お姉さんがやってきた、の段
『こんなとこで何してんの?』
アルバイトから帰る途中、雨の中で見つけたお姉さん。
木にもたれかかるように座って、遠くを見ていた。
早く帰ろうと思っていたのに、足が止まってしまった。何故か、放っておけなかった。
お姉さんはぼんやりとした表情で俺を見上げた。
ひどく虚ろな目。
いつかの俺のようだと思った。
『早く帰んないと、風邪ひくぜ』
『…ないよ』
雨が降りしきる中、ポツリと呟かれた小さな声。
『帰る場所なんて、ないよ…
家も、家族も…みんな、なくなっちゃった…』
胸をえぐられたような気がした。
この人もまた、自分と同じ境遇なのだと。
お姉さんを家に連れてきてから、丸一日が経過した。お姉さんは目を覚ますことなく眠っている。土井先生は大丈夫と言うけれど、やっぱり不安は拭いきれない。
だから、アルバイトが終わった今、お姉さんが寝ている布団の隣に座っている。ぬるま湯に浸した手巾をしぼり、お姉さんの頬や手にあててやる。そうすれば、冷たい身体が温かくなって、目を覚ますと思ったから。
「きり丸、心配なのは分かるが、お前は心配しすぎだ。じきに目を覚ますと言ってるだろう」
「そんなこと言って、一日経っちゃったじゃないですか」
「疲れてるんだ。寝かしておいてあげよう。 それよりも、彼女が目を覚ましたときのために、何か作っておいてあげた方がいいと思うがなあ」
こんなとき、大人ってすごいと思う。余裕たっぷりなのだ。現に土井先生は何もないかのように、残った内職を片付けている。心配しないのだろうか。
「……」
台所に向かった。
先生の言うことも一理ある。ケチケチしないで、栄養のあるものを作っておこう。お姉さんが起きたら、すぐにでも食べてもらえるように。
鍋と包丁を取り出し、ふんと意気込んだ。
きり丸が台所に向かうのを見て、少しホッとした。
彼女のことが心配で、昨夜もなかなか寝付けなかったようだし、気分転換をさせるのは悪いことではない。
針を動かす手を止め、規則正しい寝息をたてる彼女を見た。
睡眠をとって少しだけ回復した…というところか。顔色はまだ悪い。 起きてくれれば、ご飯を食べるなりして体力をつけられるだろうが、眠っている状態ではそうもいかない。
いま、自分たちに出来ることは限られているのだ。
そのとき、ふるりと瞼が震え、僅かに彼女の目が開いた。
ほっと胸をなで下ろした自分は、思っていたよりも気を張っていたらしい。これではきり丸のことを言えない。
「気分はどうですか?」
わたしの声につられるように、焦点の合わない目がこちらを向いた。
「お姉さん!目ぇ覚めたんすか!?」
彼女に声をかけたことに気付いたきり丸がすぐさまこちらに駆け寄り、彼女の顔を覗き込んだ。
「お姉さん覚えてる?お姉さんが倒れる前にちょっと話したんですよ」
きり丸は自分の顔を指差して、にっと笑う。
しかし、彼女の目に困惑が色が映る。その様子に、きり丸は少し残念そうに眉を下げた。
「あー…やっぱり、覚えてないですよね…。あ!水持ってきますね!」
きり丸が台所へ向かって、すぐに戻って来た。
慌ただしい奴だ。
体を起こそうとするお姉さんの体を支え、きり丸から水が入った器を受け取った。
「自分で飲めますか?」
「………」
ぼんやりと、虚ろな瞳で器を眺めていたが、しばらくすると手に取ってくれた。一口、また一口と喉を鳴らしながら水を飲み干した。
少し頭がハッキリしてきたのか、部屋の中を見渡し、視線が私に向いた。
「あの…あなたたちは…?」
「私は土井半助です。」
「俺はきり丸。お姉さんは?」
「…白川、凪です…」
消え入りそうな声で、一言だけ呟いた。
彼女は何かを思い出したかのように表情を歪めて、目を伏せた。
青空スキップ
