第6章
竜胆アジトにて
「煉霞くんが起きたって本当ですか?」
「あぁ。そうだ。特に体に異常は見受けられなかった。」
縁が雪花にそう聞くとあっけらかんと答えが返ってくる。
「よかった…」
そう少しほっとすると通信機の着信が鳴る。
「はい。」
ぴ、と通信機を操作して耳元に当てると奥から緒環のボスの声が聞こえた。
『縁。俺たちは今から戻って会議を始める。その召集を頼みたい。』
「今から、ですか?」
『あぁ、セレイアが居なくなったのは知っているだろう?』
セレイアと言えば緒環のメンバーの一人だ。そして彼を追った星那も行方知らずなのだ。
「はい。」
『セレイアの足取りがある程度掴めそうなんでな。セレイアの奪還と、星那の救出だ。』
「星那の…」
足取りが掴めそうとはどういう事なのだろう。
まだその情報は何も無かったはずだ。
少し疑問に思うことはあれど、救出作戦を行うようだ。
『集まる時間は夜になるが、今からだと…6時ぐらいに集まれるように招集してくれ。詳しいことは向こうで話す。鉄紺にも同じことを頼んでいる。協力してくれよ』
「分かりました」
そう言って通信は切られる。
「早速始まるようだな」
「…なにが、ですか。」
通信を切ると雪花に笑われる。
その言葉に僅かに体温が下がった感じがした。何故そんなことを言うのか。
「…全面戦争、と言ったところか。いや今もそうなのかもしれんが……」
全面戦争。その言葉に縁は世界が歪んだような錯覚を覚える。
戦争と付けばそれは人の醜さを出す。
結局人はそうなのだと思わざるおえなくなる。
愚かな、生き物。
そこで思考を遮るように、後ろから誰かが歩いてくる音がする。
ふと後ろを向けばそこにはアーナがコップを片手に歩いてきていた。
「アーナ」
「縁か」
その大きな目を少し驚いたようにぱちくりさせながらアーナはこちらを見る。
「…そのコップ…」
「リンゴジュースだ!」
「リンゴジュース……」
あのリンゴジュースは確実にアーナが時々使っているリンゴ100%ジュースだろう。
まぁリンゴジュースと言っても全く市販ではなくリンゴをただ物理で握り潰して作った正真正銘リンゴ100%ジュースなのだが。
「煉霞に渡そうと思ってな」
「煉霞くんに?」
どうやらアーナは煉霞にリンゴジュースを作って持ってきたようだ。可愛らしい気遣いだなと思う。
「あ、」
「なんだ?」
そこでふと思い当たる。まぁ今さっきのことなのだが。
「夜の6時から会議があるから来てね。いつも通り緒環のアジトに」
「会議か?わかった!」
アーナはそう伝えるとこくりと頷く。
「それじゃ。私はこれからこのことを他の人に伝えてこないと。」
縁はそう言って会話を終わらせるとアーナにまたねと小さく言う。
アーナも「またな!」と返してくれた。
そのアーナに踵を返して縁は歩く。
「全面戦争、か……」
一言だけそう小さく呟いてこれから先の鬱々としているであろう未来に思考を巡らせた。
吸血鬼アジト ???にて
「殺せ、って、」
「そのままの意味。殺して?この子」
にこやかにそう告げる紅永は悪魔と言われても遜色がないほど穏やかな笑みを浮かべている。
「出来るでしょ?ディーパなら。」
その言葉が重みを含むものだとディーパは知っている。
「ぁ、あ、…」
必死に返答しようと努力する。
しかしそれは叶うはずもなく小さな呻き声にしかならない。
「ほら、早く」
「っ、あ、」
急かすような言葉。息が詰まる。
早く、早くしなくては。
気ばかりが焦る。
意を決して1歩だけ踏み出した瞬間
カツンカツン、と地下の石畳によく響く靴音が聞こえた。
最後に子気味よくカツンッ!と大きく音を鳴らしてその音は途切れる。
「それ以上はさせないわよ!」
リアナの声だった。
「リアナ…?」
「ディーパちゃんになんてこと要求してくれてんのよ」
リアナはカツカツと再びその可愛らしい靴を鳴らして歩いてくる。
そうして当然のように紅永とディーパの間に割って入る。
「あんたが何考えてるかなんて心底興味無いけど、ディーパちゃん達に手を出すようなら私はあんたの目的を否定する。」
見下ろすリアナは冷静に見えるがひしひしと怒りの気配を感じる。
