いに言葉は不要と分かっていても、ただ殴られっぱなしで抵抗もしないのに笑っている紅永は誰が見ても不気味で、思わずピースはそう問う。
「いやぁ?傷ができないわけじゃないよ。治ってるだけで。……でも君のそれ、ナックル。スノードロップだから痛いね。…肌が爛れちゃうよ」
「タダレル…?」
外国から来てまだ日が短いピースにとってはその言葉が分からなかったようで首を傾げる。
だが、紅永はそれを気にも止めずに身なりを素早く正すと軽く嘲笑うような表情を見せる。
「来なよ。キミは良い遊び相手になりそうだ」
どうやら紅永はピースの遊び相手になってくれるらしい。戦闘狂にとってはこれ以上ないほど嬉しい提案にピースの思考は全て紅永に持っていかれた。
特に考えることなくピースはその拳を強く握り直し能力でナックルを硬化させる。
思わず上がる口角を抑えることなくピースは紅永に殴り掛かった。
「この前ぶりですね。あの時はお世話になりました」
そう言って年齢にそぐわぬ話し方で流暢に話すのは正だ。
「お前こそ、また私に倒されに来たのか」
「いいえ」
「…?…っ!」
ディーパが余裕を繕った表情でそう言ってみるが正は何一つ動じず素早く返事をしたと思った瞬間、懐に飛び込んできた。
「同じ技には引っかかりませんよ。」
マスケット銃で振り上げられた正のナイフを咄嗟に受け止め、サッと正の手にディーパは手を伸ばす。
しかしそれは見切られていたようで、正も素早く手を引っ込めてしまう。
ディーパは舌打ちしそうな気持ちを抑えてマスケット銃を持つ手に力を入れると、正の攻撃を迷いなく弾き返した。
同時に後ろに引こうと考えるが、足に力を入れれば先程白華に撃ち抜かれた左足から血が溢れ出し、じくじくと痛む。
引くのは無理そうだ、なんて頭の中で結論付け正との戦いに集中する。
片足を負傷した状態で竜胆のボスである正の相手をするのは難しいとわかっていても、紅永が横にいる以上、ディーパに逃げるという手段はなかった。
同時刻、縁・アーナ・ルーカスの向かう西方面
特に能力を使う必要もなく、仁と緋緒は着実に人間に手をかけながら血濡れの道を進む。
グレーだったタイルはもう半分以上が赤色に染まっていた。
仁は少し人を可哀想に思いながらも、流れる血に対して美味しそうだなんて1ミリも思わず緋緒と共に歩を進める。
先程から緋緒は殆ど話さない。
特に居心地が悪い訳でもない静けさを感じながら2人は並んで歩いていた。
「あっ、」
「……おっと、」
静けさを破ったのは突然の緋緒の声で、緋緒はどうやらなにかに突っかかったらしくふらりとバランスを崩す。
仁は慌てて緋緒の腰元に腕を回しふらついた緋緒を支えた。
一体何に突っかかったのだろうと疑問に思いながら仁は緋緒に「大丈夫ですか」という気遣う言葉をかけながら足元に視線を落とす。
そこにはタイルの間から足を引っ掛けるためだけにあったであろうツタが覗いていた。
不味いと直感的に気づいた時には遅かった。
もう彼の術中だ。
ずるっ、と音がしたと思えば四方からツタが素早く伸びてきて緋緒と仁を檻のように囲った。
術士が何処にいるかなんて確認する間もなく仁は腰の刀を抜刀する。
これは紛れもなく、煉霞と居た男の能力だ。
檻のように絡まったツタに、仁は刃を突き立てる。
その行動と同時に、上からこれまた聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
「ぎゃはははははwwwお前やっぱバカだろー!!」
その声に反応して仁はすかさず顔を上げる。
来る、と思った頃にはそこに居た。
仁達を囲うように張り巡らされたツタは声の主であるルーカスを受け入れるように解かれ、ルーカスを檻の中に飲み込む。
ルーカスはわかっていたように檻の中にふわりと降り立つと、姿勢を整える間もなく腕の双剣を振るった。
「ん、ぬ…ぐっ…」
ガィンと金属がぶつかる音が響く。
仁が慌ててルーカスの攻撃を刀で受け止めたのだ。
ぎり、と刀が押されるが負けていられない。
