彼女はずっとそこにいる
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「そういえば、一番最初に魈の事聞いてきたけど?」
「はい。先程彼のことを話していたので、本当はこのまま帰そうかと思っていましたが知り合いならば少しお願いしたい儀があります」
「……儀?」
耳慣れぬ言葉に空が聞き返すがその幽霊はそれを催促だと勘違いしてその依頼内容を話し出した。
「突然のことで驚くかもしれませんが、彼に渡していただきたいものがあるのです」
「魈に?」
「はい。危ないものではございません。ただの古ぼけた……ガラクタです。もし時間があるのなら私の願いを叶えてくれませんか?」
その幽霊は極めて真剣だった。
空は悩んだ。
たしかに目の前の幽霊に会ったことであの男の依頼は終わった。
しかし魈に会って物を渡すというのは難度が高い。
彼がいる場所といえば真っ先に思い浮かぶのは望舒旅館であるがそこに必ずしもいるとは限らない。
「でも、俺たちも魈に必ず会えるわけではないから」
「……渡せずともかまいません。渡せなかったらお好きなようにしてください。古びた遺物でございます。売れば多少の貯えにはなるかと」
「売るって……大事な物じゃないのか?」
空がそう言ったが、幽霊は売っても構わないからと依頼の遂行を頼んできた。
渡してほしいのに売却しても構わないとはとても矛盾している。
渡せないなら手元に置いておいた方が良いのではないかとパイモンが尋ねるが幽霊は首を振った。
「かつての私には大切な物でしたが、触れられぬ今の私には不要のものです。たとえそこに思い出が詰まっていようと触れられぬのならば振り返っても……虚しいだけです」
生前の思い出がそれには詰まっている。
それを見るだけでも思い出に浸れるというのに彼女はそれを良いことだとは思っていないようだ。
「そっか。そういやまだ名前を聞いていなかったな。オイラはパイモン。それでこっちが……」
「俺は空」
2人は幽霊に名乗る。
しかし、彼女は彼らの名を呼ぶことも自分の名を告げようとはしなかった。
「……お名前をお教えいただきありがとうございます。しかし、死した者が生ある者に伝える名などもうないのです。せっかく名乗ってくださったのに私から差し出せる名はございません」
「でも、オイラたち……魈になんて言って渡せばいいんだ?」
ただでさえ警戒心の強い魈が名も分からない人から物を受け取るはずがない。
そう言って名前を聞こうと説得するが幽霊は頑なに自分の名を告げようとはしない。
彼女はその理由を次のように語った。
「本来であれば死者が生者に干渉するのは良くありません。凡人ならば尚更のこと。……まあ、些か例外もいるようですが、そういう者は己の領分も弁えているものです」
その言葉に空とパイモンの脳裏に往生堂の堂主のことが頭によぎる。
彼女も一般的に知るべきではないことであると話していた。
「ですから私の名など知る必要はありません。彼もきっと覚えていないでしょう。けれど、もし……彼が覚えていて下さるのなら……。……いいえ。それはあってはならぬことです」
魈が名前を覚えていたらと彼女は言った。
それは幽霊の願望だったのかもしれない。
だが幽霊はそれを自ら否定した。
「……彼が魈になった時点で私との縁は切れました。しかし、どうかこれも私の未練を晴らすと思ってこの小さな願いを叶えてくださいませんか?」
そこまで言われて聞き出せるはずもなく、結局空もパイモンも何も返す言葉はなかった。
黙っているとそれを怒っていると勘違いしたのか幽霊は彼らにもう一度口を開く。
「名前も教えずにお願いだけして申し訳ないと思っています。ですが、これもお前たちの安全のためなのです。どうかご理解ください」
幽霊だって、名乗らない理不尽さを理解しているらしい。
不満が残らないわけではないがこのように必死に話す彼女の姿に名前を知ることは諦めるより他はなかった。
