第3章
たった1人で孤立してしまった縁は不運が重なったのだろうか。
2人の吸血鬼に囲まれてしまっていた。
危機的状況にぼうっとしている暇もないので植物を駆使し吸血鬼の攻撃を防ぐ。
薔薇の吸血鬼。緋緒の方は隙あらば懐に入り血液パックを使用しようとするのである程度距離を置く。
それと同時に遠くから動物に乗って攻撃してくる青髪、フェールデの矢を叩き落としつつ逃げる隙を伺っていた。
縁は戦いつつ2人の階級を確認する。
煉霞と違い、詳しい知識がある訳では無いので断定は難しいが2人とも上位以上と考えて間違いないだろう。理由はと言えば、先程から縁の植物の攻撃をものともしていないように感じる。その程度だろうか。
2人の行く手に植物を敷き詰めるように即座に伸ばせば少し邪魔そうな反応をするだけで次の瞬間にはほかの場所に移動される。
アタックが得意では無い縁にとっては耐久戦と言っても過言ではなく、戦いにくいことこの上ない。捕縛なんかは相手が素早すぎて出来なかった。
考え事をしながら戦っていると目の前に緋緒が迫ってきたことに気づけず縁は小さく呻く。
ナイフが脇腹に刺さりかけるが咄嗟に体を横にし掠る程度にする。
そして緋緒から距離をとるために、緋緒に横からツタの塊を投げつけるように打ち付けた。
幸運にも緋緒はその攻撃が予想外だったのか反応出来ずそのまま吹っ飛んで行く。
壁に打ち付けられ瓦礫の崩れた音が小さく鳴った。
その直後の苦しそうな呻き声は緋緒のものだろう。
しかしこちらも腹の横を掠ったのだ。ぱた、ぱた。と血が滴る。
少し息を吐いてフェールデに目を向ければもう遅く、こちらに向かって弓を引き絞っていた。
瞬間、矢が放たれる。
腹の鈍痛で咄嗟に動けない縁は何とか植物を伸ばすが追いつかない。
もう無理だと悟った瞬間
ガツッと何かを掴む音がした。
気づけば目の前には金色の髪を靡かせた青年が立っている。
印象的な目隠しは青年が誰かを物語るようだった。
青年、イルフォードは縁に向かって進んでいた矢をあろうことか掴んだのだ。
矢はその場にカラリとかわいた音を立てて落ちる。
イルフォードは少しばかり手をぷらぷらと動かした。掌が痛かったのだろうか。
「…あ」
「怪我は無い?…と言いたいところだけど動ける怪我じゃなさそうだね。救援が遅れてすまない」
礼を言おうとすれば遮られ言葉を続けられる。
礼は不要と言った風だ。
「…いや。こちらこそすまない。手間をかけさせてしまったね。助かったよ。」
縁は脇腹を片手で抑えながら苦笑する。
イルフォードは目隠し越しにこちらをちらりと見るが目の動きまでは追えない。だが見るからに縁の傷を見ていることは分かる。
「…怪我については大丈夫だよ。私はだいぶ丈夫な方だから。……それと、相手は恐らく上位以上だ。ここにいては危ない。何とか撤退を」
そこまで告げると端的に返される。
「わかった」
何がわかったのだろう。特に逃げる素振りは無いが。
縁が少し不思議そうな顔をすればイルフォードはにんまりと笑う。
するとイルフォードはすうっと動き地面を思い切り蹴った。はずだ。
気づけばフェールデの懐の中に飛び込みナイフを下から振り上げる。
フェールデも先程まで居たはずの人間が目の前にいることに驚きその細い目を僅かに開ける。
それと同時に少し仰け反り攻撃を避けた。
イルフォードは斬撃を避けられただけでは全く動じずそのままナイフをくるりと回し持ち方を変え下に振り下ろす。
連続の2撃目にまたフェールデは足を後ろに下げ重心を後ろに移して避ける。
イルフォードが二撃とも外したことに顔を顰めた瞬間素早くイルフォードの顔にリスが飛んで来た。
「わ……っぷ…!」
驚いてイルフォードがその場からふらりとよろめく。
その隙を着いてフェールデは素早く距離を取り弓を引く。
「…危な…!…」
その声を上げたのは他でもない縁。
その言葉と同時にフェールデは矢から手を離すがもう遅く矢の進行方向には既にツタが壁となりその矢は吸い込まれるようにその壁にぶつかった。
フェールデはそれを見るとまた素早く別の場所に移動する。そしてどこからともなく鹿が走ってきてフェールデはそれに当然のように飛び乗った。
イルフォードはと言えば顔に引っ付いたリスを潰さぬように引き剥がし手の中でなおも暴れるリスの瞳を目隠し越しにじっと覗く。
その目は澱んでいて小動物によくあるきらきらした目は見受けられなかった。
そこでイルフォードは何故ここまで動物達が協力してくるのかという疑問の1つの推測が浮かぶ。
