第3章
赤黒いナイフのようなものが空を切る。
碧はそれを咄嗟に避けるが僅かに掠り袖口に切り目が入る。が、碧はそれをものともせず懐から札を出し相手に向かって投げつける。
長い白髪を靡かせて少女はそれを避ける。
「顔を狙うなんて!陰湿じゃなくって!?」
笑みを崩さないまま少女、リアナは札に視線を向ける。
その札の直線上。終着点であろうところには子供。
なんでこんなところにと、その場にいる全員が思う。
碧は軌道変更出来ない己の能力を少し恨むことしか出来ず、ただ見ることしか出来なかった。
確かあの札は吸血鬼にナイフ並みの力があった。人に打ったことは無いから人がどんな影響を受けるかは分からない。守らないと。
そう思って足を踏み出す。
が、遅かった。
ただ咄嗟に動いたのは碧だけではなくて。
バチンっと札が叩き落とされた音。
そして、子供の盾になるように抱き抱えるように守ったのは紛れもないリアナ。
「なんで……」
思わず碧の口から疑問の声が漏れる。
「早く逃げなさい。ここは危ないから」
碧の言葉なんて聞こえなかったように子供に向き直りリアナは言う。
子供は泣きそうに怯えた顔からハッと気づいた顔をしてたどたどしい足取りで走り去って行った。
小さな声でありがとうお姉ちゃんと言う言葉が聞こえた気がして、碧はどこか懐かしさを覚える。
少し碧が息を着くとリアナは子供に振っていた手をゆるりと下げて自嘲するように笑った。
「ダメね。こんなつもりじゃなかった…のに」
そこまで言えばこちらを向いた、直後。
正がリアナの真横に現れ回転するように体を捻りリアナに切りかかる。
リアナも油断していた為かその瞳に正を写し目を見開く。
咄嗟に動けずリアナは固まる。
その間にもナイフはリアナの腹部に吸い込まれるように進む。
「リアナ!!!!!」
その声と同時に銃弾が正の顔に向かって放たれる。
大きな音。
正は銃弾に気づくと小さく舌打ちをしてから、首を振って銃弾を避けリアナから距離を取る。
「戻ってきたんですか。…」
正は目をゆるりと細めて銃弾の飛んできた方向を見る。
「…生憎と、仲間を見捨てるほど薄情では無いんだ。」
どこか緩慢でしかし堂々とした声で黒髪の少女は物陰から出てくる。
「…ディーバちゃん……」
リアナが名前を呼ぶ。
「リアナ。大丈夫だったか?怪我はないか?…すまない。助けが遅れて…」
「…えっ?…いや、いいの!私が変わるって言ったんだから!それにディーバちゃんの手を煩わせる訳にもいかなかったし!」
そうぱっと笑うリアナを見てディーパは安心したように微笑む。
「顔色も良くなったみたいだな。良かった」
「ゆっくり話してるとこ悪いんですけど」
ディーバの言葉に正の声が遮るように言葉を挟む。
「今は敵の前ですよ。吸血鬼さん方。」
にこやかに笑う正は子供とは思えない、と、そうディーバは思う。
正の身なりを見れば傷がひとつもない。ホコリもさほどついていないようで強いのか。と少し身構える。
「分かってるわよそんなこと。」
リアナは正を真っ直ぐに見据えて言う。
「リアナ。逃げてくれ。きっと体力を消費して」
「逃げないわよ。紅永の命令には無いもの。」
そう言ってリアナはニヤリと笑う。
「…何故…」
「何故?…うーん…そうね。私はまだ紅永の言うことを聞いていなくちゃいけないから。ここで引いて紅永が許してくれるほどあいつは私に優しくないのよ。それだけよ。……それに!ディーバちゃんを敵の目の前に晒して」
その言葉が最後まで紡がれる前に正の体が飛び上がり頭上から降ってくる。
リアナは迷いなく上を見て指先を僅かに動かす。それに反応したようにリアナの足元にあった血溜まりのような何かが形を取り正の攻撃を防ぐ。
ガキン、と金属のぶつかる音がして正が弾かれる。
「帰れるほどヤワな女じゃないから」
そして先程の続きの言葉をリアナは言う。
「…だけど。ディーバちゃんの言葉には少し甘やかさせてもらいたいわ。いいかしら」
そういつものようにリアナが笑う。
ディーパは「勿論だ」と短く返した。
「それじゃあね。ディーバちゃんにはあの少年を相手してもらいたいわ。」
「構わないが、何故?」
「……子供の相手をするのは苦手なの。…すばしっこいと特に!ディーバちゃんならできると信じてお願いするわ。ダメかしら?」
小さな声でこそこそと話す2人をじとりとした目で見ながら碧は思う。
「あんまりにも無防備すぎやと思わん?」