彼女は、怒っている。
ディーパのために。
私の、ために……
「はっ、いい度胸じゃん。昔からの仲だからって容認してたけど。あんまりボクの邪魔するなら。敵とみなすよ」
紅永がそう言った瞬間空気が張りつめる。
息ができないほどに紅永の気配が充満しディーパも苦しくなる。ディーパが苦しいのだからリアナはさぞ辛いだろう。
早く私を置いて逃げろなんて言っても彼女は聞かないだろうなと思う。
せめて守ってもらったからには私がケリをつけなければと思い人間の女、星那に目を向ける。
私がこいつを殺せばリアナがこんなことする羽目にはならなかった。
そうだ。
「やめなさい。ディーパちゃん。」
強く、優しい声に止められた。
リアナは紅永の空気が充満した場所で、当然のように立っていた。
その姿は異様としか思えない。
「紅永。あんた勘違いしているようだから言っておくわ。あんたのその威圧。私には効かないわよ。」
「は?」
紅永がいつもの声色とは打って変わって攻撃的な言葉を出す。それだけ理解し難いことだったのだろう。
それに効かないとはどういうことだろう。これは生物的本能の恐怖なのでは無いのか。
「あんたのそれは恐怖を増大させる。……それなら恐怖がひとつもない私には効かないって訳。」
リアナは不敵に笑い、紅永を嘲る。
「可哀想ね。紅永。…行きましょ、ディーパちゃん。」
言葉が出なくなった紅永を置いてリアナは震えるディーパの手を取り紅永に背中を向ける。
カッカッと少しばかり早足で地下牢獄を抜けようとすると階段に登る手前で紅永の声が響いた。
「リアナ!ディーパ!…ボクの指示に従わないならそれは立派な裏切り行為と受け取るけど?」
それは嫌だと思った。ディーパは反射的に後ろを向き何か言葉を発そうと口を開く。しかし先程より重い空気に言葉が出なくなってしまう。
「あら。何を言っているの?…仲間同士の諍い。よくある話。あんたがよく言っていることでしょう?…私とノクスの言い合いと変わらない。……裏切りなんてしてないわよ。…」
リアナがくるりと振り返るとその反動でその白い髪が揺れ、可愛らしいスカートもひらりと揺れる。
「駄々も休み休み言ってちょうだい。じゃあね。また後で」
その形のいい口元をリアナはにこりとさせて再び紅永に踵を返し階段を上る。
その地下牢獄を出るまで、紅永の音は何一つ聞こえなかった。
「リアナ…その、助けてくれて、ありがとう。」
礼を言わなければならないと思った。
そう思って手を引いて歩いてくれるリアナに声をかける。
「ええ。当然よ。」
こちらに振り返ることなくリアナは返す。
ふとリアナの手元を見直せば、震えていた。
当たり前だ。誰もが震えるほど怖がる相手を前にして、寧ろあれだけ啖呵をきった方が凄いのだ。
なにか言葉をかけようと思った。
だが、思い出してしまった。幼き日の思い出を。
あの子と、手を繋いで歩いたあの日。
リアナは今ディーパの手を繋いでいて。僅かに震えているけれど、それでもその手を話す気は無いような強さがあって。
能力を使うことを考えるよりただ安心と喜びが勝った。
まだこうしていたいと少し願った。
彼女は、あの子によく似ている。
数刻後、緒環アジトにて
「全員揃いましたか?」
そう言って正が点呼を取る。
しかし点呼はもはや動物園の中のように煩い。
戦闘狂が走り回る音。
それを止める音。
憎しみの炎をメラメラと燃やしているもの。
最後に。やけに静かなもの。
いや最後は全くうるさくない。逆にうるさくないから煩いのだ。
いつもはやけにきょどきょどして正をイラつかせることが多い彼。煉霞が嫌に大人しい。
確かにいつも通り不安げな表情はしているもののどこか状況を理解していないような表情。
「今これから何が始まるか分かってますか?」
「うぇっ、!」
話しかけるとその体をびくりと跳ねさせる煉霞。やはりこれは把握していなかったのだろう。
「っと、あ………わからない、です……」
伏し目がちにそういう煉霞を見て少し説明を面倒に思う。しかし説明しなければ行けないことは確かだ。
