君の祈りは知っている
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こいつはお前にも懐いているから、そう言って兄は私に白い子猫を託した。
戸惑う私に対して預けるだけだと言って足早に子猫と私の元から去って行った。
今思えばあの時から兄は知っていたのかもしれない。
それから幾日かして汗だくになって膝をつき、肩で息をしている万葉様が私の前に現れた。
久しぶりに会う万葉様のお姿に喜んだのは最初だけだった。
何か言おうとしているのはわかるが言葉にならず、肩で息をする万葉様にお水を差し出して、額の汗を手拭いで拭う。
そうやって万葉様の息が整うのをお待ちしていた。
話せるところまで回復した万葉様が最初に発した一言は私にとって、どんな言葉よりも耳に入れたくない言葉であった。
「――――が死んだ」
「……え、か、万葉様……いま、なんと……?」
動揺する私に万葉様はもう一度同じことを繰り返した。
万葉様が私に伝えたのは兄の訃報。
それを聞いてようやく兄がなぜ子猫を私に託したのかを知った。
万葉様によれば兄は御前試合を申し込んだのだという。
戦う者にとって強者を倒すというものは目標の一つになり得る。
兄だってそうだった。
高みを目指すためには強者を乗り越えていかなければならない。
稲妻において最も強い者といえば雷電将軍だというのは周知の事実である。
そんな彼女の前で自分の武力を示すことができるのが御前試合。
万葉様によれば兄はそれに加えて、勇猛さとは何かを世に示すために御前試合を申し込んだのだという。
兄は私に何も教えてはくれなかった。
御前試合の敗者には罰が下される。
いくら名高き武の持ち主であろうとも対戦相手が存在する以上勝てるかどうかは五分五分である。
そして兄は御前試合に負けた。
仕掛けた者が敗者の場合その罰は一層重い。
将軍様の無想の一太刀に沈むことになる。
それが御前試合の定めだ。
その定め通り、兄はそのまま帰らぬ人になった。
私にそれを教えてくれた楓原万葉様は兄の友人であり、私の大切な方でもある。
「すまぬ。……拙者は、間に合わなかった……すまない、なまえ」
あまりに唐突な出来事に対して呆然とする私に対して彼はずっと謝っていた。
飼い主を失った何も知らない子猫が私の足元で小さく鳴いている。
万葉様の手には光を失った神の目。
彼が悪いわけではないことはわかっている。
でも、でも……私は、そばにいれば彼を責めそうだった。
着物をぎゅっときつく握りしめて感情が表に出ないように我慢するけれど、心の中では感情を制御しきれていない。
なぜ兄を止めてくれなかったの。
なぜ兄の神の目ではなく、兄を……兄上自身を連れて帰ってきてくれなかったの。
なぜ、なぜ……。
そんな考えがぐるぐるとまわりだして、項垂れる万葉様の姿を見ていると思わず彼を怒鳴りそうになる。
「万葉様……、っ……すみませぬ。どうか、……この子と、2人に……してください」
「なまえ……」
足元で鳴いている子猫に目を向けて万葉様に訴える。
これ以上謝る彼を見ていると私は彼を責めてしまいそう。
この方をお慕いしているから傷つけたくはない。
だから彼を視界に入れないように背を向けた。
万葉様の声がさらに沈んだのを感じる。
それに罪悪感を感じて、私は結局口を開いて自分の思いを言葉に変えてしまった。
彼を傷つけぬように言葉を選んで、背を向けたまま私は自分の思いを彼に伝えた。
「万葉様……万葉様のせいではないことは、わかっております。けれど、……なぜ、あ、兄上を……っすみません。私は、万葉様……、私は、万葉様を責めたくありません……だから、どうか……私のことは、かまわないでください」
「なまえ、拙者は……っ」
これが今の素直な気持ちだ。
万葉様に嫌われたくない。
彼が立ち去るまでは気丈に振る舞わなければ。
そのあと思いっきり泣こう。
だから、早く立ち去って。
いつもなら流浪の身の彼に会えたらいつまでも共にいたいと願うのに今日は正反対のことを考えている。
「万葉様……おねがい、……っ」
しばらくして衣擦れの音が聞こえた。
ようやく立ち去ってくれるのかと思って安心と少しの寂しさを覚える。
自ら立ち去ってほしいと願いながらもいざ行動に起こされると寂しく思う。
未熟な自分が露呈するように思えて嫌になる。
しかし万葉様がこの場から立ち去ることはなかった。
「なまえ」
「……っ!」
名前を呼ばれたと同時に万葉様の手が私の腕に触れた。
その手を振り払おうとしたができなかった。
いくら万葉様が物腰柔らかな人であろうとも所詮男と女である。
私が万葉様の力にかなうはずがなくそのまま腕をひかれて再び彼と顔を合わせることになってしまった。
「なまえ……。拙者を責めてくれてもかまわぬから、拙者の知らぬところで泣かないでくれ」