その後、空は幽霊の依頼を引き受けた。
疑問は残るが空は彼女の話を聞いているうちに彼女のことを不憫に思えたからだ。
彼女はその渡してほしいものはこの石碑の裏にある箱の中にあるとだけ話した。
空はひとり石碑の裏に周り、そこにひっそりと存在していた古ぼけた箱を開けた。
中にあったのはぼろきれとよべるような古い布に包まれた物ただひとつだけだった。
布をひろげることなく、それを空はそっと丁寧に取り出した。
中身は見るべきではないとただ漠然とそう思った。
石碑の裏から幽霊とパイモンの待つ表側に戻ってきて、空は持ってきたそれを幽霊に確認してもらった。
布に包まれたままだということに驚いていたが、幽霊はそれであっていると空に礼を言った。
黙って事の成り行きを見ていたパイモンが空と話し終わった幽霊にタイミングを見計らって声をかけた。
「なあ、ひとつ聞いてもいいか?」
「はい。どうぞ」
名前は教えてはくれないが質問には答えてくれるらしい。
パイモンに答えるその声も極めて優しいものだった。
「幽霊なら自分で会いに行けばいいんじゃないのか?」
パイモンは今まで会った幽霊たちを思い出してそう言うがその質問に彼女はすぐさま首を振った。
「私はここから出ることができません。閉じ込めておかなければならないものがいるのです」
「閉じ込めておかなければならない……?」
閉じ込めておくではなく、閉じ込めておかなければならないとはなんとも物騒な表現である。
それほど危険なものがこの地に存在するというのだろうか。
「……獣がいるのです」
「獣? 獣って、……あの話は本当だったのか!」
先に2人から話を聞いていた幽霊はあの話が彼らの依頼の男の友人の話に出てくる獣だということを理解していた。
その話に出てくるこの地を汚したとされる獣。
「はい。でも優しい獣です。だから、あの子が優しいままでいられるようにここに封じておかなければならないのです。私がいればここから出ることはかないませんから」
「「……」」
「私はこの地の楔です。この場所はかつて私がお前たちのように肉体を持っていた頃、今のような場所ではなかったのです。お前たちが知っているようにこの地は封じられました。死んだ私が楔になることによってこの地は周りから隔絶することになりました」
「楔? 誰かがお前を縛り付けたのか?」
「いいえ、楔になったのは他人に頼まれたのではありません。私がここにたどり着いたときはすでに人の手は入っておりませんでしたから」
「ん? おかしいな。あの男の話だと禁域に設定されたから特殊な方法でしか入れないって聞いたけど……?」
男との話の違いにパイモンが首をかしげる。
考え出したパイモンに幽霊は言葉をつづけた。
「人々の中に残る話は言い伝えのみだということは聞いております。ですから多少、話が変わることもございましょう。あまり考えすぎるのも良くはありません」
「うん、そうだよな」
「……そろそろ夜になります。夜は危険です。さあ、外への道を案内しましょう」
そう言って話を打ち切った幽霊は空とパイモンを促した。
彼女に先導されて見知らぬ道を歩く。
しばらく歩くと森の中に開かれた空間に出た。
その奥に洞窟のようなものがあり、幽霊はそこの前で止まった。
「ごめんなさい。私はここから先はいけません。あとは真っ直ぐ進むだけでここから出られます」
「ありがとう」
彼女は振り返って2人を見た。
薄暗い洞窟のようだがこの幽霊が悪いものではないことはわかっていた。
だから、空は彼女の言葉を素直に信じて礼を言った。
「いえ。こちらこそ無理なお願いをしてしまってすみません。……そうだ。次来るときも、朝にお越しくださいね。夜は――危険ですから」
「おう! ありがとうな」
「いいえ、私も話せて良かったです。……先程も申しましたが渡せずともかまいません。あの者の代わりに、このような僻地に来たお前たちのような優しく勇敢な人間が、真っ先にそれを売るような真似はしないと私は信じています」