「セレイアさんと星那さんが拐かされました。今回の話はその奪還を目当てとした会議です」
「えっ!?」
煉霞の目は見て取れるほど驚愕に染まる。
「それは、ぁ、そんな……」
そう言ってひとりでワタワタとし始める。
こんなのの相手をしている暇はないのだが。
そこで声が響く。よく通る声。あの人のものだ。
「ピース。」
その言葉に反応して今まで暴れるかのようにばたばたとしていたピースが止まる。
「これから会議を始める。ピースは後で鍛錬相手になってやるからちょっと落ち着け。縛るぞ」
「アクマ!倒ス!」
「あーはいはい!今回はお前に切り込み隊長やってもらうから落ち着け!」
そう言って白華がピースを一喝するとピースは大人しくなる。
ピースをまともに止められるのはやはり白華ぐらいしか居ないようだ。
ん?今切り込み隊長をやってもらうと言ったか?一体何の話だ。
それを問う前に話は始まった。
机上に近辺の地図らしきものが広げられる。
何かと思えば一部分、ピンクのペンで丸が書き込まれている。
白華はそこを指さし話始める。
「セレイアを追って帰ってきていない星那のGPSの反応が途絶えたのはここだ。」
「じーぴーえすってなんだー?」
「…そうだな、星那がどこにいるのかわかる機械だ」
疑問を呈したルーカスに白華はさっと答え話を続ける。
GPSなんてどこに着けていたのかと確認したくなった鉄紺だが、それが顔に出ていたのか白華が少しだけこちらを見て笑う。
「GPSは各自の武器につけてる。今回星那は武器を持って行ったから場所がわかったってことだ。…まぁGPSつっても緊急時しか見ないけどな」
しっかりと説明をしてもらって鉄紺も少し安心した。
「続けるぞ。…そして、ここの途切れた場所だが…少し調査してもらった。正」
「…はい。」
白華が正の名前を呼ぶと正は少しだけ面倒そうに立ち上がり、片手に少しの紙束を持って白華の方に歩いていく。
「星那さんの通信が途絶えた周辺の調査をし、こちらがその調査書です。」
正は調査書を自分の前に持ってくると報告しますと言ってそれを読み始めた。
「まず。周辺で最近おかしな失踪事件が起きているそうです。殆ど噂の域を出ないレベルのもので、一人暮らしの人が多く失踪しているとの事ですが…ある日突然帰ってきて、居なかった間の記憶もなく傷1つない状態で見つかることもあるんだとか。その失踪事件自体は昔からちょくちょくあって、神隠し。なんて呼ばれてるようですね。」
「それって…吸血鬼のせい、ってことかな?」
報告を読み上げる正の言葉の間に入るように縁がそう発言する。
「恐らくは。…続けますね。」
淡白にそう返すと正はまた調査書に視線を戻す。
「次ですね。…次は大きな屋敷の話です。」
「屋敷?」
「はい。近辺に昔から大きな洋館があって…広大な庭から見るに、いつぞやの貴族の屋敷のような作りらしいです」
縁の問いに答えつつも正は説明を続けていく。
「そして、その大きな屋敷ですが。いつも人が住んでいるようです。…最古の情報だと10年前。とある青年が住んでいたようで。黒いパーカーでフードを目深に被った青年が宅配など受け取っていたという情報がありました。…ここ最近は人の気配はほとんどせず使われている様子もないそうです」
「はいはーい!…使われてる様子がないんだろ?その青年は引っ越しちゃったのか?」
アリクレッドが至極当然な質問を挙手して言う。
「…それは分かりません。目撃者もその青年を見たのは1度きりでもう見た事はないそうで…引越し業者が引っ越しの準備をしていた様子もなかったらしいです。…」
「奇っ怪な屋敷だけれど、彼らのアジトと考えるにはあまりに派手すぎるのでは?」
イルフォードがこれまた当然たる疑問を呈する。
「そうですね。人の気配がないとのことですし、第一こんな大きな屋敷、人目に触れますからね…」
「でもアジトの可能性はある。…理由は星那のGPS反応が途切れたのはあの屋敷の周辺を移動してた途中だったからな」
正が少し悩む素振りを見せると白華がすかさず助け舟を出す。正的には少し要らない助け舟だが。
皆がうーんと悩み始めると、その思考をぶった斬るようにずっと話を聞いていた雪花の声が全員の耳に届く。