「…縁君…!…動物たちは洗脳されてる!恐らくあの吸血鬼は洗脳系の能力だ。何がトリガーになるか分からない!気をつけて!」
少し離れた場所にいる縁に大きな声で推測を伝える。
縁はこくりと頷いて「わかったよ」とだけ言ってフェールデを追いかけるように走っていった。
それを確認するとイルフォードは既に感じていた気配に目を向ける。
瓦礫の中から深いため息が聞こえたと思えば、がらがらと音を鳴らして立ち上がってくる。
その姿は女性だったが緋緒がその目を開ければそんなことはどうでも良くなった。
赤かった。
「赤い目……」
隠せぬ程の殺気を溢れさせた声でその言葉を紡ぐ。
緋緒はと言えば何も意に介していないような顔をして緩慢な瞳の動きでイルフォードに目線を送る。
緋緒は深く息を吐いて吸う。
気づけば緋緒は動きイルフォードの首元に刃をあてがう。イルフォードはそれを瞬時に下がって避け、下からナイフを振り上げた。
✣✣✣
目の前でのうのうと眠る男のマフラーを槍で少しずらし血液パックを作るための道具を取り出す。
それと同時に一応殺しておく必要があるなと思い槍を構える。
腕を下ろすだけ。その動作でこの男は殺せる。
ただの作業をするだけかのように腕を下ろす。
そうしようとした。
弾丸が放たれる音。
完全に油断していたもので避けられずに弾はノクスの肩を貫通する。
「…っぐ…」
痛みに顔を歪めれば視界に少女が映り込む。
その少女はもう銃を下げてこちらに駆け寄っている。否、ノクスの目の前にいるセレイアに駆け寄っているのだ。
そこで救援かと察した。
ピンクのインナーの入る髪を揺らした少女、星那は右肩を抑えるノクスを放りセレイアに駆け寄る。
ノクスはここで餌を渡してたまるかという執念かで槍で攻撃しようと槍を飛ばす。
星那はそれをひらりと飛び上がって避けて先程撃ち抜いた右肩に容赦ない飛び蹴りを入れる。
「っが……!…」
激痛に耐えきれずノクスは踏ん張れもせずに飛ばされる。
じくじくと痛む傷のせいで上手く立ち上がることも出来ない。
まず右腕は動きそうにない。何とか左腕の腕力で立とうとしていた。
なにかぶつくさ呟いているが聞かなかったことにする。
一方星那はセレイアの元に駆け寄って体を揺する。
「セレイアさん!セレイアさん…?…セレイアさんってば!」
声をかけて揺すってから気づく。怪我をしているなら揺すらない方がいいとどこかで聞いたことがある。あれ?それは頭だったか?頭の中が疑問符でいっぱいになる。
考えても仕方ないと首を振ってその答えを遮る。
起こそうともう一度目を向ければふるりと瞼が動いた。
「セレイアさん!」
ぱぁっと嬉しそうな顔で声をかければ「…ぅ……ん……」と呻く声が聞こえる。体を瞬時に見渡すが特に外傷は見当たらない。本当に眠っていたのか。
起きるかと少し嬉しげな視線で待てば全く起きてくれず思わずしゅんとしょげる。
そうしていると背後から気配を感じた。咄嗟に振り向けばもうノクスの槍は眼前にあって。間に合わないと悟る。
息を飲みぎゅっと目を瞑る。
次に聞こえたのは皮膚に槍が突き刺さる音ではなく金属がぶつかる音だった。
ガインッと音がしてガランと床に槍が放り出されたような音がする。
ゆっくりと、そろりと目を開ければ青色が眼前に広がる。
「…ッチ……次から次に面倒なンだよ……」
右肩を抑えるノクスはそう不快そうな顔をして悪態を着く。
ノクスは撤退も考える。餌を取られたのは気に食わないがこのまま戦っても安全に勝てるとは思えない。というか本来ノクスはここに来るものではなかった。
言い訳を並べ立てたところで逃げるという事実は変わらない。それは分かっているが脳内であのクソチビが脳内で嘲笑っている姿が浮かぶ。
逃げたとあらばあいつは確実に貶してくる。あの程度のものにも勝てないのかと。どこでそんな情報を手に入れているのかも分からないがあいつはそんなやつだ。
否、正直貶してくること自体は正直どうでもいい。ただその絡みが既に面倒なのだ。面倒ごとは減らしたい。といつものノクスなら考えているはずだが様子がおかしい。
「…ッチ……汚ぇ…」
ぶつくさとなにかを呟き不快を隠さず顔を顰める。
ノクスの前方にはアーナ。
その後ろでは星那が銃を構えていた。
動きから見るにインナーの方はかなり未熟に思える。動きに素人が垣間見えている。
シスターの方は女か?男か分からない。まぁどっちでもいいが。
ただノクスには今そのようなことを考えている余裕はなく。今すぐ風呂に入りたいという感情で脳が占められる。
