第6章
竜胆家 邸内
「わっ、広…こんなの実家以来やわ…」
そう思わず素直に言葉が出てしまう。
碧がそう驚くのも無理はないほどそこは広かった。
ここは竜胆家の屋敷。
作りはパッと見豪華な日本家屋と言った感じだ。
貴族やらが住んでいそうだとも思うがそういえば碧が居た国でも似たような建物があったと思い出して言葉を飲み込む。
「いつ見ても広いな。この家」
隣でそういうのは白華。
何故ここに2人がいるのかと言えば時は数日前に遡る。
あの時、白華が電話をかけたのは竜胆の現当主だった。
頼むことは竜胆の書庫に入り書物を見てもいいかという許可。
少し手こずったようだが白華が煉霞の名前を出せば渋々といったふうに頷いてくれたらしかった。
そして今に至る訳だが。
今何故竜胆家の邸内の玄関口で突っ立っているのかと言うと…
「お待たせしました。」
案内役を待っていたのだ。
声のした方を2人が同時に振り向けば、そこにはワインレッドの髪の毛をした着物を着た女性がいた。
女中さんのようだ。
「緑蘭様。不知火様。書庫までご案内させていただきます」
そう言って踵を返す女中さんを2人は追う。
「お邪魔します」と一言置いて履物を揃え女中の後ろをついて行くが、屋敷の邸内はどうも静かだ。
人の気配を感じない。
広すぎるせいかもしれない。
そこでふと、疑問に思ったことを碧は白華に聞く。
女中は少し離れているが聞こえてしまうだろうか。
と思うが、あまり不快なことでもないと考えてその言葉を発した。
「なんで………なんで竜胆の人達はみんな赤毛なん?」
その問いに白華も少し驚いたような反応を示すが平然と答えてくれた。
「竜胆家が赤毛な理由はよく分からないが…どうやら先祖が赤髪だったらしい。血の問題なのか赤毛が多い。」
「へぇ…」
聞いてみたがあまりためにはならなかった。
やはり祓魔師なんてものはよく分からない。
「こちらです」
少し歩いてしばらくすると女中は突然こちらに向き直って横の扉を指す。
全体的に和風な作りの家には不似合いな洋式の扉。
「中のものは持ち出さなければ観覧は自由と当主様は仰っていましたのでご自由にしてください。帰る際は近場の女中にお声がけ下さい」
そう言ってぺこりと頷けばそそくさと去ってしまう。
なんだか感じが悪い。
「入るぞ」
白華はそんなことを気にしていないようでこちらに声をかけながらその扉を悠々と開けた。
開けた先は大きな書庫。
地面に直置きされている本なんかもあり全体的に古びた印象だ。
碧の鼻先を本特有の匂いが掠める。
「この書庫には過去居た祓魔師たちの能力が全て記されている。今回は奥の書庫の方も見ていいと許可を貰った。恐らく特位の情報はそこだろうな。…行くぞ。」
いつものふざけた調子とは打って変わって真剣な面持ちでそういう白華に無意識のうちに碧は背筋を伸ばす。
奥の書庫というのはよく聞く禁書とかそういう類のものなのだろう。
それを読む。それがどれだけ重要なことなのか碧には分かる。
それでも、碧の足を止める訳には行かない。
セレイアを助ける為にも。
吸血鬼アジト
「どう?よくできたと思うのだけど」
そう言って横にいるルアのことを堂々と見せびらかすのはリアナ。
隣に立つルアはよく分からないと言った顔で静かに立っている。
その体に身につけられているのは少し装飾の施された燕尾服だ。
「おぉ。いいんじゃないか?サイズも丁度よさそうだ」
そう返してくれるのはディーパ。
どことなく優しげに笑ってくれているのは気の所為ではないだろう。
「そうでしょう?流石私よね!」
そう自信満々に言うリアナにディーパは呆れもせずおーと小さな声でぱちぱちと拍手をしてくれる。
そんなことをしていると昼間の散歩を終えた紅永がゆるりと部屋に入ってくる。
その瞬間一瞬空気が張り詰めた感じがするが、その中でもリアナは表情を変えず言い放った。
「見て!ルアに服を用意したの。どうかしら?」
自信満々に言うリアナに紅永は少しうんざりしたような顔をするが「まぁいいんじゃない?」となんとも適当な返しをする。
「ちょっと!ちゃんと褒めてよ!」
「リアナ様、私は大丈夫ですから…」
ぷんすこ!と怒ったリアナを宥めるようにルアが優しく声をかける。
そんなのを眺めながら紅永ははぁ、とため息を吐き。ディーパに視線を送る。