「…否定はしませんよ」
「今なら相手できると思わへん?」
「……先程の攻撃見たでしょう。あのリアナと呼ばれた方の防御を容易く敗れるとは思いません」
「…そうやろか……」
こちらもリアナ達から目を逸らさず話している。
ほんの少し、話をした後、
「さて」
どちらからともなく相方との会話を切る。
そして敵に焦点を合わせる。
ばちっと然と目が合った。
4人は同時に四方に飛んだ。
✣✣✣
二方向からくる攻撃をものともせず軽く槍を回すだけで吹き飛ばす。
槍自体あまり持ちたいものでは無いのでノクスは少し顔を顰めるが懐近くに飛び込まれればそうせざる負えない。
ガッという音がして襲いかかってきていたルーカスとアーナが吹き飛ぶ。
しかしどちらもそれをものともせず軽やかに着地する。
その瞬間ぱっと矢が飛ぶ。咄嗟に槍で弾き落とせば氷の割れた音が聞こえた。
「チッ……」
ノクスは舌打ちをする。
セレイアに襲いかかろうにもアーナとルーカスが邪魔で絶妙に進めない。
槍を手放し投げればアーナとルーカスに来られてしまう。
ある意味決定打のない手詰まりということだ。
面倒すぎてため息すら出てこない。舌打ちは出たが。
アーナやルーカスは基本猪突猛進。なんてことは無い。ただそれを守るように飛んでくるセレイアの矢が邪魔でしかない。
(…いい様にコンビネーションしやがって…)
そう思わざる負えなかった。
声を聞かせるにも僅かな一瞬でそう簡単には出来やしない。
声を張るしかないのかとアーナとルーカスの攻撃を捌きながら考える。
マスクを外す隙もなく攻撃してくるふたりが鬱陶しい。
ノクスの口からため息が溢れた。
そこに、静かな足音が鼓膜を撫でた。
人か?そうノクスは思う。
が、違った。
横の狭い路地裏から巨体が飛び出てくる。
その見覚えのあるオレンジはルーカスの後ろに飛び入りその刀をふった。
それと同時にノクスはアーナを弾き飛ばす。
「ぐ…っ…」と短い悲鳴が聞こえてアーナは道路に投げ出された。
オレンジ色の髪をした青年の刀の峰がルーカスの首に吸い込まれるように近づく。
それと同時にノクスは飛び、セレイアに向かう。その瞬間横にセレイアの矢が見えてそれをたたき落とす。
それは確実に仁を狙ったものだった。
ノクスがセレイアの近くに着き足を着いた。それと同時に仁の刀の峰とルーカスの刀の刃がぶつかった。
ノクスはその音など耳にも入れず槍をセレイアに投げる。
しかしセレイアは悠々と体を捻り槍を避けてしまう。
「そう簡単にはいきませんよね」
そう言ってセレイアは少し苦笑する。
「当たり前だろ」
そう挑発するように笑ってノクスは槍をこちらに返す。
背後からの槍に特に動ずることも無くセレイアはひょいと避ける。
ノクスの元に帰ってきた槍をぱし、とキャッチするとその槍をノクスはくるくると回す。
手持ち無沙汰という感じだ。
セレイアはそれを警戒しつつ見つめながら弓を分解し剣の形にする。
二刀流のような形になるとしっかりと床を踏み締めてノクスの懐に飛び込んだ。
✣✣
「…な……」
確かに仕留めたと思ったはずなのにその攻撃は防がれた。
仁の刀が弾かれる。刀がビィンと撓り手に振動が伝わる。
反射的に横に飛び退き姿勢を立て直す。
目の前にいる金髪、ルーカスは仁を見てニヤリと笑う。
「おめぇ吸血鬼だろー?…ひひ」
そう言って笑った。何が面白いのかと返そうと思う前に、既にルーカスは懐まで距離を詰めていた。
「っ……!」
仁の懐近くに入るとルーカスはその両腕の刀を思い切り回って切り付けてくる。
それを防ごうにも勢いがありすぎて重い。
体が切られる前に体を一部分霧化する。
そしてそのまま飛び退きくるりとバク宙を数度して距離をとる。
「…お前…」
仁がなにか言おうとすればルーカスはそれに被せるように話してくる。
「おめぇ、面白いなー!なんだぁー?その能力!」
そう言ってひひと笑う。矢継ぎ早に話すその言葉はパッと見の年齢とは不相応に思えた。
特に会話もできないようだからさっさと片付けてしまおうと思う。
その思考になる時点でかなり自分も吸血鬼らしくなってしまっているのかなと思い悲しくなるがそんなこと気にしていられない。
なんにせよ、紅永から命じられたことを最低限の被害で完遂出来ればいいのだ。要は。
そこまで思考してふ、と息を吐く。
そのまますぅ、と深く息を吸って軽く吐く。
そして地面を蹴った。
✣✣