なんてったって後ろには緋緒がいるのだ。
「仁、避けてくれよ」
後ろの緋緒が突然そう声を掛けてくる。
避ける?と少し疑問に思うがこの土壇場で思い浮かぶ避けることと言えば。
もう言葉を交わす必要もなかった。
仁は力を振り絞ってルーカスの双剣を弾く。
「んわっ!」
ルーカスが驚いた顔をした刹那、その顔は血に濡れていた。
緋緒によってぶちまけられた血はルーカスの肌を濡らし、明確に薔薇の形を取っていく。
「ぁ…ぁ゙あ゙あ゙!!い゙だい゙!ぅ゙あ゙ー゙!!」
耳を劈くような絶叫が響く。
ルーカスは呻き声を上げ、錯乱したのかその双剣を無闇矢鱈に振り回す。薔薇の血液を拭うようにじたばたと暴れるが、それが取れることは無い。
だが、大して広くもない檻の中で無茶苦茶に刀を振り回すものだから仁も緋緒もジリジリと端に寄せられていく。
「縁。僕もあの中に入れてくれ」
「えっ」
ルーカスの挙動がおかしいのは兎も角として、いい感じに押しているのに何故。と縁は思う。
2人は今ビルの屋上にいる。先程までルーカスも居て、ルーカスは縁が設置した檻の中に飛び込んだ後だ。
そしてこの提案をしたのはアーナ。ルーカスが心配なのだろうか。2人は幼馴染らしいのでそういう面もあるのかもしれない。
この作戦を提案したのは縁であるから、アーナの提案を却下することは出来る。だけどそうするのはどうも忍びなくて縁は困惑の言葉の後につい「気をつけてね」と言ってしまったのだ。
突然、仁は背中から引っ張られるような感覚に襲われた。
ぐい、と思い切り引っ張られて一瞬緋緒かと思い霧化することすらしなかった。
それがアーナの手であったとも知らずに。
小さくぱきぱき、と自分の服が風化する音が聞こえて掴まれた赤いパーカーは、掴まれた部分だけ溶けて無くなった。
「え」
驚きに染まる視線で仁は後ろを振り返る。
そこには人の半身が通れるほどの穴が開けられ、その穴からアーナの瞳が覗いていた。
ふつふつと怒りに滾らせた視線だったことを仁は忘れることは無いだろう。
一方その頃、鉄紺・イルフォード・碧 東方面
イルフォードの能力を使い、鉄紺と碧は足音の気配を消しつつ吸血鬼を捜索していた。
それが功を奏したのか吸血鬼は足音に気付くことなく悠長に歩いていた。
ぴちゃ、ぴちゃ、と足音を立てながら吸血鬼であろう女性は地面にぶちまけられた血を踏みしめる。
その姿は異様にゆったりとしていて本能的恐怖のようなものを感じた。
物音を立てないように3人はそれぞれ武器を取り出し体制を整え吸血鬼を睨む。
道の一直線上にいる女性の吸血鬼は碧の能力の格好の餌で碧は少し心の中でいけると思った。
だが誰かを確認するのか忘れていた。彼女のことはもう知っていたのに。
碧はイルフォードと鉄紺と目配せをして札を投げる。
背中を向けているからそのまま当たるかと思ったがそんなことは無かった。
吸血鬼がくるりと振り返った時、地面に滴っていた血は形を取り札をばちっと叩き落とした。
札に触れた血はじゅわ、と音を立てて僅かばかり蒸発する。
形を取った血溜まりがぱしゃんと元の液体に戻って、吸血鬼の顔が見えた。
紛れもなくリアナだった。
「あら。碧ちゃんじゃない。もう着いたの?」
当然のようにリアナは首を傾げ血溜まりを横切るようにこちらに歩いてくる。
そこで碧はフェールデのことを思い出す。
リアナは最初からやたら好意的だったが結局のところ吸血鬼だ。だからこそ、これだけ人が死んでいても動じない。それが当然であるのだから。
フェールデも近づいてきた理由は碧を食らうためだった。そして碧の絶望した顔を見るために好意的に接してきた。
結局、吸血鬼はそういうものなのだ。
リアナはフェールデとは違うんじゃないかと少しだけ思っていた。それは碧の期待に過ぎなかった。
「あら!そこの可愛い子は…?和服もボブカットもよく似合ってるわね〜!」
靴以外にこれといった返り血もつけていないリアナはにこにこしながらこちらに近づいてくる。
ペラペラと話す口は止まることを知らない。