「…?…紅永…?私になにか用か?」
「うんそう。…こっち来て。リアナ。ディーパ借りてくね」
ディーパが聞けば待ってましたと言わんばかりにさらりと紅永は返事をし、手をくいっと呼ぶように動かす。
リアナが不平を言う前に動きたかったようで少し急いだような印象を受ける。
ディーパもそれを察して少しだけ急ぐ。できることなら紅永と2人きりは嫌なのだが。
案の定リアナが「ちょっと!」と言った瞬間には遮るように扉を閉じる音が響いた。
竜胆家 書庫
先程から数刻が経った。
膨大な書庫の本を読むのはやはり同様に膨大な時間がかかる。
とにかく調べることは多くあるため白華と手分けして本を漁っているのだ。
碧は特位の情報。白華は煉霞の能力について。
そして報告に上がっている煉霞とは思えない存在について。
ぱら、ぱら、と紙が擦れる音だけが書庫に響く。
「あ」
「?」
碧がふと声を出せば白華がそれに反応する。
「ボス。これなんて読むん?…」
そう言って碧が差し出して指さした文字は古代語と言われるものだ。
ミミズが這ったように書かれており、いつも使っている言葉に似ているようで似ていない。
そんな文字のため解読ができないと専門家達が嘆いている文字だ。
勿論白華にもそれを読解することは出来ない。
ただ一言だけ読める。煉霞が教えてくれたものだ。
「特位」
そう返せば碧はパッと顔を上げて驚きの表情をする。
「ボスこれ、」
「読めないぞ」
「え?」
読めるのかと期待したのにその言葉は容赦なく打ち砕かれる。
「いやな。煉霞なら読めるんだそれ。…俺も残念ながら詳しくは知らん。その言葉だけ読める。特位。そう読むんだと煉霞が言っていた」
「…」
「今ちょっと使えないと思っただろ」
「思ってへんよ。」
「怪しいなぁ…」
そんなやり取りをして、碧はふととある案が思い浮かぶ。
「これのあいうえお表とかないん?」
「無い。」
「煉霞…さんは読めるのに??」
容赦なくそう言われて思わず疑問が口をつく。
「…残念ながら。煉霞が読めたのは偶然らしい。…頭にふと現代語訳が浮かんだらしくてな。…」
「能力かなんかなん?それ」
「違うらしいぞ」
思わず深いため息を着く他ない。
もはやそれは手掛かりが掴めないと言っても過言では無いのではなかろうか。
この文字が読めなければ折角特位と読むことがわかったところでそれ以上情報は収集出来ない。
「お」
「次はなんなん?」
白華は捲っていた手を止めて短く声を上げ、覗き込んできた碧にその頁を見せる。
「…これ…」
かすれてはいるものの特に古びた紙に記録が書き込まれている。
肩書きのところには『竜胆創設者』と書かれており、恐らく本来写真があるところには何も無い。ただ生没年がそこに書き込まれている。
生没年は『1036年~1068年』
随分と短い。そしてこの年数は今から約1000年前。
現在は2023年。
順番に上から名前を見る。名前は『竜胆 炎楼』
能力は『炎焼』
「これっ、!」
「報告通りだな」
煉霞が報告内で使っていた能力は炎焼。
赤色の炎を扱い、任意のものを燃やす。
いや正しくは血を燃やす。
「煉霞はこいつの能力を使っている…それにしても本当に一緒だな」
詳しく書いてある欄も読んでみるが報告とほぼ一緒である。
能力は使う人によって似ていてもズレが生じるらしいが、本当に同一。
「…これなら、先祖返りとか有り得るんとちゃう?」
「可能性はあるな」
もし先祖返りならばあの人格は一体…
同時に疑問が浮かんでくる。二重人格、ということだろうか。
それにしても謎が多い。
竜胆 炎楼。書き込まれている性格は『カリスマ性があり人格者』と書かれている。
そして1000年前と言えば古代語と現代語が入れ替わり始めた時期だ。
1000年前……もしあの本が。先程特位のことが書かれているであろう本が読めれば良かったのだが。
煉霞が居れば、と少しでも思ってしまう自分に嫌気がさす。
大嫌いな竜胆の人間なんぞ頼りたくは無い。
ただ、プライドを捨ててでもセレイアを助けたい。
特位について分かれば弱点か何か掴めるかもしれないのに。
「…しかしまぁ、他にも一応調べてみるか。これじゃ情報が足りないだろうしな。」
「…そうやね。…」
そう言ってお互い元の位置に戻り本を捲る。
碧は一縷の望みをかけて古代語を紙に書き取ることにした。
???