「まぁまぁ。考えても仕方ないさ。事実、星那くんのGPS反応が途切れたところに調査しに行かなければならないことは確かだし、その屋敷も一緒に調査してしまおう。」
さらさらと真っ当なことを言う雪花に全員が少し納得しかけているところに碧が言葉を発した。
「セレイアさんはそこに居るん?」
「そう決まった訳では無いが、居る可能性が高いという話だろう?なぁ正くん」
雪花は当然のようにそう答えると正に話を振る。
正の方もどこか慣れきっているような表情を見せると当然のように話を進め始めた。
「セレイアさんのGPS反応に関してはもっと早くに途切れているため分かりませんが、星那さんがセレイアさんを追っていたという情報からして居る可能性は高いでしょう。あくまで可能性の話ですが。」
碧はその言葉を聞いて「そんなら」と納得したように僅かに乗り出していた身を引く。
「片付いたか?…それならこれからこの屋敷の周辺を調査するための作戦会議を始めよう」
そう言って白華は悪戯をする子供のように笑った。
吸血鬼アジト
「……なんだこれ」
夕食を済ませて仁は自室に戻ると自室のドアの前には中くらいのサイズのダンボール箱が置かれていた。
何かを確かめるためにしゃがむとダンボール箱の上にメモ書きが貼られていることに気づきそれを剥がして読む。
その紙には『欲しがってた新しい服を買っておいたよ。大事に使ってね』と書かれてあり、その少し伸びるような、達筆とは言えないがそれっぽい字体には見覚えがあった。
心当たりを探して紅永だろうと頭で結論付けると仁はそのダンボールを持ち上げる。
ダンボール箱を持ったまま自室に入り、そのダンボール箱を迷わず開封する。
バリっ、バリバリっ、とガムテープを剥がす音がしたと思えばそのダンボール箱はあっさりと開く。
中を覗けば確かに仁が頼んだ赤いパーカーが入っていた。赤いパーカーを退けて他を見ればズボンとシャツ、そしてベルトと、確かに頼んだ服の一式が入っていた。
あまりに想定通りのものが届いて少し驚くが、サイズが違うかもしれないと少しの懸念が脳を過ぎって服を梱包しているビニールも解き始めた。
「…ピッタリだ……」
それはもう驚くほどピッタリだった。
着てみて、仁は自室の姿見の前に立つ。
袖の長さも丈の長さも完全に想定通り。
仁は少し青みがかった白色のズボンに黒に近いワイシャツ。
それにいつも来ている赤いパーカーより裾が長くデザインされているコートに近しい見た目をしたパーカーを身に纏っていた。
多少違くてもいいかぐらいのテンションで頼んだのだがあまりに想定通りの仕上がりに流石の仁も空いた口が塞がらない。
マスクに関してはダンボール箱を軽く漁ったら使い捨ての黒マスクが何十枚か入った箱が出てきた。確かに仁は黒マスクを頼んでいて、身を隠す用とはいえまさかこんなに丁寧に替えまで用意するとは…と少し感嘆の声が漏れてしまったほどだ。
そして最後の刀のためのベルト。
これも確かに仁が頼んでいたものだが、刀のサイズまではよく分からず適当に頼んだものだった。
しかしどうだろう。素晴らしいほどピッタリに誂られていて、仁の愛刀もしっかりとベルトに収まっている。
ここまで来ると紅永がサイズを把握している変態なんじゃないかという疑惑が脳裏に過ぎるが見なかったことにする。
なんにせよどれもこれも仁に丁度いいサイズをしている。日常でも問題なく使えるだろう。
そう思いながら仁は部屋にある姿見に体を映す。
その瞬間放送が入った。
屋敷の中にはスピーカーが廊下の天井に設置されており、そこから会議に呼び出されることがよくある。
放送内容は紅永の声で気の抜けるような声だった。
『ほーそーだよー。至急いつもの大会議室に集まってね。祓魔師側に動きがあったから合わせて指示内容を変えるよ。以上!全員即刻大会議室に集合するよーに!』
そう言って放送は途切れた。
その放送に反応するように耳に不満の声が入る。どうやらリアナのようだ。階を貫通して聞こえるリアナの声、どれだけ大きいんだ…なんてしょうもないことを考えながら、逆らう理由もない命令のため仁は自室を出た。