幽霊は空達を信じているとまっすぐと彼らを見た。
そんな彼女の目に見つめられて2人は彼女が依頼の品をちゃんと渡してほしいのだと、それが彼女の本当の願いなのだと思った。
どうにか魈に手渡したい。
空もパイモンもそう思った。
「私の望みが叶うとも叶わずとも……もう一度この地にお越しください。その時までに必ず、お礼を用意して待っております」
そう話す幽霊に見送られながら空とパイモンは秘境を抜けることができた。
――
幽霊のおかげで無事にあの秘境から出た2人はすぐさま魈がいるであろう望舒旅館に向かった。
どうやらタイミングが良かったらしい。
旅館の最上階に相変わらず外を眺める魈の姿を見つけることができた。
「……お前たちか。今日は何の用だ」
冷たい物言いながらも用件を聞こうとしてくれるだけでも仲良くなった方だと空は思った。
それでもいつ彼の気が変わるかわからない。
早々に用件を話すことにした。
「おまえに渡して欲しいって言われたんだ!」
「……これは、」
パイモンの言葉に促されるように空は預かった布に包まれたままのそれを魈に差し出した。
彼は空の手の中にある布に包まれた塊を見て言葉を詰まらせた。
そしてそれを凝視していた。
ためらっているような困惑しているような、その様は空もパイモンも見たことがなく彼らまで戸惑いを覚えた。
しかし、戸惑ってはいられない。
気を取り直したパイモンが補足するように言葉を口にする。
「オイラたちはそれが何か知らないけどおまえに渡せばわかるってその子が言ってたぞ」
「……」
「そいつ幽霊だったけどおまえの友達なのか?」
銅雀を思い出しながらパイモンが尋ねた。
「幽霊……」
幽霊という単語に何か引っ掛かりを覚えたのか、魈はその言葉を繰り返した。
しかし自身の中で納得する答えが出たのか空達には何も言わなかった。
それから、しばらくして黙ったまま何も言おうとしない魈にパイモンが痺れを切らした。
「お前が受け取らないなら売ってもいいってその子が言ってたんだ。……でも、オイラたちはそんなことしたくない」
だから受け取ってほしいと話すパイモンの声は魈の睨むような鋭い視線を受けてだんだんと小さくなっていく。
そんなパイモンの言葉を受けたのかはわからないが魈はようやく口を開いた。
「……あれは我らとは違う。ただの弱い人間の小娘だ」
「――え?」
弱い人間の小娘。
そう絞り出すように話した魈の言葉は少し怒りを含んだような吐き捨てるようなそんなふうに聞こえた。
魈からの言葉を待ちながら彼の顔色を伺っていた空は忌々しそうに話す魈の声と表情の差異に気づいて思わず声を上げた。
空たちの前ではほとんど表情の変えない魈。
けれども空が見た魈は今まで空が一度も見たこともないような表情をしていた。
そんなことには気づいていないのか、ようやく空の手に置かれた幽霊のあの子が託した魈への贈り物へと手を伸ばす。
「……だが、これはもらっておく。お前たちはその小娘から謝礼でももらってくるが良い」
ぼろ布ごとそれを手に握り締めたまま魈はそれだけを口にした。
その後はもう話すことは何もないと言わんばかりの態度で2人に背を向けて何も答えてはくれなかった。
そんな魈の態度にパイモンはあいかわらずの態度だと呆れつつも、しっかりとあの子からの贈り物を受け取ってくれたという安堵から満足そうな顔を空に見せた。
「……まあ、受け取ってもらえただけでも良かったって思おうぜ。……さて、オイラたちはあの子のところに戻ろう。魈の言う通りお礼の用意をしてくれているだろうしな!」
「そうだね」
空とパイモンは歩き出した。
旅館の昇降機を使って地上へと向かう。
その途中で空は違和感を得た。
最後の魈の言葉。
明らかにおかしかった。
――お前たちはその小娘から謝礼でももらってくるが良い
「(……魈はなんでその子がお礼を用意してくれていると分かったんだろう)」