『童ぁ!…起きろ!いつまで寝てる気だ!』
怒声が聞こえて煉霞は反射的にその目を開ける。
「っは!ごめ、なさ、……ぇ?」
目を覚まして早々に目の前に現れたものに煉霞は目を見開く。
__自分と全く同じ顔。
いや、よく見れば違う。襟足が長い。アホ毛がない。
服装も違う。白い巫女装束…?どう見たって男だが。
ここはどこだと思いパッと周りを見渡す。
周りは真っ白で何も無い。…いや、地面が真っ赤だ。カーペットだろうか。
その上に赤いソファーと黒いソファーが置かれていて、煉霞は黒いソファーに座っている。
そして自分と瓜二つの人間は赤いソファーにふんぞり返って座っている。
煉霞の真正面、ということはソファーは向かい合っている。
そしてその間に光沢のある木造の机。
「君は…」
『我は炎楼。炎楼様と呼べ。』
「えんろうさま…?」
なんだその閻魔みたいな名前はと一瞬思うが突っ込んだら怒られそうな人相だと思ってグッと抑える。
煉霞と似ていると思ったが所作も言動も表情も煉霞とは比べ物にならないほど堂々としている。
「あの、…炎楼様、ここは一体…」
『お前自分の能力は知っているか?』
「えっ、」
全く会話をしてくれない。そう軽く絶望を感じるが痛いところを突かれて思わず小さく声が出る。
『知らないのだろう?知っているとも。…童。』
「へぁ、…?」
炎楼はぺらぺら喋りながらどこから出したかも分からないさくらんぼを口に放る。
というか本当にどこから出したのだろう。炎楼の手にはさくらんぼが入ったカゴがある。
『我は今気分がいい。…お前の望むことを応えてやろう。』
「え?あ?…何を言って…」
『なんだ童。状況把握能力もないのか。能無しが。』
「ぁっ、…すみ、すみませ、すみません、俺なんかが能力を持てるなんて烏滸がましかったですよね、すみません。ごめんなさいもう話さな」
『あーあー!黙れ童!』
うんざりしたように炎楼は大きな声で煉霞の声をかき消す。
『そういえばお前はそんな性格なんだったな。そういうのねがてぃぶと言うらしいぞ。』
「えぇ…その、すみませ」
『すぐ謝るな!我の器だろう!ほいほい頭を垂れるな!我の格まで落ちる』
「えっ、え、…」
なんとも苦手なタイプなことは何となく話してわかった。
炎楼、そういえば炎楼と言えば聞いた事のある名前だ。なんだったか…あまり思い出せないのだが。
というか先程から何を言っているのか殆ど理解出来ない。
煉霞はおそらく皆が感じている通り愚鈍で愚図だ。
意訳すると頭が悪いのだ。意思ばかりある頭の悪い人間などやはり誰にも…そんなネガティブな思考を巡らせようとすると炎楼の声でぶった切られる。
『お前がそうだから!我はいつまで経っても目覚められなかったのだぞ!責任を感じろ!』
「えぁっ、」
怒鳴られてしまい煉霞もびくりと肩を震わせる。
今の考え全て聞かれていたのだろうか。
というかここは一体…
『お前。』
「はひっ、」
ドスの効いた声で呼ばれて思わず反応してしまう。
考えることが山積していて煉霞の頭ではそう簡単に片付けられておらずプチパニック状態だ。
『は〜〜〜〜〜〜〜』
深いため息を着かれてしまった。
やはり俺がダメなばかりに…
『紅永に会え。』
「えっ、…」
『なんだその反応。知らんのか。我同様特位である紅永の事だ。』
もしかして紅永とはここ最近自分達が戦っていたという特位のことだろうか。名までは知らなかったため煉霞は少し驚く。
というか今同様。と言ったか?ということは目の前にいる炎楼は特位の吸血鬼ということだろうか。
「あの、っ、炎楼様は特位、なんですかっ、」
『は?』
「アピャッ、ぁ、あの全然俺の言葉なんて答えなくても」
『黙れ。特位など人間が決めた規定に過ぎん。気にすることでは無い。というか、お前がそんな絶望した顔したところで我は同じ顔の恐怖に怯えた顔など興奮もせんわ。その酷い顔、今すぐ戻せ』
「えっ、それは、その…」
『早く』
「ぁ、や……」
高圧的な人は苦手だ。特にこう言う炎楼みたいな唯我独尊な人間は特に。いや吸血鬼か。
『お前も吸血鬼だろう』
「えっ、」
突然の理解できない言葉に思考が固まる。
吸血鬼?俺が?