ノクスの懐に入り込みセレイアは剣を下から振り上げる。
ノクスが槍を防ぐように構えると剣が槍をそのまま撫ぜるように不快な音を立てて滑っていく。
それでも攻撃としては重くノクスの手は微かに痺れる。
ノクスがすぐ槍から手を離せば槍は刃先を迷いなく懐のセレイアに向ける。
息をする暇もなくセレイアを串刺しにせんばかりに槍は真っ直ぐとセレイアの脳天に進む。
セレイアは片方の剣を槍の刃先に当てると少し攻撃を横にずらし同時に横に飛び退いた。
ノクスはそれを分かっていたかのように退いたセレイアに向かって槍の軌道を合わせる。
再び槍は真っ直ぐにセレイアを追う。
セレイアはその槍に動じることなく床を蹴るとそのままバク宙するようにくるりと回って向かうノクスの槍の上に一瞬立つ。
そのままふわりとノクスの方に体を向けるように回ると、その槍を地面にしノクスの前に飛び込む。
回転するように体をひねり剣を回す。
ノクスが慌てて身体を仰け反らせるがチッと小さな音を立て、髪が剣を掠る。
一見セレイアが押しているように見える。ただそれはノクスにとっては隙でしかなかった。
ノクスは素早くマスクに手を掛けて下にマスクをずらす。
セレイアはいつも閉じている目を僅かに見開く。重心を変えくるりと前転し着地に備えるがもう遅かった。
「眠れ」
脳が揺れる。
足から着地するがその景色すらぼやけた。
後ろに重心を寄せ前に転がらないようにするが上手くいかずある程度の勢いしか殺さず前に倒れ込んでしまう。
意識が薄れる。
腕を立て立ち上がろうと試みるがかくっと腕が落ち、言うことを聞かない。
そのまま冷たい地面に身体を預けたまま落ちる瞼を抑えることは出来なかった。
✣✣✣
正は空中で銃を構えるなんて器用なことをする少女の銃の上に軽々と乗る。
そしてその顔にナイフを勢い良く振り上げた。
始まりは数分前。
四方に散った4人は自分の相手を各々目に捉えていた。
片方は正とディーバ
もう片方は碧とリアナだった。
まずは正とディーバ
一見似たような背丈の2人が向かい合って立つ。
「…ふぅっ……私はタイマンは苦手なのだがな」
緩慢な動作で背負った銃を片手で持つディーバ。
「奇遇ですね。僕もタイマンは苦手なんですよ」
そう言って正はナイフを握り直す。
「まぁ」
ディーバの声
「つべこべ言わずに」
正の声
「戦おうか」
「えぇ。そうですね。僕はあなたとは気が合うようだ」
ディーバの言葉に正は同意で返しにこりと笑う。
ディーバは不快なのか分からないが僅かに眉間に皺を寄せてジャキ、と銃を構える。
バンッと発砲音が聞こえる。これで撃ち抜いたとは思わない。手応えがなかった、と思えば自分の銃の横に人が立っている。
容赦なく振り下ろされるそのナイフは子供が持つにしては異様で僅かな恐怖を感じる。
その姿にディーバは目を焼かれるように釘付けになってしまった。
一方碧とリアナ
別れて戦うのは得策では無いことを正も碧も分かっていた。だけどそれでも、ここでこの吸血鬼たちを逃すわけには行かず二手に別れることにした。
少しでも不利を感じれば情報を集めつつ正と合流するという作戦だ。
なんにせよ碧は相手の吸血鬼の情報さえ掴めればいい。何とか戦いつつ…
碧がそこまで思考すると目の前で黙っていたリアナが口を開く。
「私かわい子ちゃんには怪我して欲しくないのよ」
先程より幾分か軽い声で言われたがそれは先程も聞いた言葉だ。
「そんな知ってはります…よ…」
返した頃にはもう遅く眼前に光る赤い瞳が来る。
いつの間にそんなところにと思うがもう札を投げる時間もなかった。
「!」
ひたりと胸、みぞおち辺りに手のひらの感触を感じた。
次の瞬間には強い衝撃。
「っか……ッ…」
床に叩きつけられたのだと理解する。
みぞおちを押され背中を地面に打付ける。呼吸も満足にできず思わず酸素を求めて喘ぐ。
「っ…か、…っは…」
もがこうと思えばそれももう遅く背中で両手が縛られる感覚があった。
バチンッと到底縄をつけるような音では無い音が聞こえる。
同時に体にバチンバチンと音を鳴らして何かが巻き付く。最後に口にバチンと口を塞ぐように何かが巻き付いた。
体を見てみれば赤黒く薄いゴムのようなもの。
これをリアナの能力のものと断定するのにそう時間はかからなかった。
そこからまた数分ほど遡り、
白華とピース、アリクレッドの一行は一極集中している戦場の元に向かっていた。