可愛い子、というのは鉄紺のことだろう。
「…やっぱり、あんたもそうなんやな。」
ぽそりと碧は呟く。
「……ん…?…どうしたの?碧ちゃん」
近づかないで欲しかった。
昔のように取り入ろうとして嫌な思いをするんじゃないか。そんな恐怖が碧の中を渦巻いていた。
「…あんたも他の吸血鬼と一緒なんやなって。」
「…え、……なに、それ…」
「なんでこないに人を殺したん?」
正当な理由があっても許すことが出来る訳では無いが碧はそう問う。まだ彼女と分かり合えるのかもと少しでも期待しての言葉だったのか、自分の気持ちに決定打を与えるための問いだったのかは、もう忘れてしまった。
彼女からの返答は端的だった。
「……どうでもいいんだもの。」
「…なん、それ。」
無垢な瞳でそう言われて碧は理解が出来なかった。
やはり彼女にとって人を殺すとはさほど重要なことでは無いのだ。些事、そう。本当に些細なこと。
「だから、興味無いのよ。興味が湧かなかったから殺した。…それだけよ。そりゃあ可愛い女の子とかは殺さないでおこうかなって思うわよ。可愛いんだもの。…だけどこの人間たちは可愛くもなければ優しくもない。興味が無いのよ。」
先程より冷めた瞳。
今まで碧に向けられていた楽しげな瞳は無い。
「ところで。それ私があなたに話す必要あるかしら。」
今度は確実にこちらに向けられた冷たい瞳。
碧は一瞬の狼狽を見せるがリアナが言うことは当然ではある。
元々リアナと碧は敵同士なのだから、こんな問いに真面目に返す理由は無い。
そこまで思考が至ると碧は再び臨戦態勢となる。
それに合わせるようにイルフォードも鉄紺も再び武器を構え直す。
リアナが両腕をだらりと垂らした瞬間、3人は地面を蹴りリアナに襲いかかる。
碧はできるだけ血に触れないように大回りする形で走り、鉄紺は上に飛び上がりその薙刀を振り下ろす。
イルフォードも鉄紺を避けるような最短経路でリアナに近づき、そのナイフを振り上げた。
その瞬間。瞬きをする暇もなかった。
鋭利な形をした血液が3人の喉笛に突き刺さるか刺さらないかのギリギリにあった。
「興醒めよ。……どうやら私が間違ってたみたい。」
生き生きとした瞳はナリを潜めて暗く鬱々としたリアナの瞳が視界に入る。
「人間だって、私の話を聞いてくれる人と巡り会えれば分かり合えると思ってた。今までは私の主張なんて聞かずにみんな襲いかかってきたから。……だけど、会話をしても変わらなかった。…無意味ね。」
無意味、そう言った時、リアナの瞳の色が変わる。
鬱々と暗かった瞳が赤くギラつく。
攻撃が来る、と思い身構えるがリアナの瞳は再び無関心そうなものに変わり、リアナは踵を返した。
ぴちゃ、と血溜まりを踏む音が聞こえる。
瞳だけ動かしてリアナを目で追う。
リアナはこちらに背中を向けて悠々と歩いていた。
というか帰っている。
相変わらず警戒心は無いのかと思うがそんなことを心配している場合では無い。
碧は喉笛に突き刺さるようにある血の針を避けるように屈み札を投げる。
その時、血の針に髪を引っ掛けてしまいぶちっと髪が数本切れる音が聞こえるが気にしている暇は無い。
投げた札は真っ直ぐリアナを刺すように進む。
だが、その札にはあっさり気づかれひょいと避けられた。と思った瞬間、碧の横の血溜まりから槍のような形をとった血がびゅんと出てくる。
さっと避けるが引っかかった髪のせいで思うように動けない。
髪が長くて不便なのは前からあったことだが、その瞬間はあまりに邪魔すぎた。
突き出てきた槍の攻撃を避け、わざと髪に当たるようにする。
髪が刃物にあたり引きちぎれる音がして、碧の身は軽くなる。
はらりと髪束が落ちたがそんなことは気にしてられない。
碧の身のこなしを見てイルフォードも鉄紺も素早く身を引き、リアナの血の針から逃れた。
「はーぁ。……つまんない。…せっかくの可愛い女の子も私に殺気立ってるし、…はぁ」
リアナはそう呑気に言ってため息を着く。
再び背中を向けるとリアナはさっさと歩き始める。