謝礼の話など魈の前では一度も話してないと言うのに。
それにその子が女だということさえ口に出していない。
たとえ依頼には謝礼がつきものだとしても、あの子の性別まではわからないはずだ。
それなのに魈は「あの小娘」と言った。
それはなぜか。
落ち着いて考えてみれば簡単に想像できた。
「(ああ、そうか……――魈は、……)」
空は違和感に答えを得た。
その考えに至って、空は目の前がひらけたような気がした。
「(――魈はあの子のことを、……覚えていたんだ……)」
しかし違和感が拭いされた喜びに浸る間もなく、自分のことではないのになんだか寂しい気持ちに苛まれた。
それは2人の気持ちを空なりに考えた末の感情だった。
あの様子ならきっと魈はあの子の名前を知っているのかもしれない。
空たちには教えてくれなかったあの子の名前を覚えているのかもしれない。
少なくとも、あの子の人となりを魈は忘れていない。
空は魈の生い立ちを知らない。
知っているのは魔物を屠るために今も戦っていること。
そのせいで業障に塗れて大変な思いをしていながらもその役目から逃げ出したりしないこと。
岩神を敬愛していること。
それぐらいだ。
でもあの時、あの子は言った。
――彼が魈になった時点で私との縁は切れました
魈に何があったのか空は知らない。
けれど、あの子の言葉を信じるならば彼は以前は違う名前でいたらしい。
その時の知り合い。
それはきっと魈が降魔大聖とよばれるよりも前の話だろう。
護法仙衆夜叉録はとても古い書物だ。
だから、あの子が知る魈はずっとずっと、それこそ普通の人にとっては気の遠くなるような昔のことのはず。
彼女が知る魈と今の彼は違うかもしれない。
けれど、魈は今でも彼女のことを忘れていない。
魈もあの子も孤独を自ら選んだ者たちだ。
璃月を守るために存在する魈と歪んだ土地を正すために死してなお、あの地に留まり続ける彼女。
常人には感じ取れない歪みからすべてを守るために孤独を選んだふたり。
そんな2人はどんな思いで孤独を歩んできたのだろうか。
――
空とパイモンの気配が消えて、魈はようやく掌の中にあるそれを見つめた。
色あせたその布越しでも彼女の気配が感じられる。
空がそれを差し出した時、彼女のものだと言うことはすぐにわかった。
何千年経とうとも忘れていない。
彼女のこと。
――もう大丈夫だよ。みんな助かるから
――だから、その時は私の名前を呼んでね
結局、魈は1度も彼女の前でその名を呼べなかった。
人間の小娘。
弱いはずの存在。
それに守られたかつての魈。
「お前はまだ……この世界にいるのだな。……なまえ」
忘れなければいけないことも、思い出してはいけないことも……すべてあったのに。
自身の安全のために岩王帝君が新たな名をくれたように、それまでの自分とは決別した。
他の者も帝君により助けられた。
あの魔神を討つことで多くの者が救われた。
その中に彼女はいなかった。
ただ、それだけのこと。
彼女がいなくなって、理不尽に殺された少女を想って嘆くその慟哭が響いた時、呪いが噴出した。
彼女を慕っていた獣があげた咆哮はその地を呪いへと変貌させた。
そして人の住めぬ土地を作り出した。
魈は何もできなかった。
彼女が死んだと知っても涙ひとつ出なかった。
魈はあの獣のように彼女のために怒ることも、助けられた仲間達のように嘆くことも何もできなかった。
結局あの獣は討たれたと後で聞いた。
帝君はその場所を封鎖し長い間誰の手も入らぬ土地になった。
そうして、そのうちに忘れ去られて特殊な地となった。
そこに彼女は今もいるのだろう。
そして、きっと今も誰かを救っているのだろう。
魈が護法夜叉と呼ばれこの璃月を守るように。
「……馬鹿な娘だな」
誰にも届かないその言葉にはなまえに対する感情に満ちていた。
嘲るわけでもなく、罵るわけでもない。
馬鹿だと言いながらもその言葉には全く別の感情がのせられていた。
設定とあとがき