今は走っているのだがピースは兎も角としてアリクレッドがバテて来てしまったたために少しだけ休んで、進んでをしていたせいか駆け付けるのが遅れてしまうなと白華は少し考えていた。
走りながらであったから周りの気配を読むことを失念してしまっていたのだ。
不意にピースが止まりその直後屋根に向かって飛んだ。
「…っな……!!」
白華は驚きのあまり声が出ず待てとも言えない。
すぐピースの飛んだ先を見れば人影。それを見た瞬間白華は何となく、そう本当に何となく反応してしまった。
ピースが人影に向かってそのナックルを振り上げる。
人影は案の定それを避けた。
まずいとわかる。人影の異様な反応速度、次に何をするかも読めてしまった。
その思考と同時に何とかピースの元まで間に合う。
ピースの腰元を片手で抱えるように引き寄せ人影に目を向ける。
素早く引き抜いた銃を盾のようにすればそこにここぞとばかりに斬撃が入った。
斬撃、と言うよりかは下から棒が切り上げられたのだ。
僅かに掠っただけだったがもはや風圧で十分なまでの勢い。
宙に浮いていた2人の体が再び舞挙げられ屋根から飛ばされる。
飛ばされた白華は体を素早く捻りピースを下にする。
「ピース!硬化しろ!」
そう大声で端的に指示をすると、何が起きているのか分からないと言う顔をしたピースが不意にふん!という顔をした。
直後勢い良く2人は建物にめり込む。
ゴシャァッと盛大な音を立てて建物を破壊しながら中に転がって行った。
人影は転がった2人から少し距離を置いて降り立つ。
ふわりと言う表現が似合いそうなマントがはためく。
それと同時に瓦礫の中からがら、という派手に崩れる音が聞こえてアリクレッドは其方に目線を向ける。
白華はもはやカチカチと音がするんじゃないかというように硬いピースの腹筋から額を離す。
クッションにもなりはしない。
だが咄嗟の機転でピースの服を硬化させたのは良かった。瓦礫に埋まらずに済んだ。
「…った……」
何とか痛む体を起こす。それと同時にモロに衝撃を受けたピースを起こす。怪我は、ないな。当然か。
「起きろピース。間抜け面晒してんな」
ぺちぺちと頬を叩けば「ハッ!?」なんて言って起きた。お前この状態でもしかして寝ていたのか。
白華はそんなピースを放っておいて握っていた銃を握り直す。
そして自分達を吹っ飛ばした人影に目を向ける。
あぁやはり。
「………久しいね。白華」
俺より早く口を開いたのは人影。紅永だった。
「……お変わりないようで何よりだぜ。特位サン」
警戒の色を見せつつも紅永を睨む。そしたら後ろで起き上がったピースが「コドモ!?」なんて叫んでいた。子供では無いだろう。どう考えても。
一方紅永の方は緩りと首を傾げていた。
「……ボクの名前知らない?」
緊張感を緩ませるようなその問いに不意を付かれる。
「…は……?…」
「…あ、そっか。もう特位の文献って残ってないんだっけ。……ボクは紅永。よろしくね」
そう言って笑う。今更自己紹介とは。本当にこの少年の形をした吸血鬼は危機感がないのか。
昔とは……いや、昔のことは止そう。それより今は。
銃口を紅永に向ける。
「…アリクレッド。ピース連れて引け。…お前らが逃げる時間は稼ぐ。情報も充分集まったはずだ。…それと正と会ったら指揮は任せると言っておいてくれ。」
紅永から1ミリたりとも視線を離さず白華はアリクレッドに指示を出す。
「…な、おじーさん…そんなん危ないぞ!…ここは3人で…」
協力しようと言いたかった。その言葉は遮られてしまった。
「んな危ない目に合わせられるか!下手したら死ぬんだぞ!!」
「それは!おじーさんだって同じだろ!?」
思わず言い返してしまう。
「さっき言ったろ!相手は特位だ!…俺が最初にした命令を覚えているなら早く離れろ!巻き込まれるぞ!」
そう畳み掛けるように言われてアリクレッドはたじろぐ。思い返してみれば最初の司令の時に特位と会ったら逃げろと言っていた。
どうしても嫌だと言いたいところだったが白華の顔を見る限り負けるという気は全く無いようで少し安堵し同時に力になれず僅かに歯噛みしながらピースの手を引いた。
ピースと言えば戦ウ!と全く聞かず白華に容赦なく殴られて気絶していたから引き摺るのも一苦労だった。
「さぁ。正々堂々行こうじゃねぇか」
「あぁもちろんさ。感動の再会といこう」
2人がほぼ同時に口角を上げ不敵に笑う。
そして地面を蹴る音が静かに響いた。