「待てっ…!」
鉄紺が呼び止めようと手を伸ばせば、リアナは路地裏の横で止まった。
「コバルデ。あんた何時までそこで見てる気?レディを助けるのは紳士の務めでしょ?」
蔑みの目を路地裏の方に向ければ、路地裏からにゅっと細長い男がでてきた。
「おやおや、バレていましたか。…眺めていたのではありませんよ。機を伺っていたのです。リアナ嬢。気分を害したなら申し訳ありません」
コバルデはニタニタと気持ちの悪い笑みを崩すことなく、心にも思っていなそうなことをペラペラと喋る。
「…はぁ、気持ち悪い…あんたちょっと、試験管とか貸しなさいよ」
リアナもサラッと暴言を吐きつつその手を差し出す。
コバルデは事態を把握していないようで珍しく若干不思議そうな表情を見せた。
しかし特に逆らう理由もないため空の試験管をそっと渡すと、リアナはそれを奪い取るように受け取る。
片手で試験管を持ったと思えば、リアナは器用に試験管の上に指をかざし、その皮膚を切り裂いた。
ぼたぼたと試験管の中にリアナの血が溜まる。
ある程度血が溜まるとリアナは能力でその傷口を塞ぎ、コバルデに試験管をつっ返す。
「あげるわよ。私の血。…私の血を使うのは構わないけど変なことに使わないでよね。あと私の醜聞を流すとかするんじゃないわよ。やった瞬間あんたの首が飛ぶから」
冷ややかな目でそう告げながらも試験管を引っ込めるような真似はしない。
コバルデはあまりに珍しいことに面食らうが、今を逃せば血を貰えないことに瞬時に気付き丁重にリアナから試験管を受け取る。
「ありがとうございます。リアナ嬢」
にたにたと笑う顔はいつもより嬉しそうに見えた。
「じゃ。そっちはよろしくね」
そう言ってリアナはひらひらと手を振り飛び立つ。
直後に少し前にも聞いた鉄紺の怒号がコバルデの耳に届いた。
「コバルデ!!!貴様!!」
「鉄紺さん…!?」
あまりに素早い鉄紺の代わりに身に碧が驚きで少したじろぐ。
しかし横にいたイルフォードはそれに対して全く動じず、鉄紺がコバルデの元に飛んで言った後的確に指示を出した。
「碧くんは鉄紺さんと一緒にいて欲しい。何かあったら止めて。僕はあの赤い目の吸血鬼の相手をする」
イルフォードはもうだいぶ屋根の上を駆けて行ってしまったリアナを睨みつけるように見ると、そこまで伝えると走って行った。
アリクレッド・煉霞 南方面
「そういえば、アリクレッドさん、服替えたんですね?似合ってます」
そう言って呑気に笑うのは煉霞。
戦場にいるとは思えない呑気さである。それが彼の利点でもあるのだが。
「!そうなんだ!最近暑くなってきたから夏仕様の俺ちゃんだぜ〜!」
ふふんと嬉しそうに笑うアリクレッドを見て煉霞は思わず笑みが溢れる。
今日のアリクレッドの服装は、いつもの黒いインナーが無くなり半袖のセーラー服を着ていてとても涼し気だ。
足もベルトを交差させたようなサンダルになっており、これまた動きやすそうな作りになっている。
そんなことを思い少し和んでいると、ぴちゃりと水のようなものを踏んだ。
煉霞はこんなところに水?と不思議に思い見下ろす。
だがそれは水ではなく血だった。
「うひゃわぁ!!!!!」
素っ頓狂な声を上げて血溜まりから飛び退き、血が流れてくる方向を見ればしっかりと死体が横たわっている。
さぁっと血の気が引く感覚がして体が震えてしまう。
血が苦手な煉霞にとってはあまりにショッキングな状態だった。
「煉霞!?大丈夫か?」
アリクレッドは心配したようにこちらに駆け寄り煉霞の頭を撫でたりよしよしと背中をさすってくれる。
俺なんかのために手を煩わせてしまって申し訳ない。そんな罪悪感のような申し訳なさを感じながら煉霞は息を落ち着かせることに集中する。
集中している時、ふと何かが引っかかるような感覚がした。吸血鬼の匂いだ。
煉霞は能力が覚醒した一件以降、吸血鬼の匂いに聡くなった。神経が研ぎ澄まされた感覚と言ったらいいのだろうか。
前は何だか邪魔されているようで吸血鬼の反応も上手く捉えられなかったのだが、成長したのだろうか。
