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お姉さんがやってきた、の段

(ああ…また朝がやってきた…)
瞼の裏に入り込んでくる光に絶望する。
この家にやってきてから三日が経った。この家の人たち――特に十歳になる少年は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、厠に行く時以外に布団から動かなくてもいいような扱いである。土井さんも驚いているような様子で、「ドケチの習性か…?」なんて呟いていた。ドケチって。
横に敷かれていた布団は折りたたまれ、部屋の隅におかれている。この家の住人は慌ただしい。だから、家に一人でいることも多く、それを実行する機会は幾らでもあった。
(あったのに――)
ふらりと台所へ向かい、包丁を手に取り――下に降ろした。動けるようになってから何度も行った動作。
今日もわたしは――

「あれ?お姉さん、何してんスか?」

びくりと肩を震わせて横を振り向くと、きり丸くんが立っていた。出先から帰ってきたらしい。

「体の具合は、もう大丈夫なんスか?」
「うん、もう大丈夫。看病してくれてありがとう」

きり丸くんの顔がホッとしたように笑った。
心配をかけて申し訳ないという気持ちと裏切ってしまったような罪悪感で、胸が苦しくなる。

「ところで、台所で何してたんすか?包丁なんか持って」
「あー…えっと…お、お礼にごはんを「ええっ!!?お礼ぃぃぃっ!!?」う、うん!?」

何故かきり丸くんの目が銭になってる。
お世話になったのは事実。口から咄嗟に出た言葉ではあるが、これで何かお礼が出来るならちょうどいい。

「野菜を使わせてもらっていいかな?」
「ないっスよ」
「あ、じゃあ魚は、」
「ないっスよ」
「………もしよかったら、私買ってくるよ」
「買う!?そんなぁっもったいないっ!!」
「ごごごごめんなさい!!」

きり丸君の目から銭が剥がれ落ち、一気に涙目になったのを見て咄嗟に謝った。
(…私何か悪いこと言ったかな? )

「きり丸、入るわよ」
「あ、隣のおばちゃん!こんちわーっす」

隣のおばちゃんはきり丸君と挨拶を交わすと、私を見てきた。すごくニコニコと笑ってらっしゃる。何だかよく分からないが、にこーと笑ってみた。

「半助ったら、いつの間にこんな可愛いお嫁さんもらって…。一言報告してくれたっていいのに」

…ん?お嫁さん?
「半助」って、土井さんのお名前だから……

「あ、あの!私は――」
「そーなんっすよ!お伺いするつもりだったんすけど、時間がとれなくて~!」

き、きり丸君ー!?
ぎょっとしてきり丸君を見たが、きり丸君は極上の笑顔でおばちゃんと話してる。
ヘンな汗が浮かんでいくのが分かる。

「かわいいお嫁さん、半助にもよろしく伝えといておくれ」
「あ、ああいやわたしは「はーーーーーい!」
「それと、これはお祝いの品だよ。急だったからたいしたもんじゃないんだけどね。また今度改めて持ってくるよ」
「いえいえ~!ありがとうございます~!」

きり丸君がちゃっかりと箱を受け取る。
あ、よだれ。
「お幸せに」と言って、おばちゃんは帰ってしまった。
私たちを誤解したまま。

「…き、きり丸君〜〜〜!!」
「は、はい?」

ギクリと体を固まらせ、きり丸君はわざとらしく笑い声をあげた。

「ほ、ほら~、そう言った方がお祝いの品貰えて、食材買わずにイイモン食べられるじゃないっすか」
「だからって、あんな嘘…!」

軽くため息をついた。

「…それ、返しに行きましょう」
「ええええ~!」
「私も一緒に謝りに行くから」
「そうじゃなくて!ドケチにとって一度手に入れたものを手放すのは死活問題なんすよ!!」

そう言って、箱を抱きしめたまま離さない。
ドケチって!

「それにもう無理だと思いますよ」
「え?」

きり丸君の言うことが分からず、眉をしかめた。
どういう意味か、それはすぐに分かった。
次第にガヤガヤと戸口が騒がしくなり、いろんな品を持った近所のおばちゃん方が訪れてきたから。





「申し訳ありません!土井さん!」
「白河さんが謝ることありません。頭を上げてください」
「そーそー」
「お前が言うな!!」

悪びれもなく肯定するきり丸にげんこつを落とす。悶絶しているが、お仕置きとしては当然の罰だ。
所用から帰ってきた我が家に入ると、すぐに目に入ったのは部屋の隅に置かれた山盛りのご祝儀と近所のおばちゃんたちの対応で疲れ切った顔の白河さん。
わたしと白河さんのことを近所のおばちゃんたちに誤解を解くことも出来ず、苦笑いに近い笑いを浮かべて、訪問ラッシュを切り抜けたらしい。
そして、先程の会話に至る。

「とりあえず、夕食を食べましょうか。白河さんもお腹空いたでしょう?」
「…はい」
「じゃあ用意してきますね!俺のおかげでイイモン作れたんすよ~」

きり丸が意げに軽い足取りでお祝いの山に向かう。深いため息を吐いた。

「あの、土井さん…」
「はい?」
「もし、お付き合いされてる女性がいらっしゃったら、誤解される前にお伝えした方がいいかと思いまして…」

おそるおそる、丁寧に言われた忠告は自分には全く縁のないことで、空笑いをして肩を落とした。

「大丈夫っすよ。土井先生に女の影なんてひとっつもありませんから。俺が保証しま~す」
「ぐぬぬ…!」

いつの間にかひょっこりと戻ってきたきり丸の頭を軽くはたく。口を尖らせながら頭をさするきり丸の右手には薄茶色の小包。

「きり丸、何持ってるんだ?」
「ご祝儀の中にあったんすけど、これってたぶん――ほら!」

紐を解いて小包を広げると、色鮮やかな三色団子が現れた。きり丸の顔がパッと明るくなる。

「すげーーー!しかもけっこうな量っすよ!いっただっきまーす!!」
「夕飯もまだなのに…まあ、いいか。白河さんもよかったらど――」

「どうぞ」という言葉は続かなかった。
白河さんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていたから。
ポタリ、ポタリ、と衣の上に落ちる音が耳に響いた。



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(たすけて、と)(彼女の声が聞こえたがした)
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