「でも俺、」
血が欲しいと思ったことは無い。第一自分は人間の両親から産まれた。
それに吸血鬼は生まれた時から能力が必ずある。
だけど煉霞にはそれは無かった。
『お前の能力は意図的に使えないようにされていた』
「え、」
『周りの言葉だ。お前が意図的に押さえ込んだ。体に負荷がかかるからだ。』
「……そんな…」
それなら俺はこんな思いしなくても済んだかもしれなかったのだろうか。惨めな、思いを。
『まぁ。幼いお前が能力を使えたとしてもお前は死んでいただろうな。今が満たったから使えた迄のこと。乱発は無理だろうな』
「そう、ですか……」
思わずないものねだりをせずにはいられない。
力があれば人を助けられたはずだったのに。
『おい。』
「へぁ?」
『我はこんな湿気た話をするために参ったのでは無いのだが?』
「はぇ、あ…それは……」
『お前は能力を自覚しろ。そして我に戦わせよ』
「え」
戦うとはどういうことだろうか。何を言っているのだろうか。一体
『さあ早く目覚めろ。我の器よ』
器?それは一体なんのことなのか。
聞きたかったが煉霞の意思に反して煉霞の体は重くなる。
後ろは背もたれがあるはずなのにがくっと落ちる感覚がする。
同時に煉霞の意識は途切れた。
竜胆アジト
アーナはご飯を運んでいた。
何故かと言えば、それは煉霞の為だ。
これは煉霞のご飯である。
昨日から爆睡したまま起きない煉霞である。
「なぜ僕が煉霞のために……いや、べつに、起きなかったらこのご飯は僕のものだからな!全然心配とかじゃないぞ」
そう独り言を呟きながら煉霞の寝ている部屋の扉を開ける。
寝ていると決まっている相手にノックなどいらない。
案の定入れば起きておらずアーナはご飯を置くと昨日同様声をかける。
「起きろー!煉霞!ご飯だぞ!食べないなら僕が食べるぞ!」
言い切るとふぅっと息を吐く。起きる気配は無い。
「それなら僕が食べてしまうからな!」
そう言って横の椅子にがっ、と座りスプーンを握った。
その瞬間に隣の煉霞ががばっ!と体を起こしたためアーナはびくっと肩を跳ねさせる。
「は、……煉霞??」
思わず驚いて煉霞を見遣ると汗びっしょりで切迫した表情をしている。悪夢にでも魘されたのだろうか。
「ぇ、へ、?…あ、アーナくん。…おはよ」
へらっと笑った煉霞の笑顔はいつもより引きつっているように感じる。
「あ、それ…」
ご飯に気づかれてしまった。
「あ、!これは、貴様の飯だ!…そうだ折角起きたんだ僕がりんごジュースを作ってやろう!」
さすがに勝手に食べたのがバレたら怒られるかもしれないと思って捲し立てるように話して慌てて部屋を出る。
ばたんっ!と強く扉を閉めてほぼ走るようにりんごを取りに台所に向かった。
「えと…今何時…って聞きたかったんだけどな…」
話も聞かずに出ていってしまったアーナくんに少し寂しさを滲ませながらも煉霞はご飯をそっと見下ろす。
ご飯は暖かそうで美味しそうだ。
先程の夢のことを考えるとまだ考えることは山積しているがとりあえず今はそのご飯を口に運ぶことが先決だった。
吸血鬼アジトにて
カツンカツンと石畳を踏む音が響く。
紅永に案内された道通り進んで来たがどうやらここは地下のようだ。
「紅永、ここは一体…」
「地下牢だよ。…侵入者がいたんだ。」
光は壁に着いている灯篭だけの石畳の道を歩きながらそうやり取りをするディーパと紅永。
「侵入者?…こんなところに?コソ泥か?」
「いや、祓魔師だよ。…ボクの部屋に入ってきた。」
淡々と語る紅永の声色は読めない。
なんだか落ち着いていて少し怖い。
「ディーパ。」
「なんだ?」
一通り歩いたところで紅永はピタリと止まりこちらに振り返る。
少し周りを見渡せば空の牢屋が何個かあるところだ。
「……この子。殺して」
「へっ……」
紅永が薄暗がりの中で笑い、侵入者と呼ばれたものを指さす。
そこには眠る少女の姿。
祓魔師の星那の姿があった。