そんなことを思考の端に追いやりアリクレッドの体を少し押して距離をとる。
「吸血鬼の気配が……」
そう言って周りを見渡してみるが全く人影は見当たらない。むしろ死体が転がっているのを余計に見るだけだった。
「うぇっ……」
「煉霞ぁ!」
蹲りそうになるほどの目眩をぐっと抑えて煉霞は体勢を立て直す。
駆け寄ってきたアリクレッドに大丈夫ですとだけ告げ、吸血鬼の反応の方にゆっくり歩き始める。
「ほんとに平気か?大丈夫か?」
心配げな顔をしてくれるアリクレッドの優しさにだいぶ感動を覚えながらも煉霞は歩を進める。
「平気ですよ。それに、血に慣れなきゃいけませんし…吸血鬼のいる方に近づきますから気を付けてください」
そう言う煉霞の顔色はドブ色と言っていいほど悪いが本人が頑張ると言っている以上アリクレッドは止める手立てを持たなかった。
少しずつ歩いていく。曲がり角を曲がりその後少し開けた道に到着すると人影はあった。
息が詰まるような威圧感に明確に吸血鬼だと分かる。
男のようだ。男の吸血鬼はしゃがんで人間から血を採取しているようだ。
ごそごそと何かやっている。後ろ姿なので何をしているかまではしっかりと確認できない。
アリクレッドがフォークを構え、臨戦態勢になったところでその吸血鬼は振り返った。
真っ赤な瞳と黒色のマスク。赤茶気味の髪色はどこか見覚えがあるような気がする。
「あ、っ。あの、…!」
無気力そうにこちらを見た吸血鬼の瞳がアリクレッドを捉えどん引きの顔をした後、声を発した煉霞の方に向く。
煉霞を視界に捉えた瞬間吸血鬼の瞳はびっくりしたようにぱちりと見開かれる。何故だろう。顔見知りだろうか。
「その、…今何してらっしゃいますか…?」
びっくりした顔を煉霞はほとんど見ていないのか必死にそう言って話しかけている。
吸血鬼、ノクスはこいつは何を言っているんだという顔をするがため息混じりに返してくれた。
「お前に話す意味あるか?」
「えぁっ、…あっ、その……」
明らかにきょどきょどし始めなんだかもう泣きそうな顔をしている煉霞にノクスは疑問を抱く。
武器の装備からして煉霞とアリクレッドのことを祓魔師だと判断し、歯向かうなら殺すかなんて思ったのだがあまりに挙動が怪しすぎる。
アリクレッドはあまりの不潔さに顔を顰めそうになったが問題はそれよりこの挙動不審の煉霞の方だった。
煉霞からは吸血鬼の匂いがする。それも自分と同じぐらいの強さの。
ただ血の匂いがしないから血の類は飲んだことがないのだろう。どこぞの仁と同じだ。
特に襲いかかってくる様子もないなら今すぐここを退場したいところだが、あまりに煉霞が泣きそうな顔をするものだから動けない。
今用がないなら行くとか言った日には煉霞は酷く気に病みそうだ。会って間もないが何となくわかる。そんな気がする。
「……はァ…血を取ってたんだよ。血液パックを作ってな。」
わざわざ説明したがなんだかもう2人を眠らせた方が早い気がした。
「血液パック…?」
不思議そうな顔をした煉霞は恐らく血液パックの存在を知らないのだろう。まぁ使うのはそこまで強くは無い戦闘能力が低い吸血鬼達の話だから知らないのも無理は無い。
だがそれをわざわざ説明するほどノクスは優しくないのでマスクに手をかける。
その瞬間「だめです!」と煉霞が声を張り上げた。
その声に少し驚いてピタリと行動を止め、煉霞に視線を移す。
煉霞は声を張り上げてしまったことに申し訳なさを感じているのかはっと気づいた顔をしてわたわたし始める。
しかし、ノクスの困惑した表情を見た瞬間ぎゅっと唇を噛み締めて口を開いた。
「その、…ノクス・ウラドさん、で……お間違いないですか…」
何故名前を知っているのかは分からない。
しかし滅多に名乗らないウラドの姓を何故知っているのか。しかも祓魔師如きが。
返事をするのが嫌で唾を飲み返事を拒む。
「…その…にっ、…二重人格の操り方とか、知ってますか……」
次に出てきた言葉にノクスは絶句した。