するとアーナが口を開く。
「お前!僕の相手もせずセレイアに行くなんて失礼だと思わないのか!」
とぷんすこ怒っている風だ。
いや元々ノクスの目的はセレイアだった。否というかまず戦うのは本意じゃない。
そうなのだが先程からノクスは俯いてぶつくさとなにか念じるように言っている。内容までは聞こえないが。
それに少し苛立ったようにアーナはまた眉をつり上げる。
そこでノクスは不意に踵を返し
アーナ達に向かって大きく振りかぶって槍を投げる。
それと同時に地面を蹴った。
✣✣✣
「…っわ!!……んだこいつ…っ!…」
そう悪態をつきながらひょいひょいと軽く飛んで攻撃を避ける。
おおよそ剣筋とは思えない雑な刀の振り方をする少年を仁は静かに睨む。
睨まれたルーカスは特に意に解する様子もなくげらげらと笑いながら刀を容赦なく振り下ろす。
これが俗に言う戦闘狂というものなのだと身をもって体感する。
先程から斬られかけて何度霧で避けたことか。あまり能力は使いたくないのになと少し眉間に皺を寄せる。しかし面倒なものは面倒なので能力最大出力にしてしまおうかと思う。
そしてさっさと逃げたい。
そこまで考えていたら空から何か降ってきて驚きで若干肩が跳ねる。
否、降ってきたと言うよりか飛んできた。であった。
自分からそこそこ近いところに着地したそれ、ノクスはこちらを見やる。
見たところ肩に怪我がある。もう限界といったふうに顔は非常に圧がありいつもと違う。
「汚ェ。汚ェ…汚ェ」
そうぼそぼそとノクスは呟く。
「…えっ?…」
仁の驚きの声をスルーして仁とすれ違うようにノクスは進んでいく。
そこで仁はこれはもしかしてとノクスの意図を察する。
(……こいつ…全部俺に投げる気か…?)
思わず目を見開いて止めようと思ったがもしかしたら怪我が痛いのかもしれないなと思って何とか辞める。
正直本当に面倒だ。これも上手く撤退すればいいのでは?と思う。ノクスが逃げれば仁の任務は完了だ。晴れて仁も家である屋敷に帰れる。
逡巡して仁もため息を着く。そしてすっとノクスを追ってきていた2人の少年と少女に目を向ける。
「……やっぱり面倒だ……」
仁の小さな呟きは次のルーカスの刀の振る音にかき消されて誰にも聞こえなかった。
✣✣✣
あぁほんと。人と敵対するなんていい事ないな。
そう、ナイフを突きつけられて走馬灯のように思う。
死にたくなんてない。むしろ今は生きていたい。コバルデのためにも。
その思考がディーバを現実に戻した。
即座に銃をその場に落とし床に手を付き容赦なく正の脳天に蹴りを入れる。
正は咄嗟に首を横に振ってそれを避け、同時に体をひねりそのままナイフをこちらに真っ直ぐ進めてくる。
ディーバは片足が浮いている状態であったものの正の腕を掴んで進んでくるナイフを止める。
そのまま懐に入り正と目を合わせ空いた正の手を強引に掴む。
条件達成だ。
『攻撃をやめろ』
そうディーバが言葉を言えばその言葉は力を持ち正の脳を震わせる。
「……あ……」
正はそこでマズいと悟った。が、距離を取ろうにももう遅かった。
そこで正の意識は脳に閉じ込められてしまったのだ。
正の体は何事も無かったかのようにすっと立ち、虚ろな目でディーバを見る。
否。見えてなどいないだろう。
ディーバは息を吐きもう一度手を握って、言霊が切れる前にもうひとつ命を課す。
『さっきから私が居なくなるまでのことを忘れろ。そして私が完全に居なくなるまでここから動かず待機しろ』
そういうと正の首はこくりと頷く。
ディーバはそれを確認し正の持っているスノードロップに目をやる。
それは恐らく捉えた敵が苦しむように設計された鈎が着いており子供が持つようなものでは無いなとため息を着く。
吸血鬼はスノードロップに触れることは出来ない。否。触れることは出来る。
触れれば焼けるような痛みと爛れが出る。
だからその武器を回収することは出来ない。
上位のものであればあるほどそれはより顕著になるのだと、そう誰かが話してくれた。
あれは。そう。紅永だった。……そうなはずだ。
ノイズがかかったように思い出せない。
それでも嫌な記憶ではなかったのだろう。
酷く声が柔らかいことだけはわかる。
その紅永は今のような恐怖の対象とか、そういうものではなくて。
ただ静かに、優しく、慈しむような。
さも、私を、守るような。
これは…誰だ…?
分からぬ問いを脳で投げても仕方ない。
ディーバは素早く踵を返しリアナの向かった方に歩いた。