(自分の名前以外、彼女は何も語らなかった)
アルバイトから帰る途中、雨の中で見つけたお姉さん。
木にもたれかかるように座って、遠くを見ていた。
早く帰ろうと思っていたのに、足が止まってしまった。何故か、放っておけなかった。
お姉さんはぼんやりとした表情で俺を見上げた。
ひどく虚ろな目。
いつかの俺のようだと思った。
『早く帰んないと、風邪ひくぜ』
『…ないよ』
雨が降りしきる中、ポツリと呟かれた小さな声。
『帰る場所なんて、ないよ…
家も、家族も…みんな、なくなっちゃった…』
胸をえぐられたような気がした。
この人もまた、自分と同じ境遇なのだと。
お姉さんを家に連れてきてから、丸一日が経過した。お姉さんは目を覚ますことなく眠っている。土井先生は大丈夫と言うけれど、やっぱり不安は拭いきれない。
だから、アルバイトが終わった今、お姉さんが寝ている布団の隣に座っている。ぬるま湯に浸した手巾をしぼり、お姉さんの頬や手にあててやる。そうすれば、冷たい身体が温かくなって、目を覚ますと思ったから。
「きり丸、心配なのは分かるが、お前は心配しすぎだ。じきに目を覚ますと言ってるだろう」
「そんなこと言って、一日経っちゃったじゃないですか」
「疲れてるんだ。寝かしておいてあげよう。 それよりも、彼女が目を覚ましたときのために、何か作っておいてあげた方がいいと思うがなあ」
こんなとき、大人ってすごいと思う。余裕たっぷりなのだ。現に土井先生は何もないかのように、残った内職を片付けている。心配しないのだろうか。
「……」
台所に向かった。
先生の言うことも一理ある。ケチケチしないで、栄養のあるものを作っておこう。お姉さんが起きたら、すぐにでも食べてもらえるように。
鍋と包丁を取り出し、ふんと意気込んだ。
きり丸が台所に向かうのを見て、少しホッとした。
彼女のことが心配で、昨夜もなかなか寝付けなかったようだし、気分転換をさせるのは悪いことではない。
針を動かす手を止め、規則正しい寝息をたてる彼女を見た。
睡眠をとって少しだけ回復した…というところか。顔色はまだ悪い。 起きてくれれば、ご飯を食べるなりして体力をつけられるだろうが、眠っている状態ではそうもいかない。
いま、自分たちに出来ることは限られているのだ。
そのとき、ふるりと瞼が震え、僅かに彼女の目が開いた。
ほっと胸をなで下ろした自分は、思っていたよりも気を張っていたらしい。これではきり丸のことを言えない。
「気分はどうですか?」
わたしの声につられるように、焦点の合わない目がこちらを向いた。
「お姉さん!目ぇ覚めたんすか!?」
彼女に声をかけたことに気付いたきり丸がすぐさまこちらに駆け寄り、彼女の顔を覗き込んだ。
「お姉さん覚えてる?お姉さんが倒れる前にちょっと話したんですよ」
きり丸は自分の顔を指差して、にっと笑う。
しかし、彼女の目に困惑が色が映る。その様子に、きり丸は少し残念そうに眉を下げた。
「あー…やっぱり、覚えてないですよね…。あ!水持ってきますね!」
きり丸が台所へ向かって、すぐに戻って来た。
慌ただしい奴だ。
体を起こそうとするお姉さんの体を支え、きり丸から水が入った器を受け取った。
「自分で飲めますか?」
「………」
ぼんやりと、虚ろな瞳で器を眺めていたが、しばらくすると手に取ってくれた。一口、また一口と喉を鳴らしながら水を飲み干した。
少し頭がハッキリしてきたのか、部屋の中を見渡し、視線が私に向いた。
「あの…あなたたちは…?」
「私は土井半助です。」
「俺はきり丸。お姉さんは?」
「…白川、凪です…」
消え入りそうな声で、一言だけ呟いた。
彼女は何かを思い出したかのように表情を歪めて、目を伏せた。
青空スキップ
(自分の名前以外、彼女は何も語らなかった)