短編集

「初めまして、旦那様?」
 白無垢の下で、その女はくふりと嗤った。


 先日、籍を入れた。娶った妻は黒髪が綺麗で、非常に美しい女である。親同士の口約束で見知らぬ女と夫婦になった。見知らぬ女ではあったが、実に気の効く良い人だと思う。俺には勿体無いくらいだ。
そんな彼女は手を拭きながら台所から姿を現すと俺の正面に座った。ちゃぶ台に並べられた料理からは美味しそうな匂いが漂っている。俺は箸を動かして今度は焼魚に手を伸ばした。

「私の料理は如何です?美味しいですか?」
「ああ」

 一度、咀嚼した。

「美味しいよ。料理が上手いんだな」
「ええ。とても、練習したのですよ」
「そうなのか。嫁に行くのも大変なんだな」
「ええ、まぁ。それもそうなんですけれど、」

 妻はそう言うと、一度口を閉じた。うふふと妖艶に嗤う。

「人間と同じものが食べられない化物が作る料理が美味しいだなんて、悔しいでしょう?」


 そう彼女が笑みを浮かべる。私が娶った黒髪が綺麗で美しい女は──人を喰らう、化物と呼ばれる類いであった。




 世の中には妖怪や幽霊といった不確かなものが存在すると聞くが、彼女はそういった類いの存在ともまた異なるのだと言っていた。
──人間の両親を持つ彼女は確かに人間である。しかし生まれながらにして化物である彼女は、世間的には人ならざる者として分類されるらしい。人間の中に馴染めず、しかし人間と人間の間から生まれた以上生粋の化物でもない。そう、初めて会った白無垢の下で話していたことを白飯を咀嚼しながら思い出す。

「俺は料理が出来ないから悔しいというよりは羨ましいな」
「あら、」

 彼女は目をぱちくりとさせた。頬に手を当ててこてんと首を傾げさせる。

「旦那様、もしかしてさっきのが嫌味だと気付いていらっしゃらない?」
「いや」

 俺は首を横に振ると、焼魚を再び口に運んだ。

「素直にそう思っただけだよ」
「……そうですか」

 鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべたが、直ぐににっこりと笑う。

「本当に美味しそうに食べますわね。化物が作った料理なのに」
「君は自分のことを化物だと言うけれど、人間より恐い化物は居ないよ」
「あら。そうは言いますけれど、私が今までどうして空腹を凌いでいたかご存知?」
「いや知らないな」
「聞かされずに私と結婚させられたのですね。可哀想な旦那様。良いでしょう、お教え致します」

 彼女は頬杖を付くと俺の顔をじっと見てきた。だから、俺も彼女を見返す。

「生まれてこの方、人間と同じ物が食べられませんの。食べようものなら体調を崩してしまいます。生きた物なら食べられるのでしょうけど、それを喰おうものならたちまち堕落してしまいますから試したことはありませんわ」

 そう言うと彼女は自身の腕を俺に見せてきた。あちこちに赤い色が付着した包帯が巻かれている。

「でもお腹は空きます。だからこうして私は私を蝕むのです。もしかするといずれ旦那様を喰ってしまうかもしれませんよ?」
「……それは困るな」

 そう俺が呟くと彼女はただ静かに微笑んだ。

「……お前は、自身を化物だと蔑むのに、堕落することは気にするんだな」
「あら。だって曲がりなりにも人間の腹から生まれた生き物ですもの。少しくらい気にしますわ」
「そうか」

 白飯の添え物として浸けられていた沢庵を口に入れると、サクサクと良い音がする。味付けも丁度良く、とても美味しい。

「でも、それで納得した」
「?」
「俺達が結婚させられた理由に」
「そんなのただの厄介払いでしょう?」

 くふりと、また嗤う。長い前髪が表情を翳らせる。

「化物の私と、商家の次男の旦那様。体の良い厄介払いではありませぬか。殿方の事情なんてとんと興味はありませんが、御家とは長男が継ぐものなのでしょう?」
「……まぁ、そうなんだが」