万葉様の優しく私のことを思っていてくれるその言葉を受けて私の心がぐらついた。
私は今、理性がなくなるぎりぎりの瀬戸際に立たされている。
私は兄の死を聞いて理性を保っていられるほど成熟してはいない。
「万葉様……」
「なまえ、拙者がいる。だから……」
その後に続けられた言葉は私には聞こえなかった。
そこまでで私のタガは完全に外れた。
怒りとも悲しみともいえる複雑な感情が私の胸中に去来していた。
心の中に渦巻く感情を私だけのものにしておけなかった。
気が付けば私はそれを外に出していた。
万葉様を睨みつけた。
耐えていた涙が落ちる。
私は私自身の感情を制御できなかった。
「……っ! ……っどうして! どうして兄上を、っ止めてくださらなかったんですか! ……っ、どうして、……どうして、」
私はもう万葉様の気持ちを考える余裕などこれっぽちもなかった。
万葉様にすがりついて、彼の着物が汚れるのも厭わずに子供のように声をあげて泣いた。
「どうして!? どうして……っ! あ、兄上を……っ! 兄上を、止めて……っ兄上を……、あにうえ……あにうえ、……うう、なんで、なんでぇ……っ!」
私は兄のこと以外何も考えられなかった。
兄のことだけを考えていた。
猫は預けるだけだとそう言っていた。
私は確かに兄の言葉を聞いた。
帰ってくるのではなかったのか。
去り行く兄の後ろ姿が何度も頭によぎる。
「あにうえ……っ、だって、かえってくる……って、いった、のに……っ」
私は万葉様が何も言わないのを良いことに彼に言葉をぶつけ続けた。
何を言ったのかわからない。
ずっとうわ言のように兄の名を呼んでいたことしか覚えていない。
私にとって兄が唯一の家族だった。
兄だけが私の肉親だったのだ。
私が泣いている間、万葉様はずっと抱きしめていてくださった。
彼のぬくもりを感じつつも私はずっと泣いていた。
追手が迫っていることも知らずにその時の私は完全に彼の優しさに甘えていた。
ひとしきり泣いた私が落ち着いたのはそれから少し経ってからだった。
落ち着いた私を見て万葉様は兄の神の目を引き続き持っていても良いかと尋ねてきた。
恥ずかしいほど泣きじゃくった私は今はすっかり冷静さを取り戻していた。
兄の死は悲しいが万葉様だって悲しくないはずがない。
万葉様が私に対して何も言わなかったけれど彼だって兄の友だった。
その死に悲しみを抱くのは当然で、兄を助けられなかった万葉様がきっと私よりも悲しみと悔しさを抱かれているはず。
それなのに私は自分の感情のままに万葉様を責めて、そして慰められた。
そのことにようやく気付いた私は万葉様に静かに自らの非礼を詫びた。
万葉様はそんな私を許してくださった。
「なまえ、この神の目は騒乱の中心となっている。拙者が持っていてもかまないだろうか?」
「兄上も……きっと私よりも万葉様がお持ちいただいたほうが喜ぶと思います」
それに目狩り令が発令されている中、私が持つよりも万葉様が持っていた方が良い。
万葉様はきっと私に目狩り令に巻き込まれてほしくないのだとも思った。
「かたじけない。なまえも知っての通り拙者は神の目を持つ故、天領奉行に追われる身であるが今回の件でおそらく雷電将軍に目をつけられたであろう」
兄の神の目を大切そうに手に持った万葉様の言葉は万葉様自身が立場を再確認するために話していたように思えた。
万葉様のその話し方に私は嫌な予感がする。
「拙者は捕まるわけにはいかぬ。これまで以上に長らく会えぬだろう。もしかするともう会えぬかもしれない。だから……」
「お待ち、しております。私……いつまでも、貴方様が私を迎えに来てくださるのをお待ちしております……!」
もしかしたら彼は私に別れを告げる気だったのかもしれない。
私はこれが今生の別れだとしても万葉様との縁を切るつもりはなかった。
だから私は彼の言葉を遮って自分の感情をそのまま話をした。
思いっきり泣いたせいだろうかいつもよりずっと素直な気持ちを万葉様に伝えられた気がする。
「……本来であれば待つべきではない、と伝えるべきであろうがなまえがそう言ってくれて拙者も嬉しいでござる」
それは彼なりの別れの言葉だったのだろう。
今までの別れとは違う。
永遠の別れになるかもしれない。
それでも万葉様を待ちたいと思う。
私はもう一度万葉様に抱きついた。
首に腕をまわしてぎゅっと力を込めれば万葉様もまた私に答えてくれた。
会わなくてもいいなんて、嘘。
本当はずっとそばにいたいし、おそばにおいて欲しい。
けれどそれは所詮叶わぬ願い。
「万葉様、どうかご無事で」
「……なまえも、」
口にした言葉に全ての想いを込めて私達はしばらくその温もりを忘れないように抱き合っていた。
別れを惜しむ私達は最後まで「さよなら」の一言だけは交わせなかった。