 俺はため息を一つ吐くと、大根下ろしを口に運び、焼き魚を解す。
 彼女は俺が言ったことの真意にきっと気付いていない。気付かないもなにもそもそも俺は何も話していないという事実に気付き、「失礼」と一声掛けると立ち上がった。この美しい妻は俺に色々なことを話してくれたというのに。何ということだろう。

「刃物はあるか」
「刃物?……お台所に包丁が。そこの箱に鋏が御座いますが…」
「そうか。少し包丁を借りるぞ」

 そう言い残して台所へと向かうと、包丁を手にした。彼女の方へ振り向くと、俺をきょとんとした様子で見ていた。今度は俺が笑う。

「俺はまだお前に言ってないことがある」

 俺は、徐に包丁を左腕目掛けて勢い良く振り下ろした。

「えっ?」

 すっとんきょうな声が聞こえた。
ぼたほまたと赤い色が床板を湿らせていく。しまった、何か雑巾か何かを引いておけば良かったと思う。

「何をしているのです?」

 彼女は驚いたような顔を見せたが、直ぐにいつもの表情に戻った。俺のことを心配することなくただ淡々と静かに言う。
 ちいさく俺は笑った。

「気でも狂いましたか?」
「まぁ良く見てろ」

 俺が静かな声でそう言えば彼女は黙った。
静寂をぽたりぽたりと腕から滴る血の音が響く。しかしそれもやがて聞こえなくなった。……頃合いだろうか。
包丁を流し場に置き、左腕に右手を乗せた。そして血を拭うように右手を動かせば、その下には傷口の無い無垢な肌色があった。
女は微笑むことを止め、じっと俺を、具体的に言うと腕を見詰めていた。
はくと目を大きく開けた女は呟く。

「……どうして、」
「さぁ。何故だか分からないが、昔から異様に怪我が治るのが早いんだ」 

 ──昔からそうだった。昔から異様に傷の治りが早く家族から疎まれていた。ただでさえ商家の次男というだけで肩身が狭かったのに。俺の家では屋号を継ぐのは長男の仕事であり、当然のことだった。その上この特異体質のせいで居場所すら無いようなものだった。

 つまり、この小さな粗屋で、人間にすら成ることの出来ない観迎されない者同士、押し込められたという訳である。
なんと滑稽な話なんだろうか。結婚ですら、俺を、俺達を追い出す為の道具であり、手段でしか無いのだ。

「人間ですのに?」
「お前も似たようなもんだろう?」
「……ああ、成る程。だから結婚されられた理由が分かったと仰ったのですね」

 そう言うと、彼女はふっと表情を緩めた。俺は口を開く。

「なぁ、」
「はい」
「俺と取り引きをしないか?」
「取り引き?」
「ああ」

 彼女からあの話を聞いたその日から考えていたことがあった。それをさもたった今思い付いたかのように提案する。彼女は首を傾げさせた。

「お前は生きた物を喰ったことがないと言ったが今後もそうとは限らない。それに自身を喰らう嫁はが居ると思われては世間体が悪い。露見すればお前はまず化物として処刑されるだろう」
「……まぁそうでしょうね。人々は自分と異なる存在を忌み嫌いますから」
「例えお前が今後と人を喰わなかったとしても……火がない所には煙は立たないとも言うしな」
「全くその通りですわ」

 そう返す彼女に、俺は自分の腕をずいっと差し出した。

「だから俺の血肉をお前に提供する。少しだけなら直ぐに再生して、証拠も何も残らない。お前が生き残るためには俺を殺すことなど出来ないのだから俺の身の安全は確保され、お前の世間体も守られる。悪い話ではないと思うが」

 どうだ?と俺は彼女に問う。彼女は俺の問い掛けに妖艶に微笑んだ。

「……良いでしょう。その提案お受けしましょうとも。泣いて許しを乞おうとも私は貴方のことを一生離してやりませぬよ」

 まるで出会った時と同じような笑みだと思った。全く同じ笑みで、くふりと漏らす。


「改めてよろしくお願い致しますね?私の旦那様」


【人間に成れない夫